第七十四話 どうしても欲しいもの(4/9)
「本当にもう大丈夫なの?」
「はい、お医者さんのお墨付きです。それで振旗コーチ。先週言ってた練習ってのは?」
「もちろん用意してきたわよ。でもその前に、一旦は通常のメニューね。まずはバッティングの感覚を取り戻さないことにはなんだし」
「はい」
8月30日、事件から一週間後。二軍球場の室内練習場。ようやく普通の練習に参加できるようになった。でもこの一週間、ウェイトとかダッシュとかイメトレとか本当に基礎的なことしかできなかったから、そこはあたしも不安……ではあったんだけど。
「……とりあえず最低限は問題なさそうね」
久々のバットは少し重い感じがしたけど、ティーやトスを繰り返してるうちにこの一週間のイメトレの時の感覚と重なって、マシンの速球も問題なく当てられた。
「でもある意味、これも問題点とも言えなくもないわね」
「?」
「結論から言うとね、今のあんたは『普通のヒットを打つことに慣れすぎてる』のよ」
「どういうことですか……?」
「『ヒット』と『凡打』の違いって何だと思う?」
「え?えっと……『最低でも一塁を踏めるかどうか』……とか?」
「……正解、ではあるわね。それをもっと掘り下げると、『相手の守備がその打球をきちんと捌けるか』ってことになるけど、相手の守備がどれくらい上手いかとか、どの辺を守ってるかなんて、打つ方にはどうしようもないことよね?」
「まぁ、そうなりますね」
「たとえばバッティングの基本でよく言われる『センター返し』も、セカンドやショートが思いっきり二塁寄りに守ってたら、アウトになる確率が高くなるわよね?」
「……!それってつまり……」
「そう。あんたのバッティングは『平均的な守備に対してヒットになる方向に打つ』のに長けすぎてるってこと。一二塁間とか三遊間とか、右中間とか左中間とか、あとはライン際とか。そういうところには良い打球が飛ばせるんだけど、他に関しては以前とほとんど変わってない。打席を重ねると全体的に打球の質が良くなるし、『とりあえず当てるのだけは上手い』からだいぶ進歩はしてるんだけど……」
「そこの対策さえできてしまえば前とほとんど同じようなことになる、ってことですよね……」
「そういうこと」
「……去年、ちゃんと打てるようになる前にすみちゃんから教わったんです。『バッティングは関数で、投球という引数から最適な出力を導き出すもの』だって」
「あの子らしいわね……」
「それで今みたいに打てるようになったんですけど……」
「……あんたってバッティングに限らず、全体的にプレーが効率主義よね?」
「伊達さんにも言われました」
「『効率主義』って、悪く言えば『めんどくさがり』とか『横着』とも言えるからね……だから外寄りの球は右方向のヒットになりそうなとこに、内寄りの球は左方向のヒットになりそうなとこにみたいな形で固まっちゃったのかもしれないわね」
「……そうかもしれません」
そこは否定できない。というか伊達さんにも謙遜のつもりでそう返したけど、よく考えたら本当のことだよね。あたしがめんどくさがりなのとか。
「そういえばあんたってセンター返しはあんまりやらないわよね?」
「あ、はい。あんまり得意じゃなくて……インコースとアウトコースは無意識でしたけど、真ん中寄りの甘い球は綿津見さんのアドバイスで外野の間狙いを意識してます」
「まぁ今のトレンド的にスラッガーを目指すあんたがそこまで追求するもんでもないし、長打を意識してるんならそっちの方が理想的ではあるわね」
本当はめっちゃ得意なんだけどね。でもアレはあくまで気に入らない投手への報復用だから……
「まぁでも、これで問題点と解決策がよりクリアになってきたわね。これからあんたの目指すべきは、あの子の言うところの『関数』を増やすこと。より平たく言えば、『良い打球が打てるパターンを増やすこと』」
「となると、ひたすら実戦形式に近いバッティング練習を繰り返すしかないですかね……?」
「そんなとこね。ちょっと試しに、マシンで何球か。ショートの方に打ち続けてみなさい」
ショートの方、ショートの方、あえてショートの方……
「ッ……!」
「やっぱりこうなるわね」
マシンの球なのに、ちゃんとショートの方に打てても簡単に捌ける程度。外寄りの球なんかは空振りしてしまった。
「あんたって前に、『バッティングは相手投手の呼吸と拍子を読むのを意識してる』とか言ってたわね?あんたの空振りの少なさも、球そのものだけじゃなく投手の動作全体で球筋を予測できるという点が良い方向に働いてるっぽいけど、逆にそこが泣きどころでもあるみたいね。無意識だと良くも悪くも効率の良いバッティングしかできなくて、逆にあえて効率の悪いバッティングをやろうとするとそっちに意識を持って行かれて途端に崩れる」
「……そうですね。マシンの球がこんなに速いと思ったのは初めてです」
「そもそもバッティングっていうのは本当に一瞬の作業だからね。相手のボールを見たり、それに応じてどう打つのかとか、やることは色々あるけど、投手のリリースからストライクゾーンを通過するほんの一瞬で『意識』してできることなんてたかが知れてる。だからそれを補える良質な『無意識』を作らなきゃいけない」
「そのためにも、地道な『反復』……」
「最近は特に高校野球なんかそうだけど、長時間の練習とかそういうのが忌避されがちよね?確かに野球は他のスポーツと比べても持久力より瞬発力の方が求められる傾向にあるし、練習での消耗が本番に悪影響を与えるのは本末転倒。炎天下で無計画にダラダラと長い時間かけて『頑張ったアリバイ作り』みたいな練習は私もダメだと思うけど、きちんと計画的にじっくりと回数をこなす練習は必要だと私は思ってるわ」
一理あるけど、それはそれで困る。地道に数をこなす系の練習は嫌いじゃないけど、そういうのはこの際オフまで後回しにしたい。今はとにかくギリ一軍でいられる程度でいいからすぐに改善できる方向にしたい。
「とは言え、本番は常に人間が相手。マシン相手に打球方向の偏りをなくならせても『無意識』の部分はある程度改善できると思うけど、『意識』と『無意識』を繋ぐ上でも、慣れるなら人間相手の方が望ましい。ってことで……」
「?」
「もしもし。あ、うん。もう良いわよ。こっち来れるかしら?」
コーチが突然スマホを取り出して、誰かを呼び出し。
「お、お疲れ様です……」
「お疲れ」
「!?え……?」
しばらく待ってると、小走りで練習場に入って来たのは卯花さん。しかもグローブを左手に付けて、何故かもう一つグローブを左脇に挟んでる。
ってことはまさか……
「優輝。もう顔見知りだろうけど、一応挨拶しときなさい」
「あ、はい……えっと、月出里さん。今日からしばらく月出里さん専属のバッティングコーチを務めます、卯花優輝と申します」
「優輝、コーチは私よ」
「うぇっ!?す、すみません……!バッティングピッチャーです、よろしくお願いします……」
「よろしくお願いします……」
あざとい……っていうのは置いといて。
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『月出里さんがまた自信を取り戻せるように、おれも頑張るから』
『……何をですか?』
『ふふっ。まずは月出里さんの怪我を治してからね』
『……?』
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「……先週言ってたこと、こういうことだったんですか?」
「はい、こういうことだったんです」
マジで……?




