第七十四話 どうしても欲しいもの(2/9)
「え、えっと……本日はお招きいただき、ありがとうございます……」
「あ、うん……」
8月24日。天王寺のとあるレストランの個室。卯花さんからのまさかの食事のお誘い。すみちゃんはバックレ未遂と責任者という立場もあって、多分明日も予定は合わせられない。でもそのおかげってわけじゃないけど、今日は若い男女で2人きり。
「月出里さん、ドレス似合ってますね」
「すみません、こういうところ初めてで……空回りでしたか?」
「そんなことないですよ。すごく綺麗です」
卯花さんも普段のラフな格好に比べたら十分めかし込んでるけど、こちとらレストランの個室なんて生まれて初めてだからね。卯花さんに恥をかかせないためにも、包帯で頭をぐるぐる巻いた状態でパーティ用の勝負服。ついでに久々にうっすらと化粧。
でもよく考えたら個室なんだし、ここまでしなくても良かったよね……身バレ対策がいつも以上にめんどくさかったし。
「それで、お話というのは……?」
「昨日バタバタしてて言えませんでしたが……その、助けに来てくれて本当にありがとうございました」
「あ……」
そういうこと……でも……
「すみちゃんと勘違いして、なんですけどね……」
……『たとえ卯花さんとわかってても』、なんて断言はできないよね。今ならともかく、あの時点ではまだすみちゃんとの仲も誤解してたんだし……
「それでも、月出里さんのおかげでおれが助かったのは事実です……でも」
「?」
「えっと、おれの勘違いだったら、はっきりそう言ってくださいね?」
「はぁ……」
何だろ?とりあえず頷く。
「月出里さん。あの時、『もうここで死んでも良い』とか考えてなかった?」
「……!」
年上だけど、球団での立場の関係もあってか、基本的にいつもあたしには下手に出てる卯花さんが急に真剣な顔で。
「桜井鞠は勘違いしておれを本物のすみちゃんだと思い込んでたけど、それでも偽物の可能性はあった。月出里さんもそう考えたりしたよね?」
「……そうですね。でも、すみちゃんの可能性が少しでもあった以上は……」
「確かにあの時の月出里さんは、すみちゃんを助けるために手を尽くしてたと思う。でも、あまりにもすみちゃんを優先しすぎてた。開幕前の話を聞く限りでも、月出里さんなら力づくですみちゃんを助けるっていう選択肢もあったはずなのに」
この人、そんなことまで……
「賭けをするには分が悪すぎましたから」
「だよね。だからおれから見たら、あの時の月出里さんは『すみちゃんを助けること』よりも、『すみちゃんを助けようとした事実』を優先してるように見えた。叶う確率の低い前者よりも、仮にすみちゃんが偽物でも望みは絶対に叶う後者を選んでたような、そんな気がした」
「……よくわかりましたね」
「見てるだけしかできなかったからね……」
「「…………」」
「お待たせしました」
沈黙を縫うようにして前菜が運ばれてきて、『とりあえず』と示し合わせたように2人して食べ始める。
「桜井鞠に意地を張ってたんじゃなく、本当にすみちゃんのことを自分より大事に思ってるんだよね?」
「はい。プロ入りさせてくれた恩人ですし……」
それ以上に、負い目があるしね。
「自分より誰かを大切にすることは本当に素晴らしいことだし、他の人にそのことを止める資格なんてない。だけどその気持ちを示すためだけに、あんな自殺じみたことはもう二度としちゃダメだよ」
「……そうしたい気分でもあったんですよ」
「?」
「あたし、ずっと地元だけで野球やってて、高校の頃なんて地元でも目立たないような選手で、ほんと何でプロになれたのかよくわからない日陰者だったんです。それなのにプロに入ってしばらく上手くいってて……でもやっぱり、今はダメで」
「…………」
「上手くいってる時よりダメな時の方が多いんだから、やっぱりこっちの方が正常だと思っちゃうんですよ。ちょっと前までは人生のほんの一瞬の輝き時だったんじゃないかとか、どうしても思っちゃうんですよ」
「……野球のことも、本当はもう投げ出したいような気分だったってこと?」
頷く。
「すみちゃんとも卯花さんとも誤解し合ってたし、柳監督も自分のことで精一杯。振旗コーチもあたしが調子に乗ってた時のこともあって何となく頼りづらくて。すがる藁もないようなところで溺れてるような状況でしたから」
「自信をなくしてた、ってことだよね?」
「そういうことだと思います。野球でもう役に立てないあたしである以上、すみちゃんのためになるにはああするしかないって、あの時はそんなふうに考えてたんだと思います。今を思えば……」
「……それでも、あんなことはしちゃダメだよ。月出里さんのそういうところがあったからおれは救われたけど、月出里さんだってきっと、誰かにとっては"自分より大切にしたい誰か"なんだから」
「…………」
「月出里さんって、普段は特にテレビに映ってる時とか、他人に対してドライなところがあるけど、根っこの部分は本当に優しいよね。昨日のことにしても、柳監督のことにしても。人が生まれながらに持ってる優しさみたいなものを最後の最後まで信じる覚悟をしてるような、そんな感じさえする。今年に入ってよく一緒に行動するようになったけど、おれは月出里さんのそういうところを、世間の人達以上に知ってることが嬉しくて、誇らしく思う」
「単に筋を通したくて意地になってるだけですよ」
「だとしても、あのまま月出里さんが無事じゃなかったら、おれなんか月出里さんに助けてもらったお礼さえも言えなかったんだよ?月出里さんだけ無茶なやり方ですみちゃんに筋を通したって、そんなのずるいだけだよ。そんな優しい月出里さんが辛い思いをするばかりなんて、そんなの悲しいだけだよ」
「…………」
「……すみません。お礼の場なのに、こんな話になっちゃって」
「いえ……言われて当然だと思います。あれは確かに卯花さんの言うとおり、すみちゃんに対する『身体を張ったアリバイ作り』みたいなものでしたから」
今はっきり自覚できた。側から見れば人として至極美しい行いだったとしても、そういう下心の元でやってたのは間違い無い。
あたしって本当に、自分ってものがわかってない。バッティングはすみちゃんとか振旗コーチとかに気づかせて貰いっぱなしだし、自分の気持ちの奥底にあるものも卯花さんに言われてようやく見えてきたところもある。
「大丈夫だよ。月出里さんならきっと、もうそんなことしなくてもすみちゃんのためになれるよ」
「だったら良いんですけど……」
「月出里さんがまた自信を取り戻せるように、おれも頑張るから」
「……何をですか?」
「ふふっ。まずは月出里さんの怪我を治してからね」
「……?」
……ま、卯花さんがすみちゃんとそういう関係じゃなかったのは正直ホッとしたところはあるけど、またまだ"候補"くらいのもの。顔と口だけの男はどうしても信じられないからね。そういう奴が最初で最大の地雷クソ彼氏だったんだし。
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