第七十話 瓦解(8/9)
遠征用のトランクをそのまま転がしながら卯花さんに教えてもらった病院へ向かうと、そこには監督と、そしてある意味予想通り、旋頭コーチの姿。
「よう月出里」
監督はベッドの上で身体を起こしてて、あたしの方を見て手を振ってみせるけど、その手は遠目でもわかるくらいに震えてた。
「選手の中じゃお前が一番乗りじゃな」
「帰るついでに寄っただけです……思ったより元気そうですね」
「全くな。周りの連中が騒ぎすぎて困ったもんじゃよ。のう、旋頭?」
「…………」
口調も態度もいつも通り飄々としてる。でも旋頭コーチはずっと俯いたまま。
「本当のところはどうなんですか?」
「…………」
「す、月出里さん……」
ついてきた卯花さんにたしなめられるけど、どう見てもこれは……
「このままここで寝っ転がってても、今年いっぱい保つかわからんそうじゃ」
「試合も?」
「当然、もう無理じゃろうな」
「…………」
「ついこの前に言ってたじゃないですか?『これからも楽しませてくれ』って」
「……そうじゃったの」
「何で『もう』なんですか?」
「……本当は『もう』じゃなく、『とっくに』だったんじゃ。こうなることは大体わかっておった」
「…………」
「すまんのう……」
元々他のところの監督と比べても一回りも二回りも年配で、それっぽい兆候は確かにあった。でもこんな突然なんて……
「!!?月出里……?」
「月出里さん……」
卯花さんがハンカチをそっと出してくれて、いつの間にか涙を流してたことに気がついた。
「泣いてくれるのか……」
「……もっと思い知らせてやろうと思ってたからです。悔し泣きです」
「そう言えば、お前とは捻くれもん同士、最初から喧嘩したりで気が合わんかったのう」
「…………」
「跳ねっ返り具合は若い頃の旋頭や樹神以上じゃが、それでもワシは楽しめた。軽く半世紀以上プロの現場に関わってきたが、最後の最後に大いに楽しませてもらった。ありがとうな」
「……まだ過去形にしないでください。せっかく今年タイトル狙えそうなんですから」
「…………」
「今まで散々偉そうなこと言ってきたんですから、それくらいは踏ん張ってください」
そう言って立ち上がって、病室を出た。
「う゛……う゛う゛っ……」
「月出里さん……」
そろそろ限界が近かったから。ドアの前からもう動けなくて、卯花さんに背中をさすってもらう。
何でなんだよ?せっかくもう"クソジジィ"って呼ばないようにしてやったのに。あたしの可能性を信じてくれたのに。すみちゃんほどじゃなくても、良い思いをさせてやろうって思ったのに。
******視点:旋頭真希******
遅い時間の静かな病棟だと、ドア越しのすすり泣きくらいなら十分に聞こえる。あの月出里が、ね……
「意外ですね……」
「いや、そうではないのかもしれんのう」
「?」
「あくまでワシの見立てじゃが、月出里の本来の姿はこっちなのかもしれん。普段は自分の容姿を鼻にかけて、周りを冷めた目で見る嫌な小娘じゃが、今まで世の中に対して折り合いをつけ続けてきた結果が今のあやつじゃないかと、な」
「……そう言えば、桜井鞠の一件の時に言ってましたね。『妬まれるのは慣れっこ』とか」
「まぁプロ野球選手としては今の月出里の性格は1つの理想型じゃと思うが、世の中というのは世知辛いもんじゃのう」
「監督の見立て通りなら、よほど醜いものばかり見てきたんでしょうね」
「野球での成功はあくまで人としての成功の一部。ワシほど奔放じゃないにせよ、もっと世の中を楽しめるようになってほしいもんじゃ。あの着ぐるみ小僧辺りと、のう。フォッフォッフォッフォッ……」
普段通り、茶化すように笑う。こんな時でも……
「私は監督の回復を信じてます」
「それは嬉しいがのう、流石に今回ばかりはどうしようもなかろう。まぁ月出里に言われたとおり、あやつがタイトルを獲るところと、オフの樹神との食事会くらいまではしぶとく粘るつもりじゃがの」
「……私は選手としても、副官としても、監督を胴上げすることが叶いませんでした」
「それは仕方あるまい。巡り合わせじゃ。お前がどれだけ頑張ってきたかはワシがよう知っとる。旋頭も、今まで本当にありがとうな」
プロ入り以来ずっと、私より小さかった監督の身体が余計に小さく見える。それはきっと私の嵩が増したからとかじゃないのはわかる。やっぱりもう……
「ッ……!ぐっ……う゛う゛っ……」
「やれやれ、お前もか……」
「すみません……」
「気にするな。旋頭や樹神のそういうところを見れるのもワシの特権じゃ」
駆けつけた時には何とか耐えられたのに、月出里のせいで……
「でのう。明後日からなんじゃが、一軍の代行はヘッドコーチに一任するがかまわんかのう?」
「はい。二軍の方は私が……」
「……あの小僧は今どんな感じじゃ?」
「来月か再来月くらいにはもしかしたら……」
「ふむ。それも楽しみじゃのう。期待しておるぞ」
「はい……」
できるだけ普段通りに振る舞う監督を見習って、どうにか私も持ち直す。
「それとな、もう一つ頼みがある」
「?」
「伊達のことなんじゃが……」
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