第六十七話 片鱗(1/6)
******視点:月出里逢******
「9回の裏、1-0、シャークスのリードでワンナウト一塁。打席には今日バニーズで唯一のヒットを放っている月出里。一塁ランナーはエラーで出塁した松村でしたが、相模が代走で入っています!」
「頼む!ちょうちょ!」
「何とかあと1本打ってくれ!」
「ネタバレ、逆転ツーラン」
あの変態との勝負、4打席目。そろそろ球威にも衰えが見え始めてもおかしくない頃だと思うけど……
「ストライーク!」
「初球見送ってストライク!165km/h速球!」
「うぇぇぇ……まだあんなの投げるのかよ……」
「とっくに100球超えてるやろ……」
「ほんまバケモンやな……」
やっぱりね。衰えるどころか自己最速すら更新しかねない勢い。
(あったり前じゃん。こんな燃える展開でへばってなんかいられないよ……!)
(盗めなくはなさそうだが……)
(相模に走らせるかは迷うところじゃのう。刺されるリスクはもちろん、せっかく打てる見込みのある月出里の集中を途切れさせたり歩かされるリスクもある。勝つには2点必要じゃし……)
綿津見さん……"メスゴリラ師匠"に言われた通り、あたしは最初の方の打席はイメージと実際のスイングが噛み合わなくて、同じ相手と勝負してるとだんだんイメージ通りのスイングができるようになるから、後の打席の方が打てることが多い。バッティングの方向性を自分から考えるようになってからは多少マシになったけど、やっぱりたとえ同じ投手じゃなくても試合の中で何打席か重ねていった方が打ちやすいと感じる。
最初からイメージとのズレが小さいこの変態相手でもそれは同じ。
「「!!?」」
「これは……ライト追って……」
「ファール!」
「惜ッしいいい……」
「切れたかぁ……」
「高速チェンジアップ153km/h、しかし捉えております月出里!」
(結果的に2つ目のストライクは取れたが、並の打者なら空振って当然の高速チェンジがカウント球にされてしまうとはな……)
(すごいなぁ……本当にすごいよ。最初から良いのに、勝負すればするほどどんどん良くなっていく)
今日のチェンジアップの軌道は頭に入った。それはきっとあの変態も理解してるはずなのに、楽しそうにするばかり。どこまで行っても本当に変態。
「……ボール!」
「高め浮きました!しかし球速は167km/h!ここで自己最速!!」
「底なしですねぇ……あれに釣られない月出里も大したものですが」
だけど、楽しいのはあたしも同じ。それは認めるよ。手強い相手でも卑怯なんかに走ることなく、ただひたすら自分を高めるばかり。汚い人間ばかりを見てきて、世の中所詮そんなものって見限ってるあたしにとっては、この変態はある意味『希望』のような存在。とっくに捨て去った理想を拾い直させてくれるような、そんな存在。
(……ボール球には余裕がある。コントロールミスだけはNGだぞ?)
(当然。最後に最高の役者をやってやりますよ)
「サインが決まって第4球……」
ランナーがいる分、予備動作が少なくなって判断材料がさっきまでより少ないけど、打席を重ねて感覚が研ぎ澄まされた。この気配はおそらくストレート……!?
(かかった……!)
(よし!踏み込みが早い!!)
リリースポイントから放たれる軌道は、直線軌道とは明らかに外れて上空。カーブ。元々他の投手と比べてストレートとの判別が付きづらかったけど、ここにきて騙しに磨きが……
『あーあ、残念だったねぇ。可愛い可愛い君♪』
たとえカーブであっても、まっすぐより40km/hくらい遅い程度で100km/hを優に超える速度。本当ならリリースからキャッチャーミットに届くまでなんて1秒にも満たない時間。なのに何故か時間の流れがゆっくりに思えて、あたしの傍にクッソ可愛い女の子。小学生くらいの頃のあたしと瓜二つの子が悪魔みたいな姿をしてて、タブレットを抱えてる。そこには腰砕けのスイングでカーブを空振るあたしが動画として映し出されてる。
周りと同じでゆっくりとしか動けないけど、その動画を一瞬先の未来だと確信したあたしを嘲笑いながら耳元で呟く。
『まぁ所詮、君はこんなものだよ♪』
……そうだ。コイツがきっとそう。ようやく逢えた。"あたしの中のあたし"。今まで散々あたしで好き勝手してきた奴。高校時代に散々惨めな思いをさせてきた奴。
だけど、コイツのおかげであたしは……
『……ッ!なめんじゃねぇ!!』
『!!!』
あたしを誰だと思ってる?すみちゃんが見つけてくれた月出里逢。すみちゃんが"史上最強のスラッガー"になれるって言ってくれた月出里逢。
そしてお前は"呪縛"なんかじゃない。すみちゃんが認めてくれた"祝福"。すみちゃんがそう言ってくれたから、あたしはここまで来れた。
あたしごときが、あたしをみくびってんじゃねぇよ……!
「……!!?」
早めに踏み込んだせいで体重が一気に左脚の方に乗り掛かる直前。だけど体重が前に移るのを可能な限りカーブの速度に合わせる。右脚の踏ん張りはもちろん、右肘と右脇腹でも体重を挟んで必死に食い止めるようなイメージ。ずっと内野で股割りやってて下半身への負担なんて慣れっこのはずなのにキツい。お母さん譲りの筋肉ですら支え切れるかわからない無茶なアプローチ。だけど外ギリギリに入り込んでくるカーブをできるだけ呼び込む。
「「は……!?」」
「カーブ!右中間……」
「「「「「これは……!!?」」」」」
実際の時間にして多分0.1秒程度の始動の遅らせ。それが却って引き絞った弓のようになったのか、ちょっと崩された割には速いスイング。
あたしの打球はいつもライナーだったり強いゴロだったりで、フライはあんまり多くない。しかも大体がアウトになる。いつまで経っても若王子さんみたいに三日月を描けない。なのにこの時はスイングの軌道にボールが綺麗に乗っかって、フライがよく伸びて……
「フェンス直撃!!!」
「「「「「おわあああああああああああ!!!!!」」」」」
「走れ走れ!!!」
「相模!突っ込め!!」
「セェェェェェフ!!!!!」
「「「「「しゃあああああ!!!!!」」」」」
今までにない感覚で今まで全然できなかったようなスイングができて、打った実感が全然湧かないまま、気がつけば二塁に滑り込んでた。
「相模、ホームイン!1-1、同点!!月出里、何とこの土壇場で同点タイムリーツーベース!!!バニーズ、最終回で遂に妃房蜜溜を打ち砕きましたッ!!」
「「「ちょうちょ!ちょうちょ!ちょうちょ!ちょうちょ!」」」
「あ^〜若手ニーが捗るんじゃ^〜」
「逢ちゃーん!」
ベンチも観客席も大盛り上がりだけど、色々と現実味がなさすぎて、まるで子供の頃にテレビで野球を観てた時と同じような気分。
(な……何故だ……?)
(今のカーブ、外低めに完璧に決まったはずだったのに……)
「いや、っていうか何なんだよ今の打ち方……!?」
「変態すぎる……」
「(今のカーブ打たれたら)もう(投げれる球)なんじゃん……」
打ち返された側も現実感がなさげ。お互い、あの一瞬であたしの負けを確信してたんだろうね。流石のあの変態ですら、喜ぶようなそぶりは一切見せずにただ困惑してるような表情。
『……ちょっとだけ前進だね』
いつの間にかまた傍にいた"あたしの中のあたし"。今度は天使のような格好であたしに微笑みかける。またタブレットを抱えてて、そこには打球がもう少し伸びてスタンドまで届いてダイヤモンドを悠々と駆けるあたしの姿が動画として映し出されてる。
『こんな君になれたら良いね』
その一言だけ言った後は、もう姿が見えなくなってた。




