第六十四話 ハンデ・オア・ギフト(3/6)
「『日暮』……『日暮 太眉』……『日暮 月島英雄』……」
すっかりお高いテレビになってたパソコン、というかブラウザ。新規タブで検索。目当てはもちろん日暮さんって人の情報。月島さんの名前と組み合わせると案外簡単に見つかった。定番のインターネット百科事典のページ。せっかくだから月島さんが現役時代どんな感じだったのかも見ておこう。
月島英雄。言わずと知れた"ミスタープロ野球"。傑出度では歴代でもトップクラスの三塁手。シーズン中だけではなくポストシーズンでも日米野球でもその実力を遺憾なく発揮。ジェネラルズをV9に導いた。右投げ右打ち、背番号3。永久欠番。
千葉の無名の内野手だったけど、高校の頃から強打者として頭角を現し始め、当時の帝国野球の花形である帝都六大学の一校へ進学。野球部入部まもなくで才能を見初めた監督から当時のメジャーリーガーを参考にした練習を叩き込まれ、プロ注目のスーパースターへと成長。当時はドラフトがなかったから、球団関係者の策謀や大学OB・OGの意向、本人の家庭事情など様々な思惑が重なったけど、最終的に地元から比較的近いジェネラルズに入団。
日暮咲。パンサーズの本拠地・兵庫が生んだレジェンド。数少ない大卒の200勝投手で、戦後唯一のシーズン防御率0点台、通算WHIP歴代1位、日米野球で日本人投手初の完封勝利など数多くの偉業を成し遂げた。右投げ右打ち、背番号11。永久欠番。
子供の頃から投手に憧れてたけど小柄な身体がネックになって、小学生の時に野球を始めて高校に進学するまではずっと野手で、大学進学の際も帝都六大学に憧れるも体格を理由に落とされた。地元の関西の大学野球でようやく投手として台頭し、プロのほぼ全球団からスカウトが来るほど活躍した。在学中に肩を壊したけどパンサーズの偉い人のおかげで復活して、大学を出た後は恩に報いるためにパンサーズに入団。
学年1つ違いで、かたや関東、かたや関西の人。プロ入り前までは接点がほとんどなかったこの両者の関係が決定的になったのは1959年……月島さんがプロ2年目、日暮さんがプロ1年目のシーズンのとある一戦。プロ野球が国民的興行に化けたきっかけとされる世紀の一戦、帝覧試合。"職業野球"と蔑まれてた当時のプロ野球にとって、時の帝の御前で試合ができるというのはあまりにも畏れ多い箔であり、特にプロ野球中継を目玉にしてテレビの普及を目指していたジェネラルズ……というか桐凰新聞にとって非常に重大なイベントとなった。
ジェネラルズもパンサーズも死力を尽くして同点で迎えた9回裏。帝が試合の状況にかかわらずあと3分で退席という瀬戸際。終盤からリリーフで出てた日暮さんから、月島さんがサヨナラのソロホームランを放って幕引き。世紀の一戦に相応しく、『野球は筋書きのないドラマ』と言うには相応しくなさすぎる試合展開。
元々プロ1年目から傑出してた月島さんだったけど、この試合が月島さんの名声をより高め、プロ野球人気が大学野球のそれを上回るきっかけにもなった。
そして日暮さんにとってもこの試合によって『打倒月島』が選手人生最大のモチベーションとなり、大投手として歩み始めるきっかけになった。
月島さんも日暮さんも、成績だけ見れば歴代で一番優れた選手というわけではなくて、同じくらいの時代でも通算成績で両者いずれかを上回る活躍をした選手はわずかながら存在する。それでもこの両者が高度成長期を象徴するスターになれたのは、他の無数の選手とも勝負した上での数字よりも、この両者とその勝負にしか生み出せない『何か』かがより人々を魅了した証明だと思う。
「ファールや!あれはファールや!」
「どこ見とるんや!?ワシは1球1球、命かけて投げとるんや!」
「勝てば官軍や。勝つためなら少々卑怯なことでもしたらええねん」
現にアタシはたったあれだけの動画を観ただけで、日暮さんのことを調べまくったんだから。気がつくと封を開けてたポテチはすっかりしけって、炭酸飲料も炭酸が抜けてた。
永久欠番になるくらいの選手だから資料はいくらでもあった。監督もやって、テレビにもよく出てたみたいだから、動画も探せば結構あった。動く姿も可愛らしいけど、インタビューで身振りをしながら答えてるのを見ると、身体の割に手はかなり大きい。
入団を熱望してたジェネラルズが肩を壊した途端に手を引いて、治った途端に掌を返したり、帝都六大学から弾かれたり、その帝都六大学のスターに帝覧試合でこっぴどくしてやられたり。日暮さんにとって『打倒月島』という思いは関西人としての関東へのコンプレックスとか色んな感情が入り混じってたんだろうけど、それでもきっと根幹にあったのは、ずっとやりたかった投手としての矜持。そして月島さんを強打者として誰よりも認めてるからこそ、野球の最も原始的な部分である『投手と打者の勝負』にとことんこだわった。
表では勝ち負けだけにこだわってるようなことを言ってるのに、月島さん相手には死球どころかビーンボールすら1球も投げずに堂々と勝負し、他の打者にも一切手を抜かずに投げ続けた。
当時は投手の負担が今の比ではなく、年間ベースでも倍くらいのイニングを投げてた。先発ローテーションが生まれたのも日暮さんの現役生活中で、それ以降でもエースなのにリリーフ登板ってのも普通にやってた。だけど当時はただでさえ打低な上に、技術が広まってないから打者のレベル差が大きくて、どんなに強いチームでも3割打者や30本打てるスラッガーなんて1人いれば良い方だった。だから下位打線とか大量得点差の時に手を抜いたりするのが暗黙的な必須スキルになってた。
それでも当時の投手は10年保たないのがザラだったのに、日暮さんは病気や故障の中でも常に全力で投げ続けて、14年も第一線で活躍し続けた。フォークが最大の武器なのに暴投がめちゃくちゃ少ないのも、単に制球力に優れていたというだけじゃなく、本当の意味で勝利にこだわり、いつどこで誰が相手でも常に気を抜かなかった証だと思う。
だから眩しかった。『死』を待ちながら恐々と生きてるアタシと違って命の輝きに溢れてた。ちびちびと命の灯火を繋ぎ止めるだけのアタシと違って、あの人は自分の信念のために惜しみなく命を燃やし続けた。
アタシはあっという間にあの人に惹かれてた。ぜひ一度会ってみたいと思ったけど、残念ながらアタシが生まれるちょうど3ヶ月くらい前に亡くなってた。
「……このままでええんか?」
夜のテンションも手伝って日暮さんのことを調べまくったせいか、生粋の新潟県民なのに思わず関西弁で自問自答。アタシはきっとこの頃から、日暮さんの生まれ変わり気分だったんだと思う。
「ええわけないよな」
元々お母さんにバレないように、ポテチの袋とペットボトルはこっそり外のゴミ箱に捨てるつもりだったけど、食べかけと飲みかけのまま、買った時の袋に入れて後で捨てに行った。食べ物を粗末にしない主義のアタシにとって、生涯唯一の戒律破り。『最後の一口』とかそういう甘えすら生みたくなかったから。
「監督」
「お、おお……ようやく来たか」
例の動画を観た次の日、久々に練習に出た。
「秋の大会、ハヅキさんとカケルさんが先発やるんですよね?」
「あ……いや、その辺はまだ決めかねてるところだが……」
「良いですよ」
「え?」
「最近全然ダメで、練習も休みまくってたんですよ?6年優先に決まってるじゃないですか」
「お……おお!そうだな!うんうん、妃房が自主的にそう言ってくれるとはな!えらいぞ!」
「だから背番号も譲ります」
「え……?いや、そこまでしなくて良いんじゃないか?6年はもうすぐ引退なんだし……」
「もうすぐ引退なんだから、最後にエースナンバー付けたって良いじゃないですか」
「……!うう……妃房、お前って奴は……!」
「その代わり、ソウタの背番号アタシに下さい」
「……え?」
この日からアタシの背番号はずっと『11』のまま。中学でも、高校でも、プロに入ってからも。
「おかわり」
「うんうん、女の子は今くらいが伸び盛りだからな。いっぱい食べろよ」
「おかわり」
「はいはい」
「おかわり」
「……え?また?」
たまたま成長期が重なっただけかもしれないけど、あの日くらいから急にいっぱい食べられるようになった。よく噛み締めて、他の命をアタシの礎にするように。
「み、蜜溜!?どうしたのその髪!!?」
「邪魔だったから」
「もー、何やってるのよ……せっかく綺麗に伸ばしてたのにこんなザクザクに……」
どうせいつもの美容院に行っても、お母さんに言われるがままに切り揃えて整えるだけだっただろうから、先に部屋で自分で切った。ずっと伸ばしてた無駄に長い髪を。
「蜜溜ー、出かけるよ……?」
「zzz……」
「あらら……お母さーん、蜜溜、昼寝してるみたいだけどー?」
「あら、珍しいわね」
「まぁ起こしちゃ悪いな。買い出しだけだし、俺達だけで行くか」
「じゃワタシも残るわ」
「あら、悪いわね。そうしてくれる?」
「良いよ。勉強もあるし」
いつ死ぬのかわからなくて寝るのが怖かったアタシだったけど、特に用事のない日は半日以上寝ることも珍しくなくなった。
「球速を上げるには肩関節の外旋角度が重要です。そのためにも柔軟な身体を……」
「ふむふむ……」
暇があればまた野球絡みの動画を観るようになった。
「うぐっ……」
「お、おい。蜜溜、大丈夫か?」
「だ、大丈夫……もうちょっと押して……」
「む、無理するなよ……?」
「うっひゃあ、妃房さん柔らかいですねぇ……」
「何かエロいな……」
「おいソウタ」
6年が引退するまではファーストがメインだったけど、その時はまだピッチャーに戻る気にはならなかった。まだ悔しさや怖さが尾を引いてたとかじゃなく、とにかくアタシの何もかもを作り直すのを優先したかったから。
そういうのを繰り返してると、気がつけばまた次の夏が訪れてた。特に名残惜しいわけじゃなかったけど、アタシの小学生最後の夏。




