第六十四話 ハンデ・オア・ギフト(2/6)
「……ごちそうさま」
「あ、あら……蜜溜、おかわりはしないの……?」
「いい……身体だるいから……」
「今日も練習は休んだ方がいいんじゃないか?」
「うん、そうする」
病弱……とは少し違うけど、人並みよりは遥かにデリケートな身体。『大事を取って休み』なんて今までいくらでもあっても、ズル休みに利用するほど落ちぶれてないつもりだったんだけどね……『食欲がなくても茶碗に米粒一粒たりとも残さず』ってのが、あの頃のアタシに残された数少ないプライドだった。
「蜜溜、これで練習欠席4回連続だっけ?」
「やっぱりあの子には……」
「まぁそれならそれで良いさ。無理をして処置の施しようがなくなるくらいならな。いざとなったらあの子1人くらい一生養えるだけの蓄えはある」
お父さんもお母さんもお姉ちゃんも、そんなアタシを責めたりしなかった。
「ぷっ……あはははは!」
だから、笑い声も夜とか関係なく控えめに。
ガッツリとした本を読む気力も湧いてこなかったあの頃のアタシのマイブームは、『部屋で動画を観ること』。それも身になりそうなものじゃなく、本当に単なるエンタメ関連ばかり。歳不相応に買い与えられた高スペックなパソコンは、すっかりテレビの代わりになってた。
あまり大きな声では言えないけど、あの頃はまだ動画サイトが世に広まり始めた頃くらいだったから、名作映画とかちょっと前にテレビでやってたお笑い番組とかそういうのも普通にアップロードされてたからね。ちょっと検索すれば観たいものは何でも観れたし、関連動画をハシゴして今まで知らなかった面白いコンテンツを簡単に見つけられた。
田んぼだらけの地域だからコンビニもそんなにない。だから買い食いする機会もなかった。こうやってこっそり買ったポテチと炭酸飲料をつまみながら動画を眺めるだけってのがこんなに楽で楽しいことだなんて知らなかった。
「あはははは……」
そして時々我に帰って、乾いた笑いへ。
バカみたいだよね。散々『みんなが寄ってたかってアタシを人間として『生きてない』扱いにする』ってゴネてたくせに、アタシ自身もそうしてる。外で遊ぼうにも、それはそれでやっぱりケンタ達のことで気まずいし。
良いよもう。アタシはこんなもので。半端者だし、努力するのも怖いし。お父さんやお母さんにはせめて大人まで生きて、"女王蜂"らしく孫の顔さえ見せてあげられたら。その子がアタシみたいな身体に生まれてこなければそれで良い。何ならおじいちゃん達の顔を立てるために良いとこに嫁いだって構わない。それで毎日美味しいお米を食べて今みたいにゲラゲラ笑いながら『死』を待つのも。
こんな身体で生まれても、アタシはまだ恵まれてる。種の繋ぎ役になれるだけの資格もある。結局、人間の進化なんてものの目指すところは『いかに効率良く楽をするか』。人間の努力も『将来楽をするための目先の苦労』。アタシには必要ないじゃんそんなの。アタシの身体はある意味免罪符なんだから。アタシはもう世の中の大体の人より楽をする権利があるんだから十分だよ。
「……ッ!」
そんなふうに、アタシはアタシの何もかもを見限ってた時だった。
動画サイトの関連動画の機能。あれは確かに便利ではあるんだけど、ああいうのは今観てるジャンルの動画だけじゃなく、普段よく観てるジャンルの動画もたまに薦めてきたりする。
何せついこの間まで野球に夢中になってたんだからね。当然、動画サイトを観る用事も元々はプロとか上手い人のプレーを参考にするのが主だった。そういう動画は、今は当然見て見ぬ振り……
「……?」
するつもりだった。何も考えずに、なかったことにするつもりだった。
「『JPB 日暮・月島 1966』……?『1966』って年代……?」
だけど、動画のサムネイルとタイトルがどうしても気になった。平成生まれのアタシにとっては、映像なんて色が付いてて当たり前。だけどそのサムネイルはタイトルの年代が示すように白黒。ちょっと前に観たチャップリンの映画みたい。
そしてタイトルのおそらく人物名。月島はわかる。おじいちゃんの一番の推し、月島英雄。"帝国プロ野球史上最大のスター"、"ミスタープロ野球"、"ミスタージェネラルズ"。ギリギリ20世紀生まれのアタシでも名前くらいは知ってた。この辺はジェネラルズファンばかりだし、今でもたまにテレビに出てきたりするしね。プレーは観たことないけど。でも日暮って誰だろ?タイトル的にはこの人の方がメインみたいだけど……
「…………」
気がつけば、サムネイルをクリックしてた。
もちろん、野球への熱がふとした拍子に戻ったとかそんなのじゃない。アタシが生まれるより30年以上昔の古い映像。今の野球と同じ感覚で観る必要なんてない。今まで手をつけてなかったジャンルのエンタメとして観れればそれで良い。たったそれだけの期待しかしてなかった。
『初球』
見くびってた通り、映像には音声はほぼなし。申し訳程度の補足説明のために、状況に応じた最小限の字幕が中心。そして尺も1分足らずのボリュームで、たった一打席の『投手と打者の勝負』を垂れ流すだけのもの。
『2球目』
そしてこれまた見くびってた通り、やっぱり今の時代のプレーと比べてどうしても荒削りな部分が目立つ。子供だったアタシでさえ違和感を覚えられるくらいに。
まずは投手の方。太眉がチャーミングな可愛い顔立ちで身体も小柄。今でもまだ少数ながらワインドアップをする投手はいるけど、こんなわざわざいったん前屈みになってから思いっきり振り上げる必要なんてない。どう見ても運動エネルギーの無駄。そして上半身の使い方が強引で、投げた後も身体が流れすぎてる。結果的に良い球を投げて制球もできてるけど、参考には絶対にしちゃいけない類のフォーム。
でも打者はもっと酷い。坊主頭でがっしりとした体格のおじさん。アウトステップが大きすぎるし、スイングも無駄に豪快で『魅せる』ことばかりを意識してるような印象。そのせいかヘルメットもスイングのたびにポンポン飛んでる。ただ、これだけアウトステップしてるのに不思議と身体は全く開いてないし、このアウトステップと残したトップの間で大きな『割れ』を作ってるのか、スイングは速い。
こうやって今の時代にもわざわざ映像が残されてるんだから、当時のすごい選手だったってことはこの頃のアタシでも察することはできたけど、それでも『今の時代ならもっと良い方法でもっと良いパフォーマンスを発揮できる』とか、子供ながらにませたことばかり考えてた。
『3球目』
だけどだんだん、そんな冷めた気持ちが熱くなっていくのがわかった。確かにプレーは荒いけど、荒いからこそ、まだ技術が確立されてない時代に自分達なりに自分達の最高のパフォーマンスを捻り出そうと必死になってるのが伝わってくるから。
たとえるならカンブリア紀と同じ。生物が生物らしくなり始めたばかりで、生物というものがどうすれば効率良く生きられるかなんて誰にもわからないから、生物全体で『数打ちゃ当たる』と言わんばかりに多様な進化を遂げた、まさに試行錯誤の時代。学会で発表したら学者が爆笑するような姿に進化した生物もいるけど、それもその種なりに環境に適応した証。幸運にも今の生物と似たような感じに進化してアタシ達の祖先になった生物もいるし、もしかしたら逆に今の生物よりも効率良く生きられるのに隕石とかそういう不運な理由で種が途切れた生物もいたのかもしれない。
「……!!!」
そして何より、どっちも笑ってた。打者は高めの速球を仕留め損ねて、飛んだヘルメットを拾いながら投手の方を見て。投手も息を切らしながらも、闘志を滲ませて。カウントが進んでお互いに緊張が走る中でも、ただただ目の前の勝負に酔いしれてるみたいだった。
確かに今と昔には技術に差がある。だけど勝負に対する想いとか、そういうものに古いも新しいもない。生物はどこまでいっても生きるために時として牙を剥かなければならないんだから。
『4球目』
「日暮、予告通り通算1500奪三振を月島から達成」
投手が最後に投げた落ちる球により、打者のバットが空を切った。そして最後の最後に、思い出したかのように音声。投手の偉業を讃えるものだったけど、打者の存在感も最後まで全く褪せなかった。
気がつけば、アタシはまた涙を流してた。最近は悔し涙とかそんなのばっかりだったけど、これは違うと確信してた。前情報も予備知識もロクにない、たかが大昔の『投手と打者の勝負』1つなのに、それまでの11年間で観てきたあらゆるものより美しく思えた。色彩なんかなくても十分すぎた。
ようやく今になって、わざわざ右に置かれた心臓が動き出したような、そんな気さえした。




