第六十三話 女王蜂(4/6)
「もう入って大丈夫かしら?」
「はい、どうぞ」
「どれどれ……あら、可愛くしてもらったわねぇ」
「うん……ありがと」
お祭り当日。お昼の獅子舞を終えて、いったん家に帰って、夕方から神社で巫女舞の準備。
巫女装束自体は初めてじゃない。別のお祭りで地域の女の子達揃って巫女装束で踊ったりもするからね。でも今日は舞台に上がるのはアタシだけだから、その分装いもいつもより派手。『神様が憑く』っていう体だからか、巫女装束というか羽衣のイラストでよく見るあの重力を無視したタスキみたいなやつも付けられてる。どういう構造なんだろ?
「……ねぇ、蜜溜。お祭りは楽しい?」
「う、うん……」
「どんなことでも、楽しいと思えるかは結局自分の考えよう次第。蜜溜はあんまりこういう目立つことは好きじゃないかもしれないけど、目の前のことは楽しまなきゃ損よ?」
「そうだな。きっとみんなも今の蜜溜を『綺麗だ』って言ってくれるはずだ」
「そうかな……?」
「当たり前じゃない」
やっぱりお父さんもお母さんもわかってた。アタシが大人まで生きられない可能性が十分にあること。だから命の長さの代わりに、せめて命の密度を増そうと必死になってた。
この時のお父さんとしてはきっと、アタシのあの晴れ姿はウエディングドレス代わりくらいの感覚だったんだと思う。無事大人まで生き延びられた今でも、どのみちあんなのを着る気にはなれないけどね。
「蜜溜ちゃん、さぁこっちに」
「はい……」
本物の巫女さんに促されて進むと、そこは高台。近所の人達が高台の元に集まって、アタシの姿を携帯で撮影したりしてる。
まだ身体が小さかったあの頃のアタシにとっては、こうやって大人の人達でさえ見下ろす感覚は慣れないもので、緊張よりもその困惑の方が先に来てた。
「おお……今日の蜜溜ちゃんはいつも以上に別嬪さんだなぁ……」
「満溜ちゃんの時を思い出すなぁ」
「妃房さんとこはやっぱ美人姉妹だべ」
まぁ……うん。月出里逢は大のお気に入りだけど、唯一あのナルシストなとこだけは鼻につくアタシだからね。だからあんまり大っぴらに言いたくないけど、それでも客観的に見てアタシも自分を結構綺麗な方だとは思ってるよ。恋愛とかテレビの仕事とかに興味を持ったことなんて今のとこ全くないから、そんなのは活かすつもりもないけど。
「蜜溜ちゃんは幸せもんだなぁ。優しいご両親やお姉ちゃんに大事にされて」
「ウチも見習わんとなぁ」
「昔からこの辺りじゃ子供は神様の使いじゃが、少子化の今は一層子供を大事にせんとな」
「それに比べてあの帝都もんは……」
「まぁまぁ。オオノさんの元奥さんも行事によく出てくれて、私達も助かってたじゃない」
「それでも子供にあんなこと吹き込んじゃうのはねぇ」
「ちょっとヨーコちゃんを大事にしすぎちゃってたわよねぇ。男の子を催促された意趣返しだったのかもしれないけど」
「だからってこの地域で蜜溜ちゃんみたいな子を差別するなんて絶対に許せないわ」
「妃房さんはそのために今年の子供巫女を蜜溜ちゃんにしたんだろうな」
自分達にとっての善意を定義するかのような会話の数々。この場の成せることなのか、不思議なくらいクリアに聞こえてくる。
……人の優しさとか善意というのは確かにそれ自体は素晴らしいけど、そういうプラスの存在を証明するためには必ずマイナスな何かがなきゃできない。誰かが困ってたり、悲しんでたりしてなきゃいけない。逆に人の悪意だってそう。善意がどこかに必ずあるから悪意を悪意として認識できる。白い壁に白いペンキを塗っても、黒い壁に黒いペンキを塗っても目立たないのと同じ。
本当に優しさと善意だけに溢れた世界の人間には、自分達の素晴らしさを正しく認識することなんてできやしない。
「それじゃ蜜溜ちゃん。力を抜いて、お姉さんの動きに合わせてね」
「はい……」
後ろに立った巫女さんに耳打ちされて、言われた通りにされるがまま。踊りの技量で言えば、そもそもお人形さんのように扱われてるだけなんだから、到底お金を取れるようなものではない。
「神々しいのう……」
「こりゃ今年も豊作だべ」
「ナムナムナム……」
なのに高台の下の大人達は行幸でも見てるかのようにありがたがってる。アタシの踊り自体より、それをありがたがることに意味があるから。ヨーコが言うところの"カタワ"を文字通り『祭り上げる』ことに意味があるから。
アタシはまさに、現代社会ならではの"女王蜂"だった。自分で言うのは憚られるけど、『見てくれが良くて、文武に秀でてて、それなりの家柄だけど、生まれつき程良く弱者』なアタシは"女王蜂"にするにはうってつけだった。人間という生物の社会性と善性を象徴するにはあまりにも都合が良かった。地方に今なお残るちょっとした陋習を誤魔化すのにも最適だった。
アタシの家は姉妹だけだけど、おじいちゃんにとってはお父さんだけが子供じゃないし、アタシ達だけが孫でもない。だからおじいちゃんにとっては、アタシは"名士としての証"であり続ければそれで十分……他の人達にとっても、アタシは"自分達の善意の根拠になりうる偶像"で十分だった。それ以上の期待も、それ以下の期待もされてなかった。
子供なんて自覚がなくても大なり小なり大人によって生かされてるものだけど、アタシはこういう身体だから子供の頃から自覚がアリアリ。本当は"女王蜂"ほど大層なものじゃなくて"蚕"くらいのものだったのかもしれない。
「あら、蜜溜。もう寝るの?」
「うん……」
「うんうん、早寝早起きは良いことだぞ。いっぱい寝て大きくなろうな」
あの頃は寝るのが怖かった。大人まで生きられないかもって知ってからは『このまま寝てる間に死んじゃうんじゃないか』って、そんなことばかり考えるようになった。
でもあのお祭りの夜以来、ほんの少し怖くなくなった。アタシが人間として生きてると言えるのかわからなくなったから。生きていなければ、死ぬこともないはずだから。




