第六十三話 女王蜂(3/6)
「確かこの辺りに……」
おじいちゃんちから帰ってアタシの部屋に戻ってすぐ、本棚に手を伸ばす。例の図鑑。身近な動物や昆虫の生態を、小学生低学年でも理解しやすく噛み砕いてるような内容。一度通しで読んだ記憶を頼りに目的のページを探す。
「……これ」
探し当てたのはミツバチの生態。その中でも、女王蜂について。
ミツバチの女王蜂は幼虫の段階から巣の特別な場所で育てられて、ローヤルゼリーを大量に与えられることで女王化する。そして女王蜂は働き蜂の繁殖力を抑え込む物質を分泌する。その物質の分泌量が減ると別の女王蜂が誕生して代替わりする。つまり、ミツバチはメスであれば誰しもが女王になれる可能性を持って生まれてくるということ。人間が一般的にイメージする"女王"とはまた違ったもの。
"女王"なんて大袈裟な呼ばれ方をしてるけど、生物学的には単に"生殖虫"と呼ばれてて、巣の中で繁殖の役割を持ってるというだけだからね。確かに働き蜂に世話をさせる立場だけど、繁殖力を失えば働き蜂に容赦無く巣から追い出されることもある。ただ、命が有限な生物にとって基本的に最も重要なのは種を残すこと。それにそもそも女王蜂がいなければ次の女王蜂も雄蜂も働き蜂も生まれることができないんだから、女王蜂が巣の中核であることに変わりはない。
そういう重要な役割だから、ミツバチはもしかしたらより良い女王を立てるために幼虫の段階で繁殖力の優劣とかを大なり小なり見極められる本能みたいなものがあるのかもしれないけど、それでもおそらくランダムな部分の方が大きいと思う。女王蜂も別に毎回1匹ずつ育ててるわけじゃなく、何匹か同時に育てて一番先に羽化した女王蜂が残りを殺すっていうパターンもあるらしいから、育てる前の段階で誰にするのかを完全に決定してるわけではないはず。
だけど、人間は違う。生まれつき個々に差異があって、そのせいで優劣もあることも認識できる。その上で誰にどういう役割を与えるべきかを根拠も込みで決められる。
「蜜溜ー、ご飯できたわよー!」
「あ、はーい!」
……流石にあの子供向けの図鑑にはそこまで詳しいことは書いてなかったし、あの頃くらいのアタシじゃそこまで物事を深く考えられなかったけど、それでもこの時には何となく他人事じゃないような気がしてた。
いったん図鑑を閉じて、一階の食卓へ向かう。
「蜜溜、来月お祭りがあるでしょ?」
「?うん、獅子舞とかやるんだっけ?」
「それと夜に巫女舞もやるんだけど……おじいちゃんがね、蜜溜が今年の子供巫女やってほしいって言うのよ」
「え……?」
「蜜溜、これはすごいことなんだぞ?子供巫女に選ばれた子には神様が降りてきてこの土地にたくさんのお米ができるようにしてくれる上に、その子も来年の祭りまで、神様が病気や怪我から守ってくれると信じられてるんだ。みんなが来年まで"神様の使い"として見てくれるんだよ」
「だからやりたいって子が毎年たくさんいるんだけど、おじいちゃんが蜜溜を今年の子供巫女にするって聞かないのよ。昨日みたいに怪我しないようにって」
「巫女舞と言っても、蜜溜はほとんど何もしなくても良いからな?神様に代わって巫女のお姉さんが後ろに付いて、蜜溜をお人形さんみたいに動かしてくれるから。どうだ?やってくれるか?」
こういうイベントごとに引っ張り出されるのはこの時が初めてじゃなかった。まぁ今考えれば、おじいちゃんらしい強引なやり方だと思う。
「……わかった」
「うんうん。早速おじいちゃんに知らせるからな」
正直面倒だったけど、あの頃はおじいちゃんが純粋に好きだったし、その気持ちが嬉しかったからね。
「おはよ」
「みっちゃん、おはよ!」
「よう蜜溜!」
「よ、よう……」
休み明けの月曜日。ケンタ達とは近所だから集団登校でも一緒。コタローとサエはいつも通りだけど、やっぱりケンタは引きずってるみたい。
「おれさー、昨日新しいゲーム買ってもらったんだよ!」
「えー、良いなぁ……」
「今日みんなでやらね?」
「良いね、コタローんち?」
「おう」
「クロもいる?」
「もちろん」
「やった!サエも行く行く!」
「あ……おれパスで」
「ケンタ……?」
「いやぁ……俺さ、今日からサッカーチーム入ることにしたからさ……今日から早速練習で……」
「……!」
「マジかよ。突然だな」
「こ、これからの時代はサッカーだよサッカー!ワールドカップとか熱いだろ!?野球とか今時流行んねーよ!な!?」
「んー、サエもどっちかと言うとサッカー派かな?お父さん、ジェネラルズ戦始まるとチャンネル変えてくれないし……」
「…………」
必死に取り繕うケンタに、アタシは謝ることもできなかった。前の年の夏休み、帝都に行ってジェネラルズ戦を観たのをあれだけ楽しそうに話してたのに……
「ちょっとアンタ」
「え……?」
教室に入ると、急に同じクラスのヨーコに話しかけられた。幼稚園の頃から一緒だったけど、普段はあんまり話さない子。ツヤツヤの黒髪で目がぱっちりしてて脚がスラっと細長くて、男子に一番モテてた。アタシと同じで田んぼだらけの地域では浮いてる服装をしてるけど、コスプレじみたアタシと違って、都会っ子らしい垢抜けた感じ。お母さんが帝都の方から嫁いできた人らしいから、多分それが理由。
「アンタさぁ……今度のお祭り、子供巫女に選ばれたんですって?」
「えっと……選ばれたって言うか、おじいちゃんに頼まれて……」
「ハッ、やっぱりママの言う通りなのね!『この辺じゃアンタのおじいちゃんの言うことが絶対だ』って!」
「……そんなことはないと思うけど……」
「今年の子供巫女、ヨーコだったはずなのに……ママがいっぱい頑張ってくれたのに……お祭りで一番お金を出してるからって……」
「あの……アタシ、代わった方が良い……?」
「ッ……!」
ヨーコは顔を歪めながらアタシの胸元を押した。急なことだったから思わず尻餅。
「馬鹿にしてんじゃないわよ!幼稚園の頃からいっつもいっつもアンタばっかり!ママも言ってたわよ!『神様を降ろすならあんな"カタワ"よりヨーコの方がふさわしい』って!」
「うわ!ヨーコが蜜溜叩いた!」
「ダメでしょヨーコ!」
「先生に言うぞ!」
「いーやーやーこーやーやー」
「せーんせーにーゆったーろー」
「君達本当に新潟県民か……?」
「あ、先生!」
アタシは別に大したことなかった。あの頃から自分の身体に色々思うところはあっても、他の人にそういう呼ばれ方をするのは周りへの負い目もあったから『そういう分類の仕方』くらいで割り切ってたし、今となっちゃこの身体に生まれた意味を求めてる最中だから他人からどう言われようが知ったこっちゃない。ヨーコに対する申し訳なさもあったから、責めるつもりなんて全くなかった。
だけど周りはヨーコを許さなかった。
「えー……オオノさんですが、お母さんのお仕事の都合で転校することになりました」
ヨーコはあの日、すぐ家に帰って、一週間くらいずっと学校を休んで、それから二度と会うことがなくなってしまった。
色んな意味で目立ってたヨーコだから、突然の知らせに当然クラスがざわついた。
「えー、マジかよ……」
「は……はん!せいせいしたわ!あんなじゃじゃ馬!」
「ヨっちゃん何強がっちゃってるの〜?」
「カヨってヨーコんちの隣じゃなかった?何も聞いてなかったの?」
「ヨーコとは会わなかったけど、最近ヨーコんちからすごい大きい声は聞こえてたよ。ヨーコのお父さんとおばあちゃんっぽかったけど、『さべつだ』とか『りこんだ』とか『あととりをうめないおんなばら』?とか言ってた。あと、『じゅーきがかりられなくなる』とか……」
「……!」
「……なんだそれ?」
「わかんない……」
まぁあのおじいちゃんの孫だし、なまじ色んな本を読んでたのもあって、その話の流れが意味するところはあの頃のアタシでも察することができた。だから余計に、ヨーコには申し訳ない気持ちになってしまった。




