第六十三話 女王蜂(1/6)
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******視点:妃房蜜溜******
今から10年以上前、アタシが8つくらいの頃の話。
アタシが生まれ育った新潟……というか北陸の方では持ち家世帯が多い。アタシの実家もその例に漏れず、それも地元ではかなり大きい方。地方では必須の車も、ちょっとした足代わりの軽トラから出勤や買い出し用の国産車、田園風景には不似合いな外車まで、大体いつも全部で4台か5台くらいは揃ってる。他の贅沢が少ない地域での、お父さんの数少ない趣味も兼ねてるんだけどね。
お父さんとお母さんは地元の役場に勤める公務員で、7つ年上のお姉ちゃんも今では都会の大学を出て地元の小学校の先生。そしておじいちゃんは地主で地元の名士。お父さんはそのおじいちゃんからもういくらか土地を継いでて月極駐車場とかにしてるからその分の収入もある。おじいちゃんのおじいちゃんは戦前の時代の議員さんだったとも聞いてる。先祖代々から、とにかく堅実が服を着て歩いてるような、そんな家系。
都会から離れてて、今も変わらず周りが田んぼだらけな土地柄なのもあって、嫌味でも何でもなく、世間が不況だの何だのって言ってるのがイマイチ実感できない、そんな環境でアタシは生まれ育った。
「蜜溜、今日は学校どうだった?」
「ん、漢字と算数のテスト返ってきたよ」
「何点だった?」
「どっちも100点」
「流石だ」
「ご褒美は何が良いかしら?」
「明日ケンタ達と秘密基地作るから、ダンボールとガムテープとおにぎり用意して」
「慎ましいわね」
「この前図鑑買ってもらったし」
「……蜜溜、あんまり無茶は「わかってるよ」
「ほんとに気をつけなさいよ……」
「明日、アタシも付き添おうか?」
「そうして欲しいとこだけど、満溜も今度模試でしょ?」
「別にそのくらい……」
「良いよお姉ちゃん、ほんとに無茶とかしないから。ケンタ達が怒られるし」
とある事情で家族揃って……というか近所の人達揃って過保護だけど、それでも共働き家庭でもほぼ毎日家族全員で食卓を囲えてたし、家族間でこれといった不和もなかったし、本当に環境としては何の不足もなかった。というよりも、足りすぎてた。だから『不足』は全くなくても、言葉には表現できない『不満』のようなものはこの頃から感じてた。
「コタロー!見ろよ見ろよ!良い感じの石いっぱいあるぜ!」
「おー!良いじゃん良いじゃん!」
「これで向こうで水切りしない?」
「おう、やるか!蜜溜もそれで良いよな?」
「うん」
次の日の土曜日。約束通り近所の同学年の友達と近くの川や公園で遊んだ。ケンタとコタローとサエ。今でも地元にいて、オフに実家に帰った時には顔を合わせる間柄。
こんな何でもない子供の集まりですら、今を思えば本当にごく自然に、みんながみんなアタシにお伺いを立ててた。よっぽどのことがない限り空気を読んで断らなかったけど、きっとその気になればアタシはいくらでもワガママでいられたんだと思う。
「おおっ!ケンタすげぇ!」
「8回跳ねたぞ!」
「みっちゃんもやってみなよ」
「そうだね。ちょっと待って……」
あの頃は長く伸ばしてた髪。別にアタシの意思じゃない。まぁ周りはアタシに可愛らしさも求めてたんだろうけど、それ以上に枷としての意味合いが強かったんだと思う。アタシは本来こんなにも走り回ったりする必要はないって。
服装にしたって、こんなファンシーでフリフリなワンピースなんて好んで着てるわけじゃなかった。はっきり言って動きづらいったらなかった。このくらいの年頃だから服は大体お母さんが買ってきたものだけど、別にお母さんの趣味でもない。お母さんもお姉ちゃんも、私服だとそもそもスカートは滅多に穿かない。大体デニムパンツとかチノパンとか。つまりこれは明らかに故意犯。その反動なのかもしれないけど、自分で服を買うようになってからは逆にV系とかバンギャ系とか派手めのものが好きになってしまった。
だから大人の元を離れて外で身体を動かす時はこうやって、髪を後ろで結えてた。まさにお人形さんのような装いを、どうにかして健全な子供らしく振る舞えるようにしてた。
「蜜溜、石投げるのも左なんだな」
「うん、なんとなく……よっ!」
「うぉっ!?速ッ!!?」
「でも跳ねさせたもん勝ちだぞ!」
「7、8、9、10……!?」
「じゅ、19回……!!?」
「すげぇ!さすが蜜溜!!」
「や……やるじゃん!」
顔を引きつらせて、必死にアタシを讃えるケンタ。ガキ大将ってほど乱暴な奴じゃなかったけど、それでも同学年の中じゃ一番身体が大きくて、運動も大体何でもできて、その分ちょっとプライドが高いところがあった。
アタシはあの頃はケンタよりずっと身体が小さかったけど、それでもこういうことは大体アタシが勝ってた。なのにアタシはケンタから恨み言を言われたことは一度もない。少なくともアタシ自身が知る限りでは。
「よっし!とりあえず今日はこんなもんで良いんじゃね?」
「アタシ、おにぎり持ってきたんだけど」
「おおっ!蜜溜のカーチャンの、うめぇんだよなぁ!」
「コタロー!ちゃんと手を洗わないと!」
「あ、ウェッティあるよ」
「おっ、サンキュー!」
「おれ水筒持ってきたぜ!」
「乾杯やろうぜ乾杯!」
公園の隅に秘密基地。みんなで持ち寄ったありったけのダンボールで組み立てた。
涼しい地域だけど、それでも身体を動かせば汗をかくし喉も乾く。水筒の麦茶を一口飲んでからおにぎりを頬張る。具なしの塩だけなのにやけに舌にとろけた。地元のお米で作るおにぎりは今でも毎日食べてるけど、あの頃の秘密基地での一口目ほど美味しかったものはないと思う。
「みっちゃん、ほっぺにご飯粒付いてるよ」
「あ、ほんと?」
「蜜溜、色黒だから目立つよなぁ」
「んー、お父さんに似ちゃったんだよね」
「ねーちゃん逆に色白だもんなー」
「ところでこの後どうする?」
「もうダンボールねーからこれ以上はデカくできねーよなぁ」
「じゃ野球やんね?」
「ボールとかバットとかはどうすんのよ?」
「さっき良い感じの棒拾ったぜ」
「ボールは……新聞丸めてガムテで固めたら良いんじゃね?」
「ん、そうすっか」
まだあの頃は野球は習い事ではしてなくて、本当に近所の友達との遊びの1つでしかなかった。
「蜜溜、今日も頼むぜ」
「え、良いの?」
「良いの良いの、どうせみっちゃん以外じゃロクにストライク入らないんだし」
「その代わり、軽く頼むな……?」
でも、そんな頃からでもアタシは大体投手をやってた……というか、やる流れになってた。
運動はできても左投げのアタシなら確かに投手が適してはいるけど、お遊びの草野球なんだからショートやキャッチャーだってできる。そしてこの頃くらいでも、投手が特別なのは何となくわかる。だから、仕組まれたことだってことも何となくわかってた。
それでもその頃のアタシも、投手をやることを何となくでも求めてしまってた。




