第六十二話 人間を超えたい獣(7/7)
******視点:月出里逢******
6月4日火曜日、本拠地・サンジョーフィールド天王寺。
相沢さんと冬島さんが戻ってきたり色々あったけど、それでもあたしは何やかんやでまだレギュラーでいられてる。
前のカードから引き続きのホームゲームだけど、今日の……というか今日からしばらくの相手は同じリプの球団じゃない。
「アーイ!ナイバッチ!」
向こうの打撃練習がもうすぐ終わる時間に再びグラウンドへ。相変わらず飛ばす人が多いね、シャークス。ちょっと前に18連敗したとは思えないくらい活気があるし、実際、ドン底だった頃から借金も少しずつ減ってきて勢いも盛り返しつつある。
プロに入って初めての対外戦もシャークスだったけど、初めての交流戦もシャークス。妙に縁があるね。面子も去年とそんなに違いはないけど、強いて言うなら深海さんがいない。佳子ちゃんの一番の推しで、あたし的にも結構タイプだからちょっと残念。
「おっ、ちょうちょやんけ!」
「逢ちゃーん!」
「げっ、去年のオープン戦の……」
今年に入ってずっと一軍でやってきたから、流石にそれなりの人に顔と名前を覚えてもらった。大体の人はあたしを"ちょうちょ"って呼ぶけど、まぁそれは別に良い。このリボンは小さい頃からずっと付けてきた物。蝶のようにクッソ可憐でクッソ美しいあたしに相応しいシンボル。昔からこんな性格だったわけじゃないから、後付けの理由なんだけどね。
「久しぶりだね」
「……!」
遠くからの声ばかりだったのに、急に真後ろから一声。
振り返ると、佳子ちゃんにも負けないくらいでっかいの。見上げてみると色黒パツキンショートの女の人。"変態"こと妃房蜜溜。今日の向こうの先発投手。つくづく妙に縁がある。
それにしても……
「今日は頬紅さんを通さなくて良いんですか?」
「あいにく観星は今二軍……まぁいたとしても、どのみち同じ。引退するまでは一言も口をきかないつもりだったけど、どうしても直接キミに聞きたくなったことがあってね」
「何ですか?」
面倒だけど、前にご飯を奢ってもらった恩があるし、ちょっとくらい付き合っても良いか。
それにしても間近で見ても本当に大きい。お父さんよりも確実に。それに手足もめちゃくちゃ長い。『脚が長いとバッティングでは不利』みたいな話をどこかで聞いたことがあるけど、幾重さんみたいな例もあるんだし、あたしもこれくらい大きい身体が欲しかった。
「キミが目指してるものは?」
「……?」
「プロ野球選手として」
「……世界中で、歴史上で誰よりも優れた打者です」
「それはどんな状況でどんなものを犠牲にしてでも目指したい?」
「そうですね。戦争とか政治のアレコレとかと違って、野球なら他人を犠牲にしても直接命を奪うほどのことにはまずなりませんから」
「何のために目指してるの?」
「一番大切な友達との約束ですから」
「他人のためだけ?」
「今は一番がそれです」
「ちゃんと自分のためでもあるんだよね?」
「もちろんです」
「……キミのこと、色々調べさせてもらったよ。埼玉に住んでたんだよね?アタシもずっと新潟と神奈川で野球をやってきてるけど、プロで会うまでキミの存在を全く知らなかった。そこまで遠いとこでもないのにね」
「でしょうね。あたし、妃房さんと違って"スター"でも何でもなかったですから」
「そんなの、アタシが気にすると思う?」
「全然」
「フッ……その通り」
「フッ……」
変態が笑って、思わず少し釣られる。
「けど、それでも疑問はあるんだよね。別に自惚れるわけじゃないけど、アタシを相手にあれだけ打てるキミが何故プロに入るまで騒がれもしなかったのか」
「騒がれるほど誰彼構わず打ってませんでしたから」
「他の人との対戦成績自体はどうでも良いけど、それでもそういう実績がなかったってことは、当然経験だって他の人ほどあるわけじゃないはず。そんなキミの力になってるものって何なんだろうね?身体能力がすごいのはもちろん知ってるけど、そういうのは置いといて、何がキミの原動力になって、何がキミをそんなふうに駆り立てるのかな?キミを補い、ここまで導いたものは……」
「……『"生物"としての危機感』……ですかね?」
「!」
「妃房さんの言う通り、あたしは経験不足ですよ。一応かなり早くから野球を始めましたけど、全国がどうとか世界がどうとかには出たことないですし、何より一度野球を辞めてますからね」
「……それは知らなかった」
「そりゃそうでしょ。ウチの球団の人以外には誰にも話してないはずですし」
「それは光栄だね……それが逆に功を奏したと?」
黙って首を縦に振る……ま、あんまり良い思い出じゃないけど、糧にはなってるよね。色んな意味で。
「端的に言えば、可愛いあたしを"都合の良い女"にしたがるクソッタレがいっぱいいたんですよ。家族絡みのことで色々あったあたしを、手段を選ばず。とにかく好かれまくって妬まれまくって、人間の汚い部分をこれでもかってくらい見てきたんですよ」
「……そんな中で無事でいられたの?」
「ハッ……当たり前じゃん?今でもバキバキの処女だよ。そのクソッタレどもには1人残らず、『あたしがそんなものに成り下がるわけがない』って、心と身体に存分に思い知らせてやったよ」
「それは素敵だね」
変態が不敵に笑うけど、きっとそれは鏡写し。あたしもきっと今こんな顔をしてる。
「人はどれだけ偉くなっても結局は生き物だから、どれだけ綺麗な主義主張が生まれたとしても、他の生き物と同じで『喰って喰われての関係』からは逃れられない。生きていくならどこかで必ず牙を剥かなきゃいけない。だから、そうやって"人以上"で居続けるか、敗北主義とか行き過ぎた平和主義とかそういうのに悪酔いしながら"人未満"になるしかない。あたしはその中で少し欲張って、"誰よりも以上"になろうとしてるだけ。誰にも喰われたくないから、誰でも喰えるようになりたいだけ。そのことに気づかせてもらえたことだけは、例のクソッタレどもに感謝してるよ」
「"スター"か"ピエロ"ならもちろん……」
「もっと上の"ヒーロー"じゃなきゃね」
「それも素敵だね」
「『打率3割』とかそういう結果も、仙人の霞のように湧いて出てくるものじゃない。他の投手の『防御率』とかそういうのを犠牲にして生じるもの。その犠牲の程度が大きいか小さいかの違いでしかないんだから、誰よりも多くを犠牲にしたって何も気にすることなんてない。そういうのを気にしなくても良いのが野球というかスポーツってもんでしょ?そもそもプロ野球なんて飯の種を奪い合ってるようなものなんだから、遠慮する理由さえもないよね?」
「……キミはいつもアタシが欲しい答えを……いや、もっと良い答えを返してくれるね」
「投手の投げる球から出来るだけ良い答えを出すのが打者の仕事でしょ?」
「それで良い。実に良い。最高に良い。ますます気に入った。キミはやっぱりアタシの理想通り……いや、理想以上だよ」
「それはどうも……」
「ありがとう、月出里逢。今日の試合、楽しみにしてるよ」
10年、20年分のつもりなのか、散々質問攻めにした挙句、勝手に去っていくあの変態。まぁ良いか。二軍戦の時の分も含めてまとめて試合で返せば。
******視点:妃房蜜溜******
あの喋り方、アタシのことを"ただのよその球団の年上"じゃなく、"同じように牙を剥き、喰らい合う相手"だと認めてくれたんだよね?そうだったら、この上なく光栄だね。
詳しくはわからないけど、それでもキミが人並み以上に厳しい境遇の中からここまで来れたのだけは理解できた。それに対して、アタシは生まれを除けば蜂蜜のように甘っちょろい境遇の中からここまで来た。キミとアタシ、全く逆の道筋を辿ってきたはずなのに、同じような答えに辿り着けたのは幸運という他ないね。
アタシが望んでるのは、『自分の身の程に折り合いをつけて眠たい社交辞令で取り繕う、"人間"同士としてのパイの切り分け』なんかじゃない。『自分の身の程なんて関係なく存在理由そのものを見せびらかし合う、"生物"同士としての争い』。それくらいじゃなきゃ、アタシは満たされない。
月出里逢。キミならきっと、そんなアタシを満たしてくれるよね?"人間を超えたい獣"同士になってくれるよね?『普通の身体で産んでもらえなかった』じゃなく、『普通の身体じゃなくて良かった』って思わせてくれるよね?




