第六十二話 人間を超えたい獣(4/7)
******視点:長尾七果******
「ヒット・バイ・ピッチ!」
「ああっ、当ててしまいました!これで満塁!ワンナウト満塁!……っと、ここで加山監督が出てきて……」
「交代でしょうねぇ」
「ジェネラルズ、選手の交代をお知らせいたします。ピッチャー、伊賀瀬に代わりまして、■■。ピッチャー、■■。背番号■■」
味方打線を信頼していないわけではないが、それでも客観的に見て早めに攻撃が終わる傾向があるから、私も投球の準備をそれに合わせられるようにしてきた。最近は特にその傾向が強かったから、ワンナウトの段階でもある程度のことをするようになったのだが、まさか打者一巡して伊賀瀬氏を2回の途中で降ろしてしまうとはな……
「おうおう!もう降りるんか!?」
「エースならもっと長い回投げろや!」
「球数まだ2桁だろ!?」
「"妃房"!まだ説教終わってねぇぞゴラァ!!」
「何アイツら怖い……」
「相手打線にはいっつも『さっさと降板してくれ』って言われる伊賀瀬が……」
「いや、もしかしてアイツら伊賀瀬を妃房と勘違いしてるんか?」
「それはそれで怖いんですが……」
……なるほど。ようやくからくりが見えてきた。フリーバッティングの時でもフラストレーションをぶつけてるように見えてたが、本番においても相手投手を妃房君に見立ててたということだな。もっと詩的に表現するとしたら、『彼女の底なしの闘争心が伝染った』と言ったところか。
伊賀瀬氏は確かに球威にも優れているが、流石にあのエンジンがかかった時の妃房君には及ばないからな……高卒1年目から2年連続でノーヒットノーランを達成してしまうほどの潜在能力を有する者など、他にそういるものではない。
「8番キャッチャー、与儀。背番号8」
「まだ満塁やぞ!10桁得点いっとけ!」
(『野球は9割が精神、残り半分が体力』と言うが、いやはや人間の思い込みは恐ろしいものだ)
「引っ掛けた!これはセカンド正面!」
(しまった……!)
「4・6・3!ダブルプレー!」
「実家のような安心感」
「こういうのでいいんだよこういうので(錯乱)」
「急にシャークス打線がシャークス打線に戻ってて草生える」
「これでスリーアウト!しかしシャークス、この回も数橋のツーランなどで5点を挙げて8-0!2回表、シャークスのリードです!」
意外とあっけなく終わったが、まぁ最近こういうことが多々あったから、投げる分には問題ない。
「2回の裏、ジェネラルズの攻撃。4番ファースト、篠花。背番号25」
(8点か……めんどくせぇな)
それに……
「ストライク!バッターアウト!」
「ストライク!バッターアウト!」
「アウト!スリーアウトチェンジ!」
「おいィ!2イニング続けて何やっとるんじゃ!?」
「ほんまつっかえ!」
「まるでシャークス打線みたいだぁ……(呆れ)」
「早打ちはしてないから(憤怒)」
「むしろ消極的すぎるくらいやな」
よく言われることだが、守備が長いと攻撃にも影響が出る。必ずしも悪い方向にばかりというわけではないが、何かしらのプラスかマイナスが生じるのは確か。
野球は他の球技と比べて持久力はあまり要さないがその分瞬発力を求められ、そして攻守のタイミングが明確に分けられていて、そのタスクにも明確な違いがある。そして『投手と打者の勝負』というものは特に打者側の『慣れ』が勝敗に大きな影響を与える。打撃においてイニングをかけたり粘ったりして球筋を見極めようとしても、ただでさえ打順という順番待ちがあるのに、さらにその間に入る守備という別のタスクがどうしても邪魔になる。その時間が長くなれば尚更。結果として睡眠のように頭を整理し直す時間になる可能性もあり得るが……
私は野球でよく言われる『流れ』というやつは、『物事の過程を決める要素』ではなく、『表面化した結果の方向性』だと考えてる。今の状況がまさにそうだ。『流れが悪いから攻撃があっさり終わってしまった』のではなく、『守備の時間が長いという原因によって攻撃の内容が悪くなるという結果が生まれ、それが流れが悪いように見える』のだ。『流れ』というもの自体が見えないものなのだから、『歴史が証明する』という言い回しの如く、たとえ実際は過程であろうとも結果で表面化するまで待つしかないのだからな。
「良いぞ良いぞ長尾!(*^○^*)」
「長尾が投げるとチームが変わるんだ!(*^○^*)」
「やっぱり長尾こそエースなんだ!(*^○^*)」
……妃房君の闘争心は確かに野手陣の原動力となったが、私も無関係は装えないな。相手としては大量ビハインドである以上、どうしてもランナーを貯めるなり私を早めに降板させるなりしたくて、あまり積極的なバッティングはしてこない。しかし私はどちらかと言えば奪三振を狙うタイプ。普段より容易に追い込めるのは恩恵と言う他ない。
つまり、今日のこの試合の様相はまさしく……
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「ナノカ、よくやってくれたZE。8回はシュミットに行かせるからNA」
「承知しました」
8回表の攻撃前。私の今日の投球内容は7回10奪三振5被安打2四球無失点。正直あわよくばと思ったが、球数が3桁に達してしまったのだから仕方ない。こちらの打線も3回以降は無得点なのが影響したのか、中盤以降は序盤ほどサクサクとはいかなかった。どうしても球数を使ってしまう点はどうにかしたいところだが……
「七果さん、お疲れ様でした!」
「数橋君、今日は助かったよ」
ベンチでクールダウンしてると、数橋君が隣に座りにきた。うーん、近い。一応同性だからそこまで気にはしないのだが……
「七果さん、このまま行けば連敗脱出の立役者っすねぇ。まさに名実共にエースって感じで」
「……そうだな」
「?嬉しくないんすか、七果さん?」
「いや、そうではない。ただな……」
「ただ?」
「今日の試合を現時点で総括すると、野手陣は私を勝たせようとしたのではなく、相手投手を妃房君に見立てて負かそうとしただけ。やり方や彼女自身の意図はどうあれ、彼女はどうしようもなかったチーム状況をたった1人で一変させたのだ。先発投手は登板日であればその試合の勝敗に最も関与することができるが、逆にそうでなければ最も関与できない。そんな常識に囚われてた私は、単に妃房君の代理で有利な状況を作っただけ。それも彼女の恩恵を少なからず受けながら。真に勝ち投手の権利を得るべきは、きっと私ではなく妃房君だ」
「七果さん……」
「だから……投球の内容だけ見れば当然嬉しいのだが、正直に言えば悔しくもあるな。単純な投手としての力量や潜在能力はともかく、チームを勝たせるという点だけは負けたくないと思っていたのだが……」
「……意外と可愛いとこあるじゃないっすか、な・の・か・さん?」
数橋君はそう言いながら私の肩に腕を回して、美少年とも美少女とも取れる絶妙なラインの顔を近づけて、私の頬を指で軽く突く。小さなホクロをそばに置き、口紅を引いてるわけでもないのに紅く艶やかな唇を軽く舌なめずり。同性だと言うのにやけに煽情的で、思わず視線を逸らす。
「……よしたまえ数橋君。私とて女だ。人並みにときめきもする」
「んふふ〜、おれだって女っすよ?」
「なら"王子"なのか"姫"なのか、もっとはっきり表明したまえ」
「それはお断りっすねぇ。おれはどっちもアリなんで」
「……それはどういう意味でかな?」
「ご想像にお任せしますよぉ。んふふふふ……」
全く、小悪魔極まりない。プレーもこういうことも何もかも計算づくでこなしてるのだろうな。
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