第五十九話 誉れ(9/9)
******視点:月出里逢******
「ドンマイドンマイ!良い当たりだったよ!」
「紙一重だったね。追いつけられたんだから、焦らず勝ち越していこう!」
「……ま、これも一つの勉強じゃ」
「はい……」
ベンチに戻って、あたしを責める声はない。だけど、それで悔しさが紛れるわけじゃない。
ホームランを打てないなりにも、あたしはいつも最善を尽くしてるつもり。強いて言うなら、何も悪いことをしてない投手に怪我をさせるのは嫌だから、よくバッティングの基本って言われるセンター返しはあんまりやらないってくらい。それもメスゴリラ師匠に教えられたことで外野の間を狙うようになったから、やる必要がそもそもない。
「バニーズ、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、氷室に代わりまして、牛山。ピッチャー、牛山。背番号29。また、先ほど代走で入りました有川はそのままキャッチャーの守備に入ります。8番キャッチャー、有川。背番号0」
「あー、氷室降りるんか……」
「しゃーない。球数結構使っとるからな」
「一応リリーフはウチの方がええと思うけど、何とかなるか……?」
「6回の裏、ビリオンズの攻撃。6番サード、若王子姫子。背番号60」
「この回の先頭打者は若王子姫子。今日は2三振と当たっておりません」
「それでも一発がありますからね。下位に続くと言っても油断はできませんよ」
「ファール!」
「ボール!」
「ストライーク!」
「高めストレート空振り!追い込みました牛山!」
豪快……には見えない空振り。あれでも当たればタダじゃ済まないのはよく知ってる。
「ボール!」
「低めチェンジアップ!」
(流石に低すぎたか……)
(警戒しすぎることはないよ)
「ファール!」
「今度は当てましたファール!」
「ファールボールにご注意ください」
さっきのあの場面、若王子さんだったらきっと……
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去年、振旗コーチからまだバッティングの基本から教わってた頃。
「それじゃ、他に質問はある?」
「あの……若王子さんのバッティングってどうやるんですか?」
「……若王子の、ねぇ……」
「解説動画とか観てみたんですけど、理解できないことが多くて……」
「まぁアイツはあれでも根っからの理論派だからね。今のあんたじゃそりゃ難しいわね」
今なら骨盤の回転を速くとか、スイングはゆっくりとか、大体のところはあたし一人でもきちんと理解できる。最後の『メッシャミ〜ン』ってのだけは言わんとするところはわかるけど、今でも何でそんな表現になるのかはよくわからない。
あの頃はホームランどころか普通のヒットを打つのも危うかったから、せめてゴールがどんなのかくらいは何となくでも掴んでおきたかった。
「……アイツの打撃理論はアイツの才能ありきのところもあるし、基本すらまだ理解できてないあんたが詳しく知ろうとしたところでかえって混乱すると思うから、具体的なやり方は省きつつになるけど良いかしら?」
「お願いします……」
「まず、一口に"スラッガー"って言っても色んなタイプがいるわね?その分類の仕方もいろいろあると思うけど、『剛』か『柔』かで言えば、若王子はどっちに当てはまると思う?」
「『柔』ですよね?」
「そうね。友枝みたいに純粋なパワーで遠くまで飛ばすのが『剛』の打ち方とすれば、若王子みたいに技で飛ばすのが『柔』の打ち方。そして若王子はその『柔』の究極系とも言える存在よ」
「あの人以上に綺麗に飛ばせる人はいない……ってことですよね?」
「まぁ何を以て綺麗かってのは人それぞれだと思うけど、技術的な部分でホームランだけをひたすら追求するって意味ではそうなるわね」
コーチがいつもあたしに教える時のやり方。実際にバットを持って、実際にその動きを再現しながら解説。
「前にバッティングは『加速』の集合体で、"世界で一番のスラッガー"になるためには『バッティングにおける全ての加速を実現できること』って教えたと思うけど、アイツはその『加速』の使い方が普通の打者とは明らかに違うのよ。若王子のバッティングをずっと観てたらわかると思うけど、アイツのスイングってめちゃくちゃゆっくり振ってるように見えるでしょ?」
「はい、不思議なくらいに……」
「あれは別に感覚的な話じゃなく、本人も言ってるように実際にそうなのよ。つまりアイツは少なくともスイングの途中までは下半身はともかく腕の方の『加速』を放棄してるのよ」
「何のためにそんなことを……」
「最後まで『加速』の余地を残すためよ。バッティングじゃなく単純なパンチで考えるとわかりやすいと思うけど、パンチって腕が伸び切ってたらもうそこから先には進めないでしょ?だからパンチで何かを殴る瞬間ってのは、まだある程度腕が曲がってる状態になってる」
「そうですね。当たった瞬間はそれだけじゃなくて腰も入れて……」
「まぁ上手い殴り方については置いとくとして、スラッガーの『剛』と『柔』の分け方はこの辺が大きな要因になると言えるわ。『剛』は早い段階でスイングを『加速』させて、『柔』はできるだけ『加速』の余地を残す。どっちが良いかは一概には言えないけど、今流行りの右投げ左打ちのスラッガーなら『剛』の方が向いてることが多いわね。スイングの初速を主に生み出すのはボトムハンド……つまりこの場合、より力のある利き手側だから、早い段階でスイングをトップスピードに乗せる打ち方の方が適してると考えられる」
「でも若王子さんは右投げ右打ちだから……」
「そうね。スイングの最後の段階でトップハンド……つまり利き手側で最後の『加速』をかけるのに長けてると言えるわね。『剛』の打ち方の場合は早い段階でスイングがトップスピードに乗るから、バッティング全体でのスイングスピードは『剛』の打ち方の方が基本的に上。たから速い球により振り遅れにくいし、打球速度もそっちの方が出しやすい。それに対して『柔』の打ち方はどうしても振り遅れやすくなる。若王子が打率3割を達成したことがなくて三振が多いのも、単にホームラン狙いっていう姿勢だけじゃなく、スイングの性質そのものにも原因があるのよ」
「それを聞くと『柔』の打ち方ってあんまり良いとこがないような……」
「ぶっちゃけ期待値だけで言えばそうなるわね。特に最近ってピッチャーの投げる球めっちゃ速くなってるでしょ?だから今の時代はバッター側も自分の得意不得意をある程度までは無視して『剛』の方に頼らなきゃいけない場合が多いのも事実。右投げ左打ちが昔よりずっと多いから尚更ね。けど、『柔』の打ち方にはさっきも言ったように、『加速』を最後まで残せるという利点がある」
ティーを用意して、振旗コーチが右打ちのフォームでインパクトの直前までの動作。
「ティーの球は見ての通り止まってるから抵抗なんてほとんどないけど、実際のバッティングはこっちに向かってくる投球を打ち返す……つまり、打つ方向に対して逆向きの力が抵抗として働く。だから腕が伸び切って『加速』が残ってない状態だとヘッド負けが起きて、打球が思ったように飛ばせない」
「でも、どんな打ち方でも腕を畳んだまま捉えなきゃダメですよね?」
「そうね。少なくともバットとボールの芯同士をぶつける分には腕を畳んでさえいればある程度は問題ないけど、ホームランはどうしても打球にある程度の角度を付けなきゃいけないから、ボールの中心からやや下を叩くのが理想。だけどボールもバットも接触面が丸いから、ほんのわずかなヘッド負けがホームランを単なるポップフライや上がりすぎの外野フライに変えてしまう」
「だから最後まで『加速』を……」
「そういうことね。最後の最後にヘッドスピードを『加速』させることで、スイングの方向をブレにくくし、ヘッド負けを抑える。よく『押し込む』って表現されてるやつね。実際にはバットとボールが接触してる時間なんてほんの一瞬だけど、やること自体にはちゃんと意味があるのよ。インパクトの瞬間にヘッドスピードを一気に『加速』できれば、ボールのバックスピンがより強くなって、飛距離も伸びやすくなるしね」
「つまり、より確実にホームランを打つため……」
「そう、それが若王子のバッティングよ。『捉えられる確率をある程度犠牲にする代わりに、捉えた打球を誰よりも高い確率でホームランにする』。アイツ自身は『ヒットはホームランの打ち損ない』って言ってたけど、あれは正しいんだけどある意味では間違い。他のバッターならボールを捉えるポイントやバットを入れる角度、ボールを叩く場所とかが完璧であったとしてもホームランがヒットに成り下がってしまうことがあるけど、アイツの場合はそこまでの過程さえクリアすれば間違いなくホームランになる。『外野フライの内のホームランの比率』が他の打者よりも優れてるのはまさにこれが理由」
「逆に友枝さんがあれだけのパワーなのに思ったよりホームランの数が少ないのも……」
「アイツは逆に『剛』に特化してるからこそね。単純に出せるパワーが桁違いな分、普通の右投げ左打ちのスラッガーにとっては角度ばかり付いてあまり飛ばないはずの逆方向の打球がたまにスタンドまで届いちゃったりするけど、あのバッティングで得られるのはホームランの本数よりも、OPSとかそういう全体的な期待値ね」
バットをクルリと持ち替えて、ヘッドを持ってバットを担ぐ。
「若王子はホームランが打てるポイントやホームランを打つのに適した身体の動かし方を誰よりも理解してるから再現性が高いとか、他にもホームランバッターとして優れた才能を持ってるけど、打ち方自体に関してはこんなとこね。アイツのおびただしいまでの三振の数は、『打者と投手の勝負』に負けた数の一部ではあるけど、誰よりも真摯にホームランを追い求めた証……真のホームランバッターにとっての『誉れ』でもあるのよ」
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つまり、今日の三振2つはある意味では『絶対に避けられない失点から一時的に逃れられただけ』とも言える。
「!!!!!」
牛山さんのほんのわずかな失投から一瞬後、球場が静まり返り、後退しようとしたレフトの十握さんがすぐに立ち止まった。この角度でこの勢い。ちょっと野球をかじってれば結果はもうわかる。
「「「「「おおおおおおおおおッッッッッ!!!!!」」」」」
まだ打球が落ちてきてないのに、観客が沸き立つ。でも、その反応に間違いはない。ドームの天井に当たりかねないくらい高々と上がった打球はフェンスの遥か上を通過して、レフトスタンドの一番奥に着弾した。
「は……入ったぁぁぁぁぁホームラーン!5-4!!若王子姫子、今シーズン第一号は超特大の勝ち越し弾ッッッ!!!現役最多のホームランアーチストが、ついに目覚めましたッッッ!!!!!」
「お姉様ー!!!」
「よう打った!!!」
「よっしゃあああああ!!!!!」
「姫子!姫子!姫子!姫子!」
スタンドだけじゃなく向こうのベンチも大盛り上がりだけど、若王子さんは粛々とダイヤモンドを駆け抜けるだけ。いつも通りの柔らかいスイングをして、バットをそっと置いて、ベースを踏み忘れないように確実に。『こんなのはもう400回ほど繰り返した』と言わんばかりに。豪快すぎる一打との対比を演出するように。かつてのテレビの前のあたしは、そんな姿をずっと『美しい』と思って眺めてた。今も『美しい』って事実は揺るぎない。目指すところであることも変わりない。
だけど、今のあたしにとってはその『美しさ』がただただ当てつけのように思えてしょうがない。あの頃みたいに『あたし自身が打った』ような共感なんて全く湧いてこない。たとえ実績とかが大違いであっても、同じプロになったんだから、あたしにはできないって悔しさばかりが募ってくる。
「あ、逢ちゃん!大丈夫!?」
「……!?あ、はい!大丈夫です!」
気づいたら、涙が溢れてた。泣きたいのはきっとバッテリーの方がよっぽどのはずなのに、ホームランなんて触れもしないただのショートがなんて馬鹿な話。
……あたしはもしかしたら、生まれて初めて若王子さんに『憧れ』以外の感情を抱けたのかもしれない。




