第五十九話 誉れ(8/9)
******視点:月出里純******
プロ野球はテレビでいくらでも観てきたけど、球場で観戦は初めて。ねーちゃんが若王子姫子ファンだから観るのは基本ビリオンズ戦。でもねーちゃんはビリオンズファンじゃないから他の球団の試合もたまに観てた。だからリプがリコと比べて観客が少ないのは知ってたつもりだったけど、実際にその数少ない観客になってみると、周りが思った以上にガランとしててびっくりする。ビリオンズ以上に不人気なバニーズだからってのもあるんだろうけど。
「ビールはいかがですかー?」
「おう"嬢"……"一杯"くれや」
「は、はい!700円です!」
「アンタ、あんまり飲みすぎるんじゃないよ。明日も仕事入ってるんでしょ?」
今日は家族と、そしてねーちゃんが昔お世話になった人達とでねーちゃんの応援。
ハンバーグみたいな髪型で、元の顔立ちは結構整ってるのにいつもハの字眉で眉間に皺を寄せてて、とにかくイカつい表情の大樹さん。それと、サラサラの黒髪で服装も普通にオシャレで普通に美人だけど、慣れてない人にとっては近寄りがたい雰囲気のある晴香さん。
……あれから5年以上経って、この人達ももうお酒を飲める歳になったんだよなぁ。
「"旦那"と"奥方"は"麦酒"飲まねェンですかい?」
「ああ、昔からな」
「あたし達は飲むよりこっちよねぇ」
お酒は飲まないけど、持参した弁当をモリモリ食うとーちゃんとかーちゃん。おれと結は普通に球場飯買ってもらったけど、とーちゃんとかーちゃんの分もこれだけ買ってたらねーちゃんに泣きつくとこだったと思う。
「?お兄ちゃん、何見てるの?」
「ん、スポーツ速報アプリ」
今年からほとんどの球団でHIVEっていう機材を導入して、スポーツ速報アプリでもそのデータをリアルタイムで配信するっていう話。まだ正式リリースはされてないけど、もう試験運用は始まってて、時々どこかの球場で実際に要所要所でデータを配信してたりする。
今日はたまたまこの球場でやってるみたいで、初回の若王子妹のホームランの打球速度やら何やらとか、今日の先発の三矢の平均球速とかが表示できるようになってる。おれはこの辺のスタッツはまだあんまり覚えきれてないけど、若王子妹の打球速度172km/hって相当速い部類だよな……?
「うーん……おーぴーえすだの打球速度だの、最近の野球はややこしいわねぇ。晴香はわかる?」
「アタシは野球自体あんまり詳しくないんで……牡丹さんも逢みたいに経験あったりするんですか?」
「やったことはないけど、ルールは大体。最近の選手も本当に有名どこならまぁわかるわよ。あたし千葉の生まれで、お父さんが熱心なアルバトロスファンなのよ」
「テレビでアルバトロス戦観てってことですか?」
「そういうことね。何気に球場に来たのも初めてじゃないわ。試合時間長いしチャンネル占領されるしでむしろあんまり好きじゃなかったけどね」
「わかります。ウチもそんな感じでした」
「あの頃のアルバトロスって、球場で流しそうめんやられるレベルで不人気でテレビで放送されること自体あんまりなかったから、それで逆に嫌いにはならなかったわ」
「逢そっくりでも、その辺は似なかったんですね」
「あたし好みの良い男があの頃のアルバトロスにいたら、話は違ってたかもしれないわねぇ」
(……あの"逢"を一方的に"殴"れる"奥方"がプロになってたら、どンな"怪物"になってたンだか……)
そう言や、しばらく千葉のじーちゃんとばーちゃんのとこ行けてないな……
「9番ショート、月出里。背番号52」
「ちょうちょキター!!!」
「どでかいのかましたれー!」
ここ埼玉で、関西弁で応援してるってことはよっぽど熱心なバニーズファンなんだろうけど、最近のねーちゃんほんと期待されてるなぁ。ネットじゃ他の球団のファンも注目してるみたいだし。
まぁ家の事情なしでも、ねーちゃんに勝てないと思って元々野球辞めるつもりだったおれからしたら、今更って感じがするけどね。
「■■さん。月出里はこの打席でプロ通算50打席目となるのですが、いまだに三振をしてないそうですよ」
「そこは本当にすごいですね。一流の打者といえども若い頃は大体3桁の三振をしてるものなんですけどね。しかしやはり打率が低くてホームランが全く打ててないのは気になるところですね。その点でも打つ方ではやはりペンギンズの猪戸なんかが……」
ツーアウト一塁だけど、ランナーが有川ならねーちゃんのとこで逆転も十分できるはず。
「一塁牽制!」
「セーフ!」
「ストライーク!」
「初球スライダー空振り!」
「振りが強いですねぇ……完全に狙ってますね」
「ボール!」
「また一塁牽制!」
「セーフ!」
「ボール!」
「ストライーク!」
「おい"純"ォ、大丈夫かァ?随分"目測"誤って"扇風機"カマしてるみてェだが……?」
「大丈夫ですよ。あれ多分わざとですから」
ねーちゃんは追い込むまでは普通に空振り奪れるんだよ、追い込むまでは。
(抜けスラならワンチャンあると思ったけど、やっぱ根っからのスライダー投手がそう簡単に抜かるわけないか)
「さぁツーボールツーストライクと追い込みましたビリオンズバッテリー!最後は何で決めるのか!?」
(無難にいくならやっぱさっきから空振ってる外スラやけど……)
「ファール!」
「ここはスライダー合わせましたファール!」
(やっぱりな。コイツ、空振りはするけどどんな時でもタイミングだけはほんまに狂わへん。正直フォームもあんまり綺麗なもんやないのに、不思議とそこだけはほぼ常に完璧なんや。うちもタイミング合わせるのが持ち味やからようわかるわ)
「ファール!」
(打者と一口に言っても『アベレージヒッター』とか『パワーヒッター』とか色んな分類があるけど、どんな分類であろうと打者がヒット以上を打てる時ってのはある程度の法則性がある。例えば投手が投球動作で前脚を踏み込んだ辺りでちょうど打者も前脚を挙げる……つまり後脚に体重をかけられれば、タイミングはかなり合わせやすい。意識してるんかわからんけど、コイツは過去の映像を観てる限りでもその辺にほぼ狂いがないんよな)
「ファール!」
(だからこんな感じで、最低限当てるとこまではできる。過程と結果が結びつく以上、バッティングのやり方も嘘をつかへん。ヒット以上を打てる時ってのは『打てる形』ってのを最低限は残せてる。身体の軸とスイングの方向にブレがないとかな。どんなに見てくれが不細工でもその辺だけは守れてるから、『追い込まれてからの空振り』というほぼ何も生み出せない最悪の結果だけは出さずに済んでる)
「……ボール!」
「インコースシュート今度は見極めました!これでフルカウント!」
(そしてこの眼……どんなにスイングが綺麗でタイミングも合ってても、ボール球じゃなかなか良い打球にはならへん。ボール球を打つこと自体が『打てる形』というものをある程度犠牲にする行為やからな。良い打球を生み出せる要素がこんな不気味なくらい揃ってるのに、何でこれで打つ方の数字がイマイチなんかさっぱりわからへんわ……)
ねーちゃんと比べりゃ平凡もいいとこのおれじゃ上手く口で説明すらできないけど、ねーちゃんは打つことで天才なのは間違いない。それだけはわかる。長く一緒にいれば、あれだけ打たれまくったのも『3つ年上だから』とかそんな単純なもんじゃないってことくらいはわかる。一端の投手だったおれだから、ねーちゃんが他の打者とはものが違うくらいはわかる。
(困ったDeathねぇ……外スラからの内シュートが通用しないとは……)
(しゃーない。今日はコイツは外中心で攻めてきたから、とっておきのフロントドアスライダー頼んます、鎌足さん)
(それしかないDeathねぇ。ワタシじゃなく麻美ちゃんとは言え、今日1回ぶつけてる相手なので少しためらいますが、まぁそこは『攻めた結果』ということで勘弁してほしいDeathねぇ)
ミットはインコース。シュートを続けるのか……?
「9球目……ッ!!?」
疾……!!?
「ショートよく捕った!セカンドへトス!」
「アウトオオオオオ!!!」
「月出里、完璧に捉えましたがショート真ッ正面!」
「今のスライダーですかね?それにしてもものすごい打球でしたね今の……六車もよく反応しましたよ」
(な、何や今の打球……!!?)
(ワタシの正面だったら確実にDeathデシタよ……!?)
「かーっ、惜しい!」
「"旦那"……"正面"突く奴は"不運"と"踊"っちまったんすよ……」
やっぱりこの打席に相当気合を入れてたのか、ねーちゃんは一塁を駆け抜けた後、ヘルメットを脱いで、膝に手をついて俯いてる……
「お、おい!これ!」
「はぁ!?何やこれ!!?」
周りのバニーズファンがスマホの画面を見せ合ってざわついてる……?
「純、ちょっと良い?」
「かーちゃん?」
「今スポーツ速報アプリで通知来てね、逢のデータが届いたんだけど、これって凄いの?」
「!!?」
打球速度194km/h……!!?
「……うん、まぁ凄いよ……」
「へぇ、そうなのねぇ。あたしにもできるかしら?」
「牡丹、今度バッセン行ってみるか?」
「良いわねぇ。んじゃ、次のデートはそこで」
「お熱いっすねぇ……」
確かメジャーの最高記録がそれくらいだったはず……ほんと、ねーちゃんは底知れない……




