第五十八話 憧れ(6/6)
試合開始3時間前。ホーム側の打撃練習。あたしはビジター側だから、今は単なる見物人。だけど一般のファンとは違ってより間近で、より良い角度からその光景を眺められる。一種の職権濫用みたいなもの。
昨日ナイターで移動もあったから、普段なら練習前に仮眠を取るところだけど、今日だけは特別。
「「「「「おおーっ……」」」」」
右打席から、外野へのノックをしてるくらいにしか思えない軽いスイング。最近は友枝さんとかメスゴリラ師匠みたいにとにかく強く振る人が多いけど、そういうのとは対照的にものすごくゆっくり振ってるように見える。フォロースルーも控えめで、本当に最小限の力と動きだけで淡々と振ってる感じ。
なのに白球は魔法にでもかかったように、高々と上がってレフトスタンドに深々と刺さる。テレビと動画サイトで穴が開くくらい観まくったけど、今日ようやく生で観ることができた。メスゴリラ師匠と違って去年は故障のタイミングと二軍の試合が重ならなかったし、今年に入ってもオープン戦で逢えなかった。そしていざ開幕してもビリオンズ戦はカード1周目の最後。本当に散々焦らされた。
この一打を放ったのは、あの銀髪の女の人。佳子ちゃんみたいに部分的に豊満な肉付きながらスタイルが良いから、一見すると長身のように見えるけど実際はそこまでじゃなく、背は170半ば。せいぜいあたしより少し上ってとこ。スラッガーとしてはむしろ小柄なくらい。でもこの人は、この身体で現役選手の誰よりも多くのホームランを打ってきた。何年か前までは『規定打席に立ちさえすれば必ずホームラン王を獲る』とさえ言われた。
整った顔立ちで凛とした表情を浮かべながら、淡々と同じような打撃を繰り返す。あたしじゃ練習でも滅多に打てない絵に描いたような理想的なホームランだけど、あの人ならあんな感じでいくらでも再現できる。打撃投手がどのタイミングでどの球種をどのコースに投げようが、同じようなスイングで同じようなところに飛ばせてしまう。
この人こそ、あたしが野球を始めたきっかけになった存在。その時から今でもずっと一番憧れてやまない人。それくらい長く現役をやってるから、年齢はもう30代半ば。今の実力だけ見ればもうとっくに友枝さん辺りに"球界最強打者"の座を明け渡してはいるけど、あたしの中での一番は変わらずこの人。
「ラスト!」
最後の1球も、変わらずスタンドへ。余裕を示すかのような態度で次の打者に打席をすぐに明け渡して、そばに置いてあったボトルで水分補給。美しい。本当にどこまでも絵になる人。
若王子姫子。すみちゃんと同じ大阪桃源高校出身のプロ18年目。ホームラン王6回、打点王3回、ベストナイン6回。そして満塁ホームラン通算16本の日本記録保持者。シーズンで誰よりも多くどころか、1球団よりも多くのホームランを放ったこともある、記録にも記憶にも残る本物のホームランアーチスト。
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フリーバッティングだけのつもりだったのに、結局最後まで観てしまった。でもこうやって一緒に試合できる機会なんてこれから先そこまで多くないだろうから、単純に打つところだけじゃなくて、練習の準備の仕方とかもこの機会に観ておきたかった。
「あ、あの!」
「!?はい……」
ホーム側とビジター側、練習の交代のタイミングで声をかけてきたのは、まさかの人。ビリオンズの今日の先発投手、三矢麻美さん。
「月出里逢ちゃんですよね!?私、逢ちゃんのファンなんです!」
「はえっ!!?」
「ああ、可愛いなぁ……あの、このボールにサインしてもらっても良いですか?」
「は、はぁ……」
あたしくらい可愛ければこういう人もいるとは思ってたけど、まさかこの人が……すみちゃんと同い年で、3年の夏の嚆矢園の優勝投手。もちろんドラ1で、まごうことなき将来のエース候補。すみちゃんと言い、あの変態と言い、この人と言い、そして多分だけど卯花さんも。あたしって1つ年上の人に好かれやすいのかな……?
何にしても、若王子さんに見惚れてるあたしにこの人が見惚れてたのかと思うと何だか気恥ずかしい。
「あ、忙しいところありがとうございます!試合、お互い頑張りましょうね!」
「はい……」
お互いに手を振って見送る。まぁ好かれる分には悪い気はしないけどね。
「よう、逢」
「あ、神楽ちゃん」
「あの人、相変わらずだなー……」
「三矢さんのこと?」
「あの人、逢みたいなタイプの女の子に目がないんだよ……」
「あ、そういう……」
一見するとクールで真面目そうな綺麗なお姉さんって感じなんだけどね。
……あ。
「わ、若王子さん!」
「?はい……」
しまった……あたしもつい……
「え、えっと……その……」
やばいやばいやばい、何を話せば……
「……すみませんが、急いでるので後にしていただけますか?」
「あ、はい……すみません……」
フラれちゃった……でも……
「あー、そういや逢って若王子さん好きだったんだよな?」
「うん……」
「残念だったな」
「ううん、そうでもないよ」
「?」
「ファン相手だろうがいつも素っ気ないのが若王子さんだから……ウヘヘへへ……むしろ『ご馳走様』って言いたいくらいだし……」
バッティングが見た目淡白なだけじゃなく、どんなに良い場面でどんな記録がかかったホームランであろうが、打った後は『打ててよかったです』としか言わない。あれが"本物"のあるべき姿だよね。
(……もしかして逢が塩対応なのって、若王子さんの影響なのか……?)
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******視点:三矢麻美******
練習をいったんビジターチームに譲って、一旦ロッカールームへ。
声をかけるタイミングがあるか不安だったけど、無事に逢ちゃんのサインボールをゲットできた。いやぁ、生は本当に可愛い。見た目だけじゃなく、声も匂いも……ウヘヘ。でもだからこそ、姫子さんが羨ましい。あんな子に慕われてるのに素っ気なく追い払うなんて勿体無い……
「あああああああああああっっっ!!!!!」
!!?びっくりした……誰かと思えば、その姫子さん。開いたロッカーを目の前に、何やら絶叫してる。
「どうしたんですか……?」
「三矢!奪ったんお前か!?」
「え?何の話ですか……?」
「ウチのロッカーの中!まんじゅう入れてたのにないねん!!練習終わったらすぐ食べよう思ってたのに!!!」
「あ、そういうことですか……」
またしても……ほんとに食いしん坊さん。普段は見た目通り本当に喋り方も振る舞いも良いところのお嬢様みたいなのに、食べ物のことになると本来の関西人としての顔が丸出しになるという……
「撫子!お前知らんか!?」
「まんじゅう……はて?お姉様、わたくしは存じ上げませんわ。それに、ロッカーにお入れになってたのはごま大福ではありませんでした?」
ロッカーが隣の撫子さんにも尋ねる。雅な口調で冷静に返すけど、私は見逃してない。撫子さんの口の周りがごまと餡子だらけなのを。というか語るに落ちてるけど、取り乱してる姫子さんは全く気づいてない。
「もうええわ!近所のコンビニで買ってくる!!」
「ええ。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
涙目で財布を抱えてロッカールームを出る姫子さんを、撫子さんはニコニコと手を振って見送る。
「……また撫子さんですか?」
「いやぁ、つい……お姉には内緒やで?な?」
「はぁ……」
先輩で、しかも今日球を捕ってくれる人。しかもウインクして口の前で人差し指を立てる仕草が可愛い。これじゃ逆らえない。まぁバレたところで、姫子さんなら許しそうだけどね。何だかんだで年の離れた妹が可愛いみたいだし。
若王子撫子。ご覧の通り、可愛い見た目に反してものすごい破天荒な人。けどこんなのでも、去年の優勝の立役者。我がビリオンズの正捕手にして、姉に負けずとも劣らない天才打者。
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