第五十五話 当たり前の応酬(5/8)
「月出里くん」
「あ、はい!」
グリップを見つめてたら、突然の声。いつの間にか伊達さんが隣にいた。
「1回はすまなかったね。君も打ちたかっただろう?」
「……まぁ、はい」
「ハハハ、素直だね」
「隠す必要のないことは隠さないつもりです」
「うんうん、良いことだと思うよ」
うーん……間違いなく今の野手陣で一番実績のある人なのに、雰囲気が川越監督とよく似てる。正直嫌いじゃない。
「見ての通り、ベテランだの何だの言われてる僕だっていくらでもミスをするんだ。あまり気にすることはないよ」
「……はい」
簡単に言ってくれる。
いつもなら凡退しても、振り返れば大体理由は見えてくる。それくらい、その打席の中で自分がどうやったのかとかそういうのを認識できるようになった。
でも、さっきのは本当にわからない。そもそもいつものスイングができなかったんだから。単にポイントとかタイミングとかが思ってたのとずれてたのならずれてた分を修正すれば良いだけの話だけど、いつも通りのことがそもそもできなかった。
さっきの守備だってそう。千尋さんがファーストなんだから、むしろショーバン上等で投げるべきだったのに、どういうわけか昔の悪い癖がぶり返したみたいにふかしちゃった。
正直、どう改善したものか……
「月出里くんは嚆矢園とかは出たことなかったよね?」
「あ、はい」
「小・中の時に全国とかには出たことあるかい?」
「いえ……基本ほとんど地元でしかやってなかったです」
「……なるほど。だったら月出里くんは今日が初めての大舞台ってとこかな?」
「一応、去年の最後の試合には出ましたけどね」
「ああ、知ってる。確かにチームの方針で『一軍レベルの環境でプレー』はしたね。でも、『一軍で試合をする』のは初めてと言えないかな?」
「……!」
「去年のはあくまで二軍での育成の延長。けど今日は違う。自分の力で一軍の席を勝ち取って、プロとしては初めての本番と言える試合をしてる。浮き足立つのも無理はない」
「…………」
「当たり前のことを当たり前にするのって難しいことだよね」
「そうですね……」
「とある昔のプロ野球選手が『野球は単打と走塁の応酬』って言ってたけど、僕は『野球は当たり前の応酬』だと思う」
「『当たり前の応酬』……」
「向こうのマウンドに立つ戸松くんだってそうだね。特別制球が悪いわけじゃないのに、立ち上がりはボール球ばかりになってた。今は立て直してるけど、さっきはきっと自分にとっての『当たり前』を見失ってたんだろう。それに対して十握くんは見事だった。ルーティンをこなし、状況をよく見てた。打席の内容を見れば、あの一打がまぐれなんかじゃないのは明白。今まで高いレベルの環境に身を置き続けたからこそ、『当たり前』を見失わなかったんだろうね」
……そっか。あたしは確かにそういうのが……
「最近は年齢を重ねると守備範囲が狭まるとかそういうのが実証されるようになって、ベテランの風当たりが厳しくなってきた感はあるけど、それでも経験は貴重なものさ。失敗しても過去の成功があれば『当たり前』を見失わないで済む。月出里くんはまだまだ大きな舞台での成功と失敗、それぞれ分子も分母も小さすぎる。だから、ほんの1回2回の失敗が大きく見えてしまってるんじゃないかな?」
「……そうかもしれません。一軍のプレーはお金がモロにかかってますしね」
「ハハハ、なかなかプロらしいことを言うね!そうだね、確かにそうだ。それが良いとこでも悪いとこでもある」
「やっぱり数をこなしていかないとどうしようもないですかね?」
「確かに、結局はそこに行き着いちゃうよね。でもそれをわかってるのとわかってないのとじゃ違う。数をこなせばどうにかなるってわかってれば、他に余計なことを考えずに済む。『当たり前』だって見失わなくなる」
「目の前のことに集中できる……」
それも一つのシングルタスク、ってやつかな?
「そもそも君自身、これから伸び盛りなんだ。君にできる『当たり前』だってこれから先どんどんより良いものになっていくだろう。君自身がかつて言ってたように、失敗を味方につけて色々試していけば良いんだ。『これから先も失敗し続けるかもしれない』じゃなく、『色々試すついでに失敗を経験してる』って堂々と言えるくらいにね。その中でたまたまでも成功をいくらか経験できれば儲け物だ」
もちろん、今のあたしの『当たり前』で満足するつもりはない。さっきの打席で仮にあのまま内野安打になって、今のあたしに期待されてる盗塁が上手くいったってそれで心底納得なんてできない。まだあたし、プロに入ってから1本もホームランを打ててないんだから。
「スリーアウト!チェンジ!」
「裏からのプレー、期待してるよ?」
「……ありがとうございます!」
赤猫さんのシングルがあったけど、立ち直った戸松さんを崩しきれず結局四凡。名誉挽回はもう少し先……いや、そもそも機会があるだけでできるかどうかもわからない。
だけどあたしは吐いた唾は呑まない。あたし自身が言ったように失敗だって糧にするし、いつかはスラッガーにだってなる。しばらくはこうやってテレビに映せるほどの結果は出せないかもしれないけど、見限られるような姿は見せない。しばらくはあたしの可愛さを堪能しながらでも良いから、誰よりもすごいあたしに期待しててほしい。
「……よし!」
控えめに両頬を叩いて、急いでバットを片付けて、グローブを持ってベンチを出る。




