第五十三話 ひずみ(8/9)
******視点:月出里逢******
「では予定通り、ゲストの皆様方との示談を進めてまいりましょうか」
三河さんって人がバンビちゃん達の方を向く。
「えっと……俺ら逃がしてくれるんやっけ?」
「正確には『警察への通報や被害届の提出は行わない』、ですね。先ほどの桜井選手からの聴取前に皆様にサインしていただいた書面の通りです。『甲は乙に対し、本件に関して持ちうる全ての情報及び各種物件を提供するのに加え、示談金を支払うことを引き換えに、乙は甲を対象とした警察への通報及び被害届の提出を行わないこととする』」
「た、助かるわ姉ちゃん……へへ……」
「……なので最後に、示談金をお支払いいただきます」
「へ……?」
「先ほどの書面の通りです」
「あ、ああ。確かにそうやな……で、いくらなんや?」
「具体的な額はこちらになります。ちなみにお一人様あたりです」
三河さんは懐から電卓を取り出して、慣れた手つきで金額を入力してバンビちゃん達に見せる。
「は……?」
「ちょっ、ちょっと待てやコラ!」
「そんな額払えるわけないやろがボケ!」
電卓をチラ見……ああ、確かにこれは無理だろうね。バンビちゃん達くらいの年頃だと、多分真面目に良い大学出て良い会社で稼いで今まで堅実に生きてきたとしても果たして払えるかどうか……
「示談金の算出基準と具体的な方法も書面の通りです。まず第一に、『月出里選手が退団した場合の損失を補填できること』。月出里選手は現在開幕一軍候補として、球団内外で将来を嘱望される存在です。また、月出里選手はその見目麗しさという点でも観客の関心を寄せており、実際にこれまでのグッズの売上などにも反映されております。プロ野球選手1人がもたらす経済効果というのは選手によって振れ幅は大きいですが、月出里選手はその点で同年代の中では十分傑出しおりますし、年齢的にもまだまだ長く良質なキャリアが見込めます。たとえ推定の域であっても、ごく一般の方が容易に買い支えられるほどプロ野球選手1人の価値は安くないのです」
「ぬぅ……!」
「そして第二に、『警察介入した場合に生じる加害者の将来的な損失に見合うこと』。噛み砕いて言えば、『貴殿らを逮捕させないようにするから、逮捕された場合に生じる損失に見合う金額を支払うこと』ですね。今回の暴行未遂や、それに用いるつもりだったのであろう凶器類、現場近くの車両内にあったいかがわしい玩具類、海外から輸入してきたのであろうグレーゾーンの薬物、そしてスマートフォンの動画の数々。それらをもとに過去の判例を引用して懲役や罰金を推測し、それを金額として落とし込むという形となります。まぁこちらは1つ目と比べれば大した額ではございませんが」
「や、やからってこんな額払えるか!こんなん払うくらいなら捕まった方がマシや!」
「どの口がそんなこと言うんですかぁ〜?」
「「「「「ヒッ……!」」」」」
バンビちゃん達に向かって手をかざして指をワキワキさせて、『黙らねぇと握り潰すぞ』っていうアピール。三河さんがへりくだってるからって調子に乗るんじゃねぇよウジ虫どもが。
「コホン……月出里選手、発言にはお気をつけください。そして皆様も今後は書面にサインをする前に面倒でもきちんと文面を確認することをお勧めいたします。というかちゃんと読み合わせもしたんですけどね?」
「あ、あんな小難しい文章わかるか!」
「まぁどのみち乗っておいた方がよろしいのではないでしょうか?当職らがこの場でほんの少し調べただけでも相当な量の前科を見つけられましたし、本格的に警察が介入すれば余罪などいくらでも掘り起こせるでしょう。そうなってくると貴殿らだけではなく同胞の方……例えば先ほどの映像に出ていた桜井選手と絡んでいた方。ああいった方々にも累が及ぶことになるでしょう。その場合の報復などは想定されてますか?」
「!!お……おい、まずいんちゃうか?兄貴達巻き込んだら……」
「間違いなく殺されるで俺ら……」
「ぐ……!」
「合意していただけますね?」
「せやけど、こんな額どのみち……」
「それについてはご心配なく。こちらが提示する方法であれば、分割でのお支払いも可能ですので」
三河さんに促されて、今度はすみちゃんのターン。
「僭越ながら私どもの方でお支払いのプランを2つほどご用意いたしました。どちらも有り体に言えば労働によるものでございますが、どちらも概算では3年もかからず完済が可能ですし、もし滞りなく完済できた場合は社会復帰のための支度金として示談金の一部を返還いたします」
「わ、悪くないんとちゃうか……?」
「で、労働って何をすればええんや……?」
「『モロッコで生まれ変わって女の子として夜の街に消える』か、『荒れ狂う海でマグロさんと戯れて男を磨き直す』かですが、どちらがよろしいでしょうか?」
実質一択だよねこれ。バンビちゃん達も迷わず指を2本立てる。揃いも揃ってピースサインとか集合写真かよ。
「なるほど、『チョッキン』をご希望ですね?」
「「「「「『マグロさん』!『マグロさん』の方で!!」」」」」
すみちゃんのハサミを模して開閉する二本指に、バンビちゃん達が恐れ慄く。こんな時にブラックなボケを挟むなんてさすがは関西人。
「……これはあくまで私見ですが、賢明な判断だと存じます。このまま元鞘に戻ろうにも、皆様の立場ですと尻尾切りの危険性はございませんか?」
「「「「「…………」」」」」
「しばらく環境を移して、ある程度の資金を持った状態で遠隔地でやり直す。更生の機会としては悪くないように思われますが?」
「……ここいらから離れられるんやな?」
「それが可能な金額は保証します」
三河さんのフォローに折れたのか、追加で用意された書類にサインするバンビちゃん達。まぁ今も昔もまともに働いてなさそうな連中だしね。当事者をしばらく世間から遠ざけたいってのが多分あるとはいえ、ある意味救済措置も兼ねてるのがちょっとぬるい気もするけど、すみちゃんの決定だから逆らうつもりはない。
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