第一話 月出里逢は私と出逢い、そして巣立ちを迎えた(2/4)
「月の出る里……この字で『すだち』って読むんですね」
「茨城の地名にもあるらしいですよ。しかし聞いたことのない選手ですね……映像はないんですか?」
「残念ですが……」
ピンポーン
「あ、はーい!」
「誰だろ……?こんな時間に……」
まだ困惑してるあたしの代わりに、結と純が代わりに応対に出てくれた。
「こんばんわ」
その顔を見て、驚きが重なった。遅くのお客様は、場違いな高そうな服を着た美女。あの時はユニフォーム姿だったけど、やっぱりテレビでも見た通りのお嬢様だった。
この人とはもう逢わない方が良いって思ってたのに。
「久しぶりね。私のこと覚えるかしら?」
「覚えてるも何も、有名人じゃないですか」
この人は三条菫子。あたしの1学年上の、三条財閥のお嬢様。高校時代に嚆矢園を賑わせたスーパースター。お金という意味でも野球という意味でもあたしとは住む世界が違ってるはずだった人。本当なら今頃、あの妃房蜜溜さんと一緒に球界を騒がせてたはずの人。
だけど今では、帝大に通いながらバニーズのオーナーをしてる。
「……ひょっとして、三条さんがあたしの指名を……?」
「あら、察しが良いわね。その通り。何せ貴方はこの私に勝ったんだからね」
「あんなのまぐれですよ……」
実はこの人こそ、私が高校でホームランを打てた唯一の投手。だけどあたしにだってわかる。どんなに良い選手でも調子の悪い時はあるし、逆に普段散々な選手でもたまに大活躍する時だってある。あたしはそういうのがたまたま面白おかしく噛み合っただけだと認識してた。
「アレをまぐれ、ねぇ……まぁ良いわ。今日ここに来た目的はもちろん入団のお誘い。届を出してたんだから、断る理由なんてないでしょ?」
「それはまぁ……でも何であたしなんですか?ショートなんてそれこそ三条さんの後輩の九十九くんもいましたし、何よりバニーズには相沢さんがいるじゃないですか」
「別に私は守備固め要員とかそんなのは求めてないわよ。確かに相沢は良いショートだし。私が欲しいのはスラッガーの月出里逢よ」
不覚にも少しときめいてしまった。スラッガーと呼ばれたのは久しぶり。少なくとも高校に入ってからは一度だってそんなこと言われたことがない。
「ずいぶん自分に自信がないようだから、自分に自信たっぷりの私が代わりに言ってあげるわ。私は今年のドラフトで、貴方が一番欲しかった。高校BIG5だか何だかよりもね。貴方はこの世界で最強のスラッガーになれる器だから」
「世界で……最強?」
「そうよ。つまりは日本球界もメジャーも含めて最強。それどころか100年前を辿っても100年後を迎えても最強のスラッガーにさえなれると思ってるわ」
この人は何を根拠にそんなことを言うんだろう……?
「貴方の言うまぐれで勝ったから……じゃ、どうしても納得してくれないでしょうね。無理もないわ。ご家族の為に折れるつもりだったんでしょ?」
「どうしてそれを……?」
「失礼を承知だけど、指名するにあたって貴方の実力だけじゃなく、身辺や過去も粗方調べさせてもらったわ。こんな口説き文句にホイホイ乗れる程自由な立場じゃないこともわかってる」
そう言って三条さんはケースから書類を取り出した。
「ドラ6で他の選手との兼ね合いもあるからあまりお給料は出せないけど、代わりにもし万一のことがあったらウチの系列の会社で働けるようにしてあげるわ。貴方に限った話じゃないけど、成功を掴めるよう最高の練習環境も用意する。貴方の夢と今後の心配、これで釣り合いが取れるかしら?」
可哀想ぶるのは性に合わないしあんまりしたくないけど、中学の頃から碌なことがなかった。今日だって全部諦める為だったのに、テレビを観始めて数時間程度でこの上なく都合の良い話が転がり込んできて、まず現実感がない。
「……ところで貴方。ウチの球団、バニーズはどんな球団だって思ってる?」
「え?えっと……相沢さんに金剛さん、伊達さん、赤猫さん、百々(どど)さんと三波さんもいて、脚が使えるチームだと思いますけど……」
「そんな一握りの戦力拾い上げて持ち上げなくても良いわよ。天王寺三条バニーズ。リプ(リーグ・プログレッサー)どころか12球団全ての中でも最弱。おまけに同じ関西にリコ(リーグ・コンサバー)の超人気球団があるせいで、三条財閥が買い上げるまでは経営もままならなかった。どう取り繕っても、それが覆しようのない客観的現実よ」
かなり酷いことを言ってるけど、あたしの本心と大体同じ。実際本当に弱い。そして本当に人気がない。リプは他の5球団は普通に強くて、ヴァルチャーズが特に強いと思うけど、バニーズ以外はそれなりの頻度で優勝争いに加わってる。ここ10年くらいは、交流戦でも日本シリーズでもリプがリコを圧倒することが多い。
今年から三条さんがオーナーになって、三条さん自身の人気とかで経営だけはまともになってきてるらしいけど、弱いのは全く変わってない。
「イノベーションが積み重なって選手のレベル差が縮まってる現代野球ではもう、監督の采配とかちょっとした工夫程度で弱いチームを立て直すのは不可能。必要なのは純然たる実力を持った選手達。それこそ、現代でもなお傑出できる程の圧倒的な実力者。そうなれる可能性が限りなく高い貴方の力で、私のバニーズを日本一の強豪球団にしてほしい」
あたしの……力で?
「できるんでしょうか……?」
「こんな時は、『やっても良いんでしょうか?』って聞くものよ」
少しにやけてしまってつい俯いたあたしの顔を覗き込むように、三条さんは言った。
本当はもうとっくに答えは決まってた。ためらってたのはただの、あたしの性格のせい。
「……わかりました。是非あたしを、バニーズに入れてください」
「ふふっ……もちろんよ。歓迎するわ」
そう言ってテーブルに出されたお茶を飲み干して、三条さんは玄関へ向かっていった。
「正式な交渉とか契約はまた今度やるから、日程が決まり次第連絡を入れるわ。今日はアポなしになっちゃってごめんなさいね」
「いえ、今日は本当にありがとうございました」
3人で揃って丁寧に見送った。
どうにも落ち着かない。まずは監督に連絡しなきゃだけど、どうせ今日で終わりだと思ってたから、やらなかった練習もしよう。あの人の為にも。
だって、あの人はきっと……
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