第三十九話 ありがとう(4/5)
「と言っても、こういう事実だけを教えたところで何が問題でどうすれば解決できるかなんて見えてこないだろうけど……そうね、とりあえずは今日みたいに焦ってプレーが乱れないのを目指してみましょうか」
「いつも通り平常心でとか、そんな感じですか……?」
「まぁそうなんだけど、そんなのは口で言うだけなら誰でもできるし、具体的にどうするのかって話よね?今日の不調の原因をまず考えると、一言で言えば『気負いすぎ』。私に良いところを見せたい、九十九に勝ちたい、良い成績を残して一軍を目指したい。考えてたのは大体そんなとこよね?」
「はい……」
「この辺の目的を全部果たすのって、具体的に何をすれば良いかしら?」
「えっと……打席で打って、塁に出れたら走って、守備で良いプレーして……」
「そうね。要はプレーで良い結果さえ出せれば全部解決できるわよね?」
「あ、確かに……でも、打つのも走るのも守るのも全部違いますよ?」
「でも、全部同時にやるわけじゃないでしょ?」
「……!」
そう言えば……
「近年のプロ野球は選手全体がレベルアップしたのと、色んな指標が生まれた関係で、一芸に特化した選手よりも総合力が優れてる選手がより高く評価されるようになった。だけど、野球っていうスポーツは今も昔も変わらず、『投球』『打撃』『守備』『走塁』の内どれか1つずつしかやらない。幾重光忠という二刀流選手も出現はしたけど、別に『投球』と『打撃』を全く同時にやるんじゃなく、必ずどちらかずつしかしない。今日『守備』でフィルダースチョイスをやってたけど、あれって多分満塁で凡退したのを引きずってたんでしょ?」
「はい……まさに……」
「あれは実質的に『打撃』と『守備』を両方一緒にやったことが原因のミス。『打撃』の時は『打撃』、『守備』の時は『守備』で、状況に応じた思考にスパッと切り替えるべき。だから野球っていうスポーツは、突き詰めていけば『シングルタスク』の往復なのよ」
「『シングルタスク』……?」
「要は『1つの作業』。対になるのは『マルチタスク』、『複数の作業』ね。ドラマとかで、会社でバリバリ働く人っているでしょ?そういう人が演出で電話を耳と肩で挟みながらPC叩いたりしてるように、人間そうやって複数のことを同時にやれるのが理想的だと考えがちなのよ。一見すると、時間や労力を節約してるようにも見えるしね。それが『マルチタスク』の厄介なとこ」
そう言って、オーナーはタブレットに大きな丸を描いた。
「これは簡単に描いたけど、人間の脳だと思ってちょうだい。人間は他の生き物と比べて非常に賢いけど、それでも脳のリソース……容量とかには限度があるし、何より身体も1つしかない。つまり同時進行でできることには限りがあるし、作業をいくつか同時にした場合、作業1つあたりに使える脳のリソースも限られてくる。1つの作業に1分集中すれば10の結果が出せるはずなのに、2つだと5ずつしか結果が出せないとか、そういうイメージね」
「余計なことを考えずに1つのことに集中……ってことですか?」
「そういうこと。もちろん『シングルタスク』って言っても、例えば『守備』なんかはあらかじめ打球がどの方向に飛べばどう動くとか、状況に応じてどこに投げるとか、実際は同時に考えなきゃいけないことがどうしてもあるけど、それでも少なくとも自分の『打撃』がどうとかなんてのは考える必要はない。削れるところは削って、シンプルにしていくのが重要。いわゆるささやき戦術っていうのも、思考の『シングルタスク』を阻んで『マルチタスク』を促すのが目的と解釈できるわね」
「……良いところを見せたい、とかも……」
「モチベーションに留められるなら良いんだけどね。貴女多分、満塁の場面とかで打てた後にファンの歓声を浴びたり、逆に打てなくて非難を浴びたりするところを考えてたんじゃない?」
「う……」
確かに。変な妄想自伝を考える癖があるから、必要以上に結果を先に考えちゃうんだよね……
「振旗コーチから教わったと思うけど、バッティングは筋肉の弛緩と緊張……つまりパワーを生み出すタイミングが肝心。せっかく良質な『関数』を持ってたとしても、余計なことを考えた結果、筋肉の緊張を招いてバッティングに乱れが出ちゃしょうがないわ。単に相手の投球を見極めるだけじゃなく、自分というものもきちんと見極めて想定通りに性能を発揮できるようにするのも、さっき言った『仕様検証』の一環なんだから」
「……はい」
「これも多分教わったと思うけど、結果から過程を逆算することも確かに大事よ。だけどね、たとえそうであったとしても、過程から結果が生まれるっていう現実は変わらないわ。どっちにしたって結局は過程を重視することに変わりはないんだしね」
……そうだよね。
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「少しずつで良いから、スイングの一瞬の間に認識できる範囲をどんどん広げていきなさい。そうすれば、なぜ自分が望む結果が得られないのかが少しずつ見えてくるはずよ。そのためにはまだまだ場数を踏む必要があるけど、『思った結果に行き着けない』苛立ちを募らせるくらいなら、『思った結果に少し近づけた』ことを喜べるようになりなさい」
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前にあの変態……妃房蜜溜と勝負した時に振旗コーチから教わったこと。ただでさえスイングの過程で考えられることを増やしていかなきゃいけないのに、頭の中に余計なもので埋まってたら入らなくなっちゃうよね。




