第三十九話 ありがとう(2/5)
「……え?」
メッセージアプリの着信音、通知はあの人から。
「……!」
髪に指を通す。汗ばんでなくてサラッとしてる。無意識だけど、部屋に戻ってすぐシャワーは浴びてたみたい。スキンケアもバッチリ。可愛いから化粧なんていらない。リボンもちゃんとついてる。
だけど下着姿のまま。とりあえずキャリーケースに手を突っ込んで、掴んだ服を着る。上は普段着のパーカー、下は練習用の短パン。コーディネートなんて気にしてる暇はない。だけどチョーカーはつける。なんとなく。
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最低限の準備を済ませて、ホテルのエントランスホールに向かう。
「三条オーナー……」
「……今はただの夏休み中の女子大生よ」
メッセージの通り、そこには三条オーナーの姿。
「来て、くれたんですか……?」
だけど、まだ視線を合わせず頬杖をついたまま、ソファに腰をかけてる。
「この私と約束しといてドタキャン決め込むなんて良い度胸してるじゃない」
「すみません……」
「いいからここ、座りなさい」
そう促されるままに、あたしは三条オーナーの隣に座った。
するとようやく、あたしの方を向いて……
「……!」
「ん、熱とかはないみたいね」
手袋を外して、その手をあたしの額に当てる。そしてそれに伴ってごく近い距離に三条オーナーの顔。あたしと変わらないくらい綺麗。こんなに近くで見たのは、ドラフトの日以来。
「……もしかして、心配してくださったんですか?」
「言ったでしょ?プライベートな時間は『友人』だって。友達を気取って何が悪いのよ?」
表情は変わらず凛としたまま。だけど尚更、その言葉が嘘じゃないのが伝わる。
「あ、ありがとうございます……」
「ん」
お互いに正面に向き直って、少しの間、沈黙が続いた。
「ここじゃ何だから、場所変えるわよ」
「え?」
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急に立ち上がった三条オーナーの背中を追いかけていくと、いつの間にかホテルの中にある小さい会議室?みたいなとこに入ってた。
「ここは……?」
「コワーキングスペース……いわゆるレンタルオフィスってやつよ」
さらにその中の2人部屋に入って、エントランスホールの時と同じように隣り合って座る。
「それで、何で仮病なんて使ったのよ?」
「……すみません」
「謝らなくて良いわよ。理由が知りたいだけ」
やっぱり、それだよね。
「せっかく観に来てもらったのに、あんな情けないものを観せちゃいましたから……」
「……やっぱりそれよね。でも、貴女にしちゃ珍しいわね。あんなガチガチになって焦るとこ、初めて見たわ」
「良い結果を残したくて……」
「それだけ?いつものことじゃないの?」
「……九十九くんにも絶対に勝ちたかったんです」
「…………」
「高校まではともかく、今はあたしが三条さんの元にいるんですから」
「……なるほどね」
「でも、ダメでした」
「そりゃあまぁ、九十九は私が色々仕込んだ奴だからね」
「それでも……勝てるって信じてたんです。バッティングでも守備でも良い結果を残して、三条さんに喜んでもらえる。そんなあたしをイメージして、そこに辿り着けるように自分なりに精一杯やったんです。だけど……」
やっぱり堪えきれない。
「だけど、こんなことになって……悔しくて、みっともなくて、情けなくて……!三条さんに失望されたかもって、怖くて……!!」
こうやって泣き虫を拗らせるのだって、オーナーはきっとお見通しだったんだろうね。だからここに連れてきた。
「……アホ」
「!!?」
涙を抑える瞼を開いても、目の前が遮られたまま。だけど、鼻には甘い香りがダイレクトに伝わってきて、頬には暖かくて柔らかい感触。
「そんなんで見限るわけないやろ」
「…………」
頭を撫でられて、ようやく抱かれてることに気がついた。
だけど、気がついてすぐに離れていった。
「前から言ってるでしょ?今すぐ結果を求めてるわけじゃないって」
「……はい」
「今日の試合で結果に期待してたところがあったのは否定しないわ。だけど、そうならないことも想定内。別にこれは貴女に期待してないとかじゃなく、客観的な分析の上での話よ」
「…………」
「私が貴女と出会ったのはほんの3年前。一緒に過ごした時間だってたかが知れてる。だから私は貴女のことで知らないことの方がずっと多い。だけど少なくとも、貴女が野球選手としてどうなれるのかってのは貴女以上に理解してるつもりよ」
「……期待してるだけじゃないんですか?」
「私は根拠もない期待なんかしないわよ」
「……!」
「だから、今貴女が伸び悩んでるのも、今日こうなってしまったのも、その原因を貴女以上には理解してるつもりよ」
「……どうしてですか?」
「何が?」
「どうして三条さんは、あたしをここまで信じられるんですか?あたしの何が、三条さんをここまで信じさせるんですか?三条さんが認める、あたしの才能って何なんですか?」
こんな機会だから、やっぱり知りたい。あたしの中にある『伝説の剣』とかそういうのが何なのか。あたし自身も見限ってたあたしの中に、何を見つけたのか。
「そうね……良いわ。少しだけ教えてあげる」
そう言ってオーナーは、カバンからタブレットを取り出す。球団から配布されてる無印のbPadじゃなく、もっと小型で高性能のやつ。スタイラスペンにシールもついてるし、多分私用のだと思う。
指紋認証を通して、ホワイトボードアプリを立ち上げた。
あたしも一応持ってきたタブレットのノートアプリを立ち上げた。




