第三十五話 卑怯なんてない(3/8)
******視点:月出里逢******
7月20日。今日は試合に出る日。いつも通りデーゲームだから、球場に一番早く入ってゆっくりと身体を温めていく。
やがて、他の人達も少しずつ顔を見せ始める。神楽ちゃんと佳子ちゃんが姿を見せたのは、柔軟を終えてランニングの準備を始める頃。
「よう、逢!今日はビリオンズ戦だな!」
「……?うん……」
「あれ?逢ちゃんビリオンズファンじゃないの?若王子さん好きなんだよね?」
「うん。あたし若王子さんは好きだけど、特定の球団のファンじゃないから」
「マジか……あっし普通に地元だからファンなんだけど……」
「あたしも一応埼玉が地元だけど、北の方の人間だからね。ビリオンズの本拠地って南の方、帝都寄りのとこだから」
「そっかぁ……」
あたしって、プロになった今でも、野球をチームスポーツとしてあまり捉えられてないんだよね。流石に今は打者と投手のタイマン勝負だけで完結するとは思わないけど、それでも第一はそこだって気持ちは揺るがない。結局のところ、あたしもあの変態……妃房蜜溜と同類なんだと思う。
だから、特定の打者を追っかけることはあっても、特定の球団の勝ち負けを追っかける気が起きない。言っちゃ悪いけど、興味のない選手までいちいち覚えるのめんどくさいし。一番憧れてる選手が地元のチームにいても、『別にその人だけ追っかけてりゃ良いじゃん』ってなってしまう。
二軍では、今日7月20日から3日間、大宮桜幕ビリオンズとのカード。今でこそ埼玉の球団だけど、昔は九州が本拠地で、柳監督もその時代に選手として在籍して、黄金時代を支えてたらしい。そしてその名の通り、昔オーナーが世界一の大金持ちだった時期があったみたいだけど、その時代を抜きにしても大昔から名門球団だったらしい。
そして最近のビリオンズも多分黄金時代真っ盛り。去年2位で、今年は現時点で優勝候補筆頭。
最大の売りは野手陣。流石に年齢で衰えたとは言えあの若王子さんを下位打線に置けてしまうほど隙のない強力打線で、守備走塁も球界屈指。
ただ、投手陣は流石にヴァルチャーズとかと比べると見劣りするし、野手陣に関しても特定の選手に実力が集中してる傾向がある上に、昔から主力選手がFAとかで出ていくことが多いから、将来的な不安も少なくない。
それにしても……若王子さんって怪我で二軍の試合に顔を出すことが結構多いから、どうせなら不謹慎ではあるけどそういうタイミングでマッチングしたかったなぁ。正直、プロに入って若王子さんより先に綿津見さんと会えることになるとは思わなかった。
まぁ今はそれよりも、なんとか結果を出して試合にもっと出させてもらえるようにしないとね。できればホームラン打ったりとか、あたしの望む形でね。
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******視点:三条菫子******
「ふぅ……」
天下の帝大と言えど、専攻によってはもう夏休みに入ってるとこはあるけど、情報科学科の夏休みは8月頭から。今は試験やら課題やらで、まさに多忙の極み。今では2軍戦もネットで配信してるけど、もうすぐ始まるデーゲームだとリアルタイムでは確認できないし、アーカイブも最近は確認してる余裕がない。
パンをかじりながらスマホで月出里逢の現状の成績だけでもチェック。
「……不便ねぇ」
テレビ中継でのカメラアングルとか成績表示の物足りなさとかは広告が絡んでるってことでしょうがない部分があるけど、ネット上でも情報が足りない。一軍の方ならCODEが試合中でもリアルタイムで情報を出してくれるサイトやアプリをリリースしてるし、何なら他にコース別の打率とか球種とかも細かく調べられるサイトも存在してる。
だけど、二軍の方は本当に痒いところに手が届かない。肝心のJPBの公式サイトが情報量不足どころかUIも不親切な有様だからね。成績表に罫線くらいは引いてほしいものだわ。そもそも一軍の方だって、プロの球団を持ってる組織が主要な情報発信元であること自体も問題だと思うんだけどね。
現状の月出里逢の成績で特筆すべき点は盗塁。企図数7回で成功も7回。走力の『向上』……正確には『改善』で、元々あった打撃の才能を走塁の方へ無意識の内に応用しやすくなったと考えられるわね。
守備に関しては正直ここの数字だけじゃ何もわからないわ。失策の数も内野ならこれくらいしてもおかしくないってくらいだからね。UZRとか、最新の守備指標の類は目の肥えた野球ファンの中でもまだまだ懐疑的な声が多いけど、それでもある程度具体的な守備力や成長度合いを見出すことはできるし、守備率・補殺・刺殺・盗塁阻止率とかだけよりはよっぽど良い。
そして打率は1割ちょっと、出塁率は2割ちょっと、長打がまだ出てないから打率イコール長打率。この辺の数字が現状良くないのは想定内だから別に良いんだけど、この辺の数字って結局は『結果的にそうなった』ってものに過ぎないからね。たとえば打球の速度とか方向とか、『そうなった過程』が見えるものじゃない。今はそっちの方がずっと気になる。ネットを介しての情報がこんなもんじゃ、現場からの報告を待つばかりね。
私だって常に何でもかんでもお見通しなわけじゃない。あのオープン戦の時もさることながら、私自身、月出里逢のことをまだ完全に理解できてるわけじゃない。たった一試合であの子の才能に気付けたのも、それがたまたま私が長年思い描き続けた『奇跡』を実現しうるものだったからこそ。
この前報告に上がってきた鹿籠葵も、まだ仮説をある程度立てられたくらいで、詳しいことはわかってない。
スカウトや機器、ツテとか色々駆使して、月出里逢のデータは私との対戦から先は満足のいく量を入手できてる。問題はそれ以前。結果だけの数字や伝聞だけでは、どうしても補完できない部分がある。
月出里逢の高校通算成績、打率.200、本塁打1本、出塁率.333、長打率.238。この内、特に本塁打1本は打たれた本人だからよく知ってるけど、半分くらいは内容が不明瞭。
それに、この数字だけでも確かにドラフトにかかるようなレベルじゃないんだけど、私のなんとなくの想定では、この数字でも変動値が上振れしたような気がする。あの子の才能は、あの子の足をもっと引っ張っててもおかしくなかったはず。高校野球のレベルを考えれば尚更ね。
単に運が絡んだのか、あるいは打つ方でもまだ私も知らない『何か』があるのか……
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