第二十九話 三日月に向かって、三日月を描くように(3/3)
振旗コーチはまたティースタンドに向かって、右打ちで構え直す。
「ここまでの流れを通しでおさらいするわね。まず構えの段階、手首を少し絞ってバットを握る。そして構えた時かスイングに入る前にトップハンド側の脇を少し開けておいて、後脚の股関節に体重を乗せたまま、前脚を出す。腰を入れながら肘を振り下ろして、バットを投球軌道に入れつつ脇を締める。前脚を張りながら後脚を内旋させて、割れた腰の回転をスイングに上乗せして、できるだけバットを内側から出す。そしてインパクトの瞬間に手首を返してフォロースルー。ヒッチに関しては自分に合う合わないに応じてお好きにどうぞって感じね。あんたも試しに通しでやってみなさい」
とりあえずいつもヒッチはしてないから、いつもの感覚のスイングを修正しながら、一通りゆっくりとやってみる。
「型に関しては大体そんな感じで大丈夫だと思うけど、型が良くても打てなきゃ意味がないからね。とりあえずトスを何回かやってみましょうか」
用意されたトスマシンからの球をネットに弾き返す……けど……
「あうう……」
「ま、いきなりは難しいわよね」
トスの球でも、繰り返してるといつもの打ち方に寄っていってしまう。
「動作の1つ1つはそこまで悪くないけど、やるタイミングがちぐはぐで全然連動できてないわね。それに、腕の力が強すぎるせいかもしれないけど、適当に振ってると手先だけで打ってる感じがするわね。ノックなら別に良いんだけど、これじゃ良い打球を飛ばせないわよ」
「すみません……情報量が多すぎて……」
「まぁそれは仕方ないわね。頭で理解できてもバッティングっていうのは大体0.4秒の勝負。その間にプロの投手の投球に応じて正しいスイングをして打率3割稼ぐなんて、簡単にできないから何千万何億ってお金が動くんだからね。焦らず少しずつ身に付けると良いわ」
「このいったん振り下ろすってのが難しいですね。なんとなく来た球をそのまま打ってたんで、バットを入れるっていう動作がどうにも……」
「確かに、そこが一番引っかかってるから手打ち気味になってるんでしょうね。イメージとしてはスイングは一直線ではなくV字とかU字とかそういうもの。いったん下がって持ち上がる瞬間にボールを捉えるのが理想的と言えるわね」
「でもVとかUって下げてる角度がまっすぐだし、持ち上げすぎてる感じがしますね。うーん……」
「ふふふ、そこまでこだわらなくて良いのに……なら、古い話になぞらえてみましょうか」
「?」
「ある昔の大打者の話なんだけど、その人は入団当初から将来を嘱望されていながらなかなか才能を開花できなかったの。その人が開花できたのは、もちろん本人の努力あってこそだけど、きっかけになったのは打撃コーチが言った一言……『月に向かって打て』」
「月に向かって……」
「『月出里』……この前あんたの苗字のこと検索して調べてみたんだけど、本来の意味は『三日月の里』らしいわね。そんなあんたに合わせて言うのなら、『三日月に向かって、三日月を描くように』……ってとこかしら?」
「……洒落てますね」
「あら、珍しくノリが良いじゃない」
「スラッガーって、そういう逸話があった方がカッコ良いじゃないですか」
「……全くその通りね」
『三日月に向かって、三日月を描くように』。良いね、そういうの。苗字のことはあたしも調べたし、今も着けてる三日月のペンダントをお父さんからもらった時にも聞いた。だけど、その時は特に何の感慨も湧かなかった。
バカな話だけど、あたしは昔からプロのスラッガーになりたかったから、実際にプロで活躍してる姿とか、プロのスラッガーとしてバッティングを語ってるとことか、引退した後にどうしてるのかとかを何度も妄想したことがある。
だけどあたしは、なんとなくで今までやってこれたからこそ、あたしは自分というものが『可愛い』『超可愛い』『世界一可愛い』以外どうも掴めなかった。打つ以外は大体満遍なくできてたけど、肝心のスラッガーとしての実績がイマイチだったから、"プロのスラッガーの月出里逢"を具体的に想像できなくて、象徴するものが全然思いつかなかった。だからせいぜい『打率4割』とか『70本塁打』とか、日本球界では前人未到の偉業を漠然と達成するばかりで、もっとあたしに相応しい『記憶に残る何か』が欲しかった。
あくまで一番大事なのは結果。あたし自身も、三条オーナーも、誰もが"史上最強のスラッガー"って納得できるくらいの偉業。そのための手段として、そんなキャッチフレーズが似合うように頑張るってのも間違ってないよね?
「大まかなとこは一通り教えたから、素振りは今日から全面解禁よ。ただ、最終的な判断はあんた次第だけど、あんたが潰れたら菫子に申し訳が立たないし、量と目的は履き違えないようにね」
さすが振旗コーチ、しっかり釘を刺してくる。三条オーナーを出されたらしょうがないよね。妄想のシナリオを一から書き直して気を紛らわせれば良いか。




