第二十三話 過渡期(5/6)
「センター前ヒット!ルーキー伊達、対外戦デビューでいきなり結果を出しました!」
「おお!いけるやんけあのルーキー!」
バニーズの環境も、当初の僕にとっては心地良いものだった。
リードをダメ出しされたり、キャッチャーに対する偏ったイメージや過度な期待を小学生の頃からずっと浴びてきたせいで、日本によくある『キャッチャーの理想像』というのが僕はあまり好きではなかった。結局ジャンケンや統計みたいになる上にピッチャーの制球次第にもなる配球とか、チーム全体を引っ張ったりとかそういうのよりも、とりあえずピッチャーの球をちゃんと捕れて、ランナーが走るのを躊躇う程度の肩を持ってて、単純に打てる方がずっと勝利に貢献できると思ってたし、今もどちらかというとそういう考えに近い。
その点、『キャッチャーの理想像』がどうこうよりも、まずはまともな戦力を欲してるバニーズという環境では、僕の得意なバッティングを重点的に磨いていてもそこまで叩かれることはなかったのがありがたかった。今より前に短期間だけ監督に就いてた柳監督も、元から長所を伸ばすのを歓迎する方針だったしね。少しだけ残ってたスラッガーとしての願望を満たすのにはちょうど良かった。
そのおかげで、思ったより早く、また思ったより苦労することもなく正捕手になれた。当然、それに見合った収入も得られるようになって、カミさんを妻として迎え入れられ、息子にも恵まれた。
「伊達、規定3割乗ったで!」
「しかもホームランも2桁!打てるキャッチャー最高や!」
「今年は個人記録だけでも爪痕残すで!」
そしてプロ入り9年目、2010年シーズン。この年も優勝の目はなかったけど、それでも珍しく最下位は余裕で回避。おまけに僕は初めて打率3割の可能性を帯びて、金剛くんも最終的に20代前半の若さでホームラン王、当時のエースも最多勝と、例年と比べれば明るいニュースだらけで、入団以来初めてと言って良いくらい、バニーズファンが純粋に喜ぶ姿を見た。
だけど……
「やぁやぁ。お疲れ様、伊達くん」
シーズンも最終局面を迎えた頃、球団幹部に呼び出された。トレードの弾にされるような立場じゃなかったし、その時の僕は個人成績の関係で何かボーナスをもらえたり、オフのファン向けの企画の話でも持ちかけられるんじゃないかとむしろ期待を抱いてた。
「伊達くん。申し訳ないけど、残りの試合は基本ベンチスタートになるからね」
「ええ!!?」
「計算上では3割に届く上で許容できる凡退の数は10くらい。しかし最多勝のためにも、エースの登板日には出てもらう必要がある。そのための判断だ。もちろん、こちらの都合だし、ちゃんと残り試合全部スタメン出場した扱いで年俸査定するから安心してくれ」
「ちょ……ちょっと待ってください!今ウチは4位で、CS進出の可能性もまだ残ってるんですよ!?」
「それはキミ、残り試合を最低でも8割は勝たないと無理な話だろ?ここ最近の球界で打てるキャッチャーが激減してる中、キミの存在はウチのセールスポイントなんだ。4番とエースもタイトルを狙える位置にいるんだし、今まで順位も個人成績も両方ままならなかったウチにとってはファンの信頼を取り戻す絶好のチャンスなんだよ。これから先チームを補強する上でも、キミ以外のキャッチャーを育てる必要があるしね」
(中途半端に順位が高いと年俸のボトムが上がってしまうし、ドラフト指名でも不利になりかねないしね)
そこを突かれるのは痛かった。実際、ファンの声を聞く限りでも、僕には『打つことで勝利を得ること』よりも『打つこと』自体を求められてる感さえあった。僕自身も当然、『打率3割』というものに憧れはあった。
でも僕だって、何もバッティングばかりやってきたんじゃない。シーズンを通して他チームの動向を調べて、ここから巻き返してCSに進出した場合も想定してプランを立ててた。
だけど、しょうがない。球団から給料をもらってる以上、球団の売上に貢献する。その点では会社勤めの頃と全く同じ。そう言い聞かせて、僕は上の判断に従った。
「この回までで良いんだ!どうにか投げ切ってくれ!」
「は、はい……!」
"3割打者"の仲間入りを果たして以来、僕はむしろ窮屈さを覚えてた。日本とメジャーとならともかく、同じ日本球界の中だけでなら3割を打てばどこの球団にいようが評価は同じになるべき。だけど僕はそうなった経緯からしても、必要以上に持ち上げられた。ファンの方に関しては純粋に嬉しいって気持ちからの無意識にだとは思うけど、球団の方に関しては間違いなく『チームの弱さに対する免罪符』という扱いだった。
ドラフトの時点まではどの選手もみんな立場は同じ。どの球団に入っても『野球をやる』という本筋も同じ。なのに同じくらいの実力でも入る球団次第で、立場も扱いも、自分の努力が球団にどう反映されるかも大きく変わってしまう。"3割打者"が優勝に貢献する存在になるか、単に旗印になるだけかさえも。
『チームの中心選手として、チームを強くしたい』。そう考えるようになったのは、歳を重ねたからとかチームへの帰属意識とかじゃなく、単にそういう個人的な感情がきっかけだった。
「ホームラン!穂村、今季第20号、逆転スリーラン!」
「あーあ、何でまっすぐなんだよ……」
「割とフリースインガーなんやし、まっすぐにしても馬鹿正直に勝負せんでもええのになぁ……」
「もうちょっと身の丈ってもんを考えろよなぁ」
その時戦ってたのもまさにヴァルチャーズだったから、余計にそんな感情が抑えられなかった。多少の浮き沈みはあれどリプを代表する強豪球団。だけどその時マウンドに立ってた子も良いまっすぐを投げられた。これから強くなっていく上でも気持ちの上では負けたくなくて、その子にも『君もヴァルチャーズの選手達と同じプロ野球選手なんだ』って気持ちを伝えたくて、その子のまっすぐの力を盲信してしまった。ファンの声も今を思えば『やり方を工夫すべき』という気遣いだとわかるんだけど、あの頃の僕にとっては『弱小らしく王者に謙れ』と言われてるような気がして、余計に意固地になってしまったところがある。
「あ、綾人……どうしたんだ……?」
「クラスで『お父さんがプロ野球選手や』って言ったんやけど、バニーズにいるのバカにされて……何でパンサーズやないんやって……」
「……!」
僕が誰かに誇れる立場にいなきゃ、仕事を辞めて地元を離れて関西まで嫁いできてくれたカミさんも、そこで生まれた息子も報われないしね。
FAももちろん考えた。だけどそれは『逃げ』になってしまうんじゃないかとか、『選手が球団の価値を変えられるんじゃなく、球団が選手の価値を決めてしまう』という現実を受け容れることになるんじゃないかとか、そんな思いもあったし、自分がこの球団でのびのびとやれてきたからこそ、そういうことで悩めるんだって思いもあった。『妻子を守る』という目的を重視するなら、引退後も食いっぱぐれにくいフランチャイズプレイヤーで居続けるべきか、自分の現状の市場価値を活かして人気球団に移籍して増える分の金額を取るか。
色々悩んだけど、結局はチームへの愛着や感謝、そして個人的な意地が勝ってバニーズに残ることにした。




