第二十二話 加速(5/5)
「さて、ここからは補足説明。『打者にとっての最適なバッティングってのは左右で傾向が違ってる』って話なんだけど……最初に知っててほしいのは、人間の身体ってね、実は左右非対称なのよ」
「え?そうなんですか?むしろ左右対称な顔だとあたしみたいに美人とかよく聞きますけど……」
「貴女のその謎の自信、もう慣れたわ。まぁガワに関しては基本的に左右対称にはなってるわ。ただ、内臓の配置が左右非対称になってるのよ。心臓が一番有名ではあるけど、ここで重要なのは肝臓ね。肝臓は人間の臓器の中で一番大きくて重いんだけど、普通は右側にあるのよ。もちろん、あらゆる臓器が右に偏ってるわけじゃないけど、総じて人間の身体は右側の方がほんの少しだけ重くなるように作られてるのよ」
「全然意識できないですね」
「そうね。人間は右の方が重い分、無意識に重心をほんの少し左に寄せてるから、なおさら自覚するのは無理な話ね。そして左に重心が寄ってる分、右脚の方が体重がかかってないから、その分自由に動かしやすくなる。右打者の場合は軸脚になるから体重を前に持って行く際の内旋による『割れ』を作りやすくなるし、左打者の場合は前脚になるから踏み込む際の『割れ』を作りやすくなる」
「だからさっき、『踏み込む時の『割れ』はそこまで気にしなくて良い』みたいなこと言ってたんですね」
「その通り。もちろん、どっちもできればそれが一番良いんだけどね。でも貴女は純粋な右利きでしょ?だからなおさら軸脚側の『割れ』の方が意識しやすいし、スイングもトップハンドを主導にした方がやりやすくなる。逆に今流行りの『右利きの左打者』は前脚側の『割れ』の方が意識しやすく、スイングもボトムハンドが主導になりやすい」
指導用の右打ちから慣れてる左打ちに瞬時に切り替えて、左右の違いを説明。
「後はそうね……下半身主導のバッティングの特徴として『グリップがナチュラルに下がる』とかもあるわね。それに、左右の違いとして『フォロースルーのしやすさ』とか、左右の具体的な違いとか……まぁここら辺はスイングそのものの話にも関わってくるとこだし、とりあえず座学はこのくらいにしときましょうか。というわけで当面の課題は『下半身の使い方を頭と身体に叩き込むこと』。自分に合った脚の挙げ方とか踏み込みの幅とかそういうのを色々模索しながらね。下半身の使い方が良くなれば、連動してる上半身の動きも多少なり良くなるはずよ」
「……はい!」
「それと、限定的にだけど素振りも解禁するわ。下半身の使い方を覚えるにしてもバット握ってた方が実際にスイングする時の感覚を掴みやすいでしょうし、トップの位置なんかもついでに色々試してみなさい。貴女に最も合う『加速』は貴女自身にしかわからないことだからね」
「『加速』……」
そういえばこの前、"ラッキースケベの人"が来た時にも言ってたね。
「そう。前は話の途中だったわね。"世界で一番のスラッガー"になるための必須条件、それは『バッティングにおける全ての加速を実現できること』。今回の下半身の使い方の中にもスイングスピードを『加速』させる要素が色々あったと思うけど、それらはまだまだ一部。スイングだけ『加速』させればいいってもんでもないしね。果たして貴女に出来るかしら?」
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身体の力を抜いて、左脚をいったん挙げて骨盤を持ち上げながら右股関節に意識を集中。左脚と骨盤を前に出して、左脚を伸ばすと同時に右脚を出す。トップが引っ張られるのを限界まで我慢して……腰の回転に合わせてスイング!
「……わわっ!」
「ちょっ……!?逢ちゃん大丈夫!!?」
バットを持ってなくても、身体の勢いが思ったよりも強くて、バランスを崩してしまった。
「下半身の使い方の練習……ですかね?熱心ですね……」
「流石ですね松村さん……すみません、できるだけ静かにしてますから」
……三条オーナーと妃房蜜溜を打てたこと、もう流石に偶然だとは思ってない。だけど、今のあたしはさっき転んだみたいに、大きな力に振り回されてるだけ。『あたしが知らないあたし』が大きな力を振るってるだけ。
絶対に飼い慣らしてみせる。『あたしが知らないあたし』を。ただの『罪滅ぼし』にすぎないとしても、"あの人"に報いられるあたしになってみせる。全ての『加速』を、必ず手に入れてみせる。




