第二十一話 フィノム(7/9)
******視点:月出里逢******
「はい、逢ちゃん」
「ん、ありがと」
もう"戦犯"だなんて言わせない。あのまっすぐ、たとえ打てないとしても、内容だけは残す。
「……逢ちゃん」
「何?」
「まだ勝負はついてないけど、わたし、蜜溜ちゃんより逢ちゃんの方がすごいと思うよ」
観客と同じ気休め?佳子ちゃん、普段からすごく気遣いのできる良い子だけど、今はそう言うのは要らない。これはあたしとあの変態との勝負なんだから。
「だって、バッターって1人で戦わなきゃいけないでしょ?蜜溜ちゃん、何だかんだで円子さんと一緒に戦ってるんだし」
「でも、球を投げてるのは妃房さんだから」
「自分に自信を持って、投げるのに集中できてるのは円子さんのおかげだよ?」
「……!」
「わたしもちょっと前までピッチャーやってたから、支えてくれるキャッチャーのありがたさはよく知ってるよ。野球をやる前も色んなスポーツやってたけど、どれも初めての時はうまくいかなかったから友達とかに支えられて。逢ちゃんだって、別に1人でここまで来れたわけじゃないでしょ?」
「…………」
「ファンの人達は声をかけたり、同じチームのわたしでも今はこうやってバットを持ってくるくらいしかできないから、円子さんほど支えにはなれてないけど、それでもほんの少しでも、逢ちゃんの後押しができたらって思ってるよ」
「……佳子ちゃん」
「ん?」
「いつもありがと」
そう言うと、いつも通り笑って手を振って見送ってくれた。
「プレイ!」
中学の時にいじめられて、高校の時に散々打てなかったもんだから、いつの間にか周りが誰も期待してないのが当たり前になってた。
ついさっきまで"あの人"のこと考えてたのに、馬鹿だよね。"あの人"があたしに期待してくれたから今ここにいるのに。家族のみんながあたしに期待してくれたから、また野球をやれるようになったのに。
鳥も虫も、翅が片方だけじゃ飛べない。元々"プロ野球選手としての月出里逢"は、あたし自身と"あの人"で一対ずつの翅を持った蝶。そして2人分を背負ってるんだから、追い風はいくらあったって困らない。実際が『打者と投手のタイマン勝負』であったとしても、心の中に味方をつけちゃいけない決まりなんてない。そんなことで、誰のプライドも傷ついたりしない。
ライオンはどれだけ強くても、他の誰かを食べなきゃ生きてはいけない。自分だけで獲物を狩る時の力も、他の誰かを食べて得た力。こういうのも、ある意味では食物連鎖みたいなものなのかもね。
周りの言葉を『調子が良い』と吐き捨てるか、『純粋に期待してくれてる』と捉えるかは、結局はあたし次第。ただでさえ後ろ向きなあたしは、いつも"あの人"を根拠にしなきゃ自信が持てないんだから、『自信の根拠』はいくらあっても困ることはない。
(さぁ、今度こそ仕留めるよ……!)
また速球が迫り来る。でも、ほんのわずかな時間なのに、『さっきと同じくらいの球威』ってことと、『自分が打つまでに必要な工程』が理解る不思議な感覚。
……若王子さんって、ホームランはいっぱい打てるしチャンスにも強いけど、打率はあんまり高くないから、あたしもよくテレビの前で祈ってたね。ちょっとでも多く打てるように。
そして今のあたしは祈られて祈りに応える立場になった。だから、『あたし自身の為』のついでに、ちょっとくらい他の人にも夢を見せなきゃね……!
「「!!!!!?????」」
「打ったァァァァァ!!!!!」
「よっしゃあああああああ!!!」
「行けぇ逢!!!!!」
「二塁打いけるぞ!!」
内寄りで少し圧されたけど、その分上手い具合に右中間方向へ。普通ならよっぽど脚が遅くない限りは確実に二塁打は狙えるところ。
だけど、さっきからまるで球場全体を俯瞰視してるように、何もかもがよく視える。あたしがあの変態のまっすぐを捉えられたのもそうだけど、向こうもあの変態が打たれるなんて思ってなかったのか、外野のスタートが少し遅れたのもわかった。
「月出里、一塁蹴って二塁へ……」
あの変態相手に二塁打でも勲章ものだろうけど……『ちょっとでも良い結果』で、もっと夢を見せるのも良いかもね。
「!!?な……速ぇ!?」
「深海さん!■■!バックサード急げ!!」
高校の時はたまにヒットを打ててもありきたりなシングルか内野安打ばっかりだったから、すっかり忘れてた。この一塁を蹴った後の疾走感。中学の頃まででもホームランはあんまり打ててなかったから、こんな風にダイヤモンドを全力で駆けてた記憶ばかり。だから……
「やっぱり良い肩なんだ御厨くん!」
「やべぇぞ!間に合うか!?」
ライトの強肩、セカンドの中継、サードのタッチ。ギリギリどころか間に合いそうになくても、脚を入れれば勝ち。その術は、まだ身体が覚えてた。
「……セェェェェェフ!!!!!」
「セーフ!セーフ!セーフ!」
「うおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」
「何と妃房蜜溜の連続奪三振を喰い止め、11球の激戦を制し、163km/h速球を仕留めたのは、天王寺三条バニーズの高卒ルーキー!17歳の超新星ッ!!!月出里逢ッッッ!!!!!」
「月出里ィィィ!!!最高や!!!!!」
「ようやった!ようやったで!!」
……打てた。やっと打てた。公式戦じゃないけど、プロに入って初めてのヒット。『これも夢を見せる為』なんて言い訳を心の中で並べるわけでもなく、思わず震える右腕を掲げてしまった。
(ようやく……ようやく見つけた……!)
あの変態はさっきまでのニヤケっ面とは打って変わって、呆然とこっちを見てる。ちょっと涙ぐんでるみたいだけど、負けたのを悔しがってる感じは全くしない。何を考えてるのかわからないけど、あたしも思わずちょっとウルッときちゃったからね。きっとあの変態にも何か感慨があるんだと思う。
「……伊達よ。ミッキー・マントルは知っとるか?」
「え?ええ……大昔のメジャーのスイッチヒッターの三冠王ですよね?」
「そうじゃ。マントルはメジャーリーガーとしては小柄な体格ながら飛び抜けたパワーを有しておった。一説では195m級のホームランを放ったとされ、歴代でも最も優れた長打力を誇るスラッガーと目されておる。じゃが、マントルはメジャーデビュー当初は俊足を最大の武器にしておった。特に左打席からのバントヒット時には一塁到達3秒1という、赤猫や樹神も真っ青になる程だったと言われておる。また、荒削りではあったものの元々のメインのポジションはショートで、強肩も武器としておった。マントルはそのあまりに傑出した潜在能力ゆえ、若き頃、当時の監督から『驚異的』を意味する『フィノメナル』を縮めて、"フィノム"というあだ名を与えられたのじゃよ」
「"フィノム"……」
「あの小娘にも相応しかろう?フォッフォッフォッフォッ……」
******視点:三条菫子******
「すみちゃん……!」
「ええ、期待以上だわ……!」
想定通り、妃房蜜溜との勝負は、月出里逢の潜在能力を引き出すに至った。ちょうど私と勝負した時と同じように。
それどころか、『兆候』もあった。やっぱりこの2人しかいない。私が思い描いた■ン■■■リ■■を実現できるのは。
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広く中継されたのが幸いして、この一戦の映像は後の時代に何度も流されることになる。"史上最強のスラッガー"と"史上最強のエース"の初対決として。




