第百七十二話 雌伏(3/?)
******視点:冬島幸貴******
5月29日。試合が終わって自宅へ。
「ただいま」
「おかえり、幸貴くん」
初音はもうすぐ妊娠8ヶ月。腹ん中の子供が一気に成長する頃。そのせいかつわりの頃みたいに、最近またちょっと体調が良うないみたいで、玄関への出迎えはなし。まぁこれはしゃーない。
「今日はどうにか勝てたな」
「2カード連続負け越し、ちょっと嫌な感じやけどな」
「でも幸貴くんは打ちまくってるやん」
「まぁな。それでも勝てん時は勝てんわ」
月出里ちゃんもちょっと失速気味やしなぁ。4月までがあまりに打ちすぎてただけとも言えるけど。
「来週からまたビジターやっけ?」
「おう。2カード丸々な」
「じゃあまた1週間会えへんねんなぁ……」
「たった1週間やん……あ、そうや」
「ん?」
「子供の名前、決まったで」
「ほんま!?両方!!?」
「おうよ。どっちでもいけるで」
「何々、何にしたん?」
「まだ内緒や」
「むー……」
「『ベビちゃんがどっちかは生まれてからの楽しみに』って言ったん初音やろ?名前やってそれでええやん」
「まぁ、せやな……」
「あ、でも念の為……」
「ん?」
カバンの中から封筒を取り出して、初音に渡す。
「これ何?」
「こん中に名前書いた紙入れてる。産まれたら開けるんや」
「おー、ええやん。ベビちゃんに初めてのプレゼントやもんな」
「万が一オレに何かあった時にもええやろ?」
「何なんそれ……遺書ってこと?縁起でもないで?」
「まぁほんまについでの備えや。人生何があるかわかったもんちゃうやろ?こんなに毎日幸せでも、ある日突然とんでもない不幸が起こって終わる……っちゅーこともありえるやろ?」
「……うん。せやな」
「?どないしたんや?」
「幸貴くん……」
「ん……?」
隣に座る初音が身体を預けてくる。
「何や?また体調悪なったか?」
「ううん。そういうのとちゃうねん。ただ……しばらくこうしててええ?」
「……オレも何かそういう気分や」
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5月31日。今日から神奈川でシャークス戦。
「一塁牽制!」
「セーフ!」
シャークスは去年リコ最下位で、今年も今のところ5位。妃房もまだ戻ってへんし、まだまだチームを立て直してる段階。
「もう1球牽制!」
「セーフ!」
その一環なんやろうけど、やたら塁の上でウロチョロしてんな。元々機動力なんて二の次で、とにかく打ちまくるタイプの打線やったから、そこを課題に据えてる感じやろうな。
「一塁ランナースタート!」
「ストライーク!」
「二塁タッチは……」
「アウト!」
「アウト!刺しました流石の強肩!守りでも存在感を示します冬島!」
「サンキュー"コウキャノン"!」
「アタックフォルムに変わったと思ったら全然守備落ちてへんのよなぁ」
「今週DHなしなんもったいないわ……」
『とりあえず機動力野球やったら盗塁の数が増えます』なんてそんな甘い話、あるはずあらへんわな。チームに脚速かったりそういう技術のある奴が揃ってて、自然とチームの色として滲み出て初めて機動力野球は相手チームにとっての脅威になる。
日本のプロ野球じゃ新しい監督になったりチームの立て直しをしようって時に、よく『脚を絡める野球』とか『繋ぎの野球』とか言うけど、言い方は悪いけどそういうのは大体『やってる感』で終わってしまうことばかり。別に機動力野球よりも今のメジャーみたいに『三振上等でホームラン狙いまくり』の方が効率がええって話やなく、本気で機動力野球やりたいんなら相応の準備が必要って話。それが済んでへん内は、オレとかの盗塁阻止率稼ぎにしかならんわな。
まぁもちろん、向こうが『今年は捨てて実戦の中で経験値積もう』ってスタンスなら、よそのオレが文句言うべきことやないけどな。
「2回の表、バニーズの攻撃。4番キャッチャー、冬島。背番号8」
「この回の先頭打者は先ほど守りで魅せました冬島。今シーズンは攻守ともに絶好調。開幕から7割近い勝率を誇るチームの要。打率.317、8本塁打、46打点、OPS.904。何とホームランの数は月出里を超えて現在チーム内本塁打王。今日でバニーズは54試合目で、ペナントレース全日程のまだ3分の1くらいとなっておりますが、キャリア初の2桁本塁打まですでにもうあと2本にまで迫っております」
「流石俺達代表」
「とんでもなく良い選手で涙がで、出ますよ……」
月出里ちゃんが失速気味で、1回に打順が回ってくることが少なくなってきたな。そもそも去年までは3回くらいに初打席がデフォやったから、これでも遥かに打席の数増えてるんやけどな。DHのおかげで今年まだ5試合しか休んでへんし。
まぁそれでもやっぱり、打つ方の才能じゃ月出里ちゃんと十握に勝てる気せぇへんけど……
「!!これは、レフト下がって……!?」
それでも、今年1年はタイトル1つ分くらい勝たせてや。初の我が子が産まれるこの年くらいはな。
「入りましたホームラン!冬島、第9号!先制ホームラン!今日も主砲として魅せます!」
「「「「「うおおおおお!!!」」」」」
「最高や"正捕手"!」
「もう完全にリリィの上位互換やんけ……」
初音と我が子が見てると信じて、ダイヤモンドを一周する。
「いやぁ、もう完全に僕より上だね」
「あと5、6年頑張ったらですけどね」
「おいおい、V10目指してるんだから10年は頼むよ?」
「善処しますわ」
伊達さんとそんなやりとり。
まぁこれだけ打っても、歴代探せば同じキャッチャーでもオレ以上の選手なんてゴロゴロおる。運動音痴のオレにとっちゃ、多分この辺がオレの最大値。歴史に名を残せるほどの男とはオレ自身にも思えん。そういうのは月出里ちゃんとか風刃くんくらいでようやく可能性があるようなもん。
でも、それでええねん。雌伏の幼少期を乗り越えてプロになって、レジェンドな連中と一緒に戦ったその他大勢の1人で、最高の嫁さんに恵まれた。それだけの歴史が刻めたらオレはもうそれでええねん。
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