第三話 だからあたしは、今はまだ『未知』であり続ける(3/6)
「月出里。あんた、好きなバッターは?」
「え?えっと……ビリオンズの若王子さんです……」
「姉の方?」
「はい……」
「そう、わかったわ」
マシーンから出てくる球は、スピードはそんなでもない。でも、出てくる球は次から次へとライトスタンドへと運ばれていく。マシーンであっても微妙にブレるコースに関係なく、ライト方向への飛球に変えていった。
「おお……!」
「流石は元ミス・パンサーズ。まだまだ健在だな」
(あんなの、左のスラッガーならできて当然だろ)
「まぁ、このくらいは左のスラッガーならできて当然ね」
振旗コーチがつぶやくと、さっきのザイゼン?さんがギョッとしたような顔をした。
「ここからが私の伝家の宝刀……!」
始動は全く同じだけど、バットの引きが少し長い。その分さっきよりも遅れ気味にバットが出たけど、それでも打球は問題なくレフトスタンドへ運ばれた。
あたしの周りにも左打ちに矯正した人は結構いたけど、確かにそういう人達は流し打ちが上手い人が多い。でも、ほとんど内野安打狙いだったりショートの頭の上を越えればって気持ちで、振り出した時には走り出してるような、そんな打ち方ばかりだった。
だけど振旗コーチの今の打ち方は全然違う。普通にホームランを打った時と同じで、身体が打席に残ったまま。変な表現になるけど、逆方向に引っ張ってる感じ。ほとんど同じ形で引っ張ってホームランにする若王子さんとは似てるようで全然違う打ち方だった。
「私がプレーしてたとこはライト方向にホームランが出にくいとこでね。この打ち方を覚えられなきゃ、身体の小さい私には年間40本なんて到底打てなかったわ。若王子とかと違って、私は根っこの部分はホームランバッターじゃないからね。だからこそ、努力で工夫ができたとも思ってる」
マシーンが止まって、振旗コーチはバットを背負ってあたしの前に立った。
「だけど残念ながら今のあんたじゃ、若王子にも私にもなれない。まだまだスタートラインにすら立ててないのよ。でもそこまで辿り着けたら、あんたなら若王子か私みたいになれるって保証してあげる。私がそうさせてあげるわ」
あたしが、若王子さんみたいに。
「そうですね。確かにあたしはスタートラインにも立ててないと思います。でも……」
「ん?」
「あたしは、若王子さんにも振旗コーチにもなりません」
「え……?」
今こんなこと言えるような立場じゃないことはわかってる。でも……
「あたしは世界で一番のスラッガーになります。そうなれるって、オーナーが言ってくれました。あたしがどういう選手で、これからどういう形になるのかは今のあたしにはわかりません。だけど、あたしの形を今ここで誰にも決められたくありません」
あたしはあの人のためにも、そうならなきゃいけないから。あの人が思う以上のあたしになれたら、あの人はきっともっと喜んでくれると思うから。
だからあたしは、今はまだ『未知』であり続ける。
「……ふっ、言うじゃない」
振旗コーチに笑われた。だけど、構わない。
「言っとくけど、あんたがスタートラインに立つまででもやることがいっぱいよ?下手すると何年でもかかるかもしれない。その上で若王子や私よりも上なんて、目指す覚悟はあるのかしら?」
「もちろんです」
「上等。それじゃ早速今日から始めていくわよ」
もしかしたら振旗コーチはその答えを最初からわかってて期待してたのかもしれない。今を思えば。
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料理のことを考えずに練習に打ち込めるのはありがたい。美味しかったし、量も十分。家族と囲む食事も良いけど、少なくともこういうガッツリした練習の前後は配分とか気にせずご飯をかき込みたい。
「ほら。佳子ちゃん神楽ちゃん、部屋着いたよ」
「あ、ありがとー……」
「もー動けねぇ……」
担いでた佳子ちゃんと神楽ちゃんと3人分の荷物をベッドに下ろした。
「逢ちゃん……大丈夫なの?あんだけ動いたのにケロッとしてるし……ご飯もあんなに食べちゃって……」
「ん?むしろあれだけ運動したんだから、しっかり食べて筋肉にしないと勿体無いでしょ?」
「いや、ちょっとズレてねーか……?」
「じゃああたし飲み物買ってくるから、2人はゆっくり休んでてね」
「へ?いや、ちょっ……」
ラウンジのとこに自販機あったかな?とりあえず行ってみよっと。
「ありゃ、行っちまったか」
「多分ここ、冷蔵庫にドリンク入ってるよね……?」
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