第百六十五話 譲れないライン(6/?)
「左バッターボックスにはプロ5年目、"東の怪童"猪戸士道。昨シーズンは39本塁打でキャリア初の本塁打王。高校卒業からわずか4年間で通算100本塁打を超え、今や誰もが認める帝国球界きってのスラッガー」
背丈はわたしとほぼ同じだけど、体つきは向こうの圧勝。とにかく大きい。小学生の草野球で身体の大きいガキ大将が4番打ってるのを、そっくりそのままプロでもやってるような感じ。
猪戸くんは高校の頃から九州の方じゃめちゃくちゃ有名なスラッガーだったけど、あの白雪くんが霞むくらいになったのは正直予想外だった。まぁそれ以上に予想外だったのは、月出里さんっていう、全く無名だったのにその猪戸くんに並び立つくらいのスラッガーが突然生えてきたことだけど。
「そしてマウンド上には同じくプロ5年目の鹿籠葵。昨シーズンは11勝4敗、防御率は2.81とリーグ3位の好成績。チームの躍進に大きく貢献しました。この両者に加え、バニーズの月出里逢の3名は揃って1999年世代。名前と特徴から取って、ファンの間では"猪鹿蝶"と呼ばれ、世代を代表するスターとして注目を集めています」
(ばってん、おいと月出里は2000年生まれたい)
……実を言うと、わたしも2000年の3月生まれ。月出里さんより2日だけ年下。
まぁ今はそれよりも目の前の勝負。普段から同じリーグで勝負してる月出里さんと違って、猪戸くんとはあんまり対戦したことがないんだよね。千葉と九州で高校までは接点なかったし、こういう練習試合とか交流戦でチョロっと勝負した程度。ちょっと前までの月出里さんみたいにわたしのまっすぐを特別打ちあぐねてる感じはしないし、かと言ってカモにされてると実感するほど打ち込まれてるわけでもない。
要は、実際に投げてみないと勝てるか勝てないかはわからない。猪戸くんだってきっと去年以上の成績を残せるようにオフとキャンプで色々準備してきたはずだし、その内容次第で過去の相性なんて全く関係がなくなる。
「ボール!」
「まずは初球、チェンジアップから入ってきました!外低め128km/h!」
打ち気は感じた。でも途中でチェンジアップと気付いて止めたっぽい。
(まっすぐ狙い、ですかねぇ……?)
と言っても、今日は変化球がまだあんまりストライクゾーンに入らない。先頭打者にボール2つ先行は厳しいし、そもそもこういう場面でまっすぐでストライクが稼げないんじゃ、わたしはそれまでの投手ということ。
(まぁ練習試合ですからね。狙われてるとしても、一番の武器を試すべきですね)
(きた……!)
!!!
「!!!これは、ライト下がって……」
「「「「「うげっ!!?」」」」」
「ファール!」
「切れましたファール!場外まで飛びました大飛球!」
左打者相手には内側に食い込んでるように見えてるはずのまっすぐ。ファールゾーンに飛んだってことは一応想定通りに運用できてるってことではあるけど、危なかったのも事実。
(浮き上がるカットボールのような軌道……確かに奇妙な球たい。ばってん、おいは月出里のように幻惑されはせん。最初からそぎゃん球やと織り込んでいれば十分対応可能)
「ボール!」
「ファール!」
「これもライト方向、スタンドに飛び込みました」
一応追い込みはしたけど……
(引っ張って仕留めっとが困難なら……!)
「ファール!」
「これはバックネットへ!」
ホームランの打ち方の基本……前の方のポイントで捉えてたさっきまでとは一転、懐まで十分に呼び込んでのスイング……
(猪戸さんは逆方向への一発にも定評のあるホームランアーチスト。追い込まれて変化球への対応も織り込む必要があるという点でも合理的な選択ですね……)
そうくるのなら、まっすぐのスピードでねじ伏せたいところだけど……
「ファール!」
「インコース!これも合わせてきました、147km/h!!」
わたし個人としては今日そこまで調子が悪いとは思わないけど、マウンドに馴染まないのか、思ったほどスピードが出ない。
「ボール!」
「外、外れてフルカウント!」
「外から入り込んでくるスライダーですかね?ここで入れておきたかったところでしたが……」
(フォームに特別大きな違いはなかばってん、まっすぐに自信ば持っとるからこそ、まっすぐとそれ以外ば投ぐる時で気迫が違う)
『あの球』の練習に夢中になっちゃったのが仇になって、スライダーの精度がまだ……
(まぁこれも経験ですよ。ここはもう打たれるの覚悟でもまっすぐが一番マシですね)
……二乃さんの判断はもっとも。でも……
(!?え……『アレ』、もう投げるんですか……!!?)
今のこの状況は、わたしの今回のキャンプでの取り組みの結果。そしてその取り組みは、何よりも月出里さんに勝つため。『あの球』のせいで『あの球』を使わざるを得ない状況を招いたんなら、大人しく『あの球』を投げて勝って、『今年は月出里さんに勝てる』って証明しなきゃならない。
つまらないプライドだってわかってる。わざわざ練習試合で奥の手を晒すなんて、他球団のスコアラーの人にスッパ抜かれて損するばかり。でも、わたしとしてもなるべく早く実戦の中で試しておきたいし……
(よし、ありゃまっすぐだ!)
(甘いとこいきそうだ)
(勝ったな。この後トイレ行こ)
(こん気迫、こん軌道……真ん中寄りんまっすぐ。これなら逆方向に……!!?)
『勝ちたい相手に勝てる力があるのなら勝つ』。それが、野手を捨ててでも投手を選んだわたしのプライドで、譲れないライン……!
「ストライク!バッターアウト!!」
「「「「「……え?」」」」」
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