第百六十五話 譲れないライン(2/?)
お昼休みを挟んで、再びブルペン。とりあえず岡正さんに今のわたしの球を受けてもらう。
「……うぅん、ほんと良いまっすぐよねぇ。何せ全くシュートしてないんだからぁ。球速はどれくらい出てたかしらぁ?」
「151km/hです!」
ブルペンに常駐してるデータ解析の人達。必要とあらばこんな感じですぐにデータを教えてくれる。あの計測してるやつ、確か『HIVE』……だっけ?ヴァルチャーズの親会社が提供してるっていう……
「この時期でこの球速なら今年も最速更新できるかもしれないわねぇ。去年の最速って確か156km/hだったわよねぇ?」
「は、はい。月出里さんに『本当のプロ第1号』を許しちゃった1球ですけどね……ウェヒヒ……」
「ああ、あの『三塁踏み忘れ』のやつねぇ」
「踏み忘れで記録上は取り消されたとしても、わたしの中じゃ打たれた事実は消えません……!」
「……良い顔してるわねぇ、葵ちゃあん」
「そう、ですかね……?」
「ええ。『戦う顔』……とでも言うべきかしらねぇ?そんなにあの"ちょうちょ"ちゃんに勝ちたいのぉ?」
「はい。これからもまっすぐは磨いていくつもりですけど、多分それだけじゃ月出里さんには通用しないと思いますし……」
「「「「「おおおおおおお!!!」」」」」
「おい!今の何km/hだ!?」
「157km/hです!」
「うーん、絶好調!」
「張り切ってるな、大神」
「そりゃもう。今年は恵人に勝つのが目標っすから」
「バニーズの山口か……まぁそのためにはまず開幕一軍だな」
「うっす」
「いつか"アレ"を追い抜かすつもりですけど、すぐにはできそうもありませんし、元々変化球の方で『コレ』っていう武器もないですし……」
「確かにねぇ……」
月出里さんに前まで勝ててたのは多分まっすぐの球筋によるもの。それが通用しなくなった以上、スピードを上げたところで期待値が多少良くなる程度。根本的な解決にはならない。
それに、月出里さんに限った話じゃなく、これから先何年もマウンドに立ち続けていけば、きっと他の球団の打者もわたしのまっすぐに慣れてくるはず。そうなってくると、最悪一軍にいられたとしても、長いイニングは任せてもらえなくなるかもしれない。優遇されてた野手としての立場を捨ててでも投手を選んだんだから、やっぱり立場としても先発にこだわりたい。付け焼き刃じゃなく、本当に武器になる何かが他になきゃ、きっとそれは実現できない。
でももちろん、わたし自身のことだから、まっすぐ以外がいまいちなのは昔から自覚してること。
「確か昔、一般的な変化球は全部試したのよねぇ?」
「はい。ナックルとかそういうのも込みで。でも比較的マシだったのはスライダーとチェンジアップだけでした……」
このインターネット全盛期でいくらでも情報共有できる世の中だから、変化球の投げ方だってちょっと調べればいくらでも出てくる。そういうのは一通り試した上で、ある程度モノになったのがスライダーとチェンジアップっていう話。
「それで今、カーブとフォークも再挑戦してる……と。全体的にスライダー方向に偏ってるけど、シュート系って投げないのぉ?」
「シュートは全く投げられないわけじゃないんですけど、コントロールが全然できなくて……」
「あ、やっぱり『あの1球』、わざとじゃなかったんですね」
「「……え?」」
近くで話を聞いてたデータ解析のスタッフさんから、気になる一言。
「『あの1球』って……?」
「さっき話に出てた、156km/hの球っすよ。これ見てください」
「「…………」」
スタッフさんが持ってるノートパソコンの画面を、岡正さんと一緒に観る。二軸グラフっぽいものに赤い点がびっしりと打たれてて、その点はほとんど縦の軸の上の方に集中してる。
「これはその156km/hを投げた試合での、鹿籠さんが投じた全てのまっすぐの変化成分を示すものです。岡正さんがおっしゃってた通り、鹿籠さんのまっすぐは他の投手と比べてスライダー成分もシュート成分もほぼない、限りなくまっすぐに近いまっすぐです。その横方向に本来かかるはずのエネルギーが縦方向に集中してる分、ホップ成分は他の投手と比べて強めです。ですがこの156km/hの投球だけは……」
「他と比べてだいぶ離れてるわねぇ……まぁ他が集中しすぎてるせいで目立ってるだけかもしれないけどぉ……」
「ええ。ホップ成分も、そしてシュート成分も、普段投げてるまっすぐより強いです」
「葵ちゃあん。これ投げた時、どんな感じで投げたのぉ?」
「あ、あの時は一打同点で、でも球数も嵩んでたから、とにかく強い球を投げようって必死で……あの1球は、わたしとしては力みすぎてちょっとリリースが狂っちゃったかな、って感じで……」
「特に意図してないけど、結果的にシュートっぽい球……というより、結果的に普通の投手が投げるまっすぐと同じような感じになっちゃったのねぇ……逆に言えば、葵ちゃあんもリリースのタイミングとか次第では、普段のまっすぐとは違う球を投げることができるかもしれない、と……」
「で、でも、シュート回転するまっすぐって、あんまり良くないんじゃ……?」
「一概には言えませんけど、基本的にストレートは横変化より縦変化があった方が期待値は高いっすね」
「葵ちゃあん。ちょっと提案があるんだけどぉ……」
「な、何ですか……?」
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「……あー、某テレビゲームでOB投手がそんなの投げてましたね」
「……ほんとに投げられますかね?わたしにそんなの……」
「葵ちゃあんって、意識してああいう『全くシュートしないまっすぐ』を投げられるんでしょぉ?だったらきっとできるわよぉ。ただ、ちょうどアタシが生まれた頃くらいに引退したようなピッチャーが投げてた球だから、具体的な投げ方は教えられないけどぉ……」
「あああの、んん何か動画って、ありますか……?ウェヒヒ……」
「当時はかなり不人気な球団のエースですからねぇ。幸い、ジェネラルズ戦で多く投げてるんで試合中継の映像ならある程度はありそうですけど……」
「昔のピッチャーって変化球の投げ方は門外不出みたいな考えだからねぇ。具体的な投げ方の解説とかは期待しない方がいいわねぇ」
「ええ。一応インターネット百科事典でちょろっと文字ベースで投げ方が解説されてますけど……」
「ああありがとうございます。や、やってみます……」
「やってみるのは良いと思うけど、今からで大丈夫なのぉ?確か20日にはペンギンズ戦が……」
「せ、センスがなきゃ投げられないような球種なんですよね……?だったらちょっと試してみて、ダメそうだったら一旦諦めます……」
「なるほど。確かにそういう考え方もできるわねぇ。うん、良いと思うわ」
「あの……早速ですが、また受けてもらえますか……?」
「もちろんよぉ」
「あ、ありがとうございましゅ!ウェヒヒヒヒ……」
そのエースピッチャー以来、ほとんど誰も投げてない球。特に今の時代は尚更……だったら逆に、それさえ習得できればきっと他の変化球に注力しなくても良くなるはず。わたしはあくまで世界で一番良いまっすぐを投げたいんだし。
それに、今思いつく限りでは多分それが、月出里さんに勝てる一番の近道。開幕まで1ヶ月以上、されど1ヶ月程度。"あの人"にも勝ちたいから、なるべくなら次のペンギンズ戦までに……
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