第百六十二話(第四章最終回) 川越弘平の選択(5/?)
「いやぁ、今や埼玉屈指の名門である水無月高の胸を借りられるなど光栄ですよ!」
「いえいえこちらこそ……東東京の古豪・明王学園とこうやって試合できるなんて恐縮です」
明らかにおりより長くやってて実績のある向こうの監督と謙り合う、いつもの試合前の光景。
バブルが弾けて、ウチの予算もさらに少なくなった。初めての嚆矢園出場からもう5年以上経つと言うのに、いまだに『二度目』は果たせず。この遠征はチームのレベルアップを図る上では貴重な機会で、少なくとも"20代での嚆矢園優勝監督"にはなり損ねてしまったおりとしても焦りはあった。ただ、関東の強豪校がいくつも集まったとはいえ、単なる練習試合であることは認識してた。
「明王さん相手には出し惜しみなどできませんね。ウチはエースの北本に投げさせますので」
「ではこちらも山口に投げさせますよ」
「……?確か午前の試合でも山口が投げてませんでしたか?しかも完投して……」
「これだけの名門校が集まる機会などそうありませんからね。たまには無茶をさせてでも経験を積ませてやるのが山口のためでもあります」
「そ、そうですか……」
(山口は確か昨日も投げてたような……?)
明王学園のエース、山口優人。2年秋の時点で最速145km/hに達した快速球左腕。当然、プロからも注目されてた逸材。そしてもちろん、ウチにとっちゃ練習試合をやる上では願ってもない相手。だが……
「センター!」
「よっしゃ!回れ回れ!」
「セーフ!」
「ッしゃあ!4点目!」
「"ドラフト候補"これだけ打てるなんて、俺らやばくね?」
思いの外、打ち込めてしまった。
確かにウチは昔から投手不足を野手の力で補ってきたところがあるから打線には自信があった。だが、それにしたってあっさりしすぎてた。
「ハァ……ハァ……」
「……!」
回が中盤に入った頃。山口はマウンドの上で息を切らしながら、右手のグラブを外して左肩を揉んでいた。
「ピッチャーもっと気合い入れてけ!」
「これ以上取られると援護しようがねーぞ!」
「それでも"ドラフト候補"かよ!?情けねーぞ!」
「もっと腕振ってけよ!」
「「「「「優人くん、頑張ってー!」」」」」
練習試合だと言うのに黄色い声援。そしてバックやベンチからの叱咤……と言うよりもむしろ煽りのようにも聞こえたが、そんなことはともかく……
「た……タイム!あの、佃監督……」
「どうしました、試合中に?」
思わず試合中に相手側ベンチの前まで行ってしまった。
「その……そちらの山口くん、どうも左肩の状態が良くないみたいですよ?ちょっと様子を見た方が……」
その時のおりは別に人としての純粋な善意とかそういうのに突き動かされたわけじゃない。『ドラフト候補のエースを練習試合で酷使』。よその話とは言え、『チームの戦力を最大化させる』っていうおりの理念に余りに反してたもんだから、ついそうしてしまった。
「ははは、ご心配なく。これがウチの方針ですので。それよりも投手を降ろしたいからってそういう手段に出るのは感心できませんなぁ?今の山口は練習台として力量不足とでも?」
「い、いや、そういうつもりじゃ……すみません……」
そう言われてしまっては、その時は大人しく引き下がるしかなかった。その時に止められていれば……
(山口は元々長いイニングだと球威が保てないきらいがある。余裕のある間に無意識に力んで無駄が生じてる証拠。そういうのは本当に疲れてる時の無駄のない投げ方を身体に覚えさせることで克服していくしかない。帝国野球では昔からそうやって先発完投できる本物の"大エース"が育ってきたのだ。最近はこういう荒療治を『酷使』だの何だのと言ってうるさいが、所詮今時の若造はそんなもっともらしいことを言って苦しいことからとことん逃げたいだけなのだろう。アメリカ野球か何かにかぶれたのか知らんが、全く軟弱な……このくらいで壊れるようならどのみちプロでもやっていけんわ)
(ひひひ……ウチの監督がジジィで助かるわ)
(優人きゅんが潰れてくれれば、アタシがエースに……!)
(私らだって将来がかかってるんだよね。悪く思わないでね、山口くん)
(俺は別にピッチャーじゃねぇけど、山口はただでさえ実家が太いイケメン様。しかもピッチャーとしても"ドラフト候補"なんだからなぁ……こんな遠征にも追っかけの女子が来てさ……)
(潰れろ潰れろ、潰れて人生終了しちまえ"勝ち組クソ野郎")
「…………」
向こうのベンチに行っても収穫はなかったが、『山口が投げ続けるのは明王学園の総意』というのは理解できた。できてしまった。
 




