第百六十二話(第四章最終回) 川越弘平の選択(4/?)
******視点:川越弘平******
月出里にも多分少しだけ話したことがあったと思うが、おりも元々はプロを目指していてな。大学までずっと本気で野球に打ち込んで、試合でもそれなりの結果を出し続けてきた。だがついにプロどころか社会人のチームからも声がかかることはなく……仕方なく選んだ進路は、滑り止めくらいの感覚だった教師。
「川越先生、野球経験がおありなんですね?高校の頃には地方大会準優勝で、嚆矢園まであと一歩だったとか……」
「え?ええ、まぁ……」
「じゃあ野球部の監督お願いします」
「ええ!?」
そういう経緯で教師になったもんだから、逆にもう野球とは関わりたくないという気分だったが、まぁ新任教師という立場だとどうしても断れなかった。
「打ちました!レフトの前!三塁ランナーはホームへ……」
「セーフ!!!」
「ホームイン!サヨナラ!水無月高校、12年ぶりのベスト4進出!」
「「「「「よっしゃあああああ!!!」」」」」
ただ、その頃は今以上に野球人口が多かった分、公立のウチも選手の質と量にそれなりに恵まれて、順調に勝ち上がれるようになっていった。そして監督就任から4年で、おり自身は惜しくも叶わなかった嚆矢園出場。1回戦負けではあったが、それでもおりは監督という立場でその雪辱を果たすことができた。人間、良い結果が出れば価値観も変わるもので、押し付けられるような形で始めた監督業だったのに、それこそが自分の本領だったのだと考えることで、選手の頃の悔しさを紛らわせられるようになった。
……だが、おりも若かった。最初からなかったことにしようと見て見ぬフリして、吹き消すことはしてなかった野心が、手がつけられないくらいに燃え広がってしまって……
「ハァ……ハァ……」
「熊谷ァ!何だその体たらくは!?キャプテンがそんなんじゃ示しがつかんだろうが!」
「す……すんません!」
「オラ!もう30本、気合い入れてけ!」
(ひぇぇぇ……)
(まだやるのかよ……)
(そろそろ休ませてくれよ……)
もう一度嚆矢園に出ることで、おりの指導者としての実力を証明したい。そのことで頭がいっぱいになってしまった。『20代での嚆矢園優勝監督』、『プロ野球史上わずかには存在したアマチュア出身監督』……そういう野望が常に胸中に溢れてた。
「本庄!」
「は、ハイ!」
「お前、今日から外野に回れ」
「え……!?」
「その代わり、来週の紅白戦で3の1以上打てたら次の公式戦で最低でもベンチは保証する」
「……はい」
そういう野心を抜きにしても、『チームの戦力を最大化させること』。たとえ学生野球であろうと、それこそが指導者としての絶対的な義務であり、何よりの実力の証明であると信じて疑ってなかった。
「あ、あの……監督……」
「何ですか部長?」
「良いんですか?投手の枚数が十分とは言えないのに、本庄を外野に回して。まだ1年ですよ?投球練習も1年の中で一番意欲的です。もう少し様子を見ても……」
「アイツは投手としてはキレが弱すぎます。ですが投手をやってきただけあって肩は良いですしスイングスピードも目を見張るものがあります。そんなことに時間を割くくらいなら、他の1年の中から適性のある奴を探して投手に回した方が賢明でしょう」
「……そうですか」
そのためだったら、選手の……生徒の希望や可能性など二の次。そんなスタンスだった。おりのそういう起用法についても、『周りの連中は何でそんなことが理解できないんだ』って気持ちで、独善とかそういうのではなく単純にチームのために最善を尽くしてるつもりだった。
「ライト線……」
「フェア!」
「「「「「おおおおお!!!」」」」」
「セーフ!」
「二塁セーフ!本庄、今日2本目の長打となりました!!」
「は、ははは……監督の見立て通りでしたね……」
「当然です」
実際、それで選手達にある程度活躍はさせられてた。
「ストライク!バッターアウト!!」
「試合終了!5-3!水無月高校、県ベスト4で敗退!2年ぶりの夏の嚆矢園出場は果たせず!」
「「「「「…………」」」」」
だが、肝心のチームの勝利がなかなかついてこなかった。今を思えば、最初の嚆矢園出場は正直、単純に戦力に恵まれたり、強豪同士で潰し合ったり、ウチが少し前まで弱小だったおかげでマークが甘かったりと、色んな好条件が重なったおかげだった。
ウチは弱小を脱却して選手が前以上に集まるようになったが、公立ゆえの予算の少なさで選手の量が生かしきれないこと、そして強くなった分だけ他校のマークも厳しくなったことで、なかなか『二度目』には届かなかった。
「セカンドこれは難しいゴロ……ああっと弾いた!」
「「「「「あああああ……」」」」」
「記録はセカンドのエラー!セカンド蓮田、今日2つ目のエラーとなってしまいました!」
「タイム!」
「水無月高校、選手の交代をお知らせします。セカンド、蓮田くんに代わりまして、鳩山くん……」
「ッ……!」
だからおりはますます『二度目』にこだわるようになってしまって。
「蓮田」
「はい……」
「秋の間、セカンドは鳩山だ。理由はわかるな?」
「う……うう……は、はい……」
当然、『失敗を恐れず、失敗を味方に付けろ』なんて、あの頃のおりにそんな発想があるわけなかった。ミスなんて絶対的な目標である勝利を阻むただのノイズでしかない。あえて言うなら、こうやって選手個人のミスを厳しく断ずることで、チーム全体の次のミスを抑止できて、『チームの戦力の最大化』が進む。そのくらいにしか考えてなかった。予算が足りない以上、これが選手の量を生かす一番の方法くらいに考えてた。
「くっそぉ、あの"鬼監督"め……!」
「そんなにマジで嚆矢園行きたきゃよそでやりゃ良いのに……」
「俺らとしちゃ『そこそこ強いとこでそこそこの結果出した』くらいで十分箔が付くのになぁ」
「蓮田くんちょっと可哀想よね。あのゴロだって蓮田くんだから追いつけたのに……」
「あんな常にイライラしてたらすぐハゲるぞ」
『公立としてのハンデは、むしろおりの指導者としての能力を証明するのに都合が良い』。そのくらいの気持ちだった。だから強豪校や新興の私立校からの引き抜き話も全部断ったし、気兼ねなく選手達の希望や可能性を無視することができた。できてしまった。
そんなおりがおとなしくなれたのは、今から20年以上前のこと。




