第百五十六話 悪魔(2/?)
「…………」
「うわぁぁぁん!!!」
「ね、ねーちゃん……どうしよう、どうしよう……」
お父さんはリングに上がれないどころか、しばらくあたし達の面倒すら見れないほどに塞ぎ込んでしまった。そりゃそうだよね。小さい頃からずっと頑張って"最強"を目指してきて、あたしと違って本当にずっと頑張ってきたんだから。だからあたしは、あの頃のお父さんを責める気には全くなれない。
1日の大半を自分の部屋の中で過ごして、ロクにご飯も食べないで。顔も無精髭だらけになって、一気に老け込んてしまった。
もちろん、その間にもあたしも純も結もお腹が空くし、水道も電気もガスも使わなきゃいけない。お母さんの手術代で余計なお金がもうないのもわかってた。
「おはよう……」
「!?う、うん。おはよう……」
「うわ、何あれ……」
「髪ボッサボサじゃん……」
「ご自慢の可愛いお顔も台無しねぇ」
タイミングが悪いというか……千葉の方のおじいちゃんおばあちゃんもお母さんが倒れたのがショックだったみたいで体調を崩して、仕送りだけはしてもらえることになったんだけど、お金が何とかなっても時間はどうしようもない。
弟と妹優先で動いてたら、あたしのことなんて二の次三の次。ますます悪く言われる材料が増えたけど、疲れと忙しさのおかげでその間は逆に気にならなかった。
「…………」
「!!お父さん、どこ行くの……?」
「放っといてくれ……」
「!!ねーちゃん、鍋吹きこぼれてる!」
「わ、わかった!触らないでね!あたしが止めるから!」
「うわぁぁぁん!!!」
「結!?ちょ、ちょっと待っててね!」
そんな忙しい日々がしばらく経ったある日、お父さんは急に外に出ていった。もちろん心配だったけど、家のことも心配事だらけで、『立ち直る良い機会になるかもしれない』って思い込むことで誤魔化すしかなかった。お母さんがまだ入院がしばらく必要とは言え地元には戻ってきたらしいし、近い内に一緒にお見舞いに行きたいって思ってたけど、それすら難しいくらいにあたしも忙しくて。
「ただいま」
「!?お、お父さん……?」
その日帰ってきたお父さんは、あたしの勝手な思い込み通り、少し元気を取り戻した感じがした。
「すまなかったな、逢。しばらくお前に任せっきりで。これからはちょっと前みたいに俺がメインでやっていくし、新しい仕事も見つけてくるから、もうちょっとだけ手伝ってもらって良いか?」
「それは良いけど、新しいお仕事って……もう良いの?その……」
「ああ。そんなことよりもまずは食っていくことだ」
お父さんがそう決めたのなら反対する理由はない。『やっと忙しいのから解放される』って気持ちは正直あったけど、それよりもお父さんがきちんと自分の気持ちに折り合いをつけられたのならそれであたしも満足。
「それと、次に住むとこが見つかり次第、この家は売ることにした。牡丹の帰るところがなくなっちまうのはアレだが、これからのことを考えたらな。逢の学費も払わなきゃだし」
「!!う、うん……」
「どうした?」
「えっと……今の学校、通ってても良いの?」
「ああ。高校まではエスカレーターで行けるし、せっかく1年近く通ったのにもったいねぇだろ?心配するな。これからもお前達の将来優先だ。逆にこのタイミングで逢が学校通えなくなったってなったら、お母さんだってきっと悲しむぞ?」
(ただでさえ俺のことで相当凹んでたしな……)
「……うん。そうだよね……」
正直な話、学費とか関係なく、これを機に普通の学校に通いたいって思ってた。でも確かにお父さんの言う通り、お母さんのことを考えたらこのタイミングでっていうのは心配かけるだろうし、あたしも学校のアレコレはお父さんも傷つけることだから言いたくなかった。
「あ、のりちゃん。スカートのここ、裂けてるよ」
「あ、ほんとだ!うわ、恥ずかしい!パンツ見えてたかな……?」
「動くとちょっと危ないかもね。あたし、ソーイングセット持ってるから直してあげる」
「え!?逢ちゃんそんなこともできるの!!?」
「うん。あたしもこの前ちょっとここ穴空いちゃったから。ほら」
「助かるなぁ。ありがと!」
「うわ、何やってるのアレ……?」
「貧乏臭」
「あんなの普通に買い替えたら良いじゃん」
「「…………」」
のりちゃんと話をしながら直すつもりだったのに、気まずい雰囲気に。
「おはよう、逢ちゃん」
「うん、おはよう……ん?」
「どうしたの、逢ちゃん?」
「あ、いや、何でも……」
先週まで残ってた、のりちゃんのスカートのあたしが縫った跡。週明けに学校に行くと綺麗に消えてた。というかスカート自体が新しくなってた。そう言えばのりちゃんの家も地元で何代も続く評判の良い焼肉屋……
今を思えば、そこからまた『毎日』が崩れていったような気がする。




