第百五十五話 月出里勝はなぜ加藤信浩を殺さなかったのか(7/7)
******視点:月出里牡丹******
やっぱりそうだったのね。勝はやっぱり強い男。そんなことでもなきゃ負けるわけがない。
でも、あたしはそんな勝に救われて嬉しいと思う反面、あたしを見捨ててほしいって気持ちもあった。その方が『勝に"最強"になってほしい』って望みに適うし、あたしとしても罪悪感を覚えずに済んだから。
こうなった以上、勝はもう"最強"にはなれない。でも、あたしにとって勝は"最高"の男。男にとっての『強さ』とは決して喧嘩の強さとかそんなものだけじゃないって、勝は自分の全てを賭けてあたし達に示してくれた。だからあたしはあの時も……
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退院してしばらくしてから、家計を支えるためあたしも働き始めた。けど……
「ぐふ、ぐふふふ……どうだね月出里くん?例の件、考えてくれたかね?」
「…………」
そこで待ってたのは、至近距離で臭い息混じりに囁いてくるバーコードハゲ。
「旦那さんも再就職したばかりで大変だろう?お子さんも3人いるみたいだし、何かと入り用だろう?ねぇ?」
「…………」
「月出里くんはちょっと前に病気しちゃったみたいだし、僕の専属秘書になってくれたらね、定時中はもう好きにしてくれてたら良いよ。その代わり夜の間だけ、ね?そうすればチミだけじゃなくお子さん達も……ああ、何ならお子さん達も呼んでくれても良いよ?娘さんが2人いるんだよね?きっと月出里くんに似て綺麗なんだろうねぇ……ぐふふ……」
「…………」
「もしできちゃっても、ちゃんと責任は取るからね?今時30代でなんて珍しくないし、安心して産んでくれたら良いからね?いやぁ、月出里くんはほんと大変だよね。せっかくこんなに美人なのに、頼りない亭主を掴まされて。30過ぎても地方のチャンピオン止まりじゃあ、そりゃ加藤には絶対勝てないよねぇ。でも僕なら絶対、月出里くんにいっぱい贅沢をさせてあげるからねぇ……僕のでいっぱい満足させてあげるし……ぐふふふ……」
「…………」
勝は改めて働き始めて最初のところが大当たりだったみたいだけど、あたしは大外れ。
でもまぁそりゃそうよね。高卒で格闘家をほんの数年やって、そこからは専業主婦で3人の子持ち。そして何より病弱。この不景気な世の中じゃ、そんなのを好き好んで雇うなんてそれくらいの理由がなきゃね。ほんと、クッソ可愛く生まれたらこういうとこで面倒だわ。
「……社長」
「ん?何だい?」
だから、わざとらしくニッコリと笑ってから……
「!!?ぐ……ふっ……」
潰れない程度に加減して、股間を蹴り上げてやった。
「あたしの自慢の旦那様バカにしやがって……おまけに気色悪いことばっか言って、良い度胸してるじゃない……何が『僕ので満足させてあげる』って?こんな粗末なものぶら下げてねぇ……」
「う……ぐぐ……」
流石のあたしもこの時は本気でキレちゃって、まだ悶絶してるクソ野郎の残り少ない髪を掴んで思いっきりガンを飛ばした。
こんなことになったのは、元を辿れば全部あたしのせい。だから、たとえどれだけの大金を積まれようが、どれだけの良い男が言い寄ってこようが、どんな恵まれた立場を用意されようが、あたしは絶対に勝と子供達を裏切れるわけがないし、最初から裏切るつもりもない。勝がこれから作り上げようとしてる『新しい幸せ』を支える。きっと長生きなんてできないだろうけど、残りの命を母親としてあの子達に捧げる。それがあたしにできるせめてもの償い。
「チ、チミ……派遣のくせにこんなことして、タダで済むと……」
「……何であたしがずっと黙ってたと思う?」
「え……?」
懐からICレコーダーを取り出す。昔から美少女すぎて犯罪に巻き込まれまくりのあたしにとっちゃお守りみたいなもの。もちろん、股間を蹴り上げる直前に録音は停止済。
「あ……ああ……」
「こちとら伊達に30年以上美人やってないのよ。あたし達の家計支えたかったのよねぇ?ちょうど良かったじゃない……ウフフフ……」
これのおかげで次はそれなりにまともなとこに派遣してもらえたし、逢にだけは高校でも野球を続けさせてやれた。
でもそうやってあたしが勝に殉じて清貧を貫いたことで、子供達に苦労をかけてしまった一面もある。ほんとつくづくあたしが元凶よねぇ……




