第百五十五話 月出里勝はなぜ加藤信浩を殺さなかったのか(4/?)
「月出里さん。まず今回、加藤氏に挑戦する動機を聞かせてください」
「そうですね……自分はずっとテッペン目指して、かなり長いこと下積みをしてたんですが、逆にこういう場に出るタイミングを逃し続けてきたところがあって……今回向こうから声をかけていただいて、良い機会かなって」
「月出里さんは奥さんもお子さんもいらっしゃるようですし、父親としてもカッコイイところを見せたいところですね」
「……家族は関係ないですよ。これは俺の個人的な挑戦です」
「そ、そうですか……」
例の試合前の取材。色々聞かれはしたが、家族のことには極力触れず、俺の個人的なことであると強調した。逢にますます責められるとは思ったが、単純にお前らに迷惑をかけたくなかったし、何よりマスコミのことだからその時の牡丹の体調をお涙頂戴みたいな感じで取り上げてきそうな気がして。
「さぁいよいよゴングが鳴りました!"絶対王者"加藤信浩、対するは"裏の王者"月出里勝!真の意味での"王者"は果たしてどちらか!?」
いつもなら相手の攻撃をあえて待ち、それを学ぶことに集中するが、きっかけはどうあれここから本格的に"最強"を目指すことになる。だからこの試合はまず『こちらからは仕掛けない』という約束を最低限守り、ダメージを最低限に抑えて反撃に転ずる。そういう腹づもりだった。
「しッ!!!」
最初に打ってきたのは左ジャブ。至近距離だと躱しきれない程度には鋭いが、重さはおそらくそれほどでもない。無理せず無難にガードしたんだが……
「!?ぐあっ……!!?」
「「「「「おおおおおッッッ!!!」」」」」
素人目にはきっと"王者"の鋭いジャブがいきなり決まったように見えたんだろう。だが、わかる人間なら俺がきちんとガードしたのは視えてたはず。
……それでもダメージを負ったのは、明らかに打撃とは異なる鋭い痛みが走ったから。被弾箇所から一瞬にして全身を駆け巡ったようなあの感覚。おそらく左グローブにスタンガンのようなものが仕込まれてたんだろう。ストリートファイトをやってた頃に一度だけ食らったことがあったからすぐにそこに考えが及んだ。
「ぐっ……ううっ……」
そして、右のグローブにも。絶えず放たれる電流だけでなく、明らかにグローブや人間の拳ではあり得ない、金属のような硬質感も肌で直接感じ続けた。ラッシュによって絶えず鳴り続ける打撃音。観客の大げさなくらいの歓声。そして場を盛り上げるためなのかやけに大音量のBGMのせいで、どう考えても打撃音ではないバチっとした音が誰にも伝わらない。
「ここで月出里、バックを取って絞めに……いや、ここでレフェリーが止めます!先ほど月出里選手が金的蹴りを仕掛けたとのことで、その注意のようです!」
いや……『伝わらない』んじゃなく『流してる』だけだった。
リングの外に視線をやると、加藤のマネージャーの時田がニヤリと笑ってた。『リングの上ではいつだってタイマン』。似たような環境で戦い続けてきたせいでそれが当たり前になってしまってた。
「ウィナアアアアア!!ノブヒロオオオオオカトオオオオオ!!!」
「「「「「うおおおおおおお!!!!!」」」」」
俺が相手にすべきなのは加藤だけじゃなかった。そこを見誤ってた時点で、俺の『終わり』はもう決まってた。
「おとーさん!」
「お、おう……悪いな、こんなことになっちまって……」
「とーちゃん、大丈夫なの……?」
「ちょっと大丈夫とは言えねぇな……ははは……」
家族に配慮したつもりでも、結果が伴わなきゃ意味がない。特に逢には迷惑をかけちまった。
「失礼します」
「……テメェ」
見舞いに来てくれたのは子供達、そして仲良くやってる同業の奴らだけじゃなかった。加藤……こんな目に遭わせてくれた張本人も。
「よくここまで来れたな?俺に殺されたっておかしくねぇって思わなかったのかよ?」
「そんなこともできないくらいに傷を負わせたと自覚してるからここまで来れたんですよ」
「…………」
「月出里さん、貴方は本当に強い。貴方の強さはかねてより知ってましたから、私も『機材』はなるべく強力なものを用意しました。普通の人間なら最初の一撃で意識を保つどころか死んでもおかしくないレベルだったのに、3発入れてようやく最初のダウン。本当に念には念を入れておいて良かったですよ」
「あれだけの観客の前でよくもあんなこと……バレるとか思わなかったのかよ?」
「観客は『お金を取る』対象とは限りません。『お金を渡す』対象にもなり得るのです」
「……!」
「まぁもちろん、手痛い出費ではありましたけどね。『タイトル防衛』という目的こそ果たせましたが、全体的な収支で言えば大赤字もいいとこです」
「だが、公共の電波にも乗っただろ?」
「そうですね。なので月出里さんの強さを知ってる身内の方とか、月出里さんの熱心なファンとか格闘技に詳しい方なら、前の試合の違和感に気付くことができるはずですし、実際、そういう『叩き』がネットの一部界隈でされてるのは把握しています。ですが、結局世の中は大体の部分で『テレビに沿う』のです。去年、東北の方で起こった大地震の時もそうです。ドラマの中に意味もなく津波関係のワードを散りばめたり、ニュースで東北産の農作物に要らぬ風評をバラ撒いたり。そういうのを批判する声も確かに上がりましたが……世の中はそこから変わりましたか?」
「…………」
「人は変化を無意識に嫌うもの。"例外"になることを恐れるもの。どうしても『そうあれかし』の中で生きたいもの。仮に世間一般の一部の人が世間一般で"ヒーロー"として定着してる私に対して正しい目で反感を持ったとして、それを家族や友人、会社の同僚などに表明しても、メリットなんてせいぜい自尊心が満たされる程度。周りから煙たがられるリスクを背負ってでも、自分とは直接無関係のところで『正しさ』を貫くなんて、そう簡単にできることではないのです。テレビ屋の庇護を受けてる私でさえ、テレビ屋なんて"声のでかいサイコパス"だと思ってますが、世の中の人間はそういうのに寄り添う方が楽だと感じてしまうものなのですよ」
「じゃあ何で俺を選んだんだ?お前もそれなりに強ぇじゃねぇか。お前が勝てる範囲で相手選べば良かっただろうが。俺みたいな"知る人ぞ知る"程度の奴に勝ったところで大した宣伝にもならねぇだろ?」
「貴方はきっと放っておいたら遅かれ早かれ、表舞台で栄光を掴んでたでしょうからね。それこそ私なんて"過去の凡人"にできてしまうほどに」
「……『潰せる内に』ってことかよ」
「プロ野球とかそういうメジャーなスポーツなら、単純な実力以外の個性も売りにすることができます。ですがそれ以外のスポーツは基本的に世間の認識じゃ、選手の分類なんて『最強』と『それ以外』の2つだけ。日本で1番高い山と2番目に高い山じゃ知名度に差がありすぎるのと同じです。名前を残せるのはいつだって1番だけ」
「そんなことのために、よくあんなどでかいリスクを背負ったもんだ」
「……私は"生まれながらの旗持ち"。大企業の名を背負い、常に結果を求められてきた。私のような立場の人間にとっては『勝負が義務』なのではなく、『勝つのが義務』なのです。個人的な感情が介在する余地などありませんし、それ以外の筋書きは許されないのですよ」
「……俺もお前も、突き詰めれば"歯車"でしかねぇ……ってことか」
「的確な喩えです。『世の中にとっての重要性や品質』。私と月出里さんに違いがあるとすれば、その程度のものですね」
皮肉のつもりで言ってやったのに、加藤はあっさりとそれを受け容れた。
「奥様を人質に取るような真似をしたこと。そしてこのような傷を負わせてしまったこと。こういう立場なので謝罪することも『許されません』が、月出里さんの今後の活躍はお祈りさせていただきます」
その時は言いたいことだけ言って、加藤は去って行った。
もちろん、ベッドから這い上がれるのならせめて一発ぶん殴りたいって気持ちだった。だが、そんなことをしてもますます状況が悪くなるだけだっただろう。それに、本当に一応ではあるが、アイツのおかげで牡丹が助かったのも事実。そして加藤はわざわざ何でもかんでもベラベラと喋って……俺からの仕返しをむしろ望んでるような、そんな感じがした。
家族を養うべき立場。一応の恩義。これ以上アイツの思った通りになりたくなんかない。そういう色んな感情があって、結局俺は退院した後も、加藤に対して何もすることができなかった。
 




