第百五十四話 天使(3/?)
まぁあたしと初彼氏みたいなキラキラとした関係もある一方で、人間は何かと不平等なもの。どうしても"何かができる人"、"何かができない人"……下手をすれば"ほぼ何もできない人"もいる。あたしも勉強は昔から苦手だったけど……
「三好、この問題わかるか?」
「え、えっと……わかりません」
「じゃあ鬼灯」
「はい。36平方センチメートルです」
「おい三好!周回遅れだぞ!」
「ちんたら走ってんじゃねーよ!」
「よーし!1着は月出里、2着は鬼灯だ」
「げっ、今週の給食当番三好かよ……」
「最悪。せっかく今日カレーなのに……」
この三好くんって子は背があたしよりも低くてぽっちゃりな身体、勉強も運動も苦手で……つまりそういう扱いだった。
「うわっ!?」
「だ、大丈夫!?」
「う……ぐぐ……」
「まーた三好かよ……」
「何でこんなとこで転ぶんだよ……」
あたしだって人間だから、どうしても他人に差を付ける。全ての人間に全てにおいて平等を、なんて言ってたら恋愛すらできなくなる。家族とか恋人とか、そのくらいの優先順位はあっても良いじゃんって。そういうの抜きでも、『痩せるのは努力できるだろ』とか、三好くんに対して思うところが全くなかったわけじゃない。
「よっと」
「!?す、月出里さん!!?」
でもせめて、肩を貸した。
「これなら大丈夫?」
「う、うん……ごめん、月出里さん……」
「良いんだよ。あたし保健係だし」
「ああ……三好が月出里と肩組んで……」
「ちくしょう……俺もわざと転んでやろうか……」
「…………」
人間は誰しもに『可能性』がある。あたしに"世界で一番のスラッガー"になる『可能性』があるとすれば、学校の枠に囚われなければ『三好くんにしかできないこと』もきっとある。それをせめて行動で示す。
でもそれは善意なんかじゃなく、良い意味で不平等に生まれた人間としての贖罪のような、そんな感覚。『これくらいのことはするから、見た目の良いの同士で付き合ってるのは目を瞑って』ってね。要は『満足してる現状』を繋ぎ止めるためだけの打算。突き詰めれば他人を利用してるのと変わらない。
「ほんと月出里って天使みたいだよなぁ」
「可愛いし優しいし……」
「あんな子ならきっと鼻ほじったりウ■コだってしねーんだろうなぁ」
「俺この前新しいXb■x買ったんだけど、誘ってみようかな……」
「いや、あんな可愛い女子がゲームとかしねーだろ」
だから、あたしが『天使みたい』とかそんなのは傍目から見たらってだけの話。あたしはクッソ可愛いだけで全然清く正しくもない。自分なりの基準で自分なりの義務を果たしてるだけ。
変な決めつけで縛りつけないでほしい。心も身体もなるべく誰も傷つけないから、野球も恋愛も好きにさせてほしい。めんどくさいことに巻き込まないでほしい。結局、昔からあたしが周りに望んでるのはそれだけ。
「ただいまー」
「おねえちゃん!」
そんなふうに、満足はしてたけど窮屈なとこもあって、昔から家にいる時間が一番落ち着く。帰るとまだ幼稚園通いの8つ下の妹がお出迎え。今もそうだけど、性格も含めて結の方がよっぽど"天使"。
「お父さん、ただいま」
「おう」
「あれ?また新しいの買ったの?」
「ああ。結構良い感じだ」
あの頃住んでた家は同じ深谷だけど、前に住んでた借家より1駅分くらい離れたとこにあった。借り物なんかじゃなく、お父さんのファイトマネーで買った家。地方とは言えそこそこの大きさで、そこらのジム並に機材が揃ったトレーニングルームなんかもあった。
試合のない日のお父さんは大抵外で稽古するか、そのトレーニングルームで汗を流すかだけでほとんど1日を消化してた。現役の頃は『3倍努力』がモットーだったお父さんにとってはそれが当たり前。本当かどうかはわからないけど、寝てる時もイメージトレーニングしてたって話。根っこの部分で甘ったれだったあたしにとっては、素直に尊敬できる反面、ほんのちょっと当てつけっぽくも感じたり。本物の"天使"な結に対しても劣等感があったり、あの頃からあたしって根は変わってないんだなって。
「お母さん、今日の晩御飯ってカレー?」
「そうよぉ。野菜を細かぁく刻んで昼間から煮込みまくったこだわりの一品」
「給食とダブっちゃった」
「マジ!?……あ、ほんとだわ」
冷蔵庫に貼ってた給食の献立表を見て天を仰ぐお母さん。
お母さんはお父さんと結婚する前にプロの格闘家を引退して以来専業主婦。別に家の仕事で手を抜いてたわけじゃなかったけど、まぁ危険と隣り合わせな前職と比べたらマシってことなのか、あの頃はそんなに体調を崩すこともなかった。
「純、ゲームやろゲーム」
「うぇっ!?ねーちゃん、近い近い!」
まだわからないところのある初彼氏と比べて、純には何の遠慮も必要ない。あの頃からどこかにあった欲みたいなものも、家にいれば3つ下の弟で十分発散できた。
「ここでゴングが鳴りました!"天才"加藤信浩、4戦連続チャンピオン防衛!」
「……ねぇお父さん」
「ん?」
「何でお父さんって、全然テレビに出ないの?」
晩御飯の時のテレビで時々流れる格闘技の番組。あたしは格闘技は素人だけど、そんなあたしから見ても、お茶の間に姿を現す人達でお父さんより強いと思える人は1人として存在しなかった。成長のためにあえて相手が仕掛けるのを待つお父さんの悪い癖が出たとしても、絶対にお父さんが勝つだろうなぁとしか思えなかった。なのに観客はそんな人達で満足しちゃって、実況や解説の人達もその程度の強さを過剰に持ち上げて。
お父さんの名前やその強さを知ってるのはディープな格闘技ファンくらい。あたしがプロになってからも、お父さんのことを知ってたのは今のとこメスゴリラ師匠くらい。
十分裕福な生活ができてたし、別にお金の面で不満を言いたかったわけじゃない。単純にお父さんが世間で評価されないのが悔しいっていう、お父さんの子供として当然の気持ち。
「……昔な、お父さんがお前くらいの頃、クラスにめちゃくちゃ絵の上手い奴がいたんだ」
「え……?」
「そいつは下書きの時点でも見惚れるくらい良い絵が描けるのに、完成するまでは他人に見られるのをメチャクチャ嫌がる奴だったんだよ。何なら完成品すらも頑なに見せないこともあった。あの頃はそいつの気持ちが全然理解できなかったが、今はよくわかる。『未完成な自分を見られたくない』、『完成した"完璧な自分"だけ見てほしい』ってな」
「…………」
「俺はまだまだ自分が本当の意味で"最強"になれたとは思ってない。今でもマイナーなとこの試合でも学べることは多くある。悪いな、逢。お前らにもっと良い暮らしをさせてやりたいって気持ちもあるんだが……」
「そ、そんなの全然気にしてないよ!あたし、お父さんのペースでいつか"世界で一番"になってくれたらそれで全然良いから……」
「……ありがとな」
暫定的に"リーグで一番良い選手"になって、それでもなお上を目指さなきゃいけなくなった今のあたしにとってはお手本になってる、あの頃のお父さんの飽くなき向上心。それに付きまとう、良くも悪くもなこだわりの強さ。
小学校の頃まではそんな感じで、周りに『優しさのような何か』だけ振る舞っていれば幸せな毎日が訪れてた。色々と変わり始めたのは中学に入ってから。
 




