安珍の最期
青年が安珍の顔をじっと見ていた。
その表情は能面のようであり、一切の感情が無い。
『この男のせいで、清は死んだ』
『この男が殺した』
『清は死んだ』
青年の感情は清姫が死んだ時から麻痺していた。
清姫が死んで哀しいのか、死なせた安珍が憎いのかも分からなかった。
ただ、安珍を捕まえれば何かが分かるかと思っていた。
だからここまで来たが、実際のところ安珍を捕まえても何も変わらなかった。
何をどうして良いのか、さっぱりわからなかった。
結局、自分は何一つ出来なかった。
清を助けることが出来なかった。
今ここで安珍を捕まえ、何かを聞き出したとしても清が戻ってくる訳ではない。
全てが無駄に思えた。
自分の無力さがただ恨めしかった。
「清は死んだ」
青年は一言、安珍にそういった。
「なっ?」
安珍には青年が言った言葉があまり唐突過ぎて理解出来なかった。
『今、なんて言った?清姫が死んだ・・・だと?』
『まさか・・・それならこれは清姫の敵討ちか?』
青年はなにもかもが面倒だった。全てが億劫だった。
だから聞き返してきた安珍の存在もどうでも良かった。
ただ、面倒な事は全て終わらせたかったので青年は安珍に対してわかりやすく伝えた。
「清は死んだ。自殺した。淵で溺死しているところを発見された」
結局、安珍を見つけても心の空白は埋まらなかった。
何をすれば良いのか、何をするべきか。その答えは見つからない。
ならば、もう良い。この男を構っていても清は戻らない。
こんな男はほっといて、真砂に帰ろう。
そう青年が思い、全てを終わらせようとした時に安珍が一気にしゃべりだした。
「俺は悪くない。確かに清姫に手を出したのは悪かった。それは謝る。しかし、自殺だなんて・・・
清姫を殺したのは俺じゃない!!」
全てを終わらそうとした時に、男が何かをしゃべり始めた。
何を言ってるのか、よく分からなかった。ただひどく耳障りだ。
不快さが青年の胸を掻きむしる。
「俺は殺してない、清姫に死ねとも言ってない。
清姫が死んだのは自殺した清姫の責任で俺は悪くないんだ!」
酷く気分が悪い。
この男は何を言ってるんだろう?
何を言ってるか、理解が出来なかったがとにかく不快だった。
もう、これ以上は聞きたくなかった。
「俺は・・・約束・・・無い・・・勝手に・・・だから・・・俺は悪くない」
もう良い。これ以上聞きたくない。
このうるさい口をふさごう。
あまりにも醜悪で、聞くに堪えない。
目に見えるところに、存在してほしくも無い。
どうすれば口をふさげるだろう?
ふと見わたすと、上にある鐘が目に付いた。
大きさは人一人が入れるくらいのもの。
丈夫な縄で止められているが、その縄を切れば下に落ちるはずだ。
この鐘に閉じこめれば・・・静かになるだろうか?
青年はまだ延々としゃべり続ける安珍の襟元をとって、鐘の下に荒々しく放り投げた。
安珍は泣きそうな顔で何か言ってる。
そんな、女々しい顔を見るのも嫌だった。
脇差を抜き取って、一閃。
刀子投げの要領で投げた脇差は狙い違わず鐘を吊している縄を切断した。
鐘は安珍の上にストンと落ちて、狙い通り安珍を閉じこめた。
『これで良い。もう顔も見えない。これで静かになるだろう』
もう帰ろう、そう青年が思った時に釣り鐘から再びけたたましい声が聞こえてきた。
鐘に反響して、さっきより低く、しかし煩く聞こえる。
せっかく全てが終わったと思ったのに・・・。
めんどくさい。
青年は安珍の事を憎んでいる訳では無かった。
というより、安珍のことなどどうでも良かったのだ。
居ても、居なくても、どちらでも構わなかった。
だから、殺そうとも思っていなかったが、助けようとも思っていなかった。
その安珍がうるさかった。
とにかく、黙って欲しかった。しかし、黙る気配は無かった。
鐘をどけて殺すという選択肢は、何故か青年には無かった。
清姫の大事な人を手に掛けることに抵抗があったのかもしれない。
それとも、二度と顔を見たくなかったのか・・・。
真相は分からないが、それを知る必要も、実は無かったのだ。
青年が真砂衆に出した指示は、鐘ごと焼いてしまうこと。
早速、周囲の枯れ枝を集めて鐘の周りに積み始める。
枯れ枝が鐘の半分くらいになるまで積んだら、そこで一旦手を休めた。
鐘の中では、まだ安珍が何か言ってるらしい。
しかし、既に青年の耳には安珍の声は聞こえていなかった。
松明が3本用意される。うち、1本は青年が持った。
目で合図を送り、一斉に松明の火を枯れ枝に移す。
初めはゆっくりと、やがて激しく強く炎が燃え始めた。
鐘が、真っ赤に染まり始める。
中からは、今までにない絶叫が響くがその声は青年の耳には既に届いてなかった。
ただ安珍がここで死ぬ事で、少しだけ心が軽くなったような気がしていた。
松明からの炎が、勢いよく燃えさかる。
青年は懐から帯を取り出した。
清の形見分けとして貰ったものだった。
その帯を燃え盛る炎の中にくべた。
帯は炎が作り出した上昇気流に乗り、くねくねと動きながら燃えていった。
その様がまるで鐘に取りつく大蛇のようにも見えた。
その炎を満足げに見て、青年はその場を去っていった。