逃避行の終わり
安珍は知らぬまに眠っていたが、外の物音で起こされた。
複数の足音がする?
微かだが人の声も聞こえる。
嫌な予感がして本堂から少し顔を覗かせてみた。
外は暗く、新月に近いため月明かりも無い。
ただ10人以上の人間が居ることだけは話し声や足音で分かった。
『ここまで追ってきた?どうやって!?』
外の様子を見た瞬間、安珍はパニックに陥ったがどう動いて良いか分からずただじっと外を見ていた。
すると、松明に灯がともされて一部分だけが明るくなった。
そこに一人、見知った顔があった。
『あれは・・・確か真砂の屋敷で見た、真砂庄司清重に信頼されていた青年・・・』
『ということは、他の人も真砂の人達か』
相手の正体が分かったことで、安珍は少し安堵した。
物取りでは無い、それに知らない相手では無い。きっと話も通じるだろう。
しかし、それでも何故彼らがここに来ているのか、皆目分からなかった。
灯が点いたおかげで周囲が明るくなり、当初思っていたより人数が多いこともわかった。
20人前後はいるだろう。これだけの人数が何故ここにいるのか、それが分からなかった。
『清姫との事が・・・親父さんにばれた!?』
おそらくそれしか無い。
真砂庄司清重は清姫の事を溺愛していた。その清姫に手を出したのは自分だ。
それがばれて、何らかの責任を取らされる為に彼らが来たのだろう。
そういえば、あの青年も清姫の事を溺愛してる感じだった。
大事な大事な清姫を奪われたんだ。きっと怒り狂っているに違い無い・・・。
やはり、ここから逃げなければ。
彼らから逃げなければ自分の明日は無いような気がしてきた。
ただ、ここに来て安珍はかなり安堵していたことも事実である。
清姫に手を出したとはいえ、自分もまだ独り身。きっと真砂に引きづり戻されてどう責任を取るかを迫られるだけだろう、と。
ここで斬りかかられたり、殺されたりすることは無かろう、と。
まだ高をくくっていたのだった。
安堵したおかげで安珍は恐怖による金縛りも解け、体が動くようになった。
逃げなければ、と意識では思っている。
しかし、体はさっきまで硬直していたのだ。急に動けるようになるものでもない。
そこに動けとばかりに体を動かそうとしたものだから、意図に反して足が動き引き戸を蹴る事になってしまった。
「ガンッ」
静かな夜の寺にその音は響いた。
不自然な物音に一斉に顔を向ける真砂衆。
リーダ格の青年もこちらを見た。
その青年と、安珍は目があったような気がした。
その瞬間、青年の顔がにやりと崩れ、幽鬼のような歪んだ笑みが浮かんだ気がした。
それを見た瞬間、安珍の背に怖気が走った。
あれは誰?
知っているはずの顔なのに、誰だかわからない。
我知らず腰が崩れて膝が地面に付いていた。
青年が顎を動かした気配で、数人の真砂衆が安珍の元へ殺到した。
安珍を本堂から引きづり出し、青年の元に連れ出した。
青年を中心に、真砂衆は大きな釣り鐘のそばにある桜の木の横に集まっていた。
その木の根元に安珍は連れてこられた。
ついさっきまでは安堵していた安珍だったが、今はすっかりおびえている。
真砂衆、特に青年の異様な雰囲気に飲まれていたのだ。
自分が見知っている集団と何かが大きく違っていた。
清姫に手を出した安珍への嫉妬、という雰囲気では無い。
もっと根源的な怒り、哀しみが、彼らの表情に浮かんでいた。
何故かはわからない。わからないからこそ、安珍は絶望的な恐怖に襲われていた。