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清姫異聞  作者: 四月朔日
3/10

熊野からの帰路

清姫が庄司ヶ淵で溺れて亡くなった日の夜。

真砂庄司清重は清姫の遺体に取り付いて離れようとしなかった。

泣きはらした目が赤く、しかし涙も枯れ果てたように一切の表情がその顔から失せていた。

心ここにあらず。

真砂庄司清重にとっての時間は、清姫が遺体で発見された瞬間から止まっていた。

清姫の遺体は庄司ヶ淵の一番深いところで流木の枝に引っ掛かるようにして止まっていた。

ある意味、幸いだったかもしれない。

そこで止まっていなければ川を下ってもっと下流まで流されていたであろう。

川底のじゃりでこすれて遺体も痛んでいたかもしれない。

しかし、庄司ヶ淵の一番深いところは流れもゆるやかになっており、水温も冷たい。

引き上げられた清姫の身体は、数分前に入水したかのような肌の色艶をしていたらしい。


始めは、いつもの川遊びで溺れたのだろうと思われていた。

しかし、後で揃えた草履が見つかるとそれまでの清姫のおかしな振る舞いと結びつき、死因は自殺へと変わっていった。

何故、自殺したのか・・・?

真砂の衆にとって、その理由はあまりにも明白だった。

安珍と一緒に居る時の清姫を見ていれば誰でも分かる事である。

きっと、安珍が・・・。

具体的に何がきっかけになったかは、わからぬ。

しかし、安珍がなんらかの原因になった事は間違いないと思われた。


ここに、真砂庄司清重と同様に朝から生気の抜けた青年が一人いる。

真砂庄司清重の片腕にして、後継者と目されていた若者。真砂の若い衆のリーダ的存在である。

また、将来清姫と一緒になって真砂を支えていく事を期待されていた若者でもあり、まだ年若い清姫を実の妹のように大切にしていたものである。

その清姫が・・・入水自殺をした。

原因は・・・あいつに決まってる。あいつしかいない。

青年自身、まだ若い事もあり思い込むと周りが見えなくなる。

一日にして呆けてしまった真砂庄司清重と違い、こちらはきっかけ一つで簡単に結論に飛びついてしまう。

そして、物語は狂気へと突き進むのであった。


青年は最初、ただ安珍に子細を聞きたいだけだった。

いや、聞きたいだけだと自分に言い聞かせていただけだったかもしれない。

話を聞かないと始まらないことも事実である。

しかし、ただ聞くだけで終わらない事はその血走った眼が雄弁に物語っていた。


翌日のまだ陽も昇らない早朝。

葬式もまだこれからだと言うのに、青年に賛同する若衆は蜘蛛の子を散らすように四方に散っていった。

真砂の地において、真砂庄司清重の名は絶対である。

そしてまた、近隣の地においてもその名は敬意を持って受け止められている。

全ては真砂の家系、というより真砂庄司清重の人徳の為すところである。

青年はその真砂庄司清重の存在を最大限に利用する方法を選んだのだ。

安珍はきっともう熊野の地を発っているに違いない。おそらくは真砂を通らない行程を選んで。

これから捜して追いつくのはきっと困難を極める。しかし、それでもやり遂げなければならない。

恩のある親父様の為に。小さい頃から見守ってきた、可愛い清姫の為に。

幸い、地の利はこちらにある。

近隣を治めている有力者も、真砂庄司清重に敵対する愚は犯すまい。

それならまだ、手があるはずだ。

青年はたった一本の、細い蜘蛛の糸を手繰るような気持ちで、近隣に人を送り安珍の行方を探ったのである。

そして、安珍らしき人物を見たという報告を受けると手の空いてる若い衆数人を連れ立って報告のあった場所へと向かった。

この時はまだ、青年は安珍から話を聞くだけのつもりだっただろう。

辛うじて理性が残っていたと言うべきかもしれない。

しかし、出立前。泣き崩れる真砂庄司清重を見た瞬間に、心の奥からどす黒い怒りが吹き出すのを押さえることは出来なかった。

微かな理性が蒸発する音が、聞こえた気がした。


その頃、安珍は帰路をのんびり歩いていた。

御師様のお使いを終え、清姫に会うことが怖くて真砂の北を西に抜けるコースを通ったのは正解だった。

天気は良い、ややこしい問題は回避出来た。これも普段の行いのお陰、と安珍は気楽にもそう思っていた。

今は何も問題は無い。

元々、このあたりは治安がよく、野盗の類に襲われる心配もない。

遠路はるばる歩いてきたので多少の道草くらいでは御師様も文句は言わないだろう。

どうせ急いで帰っても修行に明け暮れる毎日が待っているのだ。

少しくらいゆっくりしたってバチは当たるまい、と茶屋ごとに休憩を取り、女中を口説き、店主との世間話に花を咲かせていた。

ゆっくりゆっくりと帰り道を進んで行た。浮き世の楽しさを味わい尽くすように。

とても、ゆっくりと。それが地獄に続くとも知らず。

先見の術を持たない安珍にとっては、まさに見当も付かないことだった。

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