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清姫異聞  作者: 四月朔日
2/10

清姫の入水

やがて数年が過ぎた。

安珍は立派な青年になり、幼かった清も12歳になり、可憐な少女となっていた。

特に清は、真砂一の器量良しになり、真砂衆から清姫と呼ばれるようになっていた。

以前のお転婆さは影を潜め、見た目にも随分おとなしくお嬢様らしくなった。

ただ、裸で庄司ヶ淵で泳ぐ習慣だけは今でも続いていた。

以前と違い、すっかり美人になった清姫が裸で泳ぐのは、周囲の若衆を大いに悩ませたが、とうの清姫は大らかでいっこうに気にしない。

しかし真砂庄司清重の娘の裸を覗き見する訳にはいかず、余所者に見られても困るので、清姫が泳いでいる時は庄司ヶ淵に誰も近づけない事が不文律になっていた。


そんな事もあった為、清姫の美しさは真砂中に知れ渡ったいた。

この頃、安珍は真砂の家に泊まる度に清姫を膝の上に乗せ、「いつか二人で一緒に暮らそうか?」と冗談混じりに言うようになっていたが、まだ幼さの残る清姫は安珍にそう言われる度ににっこりと笑って「うん」と言うのだった。


それから1年後、清姫13の歳。

それまでは冗談を言うだけだった安珍だが、日に日に可愛く美しくなっていく清姫にすっかり心を奪われていた。

そこで一生清姫を大切にする、君に一生を捧げる、などという口から出任せを言って、とうとう清姫と一夜の契りを結んでしまう。

清姫は大好きな安珍の言葉を信じ有頂天になったが、そもそも安珍は僧侶。清姫と結婚など出来るはずもない。

もちろん、寺を辞めて真砂庄司清重の下で働けば良いのだが、肝心の安珍にはその気持ちが全くない。

また安珍は僧侶でありながらも女癖が悪く、手が早かった。

今までにも女関係での問題は幾つも起こしており、そのうち一つでも師にばれると間違いなく破門。

当然、清姫の事もばれると一大事なので表沙汰に出来る事では無く、する気もなかった。


そうと知らない清姫は「早速父上にご報告を」と言ってくる。

しかし、真砂を統べる真砂庄司清重にこの件がばれ、しかも結婚する意思がない事がばれるとそれこそどうなることか。

今でこそ地方の一豪族に過ぎないが、真砂はもともと物部の血統を引く一族。

今でも血気盛んなところがある、立派な武闘派集団でもある。

事がばれて只で済むはずがない。

それが分かってる安珍は、事がばれる前に急いで逃げようと心に決める。

清重様には熊野から帰ったら報告するからと清姫に嘘を付き、夫婦の誓いを果たした次の日の早朝、いそいそと熊野に向けて出かけて、いや逃げていった。

ほんとは、ここでそのまま逃げたかったが御師様から熊野で買ってくるようにと命じられたものがあった為、一度は熊野に行く必要がある。

ただし、帰りは別ルートを通ればよい。真砂には寄らずに逃げる事を心に決めたのだった。


「少しでも早く行けばその分早く帰ってこれる」と言う安珍の嘘を信じた清姫は、早朝に出立した安珍を見送りその後しばらくはいつも通りの生活を過ごした。

しかし、いつも通りと言っても明らかに普段と様子が違う。

安珍が出て行ってから2,3日はいつもにこにこしていて何かあったのは誰の目にも明らかだった。

いやあまりに機嫌が良すぎる為、周囲が訝しがるほどであった。


しかし、4日目にもなると逆にしゅんと項垂れて、打ちひしがれた様子になった。

真砂庄司清重はもちろん、周囲の者もみな清姫の事を心配していた。

ただ肝心の清姫が何も話してくれない為にただただ心配するばかりだった。

しかし、よほど鈍感な者以外は安珍と何かあったと見当を付けたが、思春期の娘のすることなので誰も何も言わずに黙って見ている事にしていた。

1週間もすれば清姫の行動もいつも通りになり、というかいつも通りを振る舞う様が見て取れたのでみんなも一応は安心し、何も言わない事に決めたのだった。


しかし、それも安珍が出て行ってから一月も経つと状況が変わってきた。

安珍が熊野から戻り、真砂に寄る時期をとうに過ぎていたからだ。

それなりに明るく振る舞っていた清姫から笑顔が消えた。

食も細くなり、見る間にやせ細っていくのが分かった。

最近は庄司ヶ淵でも泳いでいないようだ。泳いでいる時は水音がする。しかし、その水音をここ数日誰も聞いていなかった。

みんなは清姫の状況を案じていたが、特別何かが出来るわけでもなくただ黙って見守っていた。

時折、真砂庄司清重やその信を得ている若衆が清姫の気分を紛らわせようと誘いを掛けたが・・・全て不発に終わった。

清姫は「何もしたくない、心配しないで大丈夫」と言うばかりで、少しも気を晴らそうとはしなかったのである。

そして、更に数日が過ぎた。


新月の晩、大きな鯉が跳ねる程度の水音が庄司ヶ淵に響いた。

そして次の日の朝。

庄司ヶ淵の岸辺に、小さな赤い草履が綺麗に揃えて、置かれていた。

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