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晴美の話

少し遅くなりました。

 高校の同窓会は思っていた以上に楽しかった。晴美はランチビールでほんのりとほてった頬に手を当てた。冷たい夜風が気持ちいい。


 同窓会はランチを兼ねており、ちょっといいレストランで美味しいフレンチのビュッフェだった。40人以上いたクラスメイトの大半が集まるというにぎやかな会で、高校からずっと親交のある親友や、高校から一度も会っていなかったクラスメイトにも会えてうれしかった。


 晴美は夫と2歳になる娘との3人暮らしだ。今日は甘えんぼうの娘を夫に預けて同窓会へ出てきた。普段は娘を保育園に預けてパートに行き、帰ってきたら家事と娘の相手で大忙しなので、今日は本当に久しぶりにゆっくり羽根を伸ばせた。独身時代は当たり前だった友人との飲み会がこんなに楽しいことだったなんて、とちょっとした感動したのにちくりと罪悪感を覚える。


 夫は「千沙を連れて実家に遊びに行く。夕飯もたかってくるから、晴美もゆっくり夕食を食べておいで」と送り出してくれた。その心遣いに感謝しつつ、親友の美紀とふたりで夕食をとる店へと歩く。


 たどり着いたのはカレー専門店『ナルセ』。

 ドアを開けるとスパイスの匂いがぷぅんと香り、料理への期待が否が応でも高まっていく。美紀のおすすめの店だ。



「それにしてもみんな変わっていなかったね」


 まずはビールを頼み、それから2人それぞれ料理を注文をして尽きない話を始める。


「いやあ、みんな年はそれなりに食ってたよね。晴美、見た? 原君のおなか」

「あはは、水泳部のエースがぽっこりしてたね。当時のファンクラブのメンツがショック受けてたよ。水上さんとか」

「それこそ100年の恋も醒めるってやつかねえ――そういえばさ、奥村君も来てたね」

「あ……うん」


 奥村君、その名前を聞いて晴美の胸の奥にじんわりと甘酸っぱい記憶が浮かんでくる。



 彼は当時サッカー部だった。放課後、校庭でボールを追って走る彼を幾度となく見た。

 彼はエースではなかったが、こつこつと努力してスターティングメンバーに入ったことを知っていた。

 バレンタインにはチョコを渡した――けれど、友チョコだと思われて、それでおしまい。

 晴美の懐かしい初恋の思い出だ。


 奥村とは高校を卒業してから会っていない。

 十年以上経ってからの再会だから思い出を美化しているのかもしれないが、久しぶりに奥村を見た晴美はあの頃の胸の高鳴りを思い出した。あの頃よりもずっと大人になって精悍さに渋さが加わってかっこよかった――



「――み、晴美!」


 美紀に呼ばれてはっと我に返る。どうやらトリップしてしまっていたようだ。


「ご、ごめん。ちょっとボーっとしちゃってた」

「みたいだね。奥村君のかっこよさを思い出してクラっときちゃった?」

「――そんなこと、ないよ」


 そう、そんなことない。

 彼が自分のことを覚えていて話しかけてくれたのが嬉しかったけど。

「同窓会が終わったら二人だけで飲みに行かない?」って聞かれてドキッとしたけど。


 でも晴美は誘いを断った。誘われてすっと気持ちが醒めてしまったのだ。


「お待たせしました」


 丁度その時さくらが料理を持ってきた。晴美は野菜のカレー、美紀はエビのカレーだ。

 大ぶりに切られたジャガイモをぱくり、と頬張る。家で作るのとは全く違う、スパイシーで辛口のカレー。鮮烈な香り、芳醇で深い味。


「すごい美味しい!」

「でしょ?」

「ビールにも合うわぁ」

「でしょでしょ」


 感動する晴美に美紀がドヤ顔で答える。その顔が可笑しくてつい吹き出してしまった。


「何よぉ」

「ごめ、ごめん、あんまり美紀が得意そうだから――でもホントにいいお店教えてくれてありがとう」

「どういたしまして」

「すごいわね、家庭じゃこんな本格的なの作れないわねえ」

「この通りってわけにはいかないけど、最近スパイスを自分で調合して作る本格カレー、流行ってるらしいよ」

「え? そうなの?」


 ちょっと失礼してググると、そういったカレーのレシピがたくさんヒットした。1番上の記事にさっと目を通すと、意外とスパイスの種類は少なくて済み、考えていたよりも簡単そうだということがわかった。


「へえ、作ってみようかな。あ、でも千紗はまだ小さいから無理かなあ」

「どうだろうねえ――でも、やっぱりいつものママのカレーが一番おいしい! って言いそうだね」

「うーん、やっぱりそうかなあ」

「美味しいけど慣れ親しんだカレーっていうより特別なカレーってイメージかもなあ」


 普段と違う、特別なカレー。

 晴美は思った。

 ああ、きっと奥村君もそうだったんだ。私にとってはもう彼は日常的な存在じゃなくて特別な日に日常とは違う場所で出会う思い出の中の人。だから――

 はぁ、とため息をついてさくらを呼んだ。


「すみません、もう1本ビールください」

「え、どうしたの晴美。3本目だよ! いつもそんなに飲まないでしょ」

「うーん、まあ、過去の思い出とのお別れの盃ってやつかしら」

「――何かあったの? 同窓会で」


 うーん、と晴美は首をひねった。


「多分ね、昔の思い出を汚された気がしたんだと思うの」


 奥村は独身だと言っていた。けれど晴美には夫も子供もいる、そう話してあったのに2人だけで飲みに行こうと誘われて、彼にがっかりしてしまったのだ。


 あの頃の奥村はストイックな印象だった。気軽に既婚者を誘うような人だとは思っていなかった。その上、自分のことを「家庭があるのに他の男の誘いに気軽に乗ってしまうような軽い女」だと思ったんだろうか。

 だから悲しかったのだ。抱いていた甘酸っぱいあの頃の記憶を壊されてしまったみたいで。


「奥村君がねえ――人妻に粉かけるような奴だったんだ。あー、それはがっかりするな」

「まあね、私が勝手に抱いてた幻想だったのかもしれないからね、奥村君に対する怒りはないのよ。ただ、私に見る目がなかったなあって」


 ビールをぐびっとあおる。ふわふわして心地いい。

 何だかもうどうでも良くなってきた。


「でもいいもんね。今は幸せだもん。かわいい娘に口数は少ないけど優しい旦那がいるもん」

「ふふっ、今度は惚気?」

「そうだよー、惚気させろー! あのね、泰弘さんはね、世界で1番優しくって、世界で1番カッコよくて、世界で1番隣にいてホッと安心できる人なのー!」

「晴美、あんたずいぶん酔ってるね?」

「酔ってない! でね、私は今日のそれで改めてわかったの。どれだけ泰弘さんがカッコいいのか!」


 美紀相手に泰弘と結婚してどれだけ幸せかを滔々と語り始めてしまった。酔っている晴美の声は普段より大きくて、カウンターの向こうで成瀬とさくらがにっこり笑っている。


「でね、でね、泰弘さんがね」

「――そのへんで勘弁してくれ」


 夢中で話し続ける晴美の肩に手が置かれた。振り返った晴美の視線の先には。


「はれ? 泰弘さん?」


 微妙な表情をした夫の泰弘がいた。腕には娘の千紗を抱っこしている。千紗が「ママぁ」と晴美に両手を伸ばした。


「そろそろ帰ろう。千紗と迎えに来た」

「はぁい。でも何でここにいるのがわかったのかなあ」


 ふらりと立ち上がりながら首を傾げる。千紗を受け取り抱っこする晴美の横で泰弘と美紀が挨拶を交わしていた。


「すみません美紀さん、酔っぱらいがご迷惑を。呼んでいただいてありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそお呼び立てしてごめんなさい」


 くだを巻く晴美の横でこっそり泰弘と彼を呼び出した美紀が会釈を返す。独身時代から晴美の酒癖をよくわかっている美紀が事前に泰弘を呼び出しておいたのだ。


「ママぁ、パパのことだいしゅきなのね。たくさんカッコいいって言ってたの。ラブラブなの」


 稚い声が無駄に大きく響き、酔いで赤くなっていた晴美の顔が更に赤くなった。

 けれどその横で彼女よりも赤くなっている男がいることにはまだ晴美は気がついていない。




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