愛美の話
「ダルカレー、特盛り! トッピングに目玉焼きつけてね、それとサラダとチャイ!」
カウンター席に着くなりメニューも開かずに愛美は注文した。くるくる跳ねた髪を揺らしながら机に両肘をつき、手に顎を載せて口を尖らせている様子はいかにも不機嫌そうだが、傍から見ている分には可愛らしい。
「はい、少々お待ちください」
カウンターの向こうは厨房、そこには店主の成瀬がいてにこやかに応対している。すぐにバイトのさくらがおしぼりとお冷を持ってきて愛美のそばに置いた。とたんに愛美が跳ね起きる。
「聞いてくださいよ、さくらさああああん!」
「はいはい、聞いてますよ」
ランチタイムはもうピークを過ぎ、残っている客も少ない。さくらが愛美の席で足を止めて話し込んでも問題はなさそうだ。常連である愛美はさくらや成瀬ともすっかり気心の知れた仲になっているので、実はこれはよくある光景だったりする。
「もう信じられない俊のやつ! 私の誘い断って山口さんと一緒に行くなんて!」
「え、俊くんが?」
俊は愛美と大学の同期で、1年以上つきあっている彼氏だ。ここ『ナルセ』にもふたりでよく来るので、俊の方も常連になっている。
「浮気! 浮気だよぉ! ――そりゃ私はちびだし髪はこんなにくるっくるに跳ねてるし、あんなふうに色っぽくないし」
怒り狂っていた愛美の勢いがだんだんしぼんでいく。
「山口さん、オトナの女性って感じでさ、落ち着いてるし気配り上手だし髪の毛さらっさらだしメリハリワガママボディだし」
「ああ、美人だもんね彼女」
その相槌に愛美がどんよりと暗くなり、さくらは「そういう意味じゃないのよ」と慌ててフォローする。
件の山口さんも『ナルセ』によく来る客のひとりだ。愛美や俊と同じ大学の先輩で、人柄もよく美人でいわゆる「大学のマドンナ」的存在。
愛美自身だって方向性は違うけれどとても可愛らしい女の子なんだから、そんなに自分を卑下することなんかないのにとさくらは思う。小動物的な可愛さを愛でている人が絶対にたくさんいるはずだ。
「くそー、俊のバカ! お色気にたぶらかされおってー!!」
「誰がバカだ、このヨツユビハリネズミ」
愛美が叫んだ途端、背後から伸びてきた大きな手が愛美の頭をガシッと掴んだ。掴んだ手から伸びる腕、その先には目いっぱい冷気を纏った青年が愛美をにらんでいる。さくらは「ツッコミが細かいなあ」と思いながら眺めている。
「しゅ、俊――さん」
「また勝手な妄想巡らせてるんじゃねえよ。山口先輩はサークルの用事で俺を呼びに来ただけだっつーの。そもそも俺は先に行っててくれって言っただけだ。今日の約束をキャンセルしたつもりはねえ」
「ひゃ、ひゃい」
「まーたさくらさんと成瀬さんに絡んで迷惑かけて」
「イタイイタイ、離して」
「少しは学習しろ」
「ごーめーんなさーい!」
「ったくこいつは」
ぱっと俊の手が離れ、愛美の隣に冷気の持ち主――俊が座った。
「勝手に妄想して勝手に落ち込んでんじゃねえよ――俺の気持ち、信じろ。悲しいだろうが」
耳元で囁かれてぞくっと体の奥が痺れる。
「まだまだ愛が足りないか? うん?」
「たっ、足りています!」
耳まで真っ赤にして愛美が背筋をビッと伸ばした。信じていないわけじゃないし、本気で俊が浮気していると思ったわけでもない。ただ自分に自信がなくなっただけ、嫉妬しただけなのだ。愛美もちゃんとわかってる。
だからカウンターに肘をついて自分を見ている俊とまっすぐ目を合わせた。
「――ごめん、ね」
「――っ」
愛美は素直に謝った。途端に俊の目が丸く見開く。心なしか顔が赤い気がする。そらした顔の向こうで「かわいい」「俺を殺す気か」とぶつぶつ俊がつぶやいているが、愛美の耳には届いていない。
「くそ、やっぱり勝てねえ」
「え? 何か言った?」
「何でもねえよ」
結局俊が手伝って特盛カレーを完食し、店を出る。
外は肌を刺すような冷たい風が吹いていて、愛美は俊の腕にしがみついた。それだけでぽかぽかする気がして勝手に笑顔になる。見上げた俊の顔も同じように笑顔だ。
ふたりはぴったりと寄り添ったまま冬の街を歩いて行った。