表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/26

勇気の話

 同期で同じ営業部に配属された彼女ははっきり言って地味だった。


 染めたことがなさそうな黒髪はやはり黒いゴムでひとつに結び、メイクだってしてるかしていないかわからないくらいのナチュラルさ。かなり寡黙で下手するといるかいないか忘れてしまうほどだ。


 ただ、仕事は慎重で正確。人付き合いは苦手そうでも気配りは上手い。仕事上で関わる分には信頼できる同僚、という立ち位置だった。


 ある日、急に先輩の浅川が会社を休んだ。田舎の父親が倒れたということで、部署全員で快く送り出して仕事を分担した。


 勇気も案件を引き受けたが、その中にひとつ見つからないデータがあった。翌日には取引先に提出しなければいけないというのに引き継いだデータにはなく、書類も見つからない。過去のデータを洗いなおせば作成可能ではあるが、かなり時間を要する。勇気は焦りながらノートパソコンにかじりついていた。


 イライラしてきたので頭を冷やそうと自販機にコーヒーを買いに行くことにして席を立った。自販機へ近づくと、先客がいる。


 榎木円香だ。


 レモネードのペットボトルを自販機から取り出し「お疲れ様です」と小さな声で会釈する彼女にちょっと不愛想に会釈して自販機の前に立った。

 その時ふと口から言葉がまろび出た。


「榎木さん、〇〇興産のデータなんて持ってないですよね」


 本当に何の気なしに言ってしまった言葉だった。彼女は浅川先輩の仕事も時々手伝っていたのでワンチャンあるかもとは思ったが望み薄なのはわかっていた。

 なのに彼女はするっと聞いてきた。


「あ、浅川さんが作ってたデータですよね。探してみます」

「え、いや、仕事を頼むつもりじゃなくて」

「少し待ってください」


 レモネードを手にデスクに戻る彼女を慌てて追いかけると、円香はさくさくとパソコンを操作して該当データを発見してしまった。


「浅川先輩って作成中のデータだけここに保存するくせがあるみたいなんです」


 見るとフォルダのタイトルがなぜか「ORE」になっている。ORE――俺か。


「こりゃわからないわ――榎木さん、よく知ってましたね」

「時々お手伝いするときに見てましたから」

「浅川先輩いいい――榎木さんに仕事押し付けて」

「いえ、手が空いてたからお手伝いしただけですよ」

「ならいいんですけど――ありがとう! 本当に助かりました! 榎木様々!」


 そういって頭を下げると、顔を上げた先に円香のふわりと微笑んだ顔があった。まるで花がほころんだように見えた。


 それ以来彼女が気になり始めた。


 いつもなら人と仲良くなりたいと思えば飲みや食事に誘うのだが、どうしてか円香に対してはそれが出来なかった。円香が近寄りがたい空気を持っているわけでもないのに、自分でもどうしてかわからなかった。


 そんなある日、勇気は寝坊した。

 いつもより1時間早く出社しなければいけない日だったのにいつも通りの時間に起きてしまったのだ。

 コンビニに寄って朝食を買いたかったがその暇もない。絶対朝食を食べたい派の勇気は泣く泣く諦め、何とか予定の時間に間に合うことが出来た。

 しかし一仕事終えた頃には空腹がピークに達していた。デスクに突っ伏すと派手に腹が鳴った。恥ずかしい。

「腹、へったぁ」とつぶやいた時だった。


「――あのっ、もしよかったら召し上がりますか?」


 小さな声が聞こえて、目の前に黄色の包みが差し出された。円香だ。


「え、いいんですか」

「その、大したお弁当じゃなくて恥ずかしいんですけどよろしければ」

「マジですか! 天使ですか! ありがとうございます!」


 勇気はものすごく空腹だった。ありがたい申し出に1も2もなく飛びついた。ふたを開けると小さめの弁当箱にゴマ塩をふったごはんと、卵焼きにぶりの照り焼き、ほうれん草のおひたしとサツマイモの甘煮がきれいに詰められている。


 本気で美味しかった。ご飯粒ひとつ残さずきれいに食べてから初めて円香の昼食をもらってしまったことに気がついた。


「これ、榎木さんの昼飯ですよね? すみませんいただいちゃって。めちゃくちゃ美味かったです」

「よかったです」

「――そのっ、よかったらお詫びに今日の昼飯おごらせてください!」


 かたくなに遠慮する円香を持ち前の喋りテクで説き伏せ連れ出すことに成功する。そして一緒にランチを食べ、円香が幸せそうにパスタをほおばる顔を見て「かわいい」と思ってしまったらもう後戻りができなかった。


 谷口勇気は榎木円香に胃袋とハートを鷲掴みにされてしまったのである。


 それから時々円香の弁当を朝食代わりにねだることが増えた。


 彼女の手料理を食べられ、なおかつお礼にとランチをおごることで二人で食事にも行ける。勇気にとっては一石二鳥の作戦だった。最初と違ってだんだん一緒にランチに行くことに抵抗がなくなって、会話中に(といっても勇気が一方的に話していることがほとんどだったが)ふわりと微笑んでくれるようになってくると、もう円香を独占したくてたまらない。


 ある日たまたまオフィスで二人きりになれた時に勇気は思い切って切り出した。


「いつも旨い弁当をありがとうございます。その、俺、めっちゃ(貴女のことを)好きで――ま、毎日! 榎木さんのごはんが食べたいです! だから」

「――はい、ありがとうございます。私の料理なんてただの家庭料理なのに、褒めていただけてうれしいです。それじゃ明日から毎日お弁当作ってきますね」


 あれ? と勇気は首をひねった。ちゃんと意図が伝わっていないんじゃないか、これは?

 円香じゃなくて、円香の料理が好きだと曲解されている――?


「いや、俺が言いたいのは――」

「おーい、谷口君! ちょっと」


 訂正しようとした言葉は課長の声にかき消された。丁度始業時間になりそのまま課長に営業へ連れ出されて続きを話すことも出来ず、誤解を訂正するタイミングを完璧に失ってしまったのだった。


 そして翌日から毎朝円香が弁当を持ってくるようになる。


 そうしてしばらく経ったある日、勇気はやはり同僚の女性から告白され、断った。


「他に好きな人がいるから」そう相手に伝えた手前、自分もはっきりさせなければいけないんじゃないかと思い立った。今のままの円香との関係を崩すのは怖かったが、それはきちんと誠意を尽くすべきだろう。


 ちょっとした誤解はあったものの、今度こそちゃんと円香に気持ちを伝えて真意を理解してもらうことが出来た。

 まあ一足飛びにプロポーズしたことは少々気が急きすぎだとはわかっているが、要はそれくらい真剣だということが伝わればいい。でも絶対に逃さないけど。


 ★★★★


「ねえ、あの二人でしょ? この間プロポーズ騒ぎやってたの」


 料理を配膳して戻ってきたさくらに、カウンターでカレーを食べていた香澄が耳打ちした。


「そうね、あれから時々来ていただけるようになって」

「へえー……なんかいい雰囲気。あれから上手くいったみたいだなあ」

「そうみたいね――あ、いらっしゃいませ」

「うんうん、よかった。それにしても、どんどん噂の信憑性が増してくるなあ」


 新しく客が入店してきたのを見てさくらが応対に出て行った。その背中を見送りながら香澄がぽつりとつぶやく声はしかし誰の耳にも届かない。


 香澄はスプーンですくったカレーをぱくりとほおばって幸せそうに笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ