8 かすり傷
宿に戻る前にスライムの体液を川で洗い流す。
川の中に入ってまずは顔を洗った。髪も気になったので、潜って髪の毛をすくように洗う。
透き通る水が流れる川に、血のような・・・スライムの体液なので血か。血が川を汚していくが、すぐに血に汚れた水は流されて消えていく。
「エリーシャ、もういいだろう。早く上がるんだ。」
「まだべたべたするよ?」
「あとはお湯でやるしかない。宿屋についたら僕が持ってくるから。」
「わかった。」
こちらに差し出される手を取って、川から出る。
水をよく吸った服が重い。服を着たまま絞れるだけ絞ったが、重いし肌に張り付いていて気持ちが悪い。
「女の子は体を冷やしちゃいけないよ。」
ハルがそっと上着を肩にかけてくれたが、私はすぐにそれをハルに返す。
「濡れちゃうから。」
「そんなことは気にしなくていい。乾かせばいいことだ。」
再び上着が私の肩にかけられた。今度は抗わずに、上着の袖に腕を通した。
「ありがと。」
「エリーシャは変なところで遠慮するよな。出会った頃よりはましになったが、僕とエリーシャの間で遠慮することなんてないんだぞ?」
「なら、ハルも・・・私に遠慮なんてしないでいいから。」
「僕がエリーシャに遠慮したことなんてないぞ?」
「・・・それならいいけど。」
ハルのことは好きだし、できることなら一生一緒にいたいと思っている。でも、そんなことは叶うはずがない。ハルに大切な人ができた時、邪魔はしたくない。一時でも邪魔だと思われるのは嫌だ。だから、その時は遠慮などせずに言って欲しいと思う。
その時は、大泣きするんだろうな。
でも、絶対邪魔はしないよ。
無事に魔物を倒す目的を果たした私たちは、始まりの町を出立した。
次の目的地はすでに決まっている。
「王都か。あまり気は進まないが、場所は悪くないな。流行の発信地なだけあって、他ではなかなか見ないものも多い。おいしい食べ物はもちろん、女性が好きなおしゃれな服や装飾品も選びたい放題だから楽しめると思う。」
「選びたい放題って・・・お金があればの話でしょ?まぁ、服もアクセサリーも興味ないし、食べ物くらいなら選びたい放題?」
「エリーシャは色気より食い気だな。宝石より高い料理もあるけど、お金のことは気にしなくていい。ある程度たくわえはあるし、せっかく行くんだ。そんなこと気にしないで楽しもう。」
「いや、気にするから!?え?宝石より高い料理って何!?頭おかしいでしょ!」
宝石は長年使えるから高くてもまだ理解できる。高価なものという認識もあるし。でも、料理がその宝石よりも高いなんて・・・理解ができない。食べたら終わりの物に、そこまでお金を出す人がいるのだろうか?
いや、いるから高いのか。
「まぁ、高い料理なんて、おいしいものではないし・・・食べる必要は感じないけどな。」
「おいしくないのに高い?理解ができないよ。」
「珍味というらしいぞ。贅沢になれた人間の考えなんて理解しなくていいさ。おそらくかかわることはないだろうし。」
まぁ、それもそうだろうな。
私は理解できないことを考えるのはやめて、王都で出会えるかもしれないスイーツに思いをはせた。
盗賊に出会うこともなく、平和な旅を続ける。
あと数日で王都に着くとなったころ、ハルの一言で野宿をすることになった。
「たまには野宿もいいかなって思うんだが、どうだ?」
「別にいいよ。」
「なら、今日はここで一夜を過ごそう。保存食を出しといてくれるか?僕は焚き火用に小枝を拾ってくる。」
「わかった。」
ハルは近くの森の中へと消え、私は周囲を見回した。
ここはよく野宿に使われる場所なのだろう。椅子にできそうな丸太が置いてあり、その前には焚火をしたような跡がある。
私はその丸太に座って荷をほどく。
10分ほどするとハルが戻ってきた。
おかえりと声をかけようとして顔をあげ、私は持っていた木皿を地面に落とす。
「ハル!どうしたのその傷!?」
ハルの顔にできた大きな傷。頬がぱっくりと切れて血が流れていた。
「かすり傷だから心配ないよ。包帯をとってくれるか?」
「あ、うん・・・」
私が包帯を荷物から出している間に、ハルは水筒の水で傷口を洗い流し終えて丸太に腰を掛けていた。
ハルが怪我をしたところなんて初めて見たかもしれない。
私の手は震えていて、包帯一つ出すのに時間がかかってしまった。
「大丈夫なの?」
「かすり傷だって言っただろう?・・・ごめんな。心配させてごめん。」
手当をしようとする私の頭をハルは優しくなでる。
なぜだか視界がゆがんで、涙が零れ落ちた。
「ごめん、びっくりして・・・今手当てするから。」
「いいよ。エリーシャ、隣においで。」
「うん。」
手が震えてうまく手当てもできないだろうと判断し、私は大人しくハルに包帯を渡して隣に座った。
ハルは手際よく包帯をカットし傷口に当て、テープで貼り付ける。
「ねぇ、どうしたのその傷。」
「枝で切った。ちょっと目立つから、フードを被って隠すことにする。」
「別に、そんな隠す必要ないんじゃない?」
「目立つのは嫌なんだ。さ、ご飯にしよう。」
ハルは持ってきた枝をまとめて、火をつける。
手の震えが収まったので、私も立ち上がって用意しておいた鍋を火にかけることにした。
翌日から、ハルは宣言通りフードを被るようになり、基本宿の部屋で私と2人きりになる以外は顔を隠すようになった。
そこまでしなくてもとは思ったが、本人が気にしているのならそのままでいいだろうと何も言わずに旅を続け、遂に王都に到着した。