コア 5
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「放課後、僕の家にきてくれないかな」
「…ああ」
竹下雁の誘いを高地悠斗はめずらしく断らなかった。
用件はなんとなくわかる。悠斗は鼓動が早くなるのを感じた。
昨日あれから…
「鬼」や「剣士」を見てしまってから、自分がどう家まで帰ったのかを悠斗は覚えていなかった。
ただ、朝起きてからはいつものように過ごし、こうして学校にも来た。
そして今、雁に呼び止められたことで、再び言いようのない不安が、できれば忘れたかった記憶が、自分の中に確かに広がっていったのだった。
一度帰宅してから雁の家へと向かう。
玄関を出ようとしたところで悠菜が声をかけてきた。
「あ!悠斗、図書館行くんならついでにコンビニ…」
「竹下の家行くだけだから」
「えっ、がんちゃんち?」
兄と雁の関係を知っている妹は一瞬驚いた様子だったが、
「じゃあいいや」
とだけ言って自分も出かけて行った。
「あら、竹下さんのところ行くの?よろしく言っといてね」
母の声がする。
「行ってくる」
悠斗はふりかえらずに家を出た。
ものの数分で雁の家についた。
呼び鈴を鳴らすと、ゆっくりと雁が姿を表した。
長い飛び石の通路を渡って、家に入る。
1階の広い和室にふたりして座った。
悠斗も雁も、しばらくは黙ったままだった。
雁のおばあさんが出してくれたお茶は、もう冷めはじめている。
「ごめんね」
ふいに雁が口を開いた。
「僕、あの時の記憶なくて」
思いがけない言葉に悠斗は困惑した。
「昨日のこと、なにも覚えてないのか」
「ううん。そうじゃなくて…あの人に」
冷たくなったお茶を一口飲み、雁が続ける
「あの人に身体を貸してる時は、僕、眠ってるみたいで…自分がどうなってるか、わかんないんだ」
「…貸してる?」
悠斗は湯呑みを見つめた。貸してる…。
「そう」
グイッとお茶を一気に飲むと、悠斗は突然立ち上がった。
「そうか」
そのまま帰ろうとするので、雁も慌てて立ち上がる。
「こっ…高地君…!」
なにも聞かないの?とでも言いそうな雁の声に、悠斗はいらだった。
「だからなんだよ」
「だから…だからって言われても…」
雁はなにも言えずにうつむく。
「特別なんだろ?」
「…え?」
雁が顔を上げると、悠斗は背を向けたままだった。
「要するに自分は特別だって言いたいんだろ?」
「…っちが」
「特別だから選ばれたんだろ」
ふりむいた悠斗ににらまれて、雁は戸惑った。
「僕は…僕は、別に特別じゃないよ。
僕はあの人に身体を貸しているだけ。実体化するための「核」としてね。
選ばれたっていうか…別に人間じゃなくてもいいらしいけど人型の方がやっぱり都合がいいからって。
それに、これは高地君がやるようなことじゃ…」
「ふざけんな!」
一言だけ、絞り出すようにそう叫ぶと、悠斗は部屋を飛び出した。
雁はそんな悠斗の背中を見送ることしかできなかった。
家に帰って自分の部屋に飛び込むと、悠斗は鍵をかけて呼吸を整えた。
正直、雁の話していることの半分も理解できなかった。
貸してる…人型…「核」…。
ただ分かったことは「選ばれたのは自分ではなくあいつだった」ということだけだった。
ふざけんな
もう十分特別なくせに。
自分がどれだけ特別かも知らないで当たり前みたいに振る舞いやがって。
普通?誰でもいい?
違う。
お前は選ばれたんだ。
この無数の人間の中から
特別だから
俺みたいに「普通」じゃないから…
「俺のやるようなことじゃないだって…?」
学習机の上に積み重なった参考書に視線を落とす。
「だっせえ…」
身体にうまく力が入らない。でも、やらなければならないことは、彼自身の日常は、変わらず目の前にあった。
「なんでわざわざ俺に言うんだ」
悠斗は無理やりペンを握りしめると、明日の宿題に取りかかった。