表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クワイエットルーム   作者: 冬司
9/20

room9 もう一度、殺したいくらいよ

 room9 もう一度、殺したいくらいよ



 『最強武器』、と言う文句を聞いて、暗黒空間に放り込まれたような彼の世界に一筋の光が差し込んだのは言うまでもない。

 最強武器。

 なんていい響きだ。RPGゲームが好きな東太は、最強武器が意味する心強さを十分に理解していた。そう、往々にしてゲームの終盤に手に入り、最大の攻撃力を誇る武器。それを手に入れてしまえば、大抵のザコ敵は一撃で葬れるようになるのだ。

 この耳で聞いたのだから間違いはない。

 東太の耳の中には、極小のイヤホンが仕込まれていたのだった。もちろんこれは彼の私物などではない。この空間に入り込んで初めて耳に違和感を覚えて気づいたものだった。

 東太は気味の悪いそれをとろうと試みたが、小さすぎて指が届かない。逆に耳の中にイヤホンを押し込んでしまう結果になった。


 ピンク色の扉を開けると、そこには会社員風の男と、派手な女。不良じみた男。そして、見覚えのある女子学生がいる。確か同じゼミの子だなと思い出すが、話をしたことはなかった。これは何の集まりか、この中で仲間になってくれそうな人間は見当たらず、途方に暮れるしかなかった。

 その時、まずまず頼れそうな先輩が現れる。東太はとりあえず、扱いやすそうなその先輩の後ろについて行くことにした。前を歩くのは危険だ。自分はいつだって後方支援。決して能力が高くない俺が生き残るためには、誰かに従って時と状況を見極めることが肝心なんだ。常に自分にとって最も有効なリーダーに付き纏って生きてきた。

 今は瀬山さん。彼が一番、自分がついて行くべき人間にふさわしい。


 同級生のちえりも仲間になり、真澄もうまく丸め込むことができて、瀬山先輩の有能さを半ば信頼し始めた時だった。

 この耳に仕掛けられたイヤホンは、急ごしらえで作られた信頼関係などいともたやすく破壊する。そんな魔力を持つ情報を教えてくれたのだ。このゲームの主催者は、つくづく性格が悪いと言わざるを得ない。かといってそれにまんまと乗ってしまう自分も、主催者の思うがままなのだろうが。



『はっはっは。 はっはっは』


 彼にはそう聞こえていなかった。

 録音機から流れるのは虚ろな笑い声などではなく、情報だったのだ。


『おめでとうございます! あなたは選ばれました。

 これからこの式場にて最強の法具についての情報をあなただけに提供いたします』


 どうやらこの声は、自分にしか聞こえていないらしい。皆の表情を見てそれを理解した。どうやらこのイヤホンは、録音機から流れる音声の中に隠された音域を聞き取ることができる装置のようだ。


『式場I コクリエンターテイメントパーク ワームコースター発着場


 急ぎ取りに行かれることをお勧めいたします』


 そして、この音声を聞いた瞬間に、東太の頭の中に不思議なビジョンが浮かんだのだ。

 現在る部屋から襖を開け、廊下を進む。エレベーターが二つある部屋。左のエレベーターに乗り、降りた先が学校の教室。そしてその奥が……

「これは……」

 最強武器の場所が、頭の中にインストールされたかのようだった。何とも奇妙な体験だった。だが、幻にしてはリアルだ。これはまさに、神が与えたもうたチャンスだと思った東太は、見えたビジョンをしっかりと頭に叩き込んだ。

 もしうまく瀬山さんや森本さんを出し抜ければ、俺の生存確率はぐっと上がる。自分がその武器を手に出来れば、この空間で一番強いのは自分になるんだ。

 ついて行くだけの自分は、もう終わりだ。

 俺だって生き延びたい。

 録音機のメッセージが言っていたことから、ここがゼロサムの考えで成り立っていることは嫌でも分かる。いつ裏切られるか分からないのだ。瀬山さんもああ見えて、いざとなれば自分を切るかもしれない。


 東太は首尾よく仲間割れを演じ、目的のエレベーターに乗り込むことができた。この調子で最強武器を回収してしまおう。万事うまくいくはずだった。


 ――ただ一つの誤算を除いて。



「森本さん」

 何も言わずに黙ってついて来る彼女。一緒にエレベーターに乗った時こそ、「早く瀬山さんの所へ戻ろう」と何度も説得してきたが、東太が一歩も譲らないのを見て諦めたようだった。

 それなら一人で彼の元に戻ればいいものを、何故かまだついて来るのだ。

 東太は散々、瀬山のもとに戻れと言ったが、彼女は何故かそれに従わない。

「何なんすか? まだ俺を説得しようとしてるんすか?」

「……」

 無言だ。エレベーターを降りてから、彼女は一言もしゃべらなくなってしまったのである。ただじっと、こちらを舐めるように見つめてくるだけ。

 彼はちえりの存在がだんだんと不気味に思えてきた。


 東太は何とか彼女を視界に入れないようにしながら、部屋を散策する。目的地はこの教室を模した部屋の奥だが、一応ここも調べておこう。何かこの教室にも、妙な既視感を感じたのだ。しかし、その正体がつかめずもやもやする。

「……なんだ? 俺、なんか忘れている気が」


 教室。

 ……高校。

 大学のゼミ。

 森本ちえり。


 頭が痛い。

 東太はもう一度、後ろを振り返った。

 そこには、自分を非難めいた目で見てくるちえりがいる。その目を見るだけで、どうしてか分からないが東太に鳥肌が立った。

「警戒しておこう」

 彼女は武器を持っている。背中を見せるのは危ないかもしれない。

 まさかとは思うが……彼女、俺が瀬山さんの敵になると思って、俺を殺そうとか考えてるんじゃ?

「……」

 ちえりは両手を後ろに組んで、机の上に座って待っているようだ。見ているだけで何もしてこないが、明らかに今までの彼女とは違う気がした。何というか……いやな視線なのだ。

 眼鏡の奥から覗き込む。昆虫のように感情のない眼と言えばいいのか。

 カマキリを思い出した。

 カマキリは目の前に獲物が近づいて来るまで、鎌を構えてずっと待ち続ける。何分も、何時間も。そして、自分にとって最高の好機、100%捕らえられる神の瞬間を突いて鎌を振るい、襲い掛かるのだ。まさにハンター、捕まればもう逃げられない。

 東太は、自分がカマキリに目をつけられた、バッタのように思えた。

「おい森本さん! 何とか言ってくださいよ!」

 プレッシャーに耐え切れず、つい大声を出してしまう。幸い、故人の怒りには触れなかったようだ。

 すると、ちえりは言葉を返した。

「別に、どうもしませんよ。私も、これからどうすべきか迷っているんです」

「はぁ?」

「瀬山さんについて行くか……あなたについて行くか。ここで一人になるのは危険ですし、今から戻っても瀬山さんと合流できるか分からない。だからとりあえず、あなたについて行ってる。それだけよ」

 嘘だ。

 そんな迷いを持っているようには見えない。

「俺は迷惑だ。単独行動がしたい。ついて来ないで欲しいっす」

 ちえりは再び黙り込んだ。

 東太は溜息を吐き、らちが明かないことを嘆く。


 ちえりの処理は後で考えるしかない。場合によっては、クラッカーを使うことになるかもな、と考えつつ、東太は教室の散策を再開した。

 後ろの席に悪戯書きをされている机があり、調べてみると机の中に財布があった。赤いがま口財布だ。自分のではないのでここに迷い込んだ誰かのものだろう。

 こっそりとちえりを確認するが、彼女はじっとこちらを見てくるだけだ。近づいてきたりはしない。あの位置からなら背中が死角となり、彼女の目には自分が何かを拾ったことは見えないはず。

 こっそりと財布の中身を確認する。

 中にはクレジットカードと、小銭が少し入っていた。ここで金が使えるかどうかは知らないが、念のためもらっておくか。ここに金の入った財布が用意されているのは、何らかの意味があるはずだと、東太は推測した。

 クレジットカードに貼りつくようにしてもう一枚カードが入っていた。レンタルDVDショップの会員証だった。

「ん? この名前……」

 会員証の裏に書かれている名前だ。


 そこには、『モリモト チエリ』とある。

 なんという偶然か、この財布は彼女のものか。そういえば、自分の財布もなくなっていたな。最初の部屋では真澄や火永も金がないと揉めていた。ひょっとすると、ここに連れて来られた連中の貴重品は、全部どこかにばらまかれているのかもしれない。

 東太はクレジットカードだけは返してやろうとちえりを呼ぼうとしたが、やはり思い直した。

 財布の中にまだ何かが引っ掛かっているのだ。東太は指を突っ込んで、引っかかっている物を取り除く。

 小さく折りたたまれた写真だ。東太は興味をそそられ、それを開いて見た。

 彼は思わず息を呑んだ。まさか、そこに写っているのは、よく見知った人物だったのだから仰天してしまう。

「さっきから何をしてるんです?」


 ガタン、と机が動く音がした。

 ちえりが机から降りたのだ。今にもこっちに来そうな気配がする。

 東太は咄嗟に体をずらし、前に置かれたラクガキだらけの机を見せた。

「別に、このラクガキを読んでただけだよ。ひどいことするよな」

 すでに写真も、財布の中身もポケットの中に収まっている。

 ついでに空の財布本体も、机の中に押し込んでしまった。

 ちえりは興味を失ったとばかりに軽い頷きを繰り返し、再び手近な机の上に腰掛けた。


 危ない、ところだった。

 ……いや、危ない?

 何が危ないんだ? まるで彼女が危険人物みたいだ。そんなことはないはずなのに。ただ同じゼミの同級生じゃないか。しかし、一瞬だけ思考がそう唱えたのだった。


 ――気をつけろ。

 と。


 本能の声が告げる。

 東太は無意識に感じていたのだ。危機感を。

「なんでなんだ……」


 なんでちえりは、瀬山鶫の写った写真を財布の中に入れていたんだ?


「森本さん……君は一体……」




 教室を抜けた先は、ロッカールームになっていた。手荷物を入れられる程度の小さなロッカーがたくさん連なり、それが壁を構築している。ロッカーの壁は入り組んでおり、まるで迷路を思わせたが、ご丁寧に立て看板で案内が表示されていた。


『右にお進みください。素敵な冒険を!』


 何が素敵な冒険だ。

 東太は舌打ちし、後ろをついて来るちえりに視線を送る。

 彼女は相変わらず一言も発さないままだ。

 粘れば俺が瀬山さんの所へ戻るとでも思ってるんすかね?

「森本さん……まだ来るんですか?」

 ちえりは俯いたまま、何も言わない。

 困ったな。

 このままでは最強武器の在処が彼女にも知られてしまう。


 東太は垣間見えたビジョンを思い出した。目的地はロッカールームを越えた奥の部屋だ。そここそが式場I。ワームコースター発着場。

 昔、東京の有名なアミューズメントパークに家族で行ったことがあった。そこにもあったが、どうやらワームコースターとは屋内ジェットコースターのようなアトラクションのようだ。さながら駅のようになっているその部屋には、卵型の銀色の乗り物が5つ繋がって停車している。その乗り物の先頭車両の中に、探しものがあるのだ。

 コクリエンターテイメントパークというアミューズメントパークは知っているが、行ったことはない。東太には深く考えが及ばなかったが、この空間がそのアミューズメントパークをモデルにしているということは何となく分かる。まぁ、空間の謎など別にどうでもいい。生き残ることだけを考えろ。

「森本さん。ここではっきりさせようか」

 生き残るためにはそろそろ、彼女と対峙せねばなるまい。

 東太は徐にクラッカーを一本取り出し、彼女に向けた。ちえりは相変わらず無表情でクラッカーの先端を見つめる。

「俺は確かに、ある目的を持ってここに来たんだ。でも、ここから先へは君と一緒にはいけない。ここから一歩でも俺の傍に寄ったら、容赦なくクラッカーを放つっスよ?」

「目的? 故人の亡骸のことじゃないの?」

「……話すことなんかないよ」

 彼は紐を掴んだ。


「さあ! 早く引き返して、瀬山さんの所に行けよ!」


 ちえりの顔に、怯えが走ったように見えた。

 東太は確信する。これで万事解決だと。やはり自分の思い過ごしだったか。彼女はただの女学生。何かできるわけでもないし、凶器を突きつけられればどんな威勢も失ってしまう一般人に過ぎないのだと。


 次の瞬間、ちえりはポケットから何かを取り出した。


 一転。

 東太は自分の思い違いを認める時間も与えられなかった。


 東太はぎょっとして、クラッカーの紐を引き忘れてしまった。よもや、彼女がそんな行動に出るとは思わなかったのだ。

 彼女が持っていたのは、ナイフだった。

「な、何でそんなもの!?」

 ちえりは一切のためらいなく、東太の右手の指を切り裂いた。

 クラッカーを持つ手だ。小指以外の4本が全て切り落とされ、同時にクラッカーも地に落ちた。

「う、おぁあああ――」

 叫びかけたが、寸でのところで防がれた。

 ちえりが思い切り東太の腹を蹴りあげたためだ。彼は呻き声をあげて、声が出せなくなる。

「うぇ…ゲホ……」

 馬鹿な。

 何だよこの子? ただの大人しい同級生だと思ってたのに……

 躊躇がない。

 ナイフで人を切ることに一切の……!!


「みんな、覚えてないんですね」

「はぁ?」

「あなたは私がこの手で殺したはずなんですが。やっぱり……この世界は夢かそれに準ずる何かか。先生も私の事を覚えていないみたいですしね」


 殺した? 俺が、君に殺されたって!?


 ――言っていることが分からない。

 頭がおかしいのかこいつは……


 何なんだこの女。なんでナイフなんか持ってるんだ。ちえりが、見たことのないような狂人にしか見えなくなってきた。

「まったく、先生ったら。こんなバカな男に騙されて。裏切り者を書くのはお得意なのに、現実でそれを見抜くのは苦手なご様子。ふふっ……あの人はああ見えて結構な性善説だと思うわ」

 ちえりは血のついたナイフの刃先を東太の服の裾でふき取ると、手製のナイフシースにしまった。さらに落ちていた東太の指を拾い、手近なロッカーに押し込んで証拠を隠滅する。

 東太の目には涙が浮かんでいた。ただ一つ分かるのは、この女は尋常ではない悪魔のような本性を隠し持っていたということ。

 やばい、誰か助けてくれ。

 狩られるのは俺だった。俺を止めようとしてついてきたんじゃない。彼女は俺の目的を知るために、『つけてきた』のだ!

「そんなナイフ、どこで手に入れたんだよ!」

「これは私が常日頃から持ち歩いているものですよ。あなたは持ってないんですか?」

 当たり前のような顔をしてちえりは言った。

「……護身用のつもりか?」

「まぁ、そんな所です。攻撃は最大の防御、と言うじゃありませんか」

 ちえりはにっこりと笑い、屈んで顔を近づけてきた。

「こうやってあなたを尋問するのは二回目ですが……」

「お前さっきから何言ってんだよ!?」

「私ね、記憶力はいいんですよ。人一倍ね」

 彼女は東太の後ろ襟をむんず掴むと、ずるずると部屋の奥に引きずっていく。看板の指し示す方へ進むと、ドアがあった。それを開け放ち、彼をドアの向こうへ放り出すと、ちえりは一度戻って立て看板を持ち上げる。それも一緒に部屋のドアの向こうへ持って行く。

 ドアは押して開くタイプだ。ちえりは一旦ドアを閉めると、重しのついている立て看板を密着させるように置いた。これで少しはバリケードになるだろう。


 こちらの部屋は随分と広い空間が広がっていた。天井が高く、照明は暗い。足場は遠くに見える壁には続いておらず、途中で途切れていた。端には落ちないように格子状の柵が取り付けられている。下には長いレールが伸びており、地下鉄のホームを想起させる。そして、プラットホームにはすでに奇妙な形をした乗り物が停車している。

「駅……?」


 いや、違う。

 ちえりは目を閉じて『再生』を始めた。

 頭の中に収められている、膨大な長期記憶を凄まじい速さで検索していき、この光景に一致するスクリーンを探し当てる。その間一秒もかからなかった。

「ああ、コクリエンターテイメントパーク、ワームコースターの発着場ですね」

「し、知ってるのか?」

 出血を抑えながら、喘ぐように東太は言った。

「はい。子供の頃両親に一度連れて行ってもらったことがあります。正確な日付も、その日何を着ていったかも全部覚えてますよ」

 彼女は柵を観察し、一部が外れるようになっているのに気づく。たやすく柵の内側に侵入すると、コースターへと東太を引きずっていく。そして、彼女は手近にあった一番前の座席に東太を押し込んだ。

 東太は胸が躍った。

 ――しめた!

 彼女はミスを犯した。そう、俺の探しものはまさに、この座席のどこかにある! 彼女よりも先にそれを見つけられれば形勢逆転だ!

「なんだか嬉しそうな顔してますけど」

 怪訝そうな顔で、東太を見下ろすちえり。。

 ちえりは再びナイフを持ちあげた。

「おい…な、なにを」

 ひんやりとした刃物があてがわれる感触。それはすぐに激痛に変わった。

 ちえりのナイフは東太の左手首から下を切断した。

「う……ぐぅあああ!!」

 まずい、悲鳴をあげるな。死んでしまう。

 何とか叫ぶのはこらえたが、両手が使えない。これでは武器を探せても使うことができない!

「ああ……ひ、ひどい!何てことするんだよぉおお!」

「男の子なんだから、泣かないでください。それに、その台詞ももう聞きました。志乃山君?君が死んだあと、いろいろ大変だったんですよ? 学校に警察が来て、ゼミの皆が事情聴取を受けたりね」

「し、知らない……そんなの俺」

「あら、ジョークですか? 知るわけないじゃないですか。あなたもう死んでたんですからね」

 けらけらと笑転げるちえり。

 東太はパニックで頭が真っ白になるのを感じていた。

「ねぇ、正直に言ってくれれば痛いことはしませんから。あなたはどうしてここに来たんですか? ここに別の亡骸があるとか……」

「い、言うから! もうやめてくれ!」

 ちえりは眼鏡を直した。

 それも知ってた、と言わんばかりだ。

「ここに、最強の武器があるって聞いたんだ! 場所は、ちょうどこの座席のどこかにあるはずだ」

「最強の武器……それはどんなものですか?」

「知らないって! 俺が知ってるのは場所だけで……」

「本当にそうなのかしら? 今度は耳でも削ぎますか? 今度こそ叫んで死ぬかもしれませんよ」

 こつん、と、東太のつま先に何かが触れた。

 自分が座らされている座席の足元に、何か硬いものが貼りついている。もしやコイツは。

「はぁーっ……はぁーっ」


 さ、悟られるな。

 彼女は俺が武器の在処を知っていると思っている。すぐに俺を殺さないのは彼女も最強武器の存在が気になるからだ。ばれたら間違いなく、俺は用済みだ。

 この女はいかれている。臆病な陰キャラのふりをした、とんでもないサイコだ。考えろ、俺が生き延びる術を……

「先生って」

 東太は何とか、彼女が食いつきそうな話題を手探りで探す。

 こんなざまで言うと下手な冗談に聞こえるが。

「片桐教授のことか?」

「はい?」

 しらばくれるように聞き返す。

 しめた。これは当たりだ。ちえりはあの感情のこもらない目を逸らした。

「さっきから言ってたじゃないか。先生って。ここに片桐教授はいないのに、まるでここにいるような口ぶりだった。……いや、待てよ? 君、さっきこう言ったな。『先生も私の事を覚えていないみたい』って。どういう意味だ?」

「黙って」

 顔面にキックが飛んできた。

 くそ、意識がもうろうとする。出血がひどすぎて、頭が働かないのだ。だが、言葉を紡がなければ殺される。それに、彼は一つの事実に思い当たった。

「君の言う先生は、この空間に来てから会った人物だ。ってことは、瀬山さんか? 君はあの人に好意的に見えた! そうなんだろ? なんで先生って呼んでるんだ……」

 すると、ちえりは目を細めてナイフを下ろした。

 花の香りを楽しむ少女のように、いっぱいに気を吸い込み、吐き出す。彼女の表情は微笑みに変わっていた。

「作家さんはそう呼ぶものじゃないの?」

 物わかりの悪い子供をたしなめるような口調だった。

「作家ぁ? あの人はただの留年生だろ?!」

「違うわ! 瀬山先生は!世界一面白い小説を書く天才作家なのよ!」

 彼の作品に初めて出会ったあの日。

 私は確信したのだ。瀬山鶫こそ、私の本質を完全に理解できる唯一の人間だと。




 森本ちえりは特殊な生き物だった。

 人として社会生活を送るのには不自由な、厄介な性質をひた隠した、とにかく特殊な生き物だ。彼女が隠し持っていたのは、人間をナイフで切って殺すという『習性』だった。

 自分が生まれた時からそうしなければならないと、遺伝子レベルで身に染み込んでいる。殺人という行為が自分の生命維持に関わるはずもない。しかし、ちえりにとって殺人は呼吸と変わらなかった。ふと、人をナイフで切らなければならなくなる。それは衝動とも言い難い。意味もなく、理由もなく、生きるためでもなく、ただ殺さなければならないから殺す。なぜなら森本ちえりはそういう生き物だから。

 彼女は一度として苦痛に思ったことはなかった。疑問も感じることはない。息を止めたら死ぬのと同じように、人を殺さなければきっと死ぬのだろう。彼女にとってはそれくらい単純なことだった。その習性に抗おうと思ったこともない。彼女には日常の行為であり、幼いころからずっと繰り返し続けてきた。ナイフはいつも服のどこかに忍ばせ、常に身に着けている。体の一部となっていた。カマキリが捕食行動をするために鎌が必要なのと同じように。ちえりは、自分は人間の肉こそ食べないが、人の命を奪う時その魂のようなものを吸収して自分の糧にしているのではないかと、そんなことを考えたこともあった。いつでもどこでも人を殺す。殺人は生活の一部であり、やめることは息をしないことと同じだった。

 無論そんな自分が異端であり、社会にとって疎まれることも分かっていた。不思議なことに、まだ物心がついていない幼いころから、彼女はそれを理解していた。

 だから彼女は、地味で無害な文系少女を演じていた。口数少なく、本や映画に没頭する。目立たなくて大人しい女の子でい続けることが、この社会という環境で生きる術だと、本能で理解していたのだ。


「東太君。君は自分が特別な存在だと、思ったことはあるかしら」

「は、はぁ? お前さっきから何言って……」

「私はある。常にある。ずっと、私は特別な存在だった」

 でも、決して驕っているわけじゃない。むしろ逆だ。どうして自分は他の人間とは違うのだろう。正直、この面倒くさい習性は生きるのに不便だ。障害のようなものだとも思う。

 人を殺せることは偉くもなんともない。他の人間が羨ましい。人を殺さないで生きられる方が絶対に楽だし、生きやすい。ちえりが高校に入る頃、この殺人の習性はちえりにとって大きなコンプレックスになっていた。

 彼女は次第に、そのコンプレックスに悩み、苦しむことになる。彼女の本性を知らない周りの大人たちは思春期の学生にありがちな悩みだろうと判断し、誰もちえりの奥底に隠された習性に気づく者はいなかった。

 それが彼女にとっては致命的だったのだ。

 成長した彼女は、自分が特別な存在であることに辟易としていた。自分は誰にも理解されない。付き合いのある人間はいるが、そいつらも結局は森本ちえりという人間と付き合っているだけで、その皮の内側に潜む生き物は見えちゃいないのだ。

 自分を見て欲しい。理解してほしい。

 いっそ、すべてをさらけ出してしまいたい衝動にかられたこともあった。しかし、それだけは防衛本能が阻止する。鬱屈とした思いを抱えたまま、彼女は人を殺し続けるしかなかったのだ。

 このまま一生、このコンプレックスと付き合っていかなければならないと、そう思っていた。人間は誰でも悩みや苦労を抱えて生きていくものだ。そういう意味では、自分も人間と同じ煩わしさを抱えて生きていかなければいけないと、半ば諦めていた。 

 ある小説を読むまでは。

 彼女は出会ってしまった。己の全てを理解してくれるだろう人間に。ずっと求めていた人間に。


「その作品のタイトルは『蟲独』。主人公は、私だった」


 その作品は文芸サークルの先輩が書いたホラー小説だった。

 主人公は人を殺す、殺さなければならない習性を持った少女だった。あまりに自分とリンクするその主人公に、ちえりは己を重ね合わせた。読めば読むほどそれは自分自身であり、本気で自分の正体を見破られているのではないかと恐怖を覚えたほどだった。

 だが、その小説には己の生き方に対する一つの模範解答が記されていたのだ。ちえりは小説に没入し、やがてこう思うようになる。

 この作品を書いた人こそ、私を理解できる唯一の人間だと。自分がずっと追い求めていた人間だと。私はその人を決して離してはならぬのだと。

 愛さなければならぬのだと。添い遂げなければならぬのだと。彼との子供を産まなければならぬのだと。私はそのために生きているのだと。

 彼を――瀬山鶫を失えば、この世に自分が生きている理由が失われるのだと!

「瀬山先生は私を書いた。あの作品を読んでから、私はあの人のために生きると決めたの」

 ちえりは恍惚とした表情で言った。

「このいかれ女め!」

 吐き捨てるように言われた言葉に、ちえりは目を吊り上げた。

「東太君さぁ、また同じことを言って私を怒らせるのね? 1回死んでもまだ足りないのか」

 面白いことに。瀬山のために生きると決めてから、ただの習性だった殺人が大きな意味を持つようになった。

 忌々しいコンプレックスだった習性が才能に変わった。初めて、明確な目的をもって生きるようになった。そして、その目的を果たすために殺人という手段がとれる自分は、選択の幅が人よりはるかに大きいことに気づいたのだ。

「東太君。君は私が初めて殺意を持って殺した人間なんだよ」

 言っている意味が分からない。

 ナイフに反射した自分の顔が映った。ひどく狼狽し、怯えた顔だ。

「まさかもう一回、同じような殺意で人を殺せるとは思わなかった」

 ちえりがナイフを振りかざす――


 その時だった。

 背後で金属を叩くような大きな音がしたのだ。立て看板が、揺れている。

「なんだ!? 何かつっかえてドアが開かないぞ!」

「瀬山ちゃーん。もっと体全体で押し込まなきゃ駄目だって!」

 ドン!

 立て看板がさらにズレる。もう2、3度でドアが開くだろう。

「くそっ! 開かない! 中で何が起きてるんだ? 血の跡があった……誰か怪我してるのかもしれない!」

「落ち着けよ瀬山ちゃん。まずはここを突破しなくちゃ始まらないだろ?」

「先生が来た……」

 時間がない。

 ちえりは一度ナイフをしまい、別のポケットを探ってクラッカーを取り出した。

「お、おい……やめて――」


 パァン!


 命乞いのセリフを一切聞こうとせず、ちえりは東太を吹き飛ばした。

 東太は、結局なにも成すことができぬまま、この訳の分からない空間で無残な死を遂げる。ちえりはかなり血を浴びてしまったことに顔をしかめるが、これで計算通りだと思いなおした。これで現場の緊迫感がより伝わるはず。

 さらにちえりはナイフで、自分の右頬を切り裂いた。ぱっくりと割れた皮膚から大量の血が流れる。東太の血と混ざって感染症の恐怖が心によぎるが、すぐに無用な心配だと割り切る。そもそもこの空間で病気の概念などあるとは思えない。

「……私も、すでに死んでいるしね」


 そうだ。

 みんな、死んでいる。


 きっと、ここには死人しかいないのだ。

 死後の世界にしては随分と悪趣味だなとは思うが、これがあの女の作り出した世界だというのなら分からなくもない。

「でも、ここにお前はいない。これで彼は、私だけのものなのよ」


 ちえりは虚ろな目で一人嘯いた。




 ***




 やがて、看板が倒れて部屋に瀬山達が入ってきた。

 コースターの中は血だまりになっており、そこには一人、しくしくと泣いているちえりだけが生きている。二人はすぐに気づき、駆け寄ってきた。


「東太君が、いきなり私にナイフを……! ……殺されると思って、ここでクラッカーを……」

 ちえりはかなり動転しているようだった。

 瀬山の姿を見るなり、彼に抱きついて泣きじゃくる。状況が理解できず、瀬山はオロオロするのみだ。

「お、落ち着くんだ。とにかく状況を……」


 ちえりは事前に考えていたシナリオをつらつらと述べた。

「東太君は、最初からナイフを隠し持っていたんです。それで、隙を見て私達を殺そうとしていたんですよ」

 人を殺した後、逃げられずに現場に居合わせてしまったら、その時は被害者ぶるのが一番だ。瀬山先生。これもあなたの小説に書いてありましたよね?

『蟲独』第4話、9ページ。主人公が学校の教室で友達を殺してしまうシーンです。始業のチャイムが鳴りどっとクラスメイトがなだれ込んでくる際、主人公はこうやって正当防衛を訴えました。

 見てください、とちえりは頬の切り傷を指した。

「東太君に切られて……」

 こうやって自傷するのもポイントなんですよね?

 あたかも襲われたのは自分の方だと見せつけるために。

「だいたいの状況は分かったよ。とにかく、東太が裏切ったのは間違いないみたいだな」

 瀬山は彼女をなだめながら、そう独り言ちた。自分自身で納得を深めようとしているかのようにも見える。

 しかし、ちえりの言葉を信じようとしている瀬山とは対照的に、清蓮の反応は実に淡白なものだった。彼女は眉をしかめただけで、ちえりを慰める言葉をかけてやることもない。

 ただ、問いかけた。

「で、東太君は目的があってここに来たと……なぁ~ちえりちゃーん? その目的とやらは聞いてるかい?」


 ……この女、私のことを敵視してる。

 いけ好かない。



 ちえりは、瀬山に対するそれとは反対に、冷ややかな視線を清蓮に送る。

「さぁ? 別の亡骸でもあったんじゃないですか?」

 この辺りに最強武器とやらが眠っているのは知っている。

 ぜひとも自分が入手したい。その力にもよるが、ここにいる人間を全滅できる可能性もある。特にこの清蓮……

 ちょっと見ない間に先生との距離が近くなったように見える。実に気に入らない。いつの間にか手錠も解いてもらっているし。

 ポケットにはまだ一つ、クラッカーがあるし、小型目覚まし時計もある。東太の分と落ちていたナイフは瀬山に回収されてしまったが、この装備でも十分に人を殺せるはず――


 いや、待つのよ、ちえり。

 清蓮は一筋縄ではいかない女。真っ向からぶつかっても勝てるとは限らないし、先生がいる前で本性を表すわけにはいかない。

「と、とにかく、彼の目的地はこの部屋だったようです。調べてみたら何かあるかもしれませんよ?」

 ちえりはよろよろと立ち上がり、恐怖で足に力が入らない演技をこなしつつ、コースターから降りた。瀬山が肩を支えてくれた。ああ、なんて優しい人……もっと彼に触れてもらいたかったが、今は他にもやることがある。

 とりあえず、コースターから二人を引き離すことに成功した。後は隙を見て、最前列の席を調べなければならない。

「無事でよかったよ森本さん。ところで君は……また仲間になってくれるのかい?」

 ちょっと困ったような顔で、瀬山はちえりにそう問いかけた。

 ちえりは彼に縋りつくように胸へ飛び込んだ。

「もう、離れません。あなたについて行きます!」

 けっ……

 という清蓮の小馬鹿にしたような咳払いが聞こえたが、無視した。


 それにしても、本性か。

 ちえりは二人にばれないよう、心の中で邪悪な哄笑をうかべた。


 瀬山先生に対する思いは、『宝物』だ。誰にも触らせたくない。私だけの大切なもの。

 最初は彼の書く小説に触れて、自分の理解者を見つけた喜びが全てだった。だが、そんな贔屓目抜きにしても瀬山小説はちえりの琴線にダイレクトに響く作品だった。無数にある小説の中でそんな素敵な作品を書く人が、まさか私の理解者だったとは。

 チープな表現を使うなら、まさに運命の赤い糸が、二人を結び付けた……そう言えなくもない。

 これは、恋なのだ。生まれて初めて抱いた感情。

 それから、人生が楽しいものに変わった。

 人間にさして興味を抱けなかった自分が、瀬山鶫という人間に執着するようになってから、他の人間にも注意を払うようになった。もちろん、警戒という意味だが、それでも他人に関心を持ったことには変わらない。ちえりはこれを自身の成長だと認めている。



 ちえりは額を人差し指で抑え、目を閉じる。

 頭の中で、映像が再生された。



 ―――


 ゼミ室の4人掛けのテーブル。座っているのは3人だ。

 私と、東太と、彼女……結成されたばかりの片桐ゼミ。教授が来るまでの待ち時間、東太は女二人に囲まれて居心地悪そうにしていた。

 最初に言葉を発したのは東太だった。

 ――あの、ねぇ! 二人とも、今日の夜空いてる?

 馬鹿なのかな、と思ったものだ。こんなところでナンパでもしているのかと思った。しかし、実際はただの遊びの誘いだったようで、当時大学の運動系サークルでブームだったコンパの人数合わせに誘ってきただけだった。

「女の子があと2人必要でさぁ……あの、同じゼミになったのも何かの縁だし、よかったらどうかな?」

 ちえりは無言で首を振って苦笑いする。暗に拒絶を示した。

 だが、隣の『あいつ』は。

「行くわ」

 にっこり笑って承諾した。



 後になって、そのコンパには、東太が懇意にしている留年中の先輩が参加していたことを知った。

 しかも、その先輩は趣味で小説を書いていることを漏らし、場が大いににぎわったと。

 ちえりは心臓が凍るような気分を味わった。



 ―――



 思えば、あれが全ての始まりだったのかもしれない。

 ねぇ、そうなんでしょう?

 この空間に連れて来られた面子を見れば、誰が仕組んだ世界なのかは一発で分かるわ。

「復讐のつもりですか? ……黒狗徐歌」

 ちえりは誰にも聞こえないような声でそう呟く。


 お前が悪いんだ。

 私が人を殺す理由を作った。お前が全面的に悪かったんだ、徐歌。

 もう一度、殺したいくらいよ。


 ちえりは指を離し、前を見据えた。

 瀬山と清蓮が、部屋を散策している。この部屋は広く、壁ぎわに大きな電子機器がたくさん取り付けられた装置が置いてあった。その装置には目立つレバーも取り付けられている。恐らく、コースターのメンテナンスや、発射と停車を操る類のものだろう。

 そう、よく覚えている。前に一度来たことがあるから。

 ちえりは一度見たものを絶対に忘れない『瞬間記憶能力』と称される特殊能力を持っていた。まさに、『目で見たもの』が一瞬でカメラに収められ、脳内のSDカードに保存されるような感覚。後は欲しい画像を検索して引っ張り出すだけだ。凡人の脳みそのように、自動削除機能はついていない。その分、データは無限に溜まっていくが、容量オーバーにならないのはこの特殊能力を使いこなせる者の特権だ。これがあったおかげで犯罪の証拠の見落としも防ぐことができたし、細やかな隠蔽も可能にした。持って生まれた殺人習性とそれをもってして生き延びるために必要な才能。

 そして、この空間で記憶を保持したままいられたのはきっと、この能力のおかげだろう。



 3人は東太の目的を調べるために部屋を散策していた。

 ちえりは瀬山と清蓮が調べている装置とは反対方向にある、柵の内側のコースターの横に置いてある機械を調べに行くふりをして、コースターの最前列に向かった。

 東太が意味もなくここに来たかったはずがない。武器か何だか知らないが、ここに何かがあるはずだ。何としても見つけたい。特に、あの清蓮とかいう女には渡すわけにいかない。

 いよいよコースターに乗り込もうとした時だった。ふいにコースターのヘッドライトが光ったのだ。

 同時に、今まで沈黙を貫いていた銀色の乗り物が、唸り声をあげ始める。


「おっとぉ~! 変なところ触っちゃったよ。おーいちえりちゃーん! 大丈夫かい?」

「だ、大丈夫です」

 二人がこちらに来た。

 ちえりはさりげなく、コースターから身を翻した。瀬山と清蓮が戻って来る頃には、コースターはすでに発車準備万端と言った様子。ちえりはこの時初めて、コースターの横の機械が発車装置だと分かった。赤いボタンがあるが、すぐ下にStartと書かれているではないか。

「どうやらこれ、動くみたいだな」

「な~るほど。ひょっとして、これがこの部屋からの移動手段? まさか一周するだけじゃないでしょ。これに乗って別の部屋に行けるんだ!」

 そういう仕掛けか。

 マズイ、この流れだと、3人でこのコースターに乗ることになる。すると必然的に席は……

「みんな、最前列は避けて……一番後ろから詰めて座っていこう」

 武器があるのは最前列。あの、東太の肉片が散らばる席のどこかだ。確かにこんな有様では普通、進んで座ろうとはしない。他にも席はあるのだから。くそ、裏目に出たか。彼の手首を切り落としたのを隠すためにクラッカーを使ったのがここで……

「待ってください。もうこの部屋を離れるんですか?」

 もう少し引き伸ばさなければ。

 しかし、瀬山は困ったように頬を掻いた。

「でもなぁ、ここは広いけどよく分からない機械しかないし、亡骸に繋がる手掛かりはないみたいだ。森本さん、東太はこのコースターに乗り込もうとしたんだろう?」

 ちえりはさっき、東太が一人でコースターに乗り込もうとするのを止めたら、ナイフで切られたと説明していた。

「だとしたら、彼の目的はコースターに乗ることだったんじゃないかな。乗った先に、何かがあるのかも」

「そもそも、なんでそう考えないのかアタシには理解できんねぇ?」

「……そうですね」

 これ以上粘るのは怪しまれるか。ちえりは黙って、二人に従うことにする。

 しかし。

「じゃ、瀬山ちゃん。その最前列の席に座って」

 清蓮はさも当たり前のことを言っているかのように血だまりの席を指さした。瀬山は青い顔になって清蓮を睨みつける。

「おい……何のつもりだ」

「何って? 席決めに決まってんじゃん。アタシは瀬山ちゃんの隣ね。ちえりちゃんは一番後ろにでも座れば?」

 何をぬかすかこの女。

 そもそもなぜ急にそんな提案を……


 ――まさかコイツ。

 分かっているのか!?

「清蓮さん、いくら何でもそれは、瀬山さんが可哀想ですよ。皆で後ろの席に座った方が……」

「まぁまぁ、ちえりちゃん。ちょーっとお姉さんと相談しようじゃないか」

 すると、清蓮はちえりの肩に腕を回し、体を密着させてくる。強引に、瀬山の方から離された。

 そして、清蓮は耳元で囁いた。

「クラッカーで殺したのはなぜだい? 拷問でもしたのかオマエは」

「ッ!」

「アタシが描くシナリオなら、そんなところに傷はつけないぜ~? 一発で自傷だってばれる。顔は、最も傷がつきにくい場所なんだ。特にナイフで切りかかられた時にはね」

 普通、人間には反射ってのがあるだろ、と清蓮はちえりの右腕を撫でた。

 脅威が目前に迫った時、人間は本能的に防御反応をとるものだ。まずは先に、手が出る。ナイフを持った人間が両手を前に出して防御する相手の顔を傷つけるなら、腕が三本必要だ。

「……ゆ、油断してただけですし。私は本当に、彼に襲われて……」

「あー、もういいよちえりちゃん。素人の嘘はすぐ見破れるんだよアタシ。これでも観察眼は養ってきたつもり。さっきのロッカールームに落ちていた血痕も、君の説明と噛み合わなしなぁ?」

 ちえりはうなじに冷たい汗が流れるのを堪えることができなかった。

「最初からオマエにはさ、嫌な感じがあったんだ。ここに連れて来られた連中の誰もが持っている不安って奴を、オマエは感じていないよう見えた。アタシ達が知らない何かを知っているような、そんな気がした。こんなに大胆な行動に出たのも、オマエが知っている秘密のおかげか? 森本ちえり、オマエは一体何を知っている」

 ちえりは答えない。

 だが、清蓮の手首を今に引きちぎってやろうといわんばかりに、その手は強く握りしめられている。

「オーケー分かった。じゃあ、本当のことを全部瀬山ちゃんに話してやる」

「……」

 握る力が、少しだけ弱まった。

「ふっふっふ。分かりやすいなオマエ。どうしてかは知らないけど、オマエは瀬山ちゃんを気にしている。そうだよな、困るんだろ? 彼に本性を知られたら。だったらアタシの指示に従え。今はとりあえず……瀬山ちゃんをあの席に座らせることに賛成しろ。他の疑問は、後でゆっくり明らかにしてやるさ」

「……殺してやる」

 凍てつくような声色で放たれたその一言を聞いて、清蓮は軽く口笛を吹いた。

「おお、怖い怖い! だが、一つ言っておくぞちえり、オマエはアタシとやり合うには詰めが甘すぎる。それに、相手を殺す気なら殺される覚悟もしておくんだな。……この黒い羊が」


 清蓮は肩を放してやり、何事もなかったかのように瀬山のもとに戻ってきた。彼は発車装置と思しき機械を難しい顔でいじっている。

「おまたせ~!」

「ん? さっきから何話してたんだよ」

「彼女がここに来る前のことについて知りたくてさ~。でも、結局アタシらと変わらないね。何も覚えてないみたいだ。そうだよねー? ちえりちゃん!」

 ちえりは無言で、清蓮を見つめている。その目つきは見つめるというより睨むと言った方が正しなと、瀬山は思った。

「……そうです。私は何も覚えてません」

 何故かちえりが怒っているみたいだ。どうせ、清蓮の奴が彼女の神経を逆なでさせるようなことでも言ったんだろう。

 いつものことだと、割り切ることにした。

「で、こっちの準備は整っているぞ。ボタンを押して、20秒後に発車する。どこに座るんだ? 僕はその、そこの席に座るのは嫌だぞ」

 仮にも、知人の破片が散らばっている席に座ろうとは思えない。

 しかし、清蓮はどこから持ってきたのか大き目のタオルを襟元から取り出した。

「あそこの装置の近くにかかってた。掃除用だと思うけど、使う? これでズボンは汚れんよ」

「いや、そういう問題じゃないだろ! なんでそこまでして東太の席に座らせようと」

「キミの嫌がる顔が見たいのだよアタシは。ほら! いいから早く座れって瀬山ちゃん!」

 彼の背中を押すようにしながら清蓮は彼をコースターの中に入れる。タオルで汚れをふき取った後、強引に嫌がる瀬山を座らせた。そして自分もその隣に座る。

「……足元に注意しろ。何か隠されてるかもしれない」

「何!?」

 大きなブザーが鳴った。なかなかに耳に堪える音だ。ちえりが発車ボタンを押したらしい。

 背後で、ちえりが座る気配を感じた。

 たった今人を殺した女が真後ろにいるのは流石にゾッとしない清蓮だった。

「……詳しくは言えないけど、その席に何かがある。コースターが停まるまでにそれを見つけてくれ」

「どういうことだ? ちゃんと説明してくれ!」

 部屋を散策している時、ちえりはコースターの周辺をうろうろしていた。しかも、この部屋から離れようと提案した時は真っ先に留まるべきだと反論した。それだけで、彼女がコースターに乗られると困る、ということが分かる。

 清蓮には、数分前にここで起きたであろう惨劇が目に浮かんでいた。

 東太の死に場所もコースター。

 恐らく彼の目的は、この場所だったのだろう。何かを探しに来て、それをちえりに聞きだされた。用済みとなった東太は、アタシ達の到着も相まって死ぬことになった。つまり、東太もちえりも、このコースターに何かがあると踏んでやってきたと考えられる。特に東太の死に場所であるこの最前列席は、最も怪しい。

 まさに、何かを探っている時に殺された、と考えることもできるからだ。

 一体何があるのか。願わくば、ちえりに気づかれないままそれをゲットできればいいのだが……

「あぁ、とんだアトラクションになりそう……」

 後ろの存在が余計なことをしなければ、平和な絶叫マシンになるんだけど。

 そんなことを想像してつい吹き出してしまう清蓮。ははは、絶叫マシンか。この空間じゃそれも十分に死に直結するじゃないか。



 つづく


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ