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クワイエットルーム   作者: 冬司
8/20

room8 覚る少女

 ~あらすじ~


 神沢俊と星野恵のコンビを倒し、見事一つ目の亡骸を手に入れた瀬山。今一つ信用に欠ける清蓮とも、不思議な連帯感が生まれつつあった。一方、残された俊は、安西真澄と音無秋彦のグループと合流する。秋彦は俊を開放し、戦力に加える作戦をとった。

 空間の謎を解き明かそうとする瀬山と、全滅を目論むコクリ達の対決が始まろうとしていた。一方、袂を分かった東太とちえりは、相変わらず行方をくらましたままだった。





 room8 覚る少女



 菊泉は会議用の円卓テーブルの上に置かれたショルダーバッグを眺める。もう一度周りの気配を確認してから、速やかにショルダーバッグのファスナーを開いて中を暴いた。

 そこには右腕のミイラと大量の法具が入っていた。唾を飲み込んでしまう。よもや、このバッグ一つあれば、この空間の人間を全員殺してまだお釣りがくるほどの戦力に思える。いっそ、これを持ち出してしまえば……

「菊泉」

 突如背後から聞こえた声に、彼は前につんのめってしまう。テーブルが足に当たって大きな音がたった。

「いてて、いつから後ろにいたんすか!? 桐嶋先輩」

「お前がそのバッグを触り始めた時からだ。その扉をくぐってこっちに来たんだぞ? 気づかなかったか?」

 桐嶋は背後の扉を親指で指す。

「気づきませんよ! ったく幽霊かよ……」

 こんなにでかい図体のくせして、気配を消すのは自分以上にうまい。噂で聞いたことがあるが、この人は元某国の特殊部隊で暗殺とかいう物騒な仕事をこなしていたらしい。本当かどうかは菊泉は知る由もなかった。ただ、生粋の日本人ではないのは本当らしかった。

「何やってるんだ。ここには入るなと会長から命じられているだろう」

 この『コクリエンタープライズ第一会議室』に非常によく似た部屋は、桐嶋が入って来た扉以外に出入り口がない、物を隠すにはうってつけの部屋だった。さらに、ここの前の部屋も一本道で、扉は二つしかなかった。

「ねぇ、桐嶋さん」

 菊泉はバッグを置き、テーブルの上に腰掛ける。そして、いつになく真剣な顔で桐嶋に問うた。

「なんだ?」

「俺達、ここから生きて出られるんすかね?」

 その質問に答えなど出ない。

「すべては会長のお心しだいだ」

「ちょっと考えたんすけど」

「やめろ菊泉。俺達は会長の右腕と左腕。お前はプロだろう? 邪な考えは捨てろ」

 菊泉は止まらなかった。

「亡骸はたったの5つ! それさえ集めれば葬送の儀式ができるんでしょ? 桐嶋さん、二人で力を合わせればあと4つくらい余裕ですよ。会長も連れて3人でここを脱出すればいい! なんで全滅にこだわる必要があるのか俺には分からねぇ」

「黙れ菊泉」

「どうせ会長のエゴだろ? あの人が死んだ娘の願いを勝手に解釈しているだけだ! 全滅なんて馬鹿げてるぜ。なぁ桐嶋さん、このままいけば間違いなく、あの人は俺達も殺すぜ?」

「菊泉、頼むから、黙るんだ」

 桐嶋はまるで諭すように言った。

「お前なら分かってるだろう。俺もお前も、会長に拾われなきゃとっくに死んでいたかもしれない身だ。それを忘れたのか? たとえここが現実世界じゃないとしても、会長の任務は全うしなきゃならん。雇い主の命令は絶対で、それを忠実に完遂してこそ俺達の存在意義がある」

「俺達はもうアウトサイダーじゃねぇ。民間のボディーガードだろうが。せっかく拾った命をここで捨てる方が間違いだと思うね俺は」

「菊泉……」

「俺はただ、桐嶋さんと一緒に生き延びたいだけなんすよ。あんたにまだ、返さなきゃならない借りがたくさんのあるもんでね。これじゃあとても死にきれねぇ」

 それだけ言い残し、彼はバッグを放って部屋を出て行った。

 ――俺が勝手にあの部屋に入ったこと、会長にばれたら大目玉だろうな、桐嶋さんが。部下の手綱もちゃんと握れないのかってな。

「あーあ、また借りを作っちまう」

 だからこそ、死んでしまうわけにはいかなかった。10年前にコクリ会長に拾われ、ずっと彼のボディーガードとして仕事してきた。桐嶋とはその間、ずっと組んでいる。まだ表社会の空気に慣れず、殺すことでしか食っていく術を知らなかった自分に、色々なことを教えてくれたのはあの人だ。

 桐嶋先輩にはでかすぎる借りがある。あんたに死んでもらうわけにはいかねぇんすよ。

 この空間に来てからというもの、菊泉の心には常に閉塞感があった。それは会長の命令に従い続けることで自分達も死ぬ可能性が高いこと。それを知っていても、桐嶋を説得することはできないということに。

 『娘』が死んでから、会長は狂った。会長はこの空間に来た瞬間、あの子からの啓示を得たのだと嘯いた。それはよく覚えている。その啓示が何だったのか、今やっと理解しかけている気がした。

「だけどさぁ……そりゃあ、あんたの独りよがりじゃないですかねぇ」

 あんた自身が、娘を奪った連中に復讐したいだけだろうが。

 俺は正直、どうでもいいぜ。

「亡骸が必要……か」

 あと3つ。集めてしまえば……葬送の儀式ができる。この空間から逃れることができるはずだ。おっと、その前にまず桐嶋さんを説得しなきゃな。先輩は頑固で真面目なプロだから、一筋縄にはいかないだろう。でも、簡単な方法が一つだけある。

 会長に。

 病死か事故死か……あるいは自殺で……――

「駄目だ」

 それは違う。

 親殺しはこの世で最悪の禁忌だ。

 絶対にやってはならないと、菊泉は拳を壁に打ち付け己を戒めた。だが、この状況下でどこまでこの信念を曲げられずにいられるか。菊泉はこのゲームの理想の勝ち方を考えるたびに、取れる手段がどんどん潰れていくのを感じていた。




 ***




 瀬山の背中にも今、小ぶりのショルダーバッグが背負われている。

 この中に入っているものは、一言で言えば悍ましいものだ。だが、この空間に囚われた己の状況を打破するための大切な鍵でもある。それを思うと見知らぬ誰かの屍が、この世に一つしかない宝物のように思えてくるから不思議だった。

 瀬山と清蓮は東太達を追って、二人が乗ったエレベーターに乗り込んだ。こちらも先程と同様、ワイヤーが動く機械音はほとんどしなかった。空間そのものが、極力音を立てないように気を付けているかのようだ。

「なぁー瀬山ちゃん」

「なんだよ」

 ぶっきらぼうにそう返す。

「まーだ引きずってんのかい? あの女のこと」

 ショルダーバッグが、急に重みを帯びた気がした。自分は故人の亡骸と一緒に星野恵の犠牲も背負っていることを自覚する。亡骸を見つけるたびに誰かを生贄に捧げなければいけないのなら、ここを出る頃には罪の重みに体が押しつぶされているんじゃないか。

「別に。ああするしか、僕らが先に進む方法はなかったんだ」

 虫のいい正当化だ。

 そんなことは分かっている。だが、それがどうした? 人間は誰だって自分が可愛いものだろう。

「僕はカッコつけて生きたくはない。人は、誇りのために死ぬんだ。誇りを失いたくないから、何かに命を懸ける」

「じゃあ、キミは命を懸けて何かをなそうとしたことないのかい?」

 清蓮の金色の目が、興味深げに瀬山の瞳を覗き込んできた。

 とても居心地が悪い。

「僕は今まで、そんな大層なシチュエーション恵まれたことはないよ。ただ……自分の命を守ろうと必死になったことはある。今がそうだ」

 命は大切だ。そう簡単に、命懸けという言葉を使いたくはない。

 戦いは避け、したたかに人を盾にしてでも自分は生き延びる。随分と卑劣な考え方だと自分でも思ったが、人間など誰しも、心の奥底ではそう思っているはずだ……違うか?

「あんたもそうだろ? 自分の命を投げ出してまで、守りたい誇りがあるのか?」

「うーん、キミはアタシになんて言って欲しいのかな?」

 瀬山はそれ以上、何も言葉を発せなくなった。


 


 無言のままどれくらい経っただろう。まだ一分も経っていないだろうが、嫌に長いエレベーターだと思った。この空間に高さの概念があるのなら、東京の高層ビルの最上階に匹敵する高さではないか。

 エレベーターはまだ扉が開かない。

「思い出話、していい?」

 唐突に清蓮が口を開く。

 瀬山はバッグを背負いなおし、頷いた。

「いいよ。何の思い出話だ?」

「アタシの処女作の話さ」

「あんたの処女作は『ハッピー・トリガー』じゃないのか?」

 彼女の本が初めて出たのは三年前。『週刊文豪発掘』という雑誌で掲載されたハッピー・トリガーだったはずだ。話の内容は人を選ぶものだったが、それなりに人気作となった。何度も重版されているはず。

「あれはアタシが本気で小説家を目指してから書き上げたものだ。アタシが思い出したのは、ホントにホントの最初の作品。初めて一からラストまで、自分の力で完全に書き終えた小説だよ。ちょうどこんな、エレベーターの中で繰り広げられる話だったんだ」

「あんた、密室で何かやるの好きだよな?」

 瀬山は何ともなしにそう呟く。

 清蓮の小説の主人公は、よく逃げ場のない空間に閉じ込められてひどい目に遭うことが多い。意図してか、偶然かは知らないが。

「タイトルは、『4.5㎥の処刑場』だったっけな……ああ、お察しの通り人がいっぱい死ぬ話さ」

「HappyENDにはならなそうな話だな」

「ところがどっこい。このアタシにしては珍しく、HappyENDさ!登場人物たちが収まるべきところに収まって、物語が完全に終わるんだ」

 だが、清蓮はそれっきり、話を先に進めようとしなかった。浮かない顔をして俯いてしまったのだ。自分から話を持ち掛けておいて、妙だ。まるで嫌なことを思い出したかのようで、瀬山はむしろそっちの方に興味が惹かれる。

「……そうだなぁ。あんたの一ファンとしては、その小説も気になるところだ」

 彼女を元気づけてやるつもりで、そんなことを嘯く。

「ふっふっふ~。嬉しいこと言ってくれるねぇ? でも、ごめんね。原稿は手元にないんだよ。人にあげちゃってさ」

「人に?」

「そ、同じ学部の先輩に……――」

 次の瞬間、清蓮の脳裏にどろりと粘つくような記憶がいきなり沸き上がった。それはコールタールのようなねっとりとした質感を伴い、彼女の頭の中を徐々に覆っていく。


 ――蓮子ちゃーん。こんな小説、プロの世界じゃ通用しませんよ?


 誰だ?

 思い出したくもない、声。

 彼女は眉間を強くつねった。

「あ…ああ!」


 ――まったく、話にならないよ。少しはボクを見習って、書き方を変えてみたらどうですか?


 目の前で、引き裂かれる原稿用紙。

 清蓮は、自分の拳が強く握られていることに気づいた。


 ――蓮子ちゃんはさ、才能なんてないんだよ。君はただ、ボクを見ていればいいんだ……憧れのボクを。


 その顔に貼り付いた笑顔は、お気に入りの人形を愛でるかのようなぬくもりのない笑顔。自分の体に、手が回される。壊れかけの人形の調子を確かめるように、その手は体のいたるところを這いまわった。慰めではない。ただ傲慢に、己の独占欲を満たすために体をまさぐられる。それに気づいた時、清蓮はその男に強い拒絶反応を抱いた。

「やめて!」


 瀬山は困惑したように、清蓮を見つめていた。

「……せ、清蓮」

 肩に微かな体温を感じた。

 心配した彼が肩を揺すっていたのだろう。清蓮はよろよろと壁に寄りかかり、深呼吸する。

「大丈夫……嫌なこと思い出しただけ」

 瀬山との距離感を見るに、自分は彼を突き飛ばしたのだと分かった。これほどまでに、リアルな不快感をもよおしたのは久方ぶりだ。

 あの時以来だ。うすら笑いをうかべた口元。顔の全体像は掴めないが、あれは確かに男だった。あの男が、アタシの魂の一作を踏みにじった。それだけははっきりと思い出した。

 だが、その顔はどうしても思い出せない。名前も、記憶の海の中に沈んでいる。暴かれるのを無意識に恐れているのか、鍵のかかった部屋に封印されているかのように見えなくなっている。

「突き飛ばして、ごめん。悪気はないんだ」

「様子がおかしいぞ? いきなり悲鳴をあげた……本当に大丈夫か?」

 瀬山は本気で清蓮を気遣っているようだった。

「アタシを心配してくれてるのかー? へへ、少しは女の子の扱いを分かってきたようじゃないか」

「……女の子、っていう歳でもないだろう」

「うわ、ひっで」

 清蓮は憎らし気に舌を出す。




 程なくして、エレベーターの扉が開いた。

 もう何を見ても驚かない自信があった瀬山だったが、またも立ちくらみを起こしそうになる。

 エレベーターを降りると、そこは一つの部屋である。

 教室だ。およそ30人学級の教室。ごくありふれた学習机に、安っぽいプラスチックの四足の椅子。椅子と机の大きさから、ここは中学か高校の教室だと推測できた。

「アタシが学生だった頃はこんな椅子じゃなかったなぁ」

 清蓮が椅子の背もたれをこつこつ叩く。とても軽い音がした。

「木製だったんだろ」

「瀬山ちゃんもこんな椅子に座ってたのかい?」

 はて、どうだっただろうか。少なくとも小学生の頃は年季の入った木の椅子に座っていた気がする。昔と比べて今の学校は随分と様変わりしているらしい。今は全教室にパソコンがあったり、黒板が全部ホワイトボードになっていたりと、かつての瀬山少年の空想が及ばないような進化を遂げているはずだ。

「それにしても、ここはアタシがいた最初の部屋に似ているな」

「そういえば、あんたのスタート地点は学校の教室だったんだっけ?」

「そう、ちょうどこんな形の机と椅子が並んでいた。と、言うことはー? こことあの部屋は同じ学校の教室である可能性が高いね。……瀬山ちゃん。机の中とか調べてみようぜ」

 二人は手分けして教室の中を探ってみることにした。

 部屋にはさっき入ってきたエレベーターと、反対側の出入り口にスライド式の扉がある。きっとあそこから別の部屋に行けるのだろう。瀬山は部屋を調べつつも、扉の方を警戒するのを忘れなかった。あそこからいつ誰かが奇襲をかけてくるか分かったものではないからだ。

 だいたいの机の中には何もなかったが、瀬山はそれ以上に気になる席を発見する。一番窓側の、一番後ろの席。所謂、最も眠りに落ちやすい魔の席だ。その机だけ、異様な存在感を放っている。

「ひどいな」

 机の上には、消えないペンで罵詈雑言が記されていた。

「こんなの、創作の世界でしかないと思っていたが、実際にあるんだな……」

 いじめという奴か。瀬山の学生時代のクラスにも、一人くらい弱い立場の人間がいたのを思い出した。いじめ、というほどでもないように見えたが、きっと当人しか分からないような嫌な気持ちを抱いていたのだろう。

「珍しいものでも見るような顔だねぇ、瀬山ちゃん」

 清蓮も気が付いて、こちらにやってきた。

「当たり前だろう。僕は極力、厄介ごとは避けて生きてきた」

 もちろん、瀬山は目をつけられることも加害者になることもごめんだったので、傍観者を貫いていた。幸い、瀬山のクラスにはこのような心無いラクガキをするバカな連中は1人もいなかった。

「あんたは弱い者いじめが好きそうだ」

「とんでもない! アタシはどちらかというとマゾヒストでしてねぇ……」

 清蓮の性癖など微塵も興味はない。瀬山は舌打ちして彼女を黙らせておいた。

 瀬山がもう一つ気になっていたのは、ラクガキの机ではなく、ラクガキの内容そのものだった。

 死ね。

 キモイ。

 消えろ。

 こんなよくある罵倒の言葉に次いで、『バケモノ』という文句が散見された。

「なんだ? バケモノって……」

 バケモノ、という言葉が指すものは、単に人外の存在を指すことが多い。例えば妖怪や、怪物。あるいは人間にあるまじきとてつもない能力を持った者のことを『化け物じみている』なんて言ったりする。どれにも共通して言えることは、化け物に対して人は明らかに嫌悪感を抱いているということ。

 そしてもう一つ、畏怖の念だ。

「化け物呼ばわりされて虐められるなんて……」

「その子がとんでもなく変わった格好をしていただけかもよ? ガキはすぐ、個性って奴を潰しにかかる習性があるからねぇ」

 清蓮の意見も否定できないが、一概に頷くことができない。

 瀬山はその机の中を探った。

 すると、一個の赤いがま口財布を発見する。しかし、中身は空っぽだった。誰かが先にここにやってきて、金だけ抜いて財布を戻したのだろうか。だとすると東太とちえりが……

「東太たちがここを通ったのは確実だ。一体どこまで遠くに行ったんだ?」

 彼は何か目的があって行動しているはずだ。だが、予想に反して東太は第一の亡骸を狙わなかった。想像するに、東太は故人の亡骸を見つけること以上に重要な何かを探している。

「清蓮。そろそろ次の部屋に行こう。東太が何を企んでいるか分からな……」

 彼が清蓮の方を振り返ろうとした時、背後で金属のきしむ音が聞こえた。何かと思えば、清蓮が席の後ろにあった掃除用具入れを開けた音だった。

「何やってるんだ?」

「瀬山ちゃん。もっと面白いもの見つけたよ」

 そう言って彼女は手招きしてくる。瀬山は財布を放り、彼女の元へ向かう。清蓮は掃除用具入れの中に鎮座しているバケツの中を指さしていた。バケツにはまだ湿り気が残っており、使い古された雑巾がバケツの縁にかかっていた。

 やられた側は、相当心に堪えたことだろう。水浸しのバケツの中に、教科書と思われる書籍が乱雑に突っ込まれているのだ。この教室で行われていた身勝手な私刑に、流石の瀬山も胸がむかついてきた。

「いったい何なんだここは! どうしてこんな物が置いてあるんだ?」

「……ジオラマ模型?」

 清蓮の呟きに、首をかしげる。

「どういう意味だ?」

「何かを再現しているのか……この部屋にある物を見てるとさ、日常のワンシーンを切り取ったような、まるで写真を見ているような気がしてくるんだ」

 過去の出来事の再現というわけか。

 確かに言われてみれば、このバケツに入った教科書や、机のラクガキも、妙なリアリティーがある。あのラクガキの言葉一つ一つに、明確な悪意がこめられているように思える。

「おい瀬山ちゃん、この教科書の裏、見てみなよ」

「裏?」

「とんでもないビッグネームが書かれてる」

 言われるがままに、教科書を拾い上げる。瀬山はその持ち主の名に、目を見開いた。


 黒狗徐歌。


「コクリ……」

 黒狗という姓など、そう多くはない。これが偶然の一致などと嘯くバカはいないはずだ。徐歌は明らかに、女性の名前……この名前の主がまさか、コクリ会長の娘、ということになるのだろうか? 瀬山は震える手で教科書をめくってみた。

 ページは水気を吸って、ふやけている。ボロボロで読みにくく、さらに多くのラクガキがされていた。黒いペンで1ページまるごとぐしゃぐしゃに円を描かれたものもある。

 中でも、とりわけ目を引いたこの文句。

『サトリ女』

 これは、何だ?

「サトリ? サトリ……バケモノ……これはサトリ妖怪のことかな?」

 聞きなれない単語をいきなり提示され、瀬山はオウム返しに清蓮に尋ねる。

「なんだ? サトリって」

「人の心を読むことができるっていう、毛むくじゃらの妖怪がいるんだよね。そいつがサトリっていう妖怪さ。黒狗徐歌がなぜ、サトリ呼ばわりされてたのか知らないけど」

 もし本当に、心が読める人間が同じクラスにいるとしたら、さぞ気味が悪いに違いない。

 心が読める人間、か。とてもじゃないが、非現実的だ。

 しかし、瀬山の中で何かが引っ掛かった。この心が読めるというフレーズが、頭からこびりついて離れない。普通に考えればありえないの一言で片づけられてしまいそうだが、そうすることができなかった。

「何か、思い出せそうだ」

 だが、何だ。

 自分の記憶に、どう関わっているんだ? この黒狗徐歌という人物は。

「瀬山ちゃん。キミも何かが分かりかけている。そんな顔だ」

 見ると、清蓮も歯に何かが挟まったような、そんな顔をしていた。

「神沢俊は、復讐だとか言っていたよな」

「そうだね」

「僕にも、あんたにも、徐歌という人物に心当たりがあるとしたら……僕らは彼女に何かをしたのか?」

 復讐されるようなことを、したというのか。



 つづく

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