room7 心の歪んだ化け物なのだろうか
room7 心の歪んだ化け物なのだろうか
激しい頭痛に苛まれ、俊は目を覚ました。
くそ……数分だろうが、自分は落ちていた。ターゲットであるあの男と、女にやられたのだ。
「結局グルだったのかよお前ら……」
手首には椅子の支柱にかけられた手錠。これでは立ち上がることもできない。ハッと顔を上げると、そこには愛しき彼女が俯き加減に立っていた。勿論、その横には憎き瀬山と清蓮もいる。
「正確には、たった今僕たちは本当の協力関係になれた、ということだ。神沢俊君」
瀬山はしゃがみこみ、俊の顔をじっと覗いた。眼鏡を押し直し、焦点を合わせてくる。
俊はいけ好かなく思った。菊泉や桐嶋といった反社会的な風格はないものの、この世のあらゆる出来事を卑屈に見ているようなその目は気に入らない。その反面、いかにうまく立ち回るかを常に計算しているかのように、神経質に頬を掻かく様子も油断できなかった。
「話は大体、そこにいる彼女から聞かせてもらったよ。同情する。彼女の耳に今のところ異常はないから、君たちが任務に失敗したことは向こうに伝わっていないようだね。君を思うように動かすための脅しに過ぎないと思う」
恵は申し訳なさそうに頭を下げた。首を横に振る。ただ、「心配するな」とだけ伝えた。
「なぁ……瀬山さん。あんたは話が通じそうだ。俺はどうなってもいから、恵の命だけは見逃してくれないか?」
クスクスと清蓮が笑った。指を鳴らしてビンゴ~! などと呟いている。俺の台詞を予想して楽しんでいたのか? 性悪女め。
「あんたらにとって危険なのは、俺だけだろ!? それに俺が死ねば、奴らにとっても恵を拷問する必要はなくなる。だから……」
「俊君! そんなことを言うのはやめて!」
恵は悲痛な叫びをもって俊を制した。
悔しさだけが己をむしばむ。ちくしょう、俺はまた彼女を守れなかったのか。
「僕たちは君たちを殺す気はない。ただ、武器と知っている情報だけは置いて行ってもらうけどな。知りたいのは君達を脅した『コクリ』と言われている集団についてだ」
異様に多くの武器を持ち、この空間に連れ込まれた人間達を操って手駒にしている。最も危険で、不気味な存在だ。看過はできない。
「本当は……君たちとも協力関係を結びたかったんだが、だめなんだ。君たちのバックにいるコクリは、完全に僕らの敵らしいし、恋人の命が握られているのなら君は奴らに従うしかないんだろう。残念だが、こうするしかないんだ」
「瀬山ちゃん。あまり時間はないよ~? 早く全部吐かせよう」
クラッカーを、恵の方に近づけながら宣う。
命を狙われることをした覚えはない。清蓮もその『コクリ』とかいう連中の目的が非常に気がかりだった。
「恵ちゃん曰く、詳しい話を聞かされたのはキミの方なんだってな神沢俊。アタシは瀬山ちゃんほど甘くない。今すぐにでも彼女を爆殺できる」
「清蓮! やめろ」
口ではそういうが、この男に清蓮は止められないだろう。そもそも止める気すらないのかもしれない。俊は反吐がでそうになるのを堪え、無理やり口を動かした。
「あの連中は、あんたら二人と、もう一人、安西真澄ってオッサンを殺そうとしているみたいだった」
「安西だと?」
あの男か。
僕らを真っ先に裏切って一人で拳銃をもって逃げた男。だが、なぜだ? あの男と清蓮、そして自分、瀬山が同じ相手に狙われる理由が見えない。
「なぜその三人なんだ?」
「俺が知るかよ。あー…だけど、狐顔の奴が言ってたな。『これは復讐だ』、ってな。ハハ、あんたらここに来る前に何かやったんじゃないのか?」
復讐だと。
思い当たることは勿論ない。清蓮の方を見やるが、彼女も眉をひそめて首を振るだけだった。
「あんたも記憶なし、か? へぇ、みんな記憶がないんだな」
「キミも記憶がないのかい? ここに来る前のことを」
「馬鹿にするな、俺は覚えてる。サークルの合宿で、深夜バスを使って移動していたんだ。で、俺は眠りに落ちた。目を覚ましたら妙な部屋にいた」
「深夜バスを使うのはしょっちゅうか?」
「まあな。合宿は月に一回あるけど、いつも同じ深夜バスで移動するから」
「それは覚えてるとは言えないな……」
これでは、自分とさして変わるまいと思った。
状況は違うが、一つだけ同じと言える点がある。皆、日常のルーチンの中で記憶が途切れている。だからこそ、ここにやってきた正確な日時を知る者がいない。瀬山は作為的な何かを感じた。
「……あの連中は何もかも知ってる、って素振りだった。持ってる武器の量も半端じゃねぇし、俺達よりもここのことを理解している。だけど、全部じゃないみたいだった」
「全部じゃない? どういうことだ」
「なんていうか……最初俺はあいつらがここに俺達を連れこんだ主犯かと思ったんだが、どうも違うみたいだった。仲間同士でひそひそ相談してたし、奴らのボスがいるみたいだった」
「それが、会長とか言われている奴のことか?」
恵から、菊泉、桐嶋と呼ばれる黒服の他に、『コクリ会長』と名のつく存在がいることをすでに聞いていた瀬山は、すかさず突っ込んだ。しかし、俊は首を横に振る。
「確かに、会長って奴がいるみたいだったけど。黒幕はそいつじゃない気がする」
「まだ誰かいるのか?」
「これは、俺がたまたま、奴らの会話を耳にして知ったことなんだが……コクリ達はあんた達とは違う目的で動いてる。この部屋に連れて来られた人間たち全員の抹殺だ。あいつらは故人の亡骸集めに参加していない。そしてその故人っていうのが……どうもコクリ会長の娘らしい」
意図もしなかったその事実に、瀬山は何の言葉も返すことができない。どういうことだ?故人が、コクリ会長の娘?
「つまり、なんだい? この空間は、コクリ会長の娘の葬式をするためにあつらえたってわけか?」
「葬式か何だか知らないけどよ。菊泉の奴が言ってたんだ。『会長の娘さんの亡骸は、一個あれば十分』ってな。あいつらは、亡骸を一個押さえることで他の参加者をおびき出そうとしているみたいだった」
「とにかく、コクリ達は黒幕に近い存在だってことだ。ここを出たいなら、その連中を倒す必要がある」
なぜ、黒幕までこの空間に一緒にいて、あたかも一参加者のように殺し合いに参加しているのかは不明だ。
そう言えば、あの映画『フェイク・ルーム』にも似たようなシーンがあったのを思い出した。
あの映画のラストだ。黒幕は、序盤で主人公と行動を共にしていたヒロインだった。彼らが閉じ込められた密室は元々、彼女が仕組んだもので、中で人間同士の殺し合いを行わせて無残な死を遂げさせようというヒロインの邪悪な思惑だったのだ。これまで、ヒロインも自分と同じ被害者だと思っていた主人公は、最大のフェイクに直面する。
この空間に来てから、妙にあの映画を思い出すことが多いのは、きっとシチュエーションが似ているからだろう。それに、デスゲーム物の作品では、黒幕が参加者に混じって目的を果たそうとする手はよく使われるシチュエーションだ。危険なようで敵の盲点を突ける。そういう意味では、コクリが黒幕として殺人ゲームに参加している可能性もなくはないはずだ。
瀬山はもう十分だとばかりに頷く。
「先に進もう」
自分の命を狙うコクリは、障害だ。もう一つとして亡骸を奪われるわけにはいかなかった。瀬山は俊の前で俯いて座っている恵の手を掴んで立たせた。
「おい、何をする気だ? てめぇ」
「この子は連れていく。君が余計なことをしないようにね。この先の部屋を調べ終わったら、戻って来るよ」
いきり立ち、立ち上がろうとした俊だったが、手錠が邪魔してすぐに床に引き戻される。
「ふざけるな! 俺は手錠で繋がれてるんだぞ!! 何ができるって言うんだ? 恵を連れていくな!」
うるさい……
念のためだと言ってるだろ。彼に指を突きつけ、瀬山は言った。
「いいか、神沢。僕は君のことを信用していない。君は脅されているとはいえ、コクリの手先なんだからな。彼女の身が心配なら、黙ってそこにいることだ。ちゃんと戻って来るし、恵さんには絶対に危害はくわえない」
保険を、掛けるだけだ。
俊にそれ以上有無を言わせず、瀬山は恵を連れて待合室の奥にある無人受付のカウンターを横切った。カウンター内に扉が一つある。そこからまた別の部屋に行けるのだろう。
俊は気が気ではないというように、瀬山と恵の背を凝視していた。
「ふっふっふー……いいねぇ、恵ちゃん。彼女は幸せ者だぁ~。こんな男に愛されてねぇ」
清蓮がのんびりと呟いた。
「てめぇら覚えておけよ? ここから逃れたら必ず殺しに行ってやるからな」
「うーん、瀬山ちゃんもキミくらい信念ってもんがあれば……」
もっと早く死んじまってるんだろうが。
清蓮は俊の頭をポンポンと叩き、二人の後を追って行った。
***
「この空間について考えていたんだ」
白い壁に囲まれた奥に長い部屋。遠くに扉が見えるだけで、他には何もない部屋だ。しばらく無言で歩いていた一行だったが、突如発せられた清蓮の言葉には皆、耳を傾けざるを得なかった。
「この空間が何だって?」
「前にも話したっけ。ここが現実の世界じゃないだとか、夢の世界だとかいう話」
「ああ、最初の部屋でな」
清蓮はここが現実ではない、夢のような世界なのだと強く力説していたのを覚えている。瀬山はまだ、ここが社会とは隔絶されているとはいえ、夢を見ているとは信じがたかったが……今はもうここが現実とは到底思えなくなっていた。
「どこかの……あー、施設とかじゃないか?」
「瀬山ちゃんは『共通夢』の話を聞いたことがあるかい?」
あまりピンとこない単語だった。
「……いや、知らないけど」
「まぁ、一種の都市伝説みたいな話でさ。どんな人間でも、生きているうちに必ず見る夢、ってのがいくつかあるらしいんだ」
「高いところから落ちる夢とか?」
「確かにそれもそうだが……アタシが言いたいのはもっと、具体的な夢なんだ。それこそ、物語の中に入り込んだみたいに、不思議でストーリー性のある夢」
まだ、よく分からない。
瀬山の顔を見て話が進まないことを悟った清蓮は、答えを言った。
「転ぶと死ぬ村、っていう夢の話だ。あれぇ~? なにさその顔、聞いたことないのかい?恵ちゃんも?」
恵は無言で首を横に振るだけだ。
「あっそ……まー、その村っていうのがね。一生に一度、夢の中に現れる村なんだ。荒廃とした村に自分一人が迷い込む。辺りを見渡すとたくさんの人が死んだように横たわっているんだ。しばらくすると、一人の少女が現れる。その少女は言うんだ。『ここは転ぶと死んじゃう村』ってな。そして少女は走り出し、石につまずいて転んじまう。すると、だ。少女は顔を紫色にして、泡吹いて死んじまうのさ」
「で、その後どうなるんだ?」
「その後? さぁねぇ? そのまま目が覚めるのを待つしかないんじゃないかな?」
「村で転んだら、そいつはどうなるんだ」
「知らないよ。転んだって奴の話を聞いたことがない」
「馬鹿馬鹿しい。完全に都市伝説だろ」
はははは、と彼女は明朗に笑った。
「まぁ、元ネタは三年峠のオマージュだって話だし。アタシだってそんな話は端から信じちゃいないよ。しかしだねぇ、瀬山ちゃん。夢の世界と現実は必ずしもリンクしないとは限らないのだよ」
妙に神妙な口調になって、清蓮は話しを続ける。
その語り口には引きつけられるのを感じた。
「心理的にも、だ。夢は人間の心の状態を反映するものさ。締め切り間際で焦る作家が、追われる夢を見る。自信作を書き上げたものの、世間からは白い目で見られ、ビルから飛び降りる夢を見る」
思わず吹き出した。
「それはあんただろ」
「アタシはな、この空間が、現実世界のアタシ達が陥っている環境に起因していると言いたいんだ」
あくまで現実世界はここじゃないって、言いたいのか。
「そう考える方がな、簡単に説明がつくんだ。要するに、ここは大多数が同時に見ている共通夢で、ここにいる全員が何らかの元凶を中心にしてリンクしているんだ」
推理小説ではよく、ミッシングリンクと呼ばれ、被害者たちの隠された繋がりを見つけ出すことが解決の糸口に繋がることがある。
「ここにいる全員に、何かしらの繋がりがあるってことか?」
「あのボウヤが言っていたろ ?これは復讐だってな。アタシ達は誰かの恨みを買ってるんだ。そして、示し合わせたかのように皆記憶がない。隠されている」
「なら、この空間が夢の中だとして、ここで死んだら向こうではどうなるんだ?」
「現実世界の環境が夢の世界に影響すると考えるなら……夢での環境も向こうに影響するかもねぇ。だから、死ぬんじゃないかな? それこそここは、『静かにしないと死ぬ部屋』だからな」
馬鹿げている……
結局、眉唾な都市伝説と同じじゃないか。しかし、彼女の話は異様な説得力を感じさせる。仮にもしこれが彼女の言う通り夢の世界だとするのなら……共通夢?
ここでは殴られても痛いし、コーラの味だって分かった。自分が今、眠っているとは考えられない。だが、摩訶不思議な都市伝説の力が働いた特殊な夢の中なら、あり得るのだろうか? 転ぶと死ぬ村で転んだ人間の話は聞かない。もしかすると、他にも共通夢は存在していて、誰もが覚えていないだけで実は皆体験しているのでは? そして、夢の中で死んだ者は何かしらの環境によって現実世界で反映される。そして今、僕の番がとうとうやって来た。これは人間が避けて通れぬ試練……――
いかん、また不毛な空想を……
瀬山は強く頬をつねった。
「清蓮さんって、リアリストじゃないんですね」
恵がぼそりと言った。
清蓮は何故か得意顔になる。
「未知にロマンを感じられない奴にはいい物語を書けないと思うね。アタシは。例えばキミは幽霊の存在を信じるか?」
「……私は、いるかもしれないって思いますけど」
「そうだねぇ。いるかも、って思えることは大切なことだよ? 恵ちゃん。ほらほら~キミも見習いたまえ!」
空想癖の僕に言うことかそれは。
あんたの10倍、ありもしないことを考えてるよ。
瀬山はからかってくる清蓮を無視し、歩調を速めた。さっきから頭の中で展開されている、荒唐無稽の空想を振り払うように、彼は目の前の扉へと向かうのだった。
***
扉の奥には、予想だにしない光景が広がっていた。
複数の丸椅子が点在し、椅子の数だけ白いキャンパスが置いてある。壁際に押しやられた長いテーブルの上には、ごつい体つきのトルソーがいくつも置かれている。
そして、黒板の前には一つの棺桶が置かれていた。
ここが何の部屋か、誰もが真っ先に名前が浮かぶ。ここは紛れもない、『美術室』だった。
扉から見て左手には、窓があった。清蓮の言っていた通り、そこに青空などない。そこまでも続いているような、赤黒い暗黒空間が渦巻いている。
「……現実には思えないだろ?」
瀬山は何か言おうと思ったのだが、肝心の言葉が出てこない。一体何から先に振れればいいのやら。とにかくだ……最も意外に思ったことを尋ねてみることにする。
「なぁ清蓮……東太たちは正解の道を知っていたんだよな?」
「んー? んー……だと思ったんだけどねぇ」
ここは、式場Fの風間高等学校美術室ではないのか?
疑問が沸き立つ。東太は僕たちを出し抜いて故人の亡骸を取りに行ったわけではなかったのか? 訳が分からない。
「ここ……私の知ってる場所だわ!」
恵がショックを受けたように息を飲んでいた。
「今なんて言った?」
「ここ知ってます。私が通っていた高校の美術室です。風間高等学校の……」
間違いはないらしい。瀬山達の最初の目的地である、式場Fが見つかった。恵は風間高等学校のOG、ということは、ミッシングリンクか?
やはり彼女も、この空間に招かれるべくして招かれたと考えられる。清蓮も、同じことを考えているようだった。
「あの棺桶、調べてみるか」
とりあえず、目の前の問題から片付けていくことにした。3人は棺桶の傍に近寄る。
棺桶は一見して変わりがないように見えるが、蓋の留め金部分にガラス盤のついた金属の錠前が掛けられていた。しかも、そのガラス盤には赤く輝く数字が表示されている。
0 0 0
瀬山達は無意識に、自分の左腕を見た。そこに表示されている数字と意味が酷似しているだろう。そんなことは考えるまでもなく分かる。
「OK瀬山ちゃん。まずはできることから試してみようぜ」
クラッカーは、俊から奪ったものを合わせて手元に5本あった。しかしここは、清蓮の目覚まし時計を使うのが武器の節約になるだろう。弾数を気にしなくていい法具はこういう時便利だ。
瀬山は目覚まし時計を10秒後にセットし、棺桶の上に置いた。そして、急いでその場から避難する。
すぐにけたたましい音が鳴るが、錠前に反応はなかった。相変わらず、三つの0が表示されたままだ。
「……」
嫌な予感がする。
瀬山は、わずかな望みをこめてクラッカーを取り出した。
「やめなって、無駄さ」
「やってみないと分からない」
クラッカーを鳴らす。
数値に変化はない。
「どこかに、センサーがあるんだ。それを探そう」
しかし、清蓮は強引に肩を引っ張って止めた。反論するように彼女を睨むが、清蓮も、今まで見せたことがないような憂鬱な顔をしていた。
「センサーは錠前についてるよ。その鍵穴、よく見なって。そこには鍵が入らない」
彼女の言う通り、鍵穴のある部分にはぽっかりと丸い穴が空いているだけであり、さらにその上に薄い膜が貼られている。
「法具で反応しないなら、可能性は一つだけ」
清蓮は鍵に自分の口を寄せる。
「ひらけごま!」
少しトーンを抑えたが、それでもひやりとする音量だった。
それでやっと、ガラス盤は0 5 2 を示す。だが、それも一瞬で、すぐに数値は0 0 0に戻ってしまった。騒音値の蓄積ができないという、なんとも憎たらしい仕組みに憤然とした。同時に清蓮の地獄耳は0 6 0を表示していた。
「おい……嘘だろこれ」
冷たい絶望感と、燃え滾る怒りを感じる。
狂っている。こんな仕掛けを作った、このゲームを仕組んだ奴が……心から憎らしく思える。一体、僕達の命を何だと思ってるんだ。
「この棺桶を開けるには、誰かが犠牲になるしかないってことか!?」
「信じたくないけどね、やるしかない」
清蓮は無言で、彼女にクラッカーを向けた。
星野恵は呆然として棺桶を見つめるだけだ。瀬山はぎょっとして清蓮の腕を払った。
「やめろ!」
こんなことを許すわけにはいかない。人間として、最低なことだ。
「何か手はあるはずだ清蓮! こんな……生贄を差し出すような真似、間違っているだろ!」
「ルールが差し出せと言っているんだ。アタシと瀬山ちゃんは仲間なんだから、コイツを使うのは当然じゃないかな?」
「でも……だめ、だろ? この子をみすみす死なせるようなこと――」
「あー、はいはい。誰も死なせたくない、おやさし~~い瀬山ちゃんは皆が幸せになる道を考えます~ってかい? いい加減にしろ瀬山ぁ!」
彼女の平手が、瀬山の頬にぶち当たり、大きな音をたてた。その音で殺す気なんじゃないかと思えるほど、静寂の部屋の中によく響いた。
清蓮は彼の胸ぐらを掴み上げる。
「いつまでも甘いこと言ってんなよ? アタシはな、何が何でも生き延びる。書きたい小説が、山のようにあるからだ! キミもそうだろうが。生き延びたいから、だからアタシと手を組んだんだろ? だったらな……この女を利用しない手はないんだよ!!」
瀬山を突き放し、清蓮は冷酷な目で恵を見やると、棺桶の方を指さした。
「俊のために死ね。星野恵。キミがこの棺桶を開けるんだ」
「清蓮!」
「……黙ってよ、瀬山ちゃん」
間違っているのはキミの方だと、いい加減に気づけ馬鹿。
キミがろくでもない男だってことは、とっくに分かっていることだ。そんなキミにこれ以上、綺麗ごとを言ってほしくないんだ。ホント、虫唾が走るからさ。
「キミのエセ正義感にはもううんざりなんだよ……アタシには、キミの心の中が手に取るように分かる。頼むからさ、黙って見てろ」
これは戦いなんだ。
俊と恵は、アタシたちに敗けた。敗者は勝者に道を譲らなければならない。当然のことだろう?
清蓮は彼を黙らせ、恵にクラッカーを向けたまま言葉を紡いだ。
「キミには、アタシ達が何を言っても空虚な言葉にしか聞こえないだろうね? それでも、あえて言う。キミと俊君の絆はすごく、尊いものだと思う」
それを利用しようとしているアタシのことなんか、好きなだけ軽蔑してくれて構わない。軽蔑されて生き残れるのなら、アタシにはそれで十分。
「キミがここでアタシ達から逃げるという選択肢もある。だが、その時は必ず、俊君を殺す」
恵はしかと清蓮の目を見据えていた。臆せずに、一切逸らさずまっすぐに。瀬山はようやく、あの二人を初めて見た時に感じた気持ちの正体に気づいた。
羨望だ。
自分には一切存在しない、誰かのためにあそこまで一所懸命になれる熱き心だ。だから、僕の書く主人公は、弱いんだ。
あの二人の持つ熱のような何かが、ない。
「あなたは、私の出す答えも分かっている」
「……どうだろう?」
「どこまでも、最低ですね」
恵はふっと笑った。
「もちろん、彼のために私は死にます」
――決してあなた達のためじゃない。
「あなた達には、死を望みます」
「プロット通りだ。憎たらしいほどに」
いっそ、キミが逃げ出してくれた方が、面白い話になったのにな?
誰もが顔をしかめる、最低のシナリオさ。
清蓮は後ろに下がった。瀬山もそれに倣う。彼女は1人、そこに残された。尋常でなく肩を震わせながら。
それでも恵は棺桶と向き合い、逃げる様子はなかった。本当は、期待していた自分がいたのを、清蓮は自覚していた。彼女がこの場から逃げてくれることを。もしそうしてくれれば、ここまでひどい悪役にならずに済んだんじゃないかな、と。
清蓮は嘆息しつつ、静かに笑う。――まったく、馬鹿げた考えだ。だが、無害な少女に死を選ばせ、道を開くこのやり方が善いことでないのは、清蓮にもよく分かっている。
「瀬山ちゃん。見えるかい?」
「……」
「生の実感が」
「ああ……」
彼女の背中を通して、はっきりと見える。
それは、生きながらえることに対して、底知れぬ安堵を覚える己の心。
人の犠牲の上に立った。優越感。
「ふっふっふ……いいねぇ、この景色は、まさに、絶景だ。生きてる実感ってのは、この瞬間、一番身近に感じられるものだ」
恵は口を開けたまま、静止していた。
声が、出ない。
「し……俊…くん……」
いやだ。
死にたくない。
死にたくないよ。
俊君と、お別れしなくちゃいけないなんて。そんなの嫌だ。
でもそれ以上に、貴方に生きて欲しいから。
「俊君!」
彼女は声を絞り出すように叫んだ。
だが、まだ足りない。
0 9 7
息が詰まる。
止まらぬ震え。
大丈夫だ。これで彼は、生きられるんだから。
私は、やっと俊君を守れるんだから――
「愛して――」
星野恵は美しく、赤く体を染めて霧散した。彼女の体温がぶわりとこちらに降りかかってくるような、奇妙な感触を感じる。
清蓮はしばらく目を閉じて爆散の余韻に浸っていたが、事が収まると速やかに棺桶を開けに行く。
中には人間の右足のミイラが入っていた。ミイラはまるで精巧な木細工のようで、ニスをぬっているかのような艶があった。実際に触ってみなければ作りものだと断定されてしまうだろう。だが、ひとたび触れれば、それがかつて生気の宿っていた、人間の一部だったことは容易に伝わってきた。
清蓮は顔をしかめつつも、目的を達成した。
「二人とも、ありがとさん」
キミ達の愛の絆に、感謝の意を表さなくちゃね。清蓮は深々と礼をした。
そこにいるエセ善人も、そろそろ顔を上げて欲しかった。瀬山は蹲り、地面に拳を打ち付けている。
「瀬山ちゃん、早く戻ろう」
「でない」
「はぁ?」
瀬山は、顔を上げた。
「涙が出ない」
一滴も。涙は出なかった。
もっと、己に対する自己嫌悪で胸が押しつぶされるかと思っていたのに。
ああなるのが自分でも身内でもなく、『赤の他人』だったことに底知れぬ喜びを抱いている。
笑みすら、うかべられそうだ。
「なぁ清蓮……」
「んー?」
「僕は、心の歪んだ化け物なのだろうか」
にこりと笑い、清蓮は彼の肩を励ますように叩く。
「いやー? キミはよほど人間だと思うぜー?」
***
待合室の部屋に戻ってきたのは、二人だけ。
瀬山は彼とできるだけ目を合わせないようにしながら、そそくさと部屋を通り過ぎることしかできなかった。
「おい、お前ら。恵はどこだ? おい……」
瀬山は耳を塞いだ。
俊が手錠をガチャガチャと揺らす音が聞こえた。何とかそこから逃れようとしているのが伝わってくる。
「恵はどこだって言ってんだ! おいお前らぁ!!」
「あーあ、あのまま叫んで死ねばいいのにねぇ? アイツ」
エレベーターに乗り込み、ようやく口を開いた彼女の第一声はそれだった。
「なーんで彼を殺さなかったんだい?」
星野恵を犠牲に、亡骸を手に入れたとなれば彼は黙っていないだろう。生かしておけば脅威になる可能性がある。
だが、瀬山にはこれ以上耐えられる自信はなかった。あの恋人二人と、これ以上関わってはいけない。本能がそう告げている。
「あいつなら大丈夫だ。手錠であそこから動けないからな」
リュックを背負いなおし、瀬山は言い訳するように言う。
このリュックは、亡骸と一緒に棺桶に入っていたものだった。右足のミイラは結構かさばるので、入れ物があるのは役に立つ。法具の持ち運びにも便利だ。
「次は、どこに行くんだ?」
「アタシが手に入れた録音機に入っていた、亡骸を取りに行こうか」
「ハッ……ほんと、あんたと組んで正解だったってわけだ」
清蓮の持っている情報も、亡骸の隠し場所だ。
これは今のところ、清蓮の最後の切り札だったわけだが、彼女は正直に言うことにした。さっきの美術室の仕掛けを見て、この空間では二人以上人がいないと越えられない障害があることに気づいた。それに、瀬山とはまだ手を切らない方が良い。
亡骸の在処は『式場J マッド・ハウス』と言っていたのを記憶している。
「意味わかんないだろ~?」
「あんたがでたらめ言ってないなら、そんな場所が地球上に存在するとは思えないな」
「しかしだねぇ。アタシは一つ、心当たりがあるのを思い出したんだ」
マッド・ハウス、という単語を録音機から聞いた時は全く思い当たらなかったことだが、俊との会話で一つ記憶が呼び覚まされた。
そう、マッド・ハウス。これはある『アトラクション』の名前である。
「キミさ、風間市に割とでかいアミューズメントパークがあるの知ってるかい?」
思い出すのに数秒かかった。
あまり認知度は高くない証拠だろうが……全く心当たりがないわけではない。
「ああ、コクリエンターテイメントパーク……」
コクリ……
目が見開かれる瀬山。彼女はくすくすと笑った。
「そう、コクリ、だよ。アタシも彼からその名が出るまで考えもしなかったことだけどね。風間市に一つだけあるアミューズメントパークだ。そこに確か、『マッド・ハウス』っていうお化け屋敷のアトラクションがあったはずだ。むかーし行ったことがあるから、なんとなく覚えている」
コクリエンタープライズという会社が、およそ15年前に市から風間自然公園を力づくで買い上げ、そこをアミューズメントパークにしてしまったという話は有名だ。しかし、実際にそのアミューズメントパークに訪れる人は少なく、知名度も最初だけで徐々に低くなっていった。それでもまだ運営できているのは、コクリエンタープライズの会長である、黒狗景虎の莫大な資産のおかげだった。
「コクリ……コクリエンタープライズ……その連中が関係しているのか!?」
「まだわからないけど、可能性はあるかもねぇ。黒狗って苗字もめったにあるものじゃないし。コクリ=黒狗景虎の一味ってことはあるかも」
どうしてここでコクリエンターテイメントパークのアトラクションの名前が出てくるのか。瀬山には想像することしかできない。
自分の乏しい想像を空想で補い、何とか説明をつけるとするなら……自分たちがここに連れてこられたのは全て、コクリの娘。故人と呼ばれるコクリの娘が、何か鍵を握っているに違いない。
いずれにせよ、この空間のことを知るにはまだまだピースが足りなかった。
やがてエレベーターが止まる。
チーン、とベルの音が鳴り、ドアが開いた。エレベーターホールには変わりなく静寂が保たれており、東太とちえりが戻ってきた痕跡はない。
「あの二人を追おう。いいな清蓮」
「うん……」
どうも歯切れの悪い返答が返ってきて、瀬山は困惑したように彼女に尋ねた。
「どうした?」
「いや、あそこ」
彼女が指をさしたのは、はじめ瀬山達がこのエレベーターホールに入って来た扉だった。見た所、何の変哲もない扉。開けられた形跡もない。
「なんだよ? なにもないじゃないか」
「そうだね……いや、何でもないや。先を急ごう」
気のせいか。
あの扉から、あるいは扉を隔てた部屋の外からか、嫌な視線のようなものを感じたのだ。一瞬だけ扉の奥を確認したい衝動に駆られたが、清蓮は大人しく瀬山を追うことにした。自分は、動物的な勘が働く方だと思っている。幾度となくそれに助けられてきたし、今回も従うのがいいのかもしれない。
清蓮の勘は、あの扉の奥を調べるな、と言っていた。
「……気のせい、だよね」
扉に一瞥だけ送り、二人は東太たちが乗っていったエレベーターに乗り込む。
エレベーターホールの外では、二人組の男が固唾を飲んで中の様子を探っていた。1人は拳銃を構えながら、いつでも撃てる状態を整えていた。
やがて部屋に誰もいなくなったのを確信してから、安西真澄は扉を開けて中に入った。
「チッ、勘がいいな。あの女」
いっそこちらから出て行って、スピーカーガンでぶち殺せたかもしれんが……やはり不確実だ。弾は限られている。もし外した時に損害は避けられない。
苛ついた様子で拳銃をしまう真澄をなだめるように、音無秋彦が「まぁまぁ」とのんびりとした口調で言った。
「彼女は一筋縄ではいきませんよ。ここまで生き残っているのがその証拠です。あの瀬山って人も、油断ならないでしょう」
「なんだ? お前、瀬山と一緒にいた女を知っている素振りだな」
すると、秋彦は気味の悪い引きつけ笑いをした。しゃっくりをあげたような、甲高い笑い声だった。
「ヒヒッ……」
何か知っているのは明らかなようだ。真澄は顔をしかめる。
突然唾まで啜り始めた彼を見て、少し頭がおかしいのかと思ってしまう。やはり、この男と行動を共にするのは危険だろうか。
「秋彦、奴らを追うか?」
「聞くところによると、彼らは誰かを追っているみたいでしたね。左のエレベーターの先には、少なくとも敵が3人以上いると見ていいでしょう」
「俺の銃があれば一撃で3人はやれる」
「いやぁ、心強いですねぇ~! でも、ここは彼らが降りてきた右のエレベーターに乗ってみませんか? ボクの地獄耳では、エレベーターの先の部屋までは電波が届かなくて聞こえなかった。できるだけ多くの部屋の様子を確認しておくのは重要ですよ」
それなら、敵がいない部屋を先に調べておきましょう。と、至極まっとうな意見が返ってくる。頭の方は大丈夫らしい。少なくとも、この空間を生き延びる分には。
秋彦は耳に手を当て、音を確認する。そして、軽くサムズアップした。
「周囲に敵はいないようです。コクリの連中も、遠くの部屋に移動したとみていいでしょう」
エレベーターには、微かに香水のにおいが残っていた。
あの女のものだろうか。今は亡き瑠実の臭いを思い出すが、あれよりは自分好みに思える。見ると、秋彦は目を閉じ、その残り香を全て体に取り入れようとするかの如く深呼吸し始めた。
正直言って、気持ち悪いんだが……
「お前、何やってるんだ」
「はっ! おーっと、失礼失礼。懐かしい香りが鼻腔をくすぐってきたものでつい……」
「さっきの声の女とは知り合いか? 昔付き合ってた女とか?」
興味はないが、ことこのサバイバル空間では重要になり得る。万が一、女がらみで裏切られては困るのだ。
「付き合ってた? ヒヒ……そんなんじゃありませんよ。あの人は、そんな存在じゃない」
「あの女って、お前が言っていた例の『あの人』のことか?」
「え?」
「憧れだとかなんだとか、言っていただろ」
秋彦は途端に、剣呑な顔つきになった。それ以上踏み込むな、という無言の警告のようなものを感じ、真澄は押し黙るしかなかった。
「エレベーターに乗ると……思い出すんですよ」
「何をだ?」
「『Merry show down box』って小説」
小説か。
俺はあまり詳しくない。
「聞いたこともない」
「ですよねー。ボクの処女作であり、最後の小説でした」
「は? お前作家だったのか?」
作家志望の学生といい、無名作家といい、ここはくだらん文字書きどもの集まりか? そう考えれてみれば、この馬鹿げたゲーム自体、誰かが書いたふざけた小説の一幕のような気がしてくる。
「それだけ。それだけでした。あっははははははは……いやね、かなりレアなんですよ。ハードカバー500部初版で……400部以上売れ残りました。それっきり、増版はされていない」
何やらカリカリという音がすると思ったら、秋彦が自分の親指の爪をかじっている音だと分かった。強い怨嗟のようなものを感じ、真澄は無意識に懐の銃に手が行った。
「でも、それでも良かったんだ……ボクの夢は、かわりに彼女が、叶えてくれるんだ……」
「お前が何を言ってるのかこれっぽっちも理解できん」
彼はいきなり、胸ポケットから何かを取り出した。真澄は驚いて身を強張らせるが、出てきたのは法具ではなく、財布だった。黄色の長財布だ。
「お、お前! 財布なんてどこで手に入れた!?」
その問いには答えず、彼はその財布を開いて中から一枚の運転免許証を取り出した。そこに写っている写真の人物を眺め、恍惚の表情をうかべている。
「はぁ……ボクの分身……あの人はやっぱりここに来ていた!」
ひたすらに不気味な様子の秋彦に近寄りたくはなかったが、気になる。真澄はちょっとだけ体を横にずらし、免許証を盗み見る。
茶色がかった、長髪の女。見てくれは悪くないものの、嘘を見抜けそうな鋭い目つきは気に入らなかった。
「……清水蓮子」
コイツが瀬山と共にいたあの女か。
「蓮子ちゃん……」
秋彦は、べろりと舌を動かし、免許証が唾でべとべとになるまで舐めまわしていた。1人の女にそこまで執着する、彼の行動理念が理解できない。真澄は心底汚らわしいものを見る目で、彼のことを遠巻きに眺めていた。
***
エレベーターの扉が開き、秋彦はすぐに耳元に手を置く。地獄耳を活用して、周囲の音を探っている。すると、彼は指一本口元に立てて、真澄に警戒を促した。
「この部屋に人が一人いるみたいですね」
真澄にもそれは分かる。ここからは椅子の死角になって見えないが、誰かがごそごそと動いている気配がする。時折、微かな金属音も聞こえた。
「……病院の待合室か?」
「に、見えますけどねぇ。真澄さん? 銃の用意はよろしいですか?」
「ああ……だが、できるだけ弾は節約したい」
「いいんですよ~。銃は向けてくれるだけで結構。後はボクが、こーやって!」
秋彦は空に手を伸ばし、抱えて何かをねじ切るような動作をした。
この男が、丸腰のくせに銃を持つ自分を恐れないわけがようやく分かった気がする。真澄は銃を取り出し、安全装置を引いた。銃口がスピーカーホン状に変わる。
ゆっくりと、音の聞こえる場所へと歩いて行った。椅子の両側から挟み込むように回り込み、まずは真澄が声をあげた。
「おい、両手をあげろ!」
両手は上がらない。そこにいたのは片方の手首を手錠に繋がれた青年だった。
――コイツも学生か?
真澄は疑問をうかべるが、とりあえずこの青年をどう処理するかが問題だ。殺すのは簡単だが、それも話を聞いてからの方が良い。
「誰だあんたら?」
青年は汗まみれで、懸命にその場から逃れようとしていたことが一目で分かった。手錠の繋がっている右手首が、紫色に鬱血している。
「秋彦、コイツは無害だ。何もできない」
瀬山達の仕業だろう。
何が起きたのかは分からないが、推察するに青年と瀬山達は戦闘になって、コイツが負けた。それだけだろう。
「んー、ですねぇ。まぁ、せっかくなんでいろいろ聞いてみましょうか。えーっと……やあ! ボクは音無秋彦。このおじさんは真澄さんです。君は何て名前ですか?」
「……俊。神沢俊だ」
俊は真澄の顔から避けるように目を逸らした。不自然な素振りに真澄は訝しんだ。
「俊さんですね! あなたはここで何してるんですか?」
「なぁ、頼みがあるんだ! 話が通じるなら、聞いてくれ。あのガラスの奥の扉に、女の子がいるかもしれないんだ。怪我をしているかもしれない。頼む! 中に行って様子を見てきてくれないか?!」
「なるほど、分かりました」
秋彦は彼の鳩尾を思い切り蹴りつけた。ぶ厚い革靴のつま先が深くねじ込まれ、俊は苦痛に呻く。その反応が心地いいのか、秋彦は何度も何度も蹴りを入れる。
「あは、あはははは……もちろん、丁重にお断りいたしましょう」
サディスティックに、秋彦は俊に制裁を加え続けた。
「が……げっほ……!」
「そんなに気になるなら、自分で見に行ってください。いいですかー? 今、強いのはどちらか、お分かりですよね。もちろん、ボクと真澄さんです。君が喋っていいのは、ボク達が質問した時だけ」
「ち……っくしょ、どいつもこいつも狂ってやがる……!」
俊は憎しみを湛えた目で秋彦を睨みつけたが、とことん勝ち目はなかった。
尋問は秋彦に任せることにしよう。
真澄は椅子に座り、先程秋彦からもらったJPSを一本、ふかし始めた。
俊は心折られたのか、逆らっても無駄だと悟ったためか。秋彦の質問に従順に答えていく。彼らが、コクリ達に命令されたこと。瀬山と清蓮に対峙し、何が起きたのか。真澄は煙草の煙を楽しみながら、じっくりと考えにふける。
「俺に恨みを持っている連中……」
点と点は繋がった。菊泉と桐嶋が、俺の名を知っていたわけだ。それに、瀬山と清蓮――清水蓮子も一緒に標的にされていることには驚きを感じる。おかしいな、全く奴らとは初対面のはずだが。
恨みという点でも、心当たりがありすぎて全く分からない。しかし、少なくともあんな組織的に動く奴らに命を狙われることはしていないはずだが。
「亡骸は、コクリ会長の娘ねぇ」
娘、か。
そう言えば、俺にも娘がいたな。
ああ、何年ぶりに思い出したかな。
真澄は望郷の念に浸るように、かつての記憶を呼び覚ました。こんな気分になるなんていつぶりだろう。あの時ばかりは、ひどい罪の意識に苛まれて生きているのが辛くなったほどだった。
享子の前の妻とできた子だった。
初めて父親というものになってみたけれど、あまりに荷が重かったのだ。一瞬だけ魔が差した、そうとしか言いようがない。自分でも恐ろしいことをしたと思う。
泥だらけになった新車。
山の奥の樹海。
困惑するあの子が最期に俺を見た目……――
徐歌……
「真澄さん?」
突然、秋彦に呼び掛けられ、真澄は意識を目の前の状況に集中させる。今の回想は、決して誰にも知られるわけにはいかない。
秘密。
「聞くことは聞いたのか」
「えぇ、俊さんは利用価値があるようです。コクリ達の仲間だったみたいですしね……うまく使えば、奴らを出し抜ける。ねぇ俊さん?」
俊は黙っているだけだ。
「彼に協力してもらいましょう。戦力は多いに越したことはないでしょ?」
「本当に信用できるのか?」
「ふふふふ、手を込むことにはお互いメリットしかない。ボク達は戦力の増強。彼には恋人を救う手助けです。いずれにせよ、コクリ達を相手にするには、こちらも団結しなくちゃなりません。ねぇ、俊さん?」
「……」
俊は明らかに不服そうだったが、やがて重々しく頷いた。
「いいですねぇ~! 旅の仲間は多いに越したことはない。皆で協力して生き残りましょうね!」
愉快そうに口笛を吹き、秋彦は明朗に言った。
ますます秋彦の思惑どおりに乗せられている気がして癪だった。人数が増えれば増えるほど、最後の最後で危険が迫ることをコイツは理解しているのだろうか? とはいえ、多くの武器を持つ連中と戦うなら徒党を組むのがいいのは分かるが……ここはいつ、自分がうまく全員を出し抜けるか、常に相手を警戒しなければなるまい。真澄は狡猾にその時を待つことにした。特に秋彦には注意だ。
「それじゃあさっそく、行きましょうか。亡骸を集めないと」
「おい、こんな状態でどうやってあんたらについて行けって言うんだ」
もっともなことだ。俊は右手を乱暴に降り、手錠をガチャガチャと鳴らした。
「まずは瀬山の野郎を捕まえてくれよ! これの鍵はあいつが持ってるんだからよ……」
すると秋彦は彼の手錠をじーっと見つめ、すぐににっこりと口角を持ち上げて、白い歯を見せた。
「鍵なんて必要ありませんよ?」
いきなり、秋彦は俊の右手を鷲掴みにした。何をするんだ!? という困惑の声を無視し、秋彦は彼の右手を引き寄せ、口元に持って行った。
そして、ガバリと大口が開く。秋彦はその右手の親指に噛みついた。
「うぅううううううううう! お…がああああ……!!」
ガリガリと歯を何度も噛み合わせ、噴き出る血を啜りながら肉を切断する。流石の真澄も目を背けてしまった。
「ひ、ひぃい! や、やめ……」
首を傾げ、親指を手から引き抜くように。遠心力で顎の力を補いながら、秋彦はひたすら指を喰らった。なかなか千切れない親指はしつこく俊に激痛を与えていた。
喉元まで出かかった悲鳴を必死で堪える。やがて引きちぎられるような激痛が途絶え、じんじんとした強烈な熱だけが残った。同時に、自分の体の一部分が剥ぎ取られたのが分かった。
「うげ……ぇ」
あまりのおぞましさに俊はむせ返った。秋彦は血だらけの口でいつもの笑顔をうかべ、愛する女性の結婚指輪を外してやるような優しい動作で、彼の手錠を右手首から抜き取った。
「あははは。大丈夫ですって! 10本もあるんですよ!?」
痛みに身もだえしながら、体をくの字にして横たわっている。自由の代償としては、あまりに痛みが伴った。
真澄はため息をついて彼を見下ろし、二本目の煙草に火をつけた。
つづく
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クラッカー 騒音値:50~100 レア度:★
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