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クワイエットルーム   作者: 冬司
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room6 全てアタシのプロット通り

 ~あらすじ~


 清蓮を連れ、式場Fへと向かう瀬山一行だったが、東太の突然の離反によって、二手に分かれることを余儀なくされてしまった。釈然としない思いを抱えつつエレベーターに乗り込む瀬山と清蓮だったが、そこで東太の真の思惑を察する。

 しかし、東太の性格上、ちえりにすぐ危害をくわえることはないと判断した瀬山は、東太に対して上手を取れるアドバンテージを得るため、そのまま部屋の散策を続行するのだった。

 そこに新たな敵が二人に襲いかかる中、瀬山は決断を迫られていた。




 room6 全てアタシのプロット通り


 この部屋に連れて来られてから、自分はただ一つのことを思って行動している。

 俺の隣にいる彼女、星野恵(ほしのめぐみ)を守ることだ。


 いわれのない暴力の部屋に閉じ込められて、この悍ましい命令を執行することに嫌悪感はもうない。そうしなければ、彼女が死んでしまうというのならば、何を犠牲にしても構わない。彼はこの待合室のような部屋のどこかに潜んでいる、見えざる敵に対し強い闘志を燃やしていた。

 神沢俊(かんざわしゅん)は21年間、一度も。恋人などできたことはなかった。小中高大学と、サッカーばかりやってきた自分は、それ以外に目を奪われたことはなかった。女性を好きになったこともない。

 ――彼女に初めて出会うまでは。

 まして誰かを愛するという感情を知ったのは、彼女が初めてだったのだ。

 クラッカーを握っていない手で、彼は恵の肩を掴んだ。

「安心しろ。恵は俺が守る」

「俊君……」

 恵は日本人形のように整った顔を、赤くはらしていた。すでに何度泣いていたか分からない。かくいう自分自身も、ガキのように泣きじゃくった。あの悪魔のような連中に会ってしまったら、大の大人だって恐怖に耐えきれないはずだ。目の前であんな風に、人を吹っ飛ばすなど。

 俊は憎しみをこめるかのように、奥歯をきつく噛んだ。




 一時間前か、もっと前だったかもしれない。

 俊と恵は、目が覚めると部屋にいた。そこには自分たちの他に、4人の同年齢と思しき学生が集められていた。知った顔はいない。

「恵!」

 俊はすぐに恵の元に這い寄った。

 見慣れない部屋だった。四方を書棚に囲まれた、薄暗い部屋だった。壁際にでんと場違いな棺桶が置かれている以外は、豪華な書斎を思わせる部屋である。

「恵、怪我はないかい?」

「ありがとう。大丈夫だよ俊君……ねぇ、ここ、どこだろう?」

 彼女はきょろきょろと不安げにあたりを見渡している。

「分からない。誰かの、家? かな。俺たち、拉致られたのかもしれない」

「そ、そんな」

 しまった、動揺させてしまったか。俊は励ますように彼女の前でぐっと拳を握り、何とか笑顔を作った。

「安心しろ。俺がお前を守ってやっから」

 よもや、こんな漫画みたいな台詞を吐く日が来るとは思わなかったが、俊は別に恥ずかしいとは思わなかった。ただ、己が決意を口に出しただけである。

 そして、彼がその決意を試すべき試練が、早くも訪れた。

 棺桶の反対側の壁についている引き戸が、乱暴に開かれた。部屋にいる学生たちがざわざわしだす中、二人の黒服の男が侵入してくる。

 一目で思った。

 ついに来たか、と。

 こいつらが、俺たちを攫ってきた誘拐犯だろう。


「っしゃあ~! 当たりっすねぇ桐嶋先輩! うじゃうじゃいるぜぇ、ガキどもが!」

「声がでかいぞ菊泉……トーンを落とせ」

 ヒヒヒ、と楽し気に笑って、狐顔の男が自分たちを眺めまわす。俊は後ろに恵みをかばいながら、場の状況を分析した。

 相手は二人……狐の方は一見ひょろくて弱そうだが、俊の目にはそのスーツの下に隠れた筋肉がしっかりと映っていた。部屋に入って来た身のこなしだけでも分かる。奴の体幹の良さはアスリートのそれだ。一筋縄ではいかないだろう。それに、桐嶋と呼ばれた大男は言うまでもない。あのガタイから繰り出される如何なる攻撃も、こちらには防ぐ手立てはない。

 だが、幸い体を拘束されていたわけではなかった。素早さなら……自信がある。俺の足で奴らを翻弄し、恵だけ外に逃がす隙を作れるかもしれない。

 俊は瞬時に、そこまで考えを巡らせていた。

 ――まずは、奴らの様子を伺うんだ……

「お、おい! なんだあんた達は?ぼ、僕達をここに連れてきたの、あんた達なのか?」

 舌足らずな喋り方で、一人の男子学生が反駁する。

 いいぞ! その調子だ。1人でも注意を引きつけてくれれば……

「こ、この犯罪者め! パパに言いつけるぞ! 僕のパパは議員なんだぞ?おっかない人達とも繋がりがあるんだ! 僕をどうにかしたらただじゃ……」

「先輩~、コイツ殴っていいっすか?」

 桐嶋の返答を待つまでもなく、菊泉はその青年の顎を右フックで撃ち抜いた。下顎があり得ない方向に外れ、彼は悶絶する。

 全員がその光景に震撼する。

 最も肝が据わっていた俊でさえも、人間が本気で殴られる様を初めて見たのだ。自慢の足に、震えが走るのを感じる。

「し、俊君……!」

「喋るな恵! とにかく、目をつけられるなよ……」

 それでも彼は、腰を落とし、いつでもスタートダッシュをきめられるように踵に力を入れていた。もちろん、恵の腕は掴んで離さない。

「まったく、菊泉……」

「ハハハハ! すんませーん先輩! でもさ、これだけいるんなら一人くらい実演して見せてもいいっしょ?」

 そう言うと彼はポケットから一本のクラッカーを取り出した。

「おーいお前ら。良く聞けよ? これからこの部屋のルールを説明しまぁーす! この愉快なパーティグッズにちゅうーもーく!」

 菊泉がクラッカーの紐をつまんで揺らす。

「これをな、こーやって……」

 そして、倒れ伏していた青年の前髪をつまみ上げて上を向かせる。歯で紐を噛み、右手でクラッカーの本体を持った。

「紐を引ふと……」

 弾けるような音が鳴った。


 その後、起きたことには、皆が目を塞ぐ結果となった。

 飛び散る血玉。人間がゴム風船のように弾け、消える。血しぶきが雨のように降り注ぎ、静寂の中にぽたぽたと、天井から滴る赤い液体の音だけが響いていた。誰かが、激しくむせこんでいる。

「きったねぇ~! うっかりしてた」

「だから至近距離はやめろと言っただろう……」

「代えのスーツ自販機で買えましたっけ?」

 俊は運が良かったのか、恐怖よりも驚きが勝り、声は出なかった。同時に、腕に強烈な痛みを感じた。

 恵だ。彼女が、俺の腕を噛んでいるんだ。

「……よーし。オーケー! 死にたくなかったら声は上げないことだな。ここにあと……5人いる。俺達はお前らをスカウトしに来たんだ。人数が減っちまうのは好ましくない」

 クラッカーを破裂させた瞬間、人間の体が吹き飛んだ――

 これが夢でなければ、今自分達はただの誘拐事件に巻き込まれているわけではないと悟る。この男たちも、身代金などを目的にしている訳ではなさそうだ。

 他ならぬ、『俺達』に何かをさせたがっている。

「いいかー。お前らはな、今から我が社のバイトだ。仕事が終わったら、もちろん報酬をくれてやろう。……この部屋から出してやるぜ」

「ここは一体どこなんだ!!」

 俊の傍に座っていた、ちょっと小太りの男子学生が声をあげた。こんな非常時に音楽を聴いているのか、耳にイヤホンをつけており、着ているシャツは皺だらけだ。なんだか冴えない印象をしている奴だった。

 菊泉がわざとらしく「しーっ」と唇に指をあてる。

「気をつけろよ~お前らの喉仏んところにな、センサーが仕込まれてる。大きな音に反応して、体を爆破させるんだぜ」

 皆は一斉に青い顔になった。さっきのクラッカーによって起きた爆発はそういうことだったか。ここから大声をあげて、助けを呼ぶという手段は消え失せた。

「で、ここがどこだって? さぁーな……」

「……いいから話を先に進めろ」

 おや? と思った。

 今の二人の反応。一見質問をはぐらかしただけに見えたが、答えを出さないのは奇妙だぞ。俊は菊泉が自然と腕を前に組んだのを見逃さなかった。あれは無意識の防御姿勢と呼ばれるものだ。心理的に焦りや、不安……あるいは図星を突かれた際にとってしまう行動。

「あいつらも……自分たちがいるこの場所に不安を感じているのか?」

 そう言えば、あの桐嶋という男は大きな声を出して喋っていた菊泉に対して、「声のトーンを落とせ」と忠告していた。ひょっとすると、そのセンサーとやらは、自分達だけでなく奴らにもついているということか?

 だが、今は彼らの不可解な態度に気を裂いている場合ではなかった。

「オホン! お前らの質問タイムじゃねぇぞ。いいか、これからお前らにはある人物を殺してもらう。殺しは別に難しくねぇ。俺がさっきやったみたいに、クラッカーをくらわせろ」


 殺し?


 いやだ……


 できるわけない!


 学生たちはあまりに難易度の高い仕事内容に恐れをなしたようだった。

「誰にでも初めてってのはあるもんだ……だがいいかぁ? お前らは突然ここに連れて来られて混乱していると思うが、安心しろ。俺たちがお前らの案内役になってやるからな。俺たちが与えるミッションを忠実にこなしていけば、最後には必ず家に帰れる。そーゆールールだと思ってくれればいい」

 桐嶋がポケットから何かを取り出した。

 掌サイズの人形だ。遠目で見ると東京の超有名なアミューズメントパークのネズミのマスコットにしか見えないが、顔が明らかにそれとは違う。目が異様に大きく、可愛げがなかった。そいつは口を大きく開けており、何かを叫んでいるようにも見えた。

「言っておくが、君達は我々に逆らえない。まずは黙って頷くことだ。さもないとここで死ぬことになる。死にたくない者は、その場に立て」

 桐嶋の静かなる覇気に押され、一人、一人と立ち上がった。

「ど、どうするの俊君」

「恵」

 俊はこっそりと彼女に耳打ちした。

「……俺が立ったら、すぐに奴らの後ろの扉に向かって走るんだ」

 彼は弾けるように立ち上がった。

 自分より前方で立ち上がった学生の背中を掴み、力いっぱい菊泉の方に押し込む。

「ガキィいい!」

 学生の体で体勢が崩れた菊泉。その隙に、俊は鍛えられあげた俊足で桐嶋の目前に迫る。奴の顔をボールに見立て、鋭いシュートをお見舞いしてやる。

 しかし、彼の思惑はあっさりと阻まれた。

 桐嶋の左手は目にもとまらぬスピードで動き、彼の足首を掴む。ニヤリと、口角が持ち上がるのが見えた。

「いいぞ。ガッツのある若手は嫌いじゃない」

 慌てて足をひっこめようにも、桐嶋の握力は尋常ではなく、俊の足を握りつぶさんというほどだった。

「め、恵!」

 彼女は、逃げ切ったか?

 首だけで背後を見やるが、だめだった。彼女はもう、足など動かなかったのだ。震えているだけで、ここから逃げるという決死の行動をする余裕はなかったらしい。

 菊泉が立ち直り、学生の体を振り払ってしまった。舌打ちしながら、その学生の腹に蹴りを入れている。

「誰もが、貴様のように勇気を奮い立たせられる者ばかりではない」

 桐嶋は右手の指で、人形の背中をいじった。

「そして、貴様の勇気も、二度と奮い立つことはなくなる」


 突然、鼓膜が張り裂けんばかりの轟音が鳴り響いた。

 ノコギリで黒板をひっかくような音。それが鼓膜の傍でかき鳴らされているようだ。一本、二本……いや、100本以上のノコギリが、黒板を滅多切りにしているのだ。だんだんと、それは苦痛に悶える女の悲鳴のようにも聞こえてきた。

「が……ぐあ」

 息も絶え絶えになりながら、俊は地面に転がった。。

 ヤバい。頭が割れる。耳を塞いだら、その音が頭の中に直接流れ込んでくるように感じた。うっすら目を開けて見ると、他の面子も同様に部屋の中を転がり回っていた。もちろん恵も。

「や、やめろ……」

 恵……! 今にも叫び声をあげそうだ。

 ちくしょう。この音を止めろ。止めろ!!

「頼む、やめてくれ……」

「もう、音は鳴っていないぞ」 

 馬鹿な。

 俊は耳をほじくり、信じがたいその言葉を消化できない。音は鳴っている。頭の中にずっと、響いているではないか。ギギギギギという、凄まじく耳をつんざくような音が。

「恐ろしい。会長の法具『モスキート』。我々にはどんな音なのか想像もできんがな」

 音はやまない。

 いまだに鳴り続けている。この苦しみからいったいいつ解放されるのか、皆目見当もつかなかった。こんなに大きな音なのに、不思議と桐嶋の声は聞こえるのだが。

 桐嶋は俊の腕を掴み、苦しみ悶える学生たちの輪の中に戻した。

「この法具でお前たちの命をとれと命令されてはいない。だが、必要とあらば精神を壊すまでこれを鳴らし続ける。拷問には痛みがつきものだが、何もそれは肉体的な痛みに限ったことではない」

 そう言うと彼は再び人形に指をかけて見せる。

 瞬間に、学生たちは皆頭を抱えて床に伏せてしまった。

「五感とは便利な反面、弱点でもある。視覚、嗅覚、味覚、痛覚……中でも最も無防備なのが聴覚だ。目に見えぬ音を察知するが故に、繊細な聴覚は他の感覚よりも些細な刺激に対し莫大な反応が伴う。苦痛を与えるのなら、耳元で爆音を鳴らしてやるのが最も手っ取り早い気もするな」

 桐嶋の説明は何も頭に入ってこなかった。

 ようやく音が収まってきたものの、まだその余韻は残っていた。ブーン、という小さな羽虫が耳の中で暴れているような、そんな気持ちの悪い感覚が残っている。

 菊泉が勢いよく手を叩いた。

「さぁ! 逃げ場がねーことが分かったら立ておめーら!お前らの役目は最終的に、この空間にいる人間を『全滅』させることだが、最優先のターゲットを発表する。この顔、しっかり頭に叩きこめよ~?」

 そう言うと、菊泉は背広の内ポケットから何やら折りたたまれた紙を取り出してきた。それを広げて、皆に見せる。

「へへ、俺が描いたんだぜ?結構うまくね?」

 彼が言う通り、かなりうまい似顔絵だ。法廷画家に描かせたような。紙は3枚あり、それぞれ別の人物の顔が描かれている。若い男と、少し年齢がいった男。そして、もう一枚は女だった。


「この眼鏡野郎は瀬山鶫。オッサンは安西真澄。最後のこの女は、清蓮とかいう作家だ。できるだけ痛い目に遭わせて殺せ」

「……会長はそうお望みだ」

 ただ震えて、他の学生たちと共に黙って頷くことしかできない自分を憎んだ。心の底ではもう一度、奴らに突進して活路を作りたい。だが、理性がそれを邪魔した。

 恵がしくしくと泣いている。まだ耳を塞いで。

 あまりにも辛そうな彼女の、これ以上苦しむ姿を見るのは耐えられなかった。自分に力がないのが歯がゆい。

「桐嶋さん。あの野郎の目、気に入らないっすね」

 菊泉は自分を反抗的に睨みつける視線に、気づいたようだった。

「心配ない。モスキートは遠隔操作式だ。このイヤホンを耳に押し込め」

 桐嶋が差し出した小さなビー玉くらいの大きさの黒いボール。それを受け取って菊泉は俊を嘲笑った。俊は一歩、前に進み出る。

「……いいだろう、つけろよ」

「ノンノンノン~! 誰もてめぇにゃつけねーよ」

 どけ、と言わんばかりに菊泉は彼を押しのけた。そして、その後ろでかばわれていた恵の腕を掴んで引き寄せる。

「きゃ!」

「やめろぉ!」

 とびかかる俊だったが、力の差はすでに証明されている。菊泉は素早く恵の喉元に人差し指の爪を食いこませてけん制する。

「ちょっと痛いけど声出すなよ? 死にたくなかったらな!」

 そして、持っていたボールを無理やり彼女の耳に押し込んだ。

 激痛に苛まれているようだ。恵は固く目を閉じ、歯を食いしばって痛みに耐えているようだった。

「あ……ああぐ」

 菊泉は小指を使い、さらに耳の奥の奥までボールを押し込んだ。めりめりと外耳道が拡張され、血がこぼれ落ちる。もう絶対に外から出すことはできないだろう。

「コイツは孫悟空の緊箍児だぜ。お前が言うことを聞かなかったら、彼女の頭は割れるように痛む。分かるか? モスキートの放つ音はな、故人を弔うありがたーい経なんだよ……その痛みは、故人の怒りを表していると思え」

 自分の情けなさに、愕然としていた。

 完全にこの二人の言いなりになるほかないと、残酷な現実を突きつけられた俊は、不条理に対する怒りで心が満たされた。しかし、その握られた拳に宿る決意は、先程から全く変わっていない。

 恵を守る。それだけだ。

 奴らの言う通り、誰かを殺すしかないのならば。俺が恵の分の罪も背負ってやる。




 ***




 あの二人は、深い信頼で結ばれているように思えた。遠目で彼らの様子を見た感想に過ぎないのだが、瀬山にはそれが自分たちにとっての圧倒的な力の差に感じた。

 清蓮は黙って、彼に背を向けているだけだ。後ろ姿はどこか、瀬山が選択を思い悩む様を楽しんでいるようにも見えた。

 足音は近い。もう限界だ。

 決断を下すしかない。


 瀬山はポケットの中の鍵を取り出し、清蓮の手錠の鍵穴に入れた。そして回す。とうとう、彼女は自由になってしまった。

「ふっふっふ。最高だねぇ瀬山ちゃん」

 清蓮は小さく口笛を吹いた。満足気に諸手をあげる。

「裏切ったら承知しないぞ」

「裏切る~? この状況で何言ってるのさ? いいか瀬山ちゃん、まずはあの二人を倒さなきゃ先にも後ろにも進めやしない。とりあえずこれで2対2だ。クラッカー、アタシにもちょうだい」

 瀬山は一本、クラッカーを分けてやった。彼女の言う通り、ここで自分たちが争っても何の意味もない。まさか清蓮がクラッカーの先端を僕の喉に押し付けることはないと踏んだ。

 清蓮はクラッカーの紐を指で弄びつつ、椅子の背もたれから少しだけ顔をのぞかせる。

「さっきから気になるのは、奴らの立回り方だ。よく見て瀬山ちゃん」

 相手の様子を確認する。

 立ち回りか。確かに彼女の言う通り、動きが妙だった。男の方が、常に一歩前に出て歩き、しきりに後ろの彼女を気にしているようだ。

「……かなり警戒しているな」

 また見た。前を見ずに、後ろの女ばかり見ている。女の方は絶えず不安そうに辺りを見渡しているが、索敵の役割を果たしているようには見えない。

「物書きの目で見て、あの二人の関係性は?」

「恋人同士」

 ビンゴ、と清蓮は片目を瞑った。

「男の方は彼女をかばう体勢になっているみたいだ。ここから奇襲をかけるなら、女を狙うべきだね」

「なら、僕が先に走ってあの男を押さえよう。きっと男は真っ先に敵を仕留めようと僕に襲い掛かってくるはずだ。あんたはその隙に、素早く女を捕えてくれ」

「なるほどー? 人質作戦ってわけか」

「死者を出さないなら、それが一番だ」

 腕力の面で見ても、自分が男の方を対処するのは理に適っている。再び足音が聞こえてきたので、瀬山は息を止めて潜んだ。

「あと10mと言ったところだな。まずは僕が行く」

「ガンバ!」

 何がガンバだよ。他人事みたいに……

 そんな文句は飲み込み、瀬山は跳躍の準備に入る。射程距離内に入った瞬間、椅子の背もたれを跳び箱の要領で飛び越えて、一気に相手の懐に入るのだ。見た所彼らは学生。戦いのプロというわけでもないはず。それならなんとか、不意打ちで押さえつけられる。

 また足音が近づいた。

 もう5メートルを切っただろう。相手は今、瀬山達が隠れている長椅子から、3列先の長椅子を調べまわっている。

 ここまで近づくと、二人の声まで聞こえてきた。


 ――気をつけろ。俺の後ろから離れるなよ。


 ――ここに敵がいるのは間違いないんだ。エレベーターを下りた時、微かに声が聞こえたからな。


 ――もし襲われたら、恵は真っ先に逃げるんだぞ。


 男の方は、かなり厳重に女を気にかけているようだった。

 内心でほくそ笑む。あの手のタイプにはまさに、人質作戦が有効だ。女の命さえ握れば、男は手も足も出なくなるに違いない。

 瀬山は指でカウントダウンをとり、清蓮に合図する。

 3 2 1……――

 今だ。


 瀬山は背もたれに手をかけ、反動で一気にジャンプした。突然飛び上がった人間に驚き、二人は目を丸くする。急いでクラッカーを構えるが、照準が定まる隙を与えずに瀬山は男に体当たりをかました。

「ぐっ!」

 男は瀬山と共に地面に倒れ伏す。瀬山はそのまま男の持つクラッカーをはたき落とした。そして、見様見真似の適当な絞め技をかける。高校時代に柔道の時間で習った――袈裟固めとかいう技の瀬山流アレンジだ。威力は本場と比べて10分の1にも満たないだろう。両手はフリーだし、瀬山の右腕も男の襟首を掴んではいない。言い方が悪ければただのしかかっているだけだ。

「くそ、離せ……野郎っ!」

「清蓮!」

 呼びかけるまでもなく、清蓮はすでに行動に入っていた。女を捕らえに走っている。

 よし! 計画通りだ。そのまま彼女を拘束してくれれば、戦いは終わり……

「……は?」

 おい清蓮、何をやってるんだ。

 その掲げ持ったクラッカーはなんだ!?

 清蓮の口の端が吊り上がった。彼女は、女を捕らえようとせずに方向転換し、クラッカーを構えてまっすぐこちらに走って向かってくるではないか。

 瀬山は驚愕で目を瞬かせるしかなく、ただ茫然と清蓮の凶行を見守ることしかできなかった。

「せ……清蓮!」

「ごめんねぇ瀬山ちゃん? まぁでも、安心しなよ。殺しはしないからさ」


 ――馬鹿どもめ。

 お前らも、そして瀬山ちゃんも、全部アタシのプロットの上に乗ってるんだよ! ククク、なぁにがてめぇのハッピーエンドの小説を書くだ? アタシはな、登場キャラに優しくない小説家なのだよ。お前ら(キャラ)に絶望と試練を与えて面白がる。全てはこのアタシと、それを望む読者のためにな!


 最初から、彼に手錠を外させることだけが目的だった。これでアタシはもう、自由の身さ。もうとっくに分かっていることだ。この空間の絶対的ルールはゼロサム。共闘することには最終的にリスクが伴う可能性が高い。

 協力など必要ない。

 使える駒を常に懐に忍ばせ、利用できる時にカードを切るのさ。それがこの空間での戦い方なのだよ。


 アタシのプロット。

 まずはこうだ。


『鶫鳥はまるで怒りを露にするかのように、嘴をカチカチと鳴らした。

 彼は自分の犯してしまった過ちに気づくまで、そう時間はかからなかったようだ。彼の目前へと迫りくるものの正体が何か、はっきりと分かったためだろう。それは1人の魔法使い。鶫鳥はせっかく捕らえた魔法使いを、己の危機を脱するために開放してしまったのだ。その魔法使いこそが、自分の死を携えてやってくるとも知らずに。

 魔法使いは魔法の杖を取り出した。

 その杖は一撃必殺の魔法を放つことができる。身をかわすことはできない。なぜなら、鶫鳥を殺しに来た戦士が、彼の足を掴んでいるためだった。鶫鳥は美しい声で必死に鳴いた。思わず聞きほれそうになる歌声には余韻すら感じさせるが、それがかえって彼の首を絞めることに繋がっていることに鶫鳥は気づかない。気づく余裕がないのだろう。

 魔法使いはすでに杖を構えている。まばゆく光る一等星。魔力が集結し、魔法が放たれようとしていた――』


 うーん。ちょっとファンタジックな世界観になってしまったが、こんなものか。


 瀬山は男ともみ合い、すでに地面に投げ出されている。瀬山が、清蓮が動ける隙をできるだけ大きくするために男を押さえつけていたのが、文字通り清蓮にとってプラスに働いた。二人とも体勢をすぐに立て直すことはできない。隙だらけだ。

 ――この状態で二人にクラッカーを放てば、アタシは3人の手駒を手に入れることができる。

 清蓮は揉み合う二人に向けてクラッカーを構え、紐を引いた。

 反射的に目を瞑る二人。大丈夫、殺しはしないって。

 この轟音は二人を始末するためのものではない。攻撃の手段を失わせるためのものだ。この男が複数の武器を所持していたとしても、これで全ての手立ては封じられる。

 清蓮は伸びきっている瀬山の腕についた『地獄耳』を確認する。0 8 6。ちらりと見えた男の方の腕輪も赤く点滅しているのが見受けられた。オーケー。プロットは問題なく進行している。

 さぁ、次のページだ。


『魔法使いの使った魔法は、『爆発のまじない』だ。これは一度しか使うことができないが、とても強力な魔法だった。

 爆発のまじないとは、二人の周りの空気に可燃性のガスを充満させる魔法。魔法使いにとって脅威となる銃を持った戦士は、これによって攻撃の手立てを奪われてしまった。もしも銃の引き金を引いてしまえば、まじないが作動する。戦士は悔し気に唇を噛み、銃を地面に叩きつけた。

 ここまでか。

 俺たちはこの邪悪な魔法使いに命を奪われる運命……光の失った目で魔法使いを見上げる戦士だったが、そんな恰好を見せられても滑稽さしか感じない。おかしくなって、魔法使いは腹をよじらせた。そして言った。

 『バッカだねぇ? お前達の命なんてこれっぽちも欲しくはないよ』

 『なに? どういうことだ』

 『アタシが欲しいのは、お前達の魂だ』

 そのまま座ってろ。そう言い残すと魔法使いは、悠々と背後に振り返る。

 その先に真の目的があるのだ。麗しき、姫君の姿が見える――』



「分かるか瀬山ちゃーん? もうクラッカーは使えない! キミ達がそれを使えば、確実にデッドラインを越えるからな!」

 瀬山は取り出しだしかけた自分のクラッカーをポケットの中で握りしめることしかできなかった。彼女の言う通り。0 8 6の騒音値でクラッカーを放てば自滅するだろう。

「分かったぞ、あの女!」

 彼女の目的は、僕も一緒に支配下に置くことだ。ここで3人の人間を全員武装解除させるには、あの恵とか言われていた女学生を人質にするしかない。

 この男はきっと、恵を人質にとられれば何もできないだろう。さらに、恵と関りがない僕を封じるために、清蓮はクラッカーを二人同時に打ち込んだのだ。

「クライマックスだ」

 清蓮はお姫様の元に走る。

 姫――恵は震える手で持ったクラッカーを迫りくる清蓮の方に向けるが、紐を引く勇気はない。彼女の顔を見ただけで分かっていた。キミなんかに、人殺しの道具が扱えるわけないだろ?

「勇敢な戦士様が守ってくれなきゃ何もできない姫様が、魔法使いを止められるわけないだろうが! なぁ~~?」


 最後のページだ。


『姫君は小さなナイフを握りしめ、魔法使いに切りかかろうとしたが、あっけなくあしらわれてしまう。

 姫君の抵抗は、魔法使いにとって無効だった。

 何の意味もない。時間稼ぎにもならぬその愚行に、魔法使いは腹を抱えて笑った。お前のせいで、勇敢な戦士殿がアタシのものになる。そう耳元で囁いてやった。絶対的な敗北を分からせてやるのだ。

 魔法使いは姫君の持つナイフを奪い、喉に突きつける。背後から追いすがろうとした戦士も動きが止まる。魔法使いが口を開くまでもなくやることは分かっていたようだ。

『頼む……姫には手を出さないでやってくれ』

 戦士は武器を地面に置いた。

 魔法使いは後ろの鶫鳥にも同じことをするよう、目で合図をする。鶫鳥は臆病で弱い。人間の死にざまを見たくない一心で、魔法使いに従った。

 3人とも武器を失い、魔法使いに逆らえる者は誰もいなくなった。

 支配下に下った3人は、言いなりになるのみだ。異論は認められることなく、魔法の炎で焼かれて落ちる。意味のないことは、しないに限る。

 『アタシはこれから諸君を拷問し、この世界のどこかにある宝物の情報をいただく。それが終わったら、速やかに首をはねて処刑しよう。大丈夫。痛みはないように努力する。ただ……首をはねた経験がないから、うっかり失敗して変なところをざっくりいっちまうかもしれないが、そこは大目に見ておくれ』

 3人は絶望した表情になった。

 その顔は魔法使いをさらに喜ばせる材料でしかなかったのだが。

 『ところで諸君、ひょっとしたら何か期待してるんじゃないかな?』

 ふと、魔法使いはそんなこと嘯いた。皆一様に首を傾げ、魔法使いの次の言葉を待った。

 『まさか自分が、こんなところで死ぬわけない。予想外の幸運がきっと、自分に味方してくれるはずだ。こんな絶望的なピンチにこそ、勇者様が助けに来てくれる! とか……さ』

 魔法使いは杖をぐるぐると回しながら、呪文を唱えた。

 杖の先端から、黒い霧が発生する。霧は周りを覆いつくし、周囲の様子は全く見えなくなってしまった。3人は完全に、闇の中に閉ざされてしまったのだ。

『そんなものはありえない。この場を何とかできるのは、この場にいるお前らだけだ。ヒーローが助けに来て、感動の救出劇なんて、そんな薄ら寒くなる現実があってたまるかっての! お前ら、この世界が小説か何かだと勘違いしてるんじゃないかぁ?』

 魔法使いの哄笑と共に。

 最後の時間が始まった』



 清蓮は一直線に走る。

 目指すは恵と呼ばれたあの女だ。アタシの人物プロファイリングに狂いはない。キミは守られるだけのお姫様だ。抵抗できるものならしてみろよ。

 恵はあっという間にクラッカーを持つ手を掴み上げられる。

「や、やめて……」

 やめない。

 清蓮はクラッカーをもぎ取った。そのままプロット通り、彼女の体を拘束しつつ喉元にクラッカーを突き立てる。その姿勢に移ろうとした。万事抜かりない完全な展開に、清蓮は舌鼓を打つ。

 その時だった。

 清蓮の持つ筆に震えが走った。

「……なにっ!?」

 近い!

 自分のすぐ後ろに、戦士たるあの男子学生が迫ってきていることに気づいた。バカな、もう追い付いてきたのか?!

 瀬山の拘束を振り切り、激しい呼吸を繰り返しながら彼は清蓮に追いすがって来た。そして、肩を思い切り掴んで無理やり振り返らせる。

「俊君!」

「おーぅ、足が速いな」

 まさに俊足。清蓮は恵から距離を取らされた。

 少々プロットからずれたか。だが、問題ない。

 キミの死期が早まっただけだ。忘れてはいないだろう? キミは、クラッカーを、使えないのだよ!!

 清蓮の読み通り、俊はすかさず物理攻撃を放ってきた。高速の蹴りだ。彼女はそれを左腕でいなす。なかなかの威力の蹴りでビリリと痺れが走るが、クラッカーは死んでも離さない。これを失えば一気に苦境に立たされる。

「おいおい、分かってないな? キミの数値を見てみなよ。その赤い点滅は、80を超えている証拠だ。たとえ喉に狙いをつけなくたって、この距離でクラッカーを鳴らせばキミは死ぬ」

 しかし、俊はさらに予想外の行動に出た。

「何のつもりだい?」

 俊は、クラッカーを構えた。

 さっき瀬山に払われたクラッカーの他に、もう一本持っていたという新事実に驚いたわけではない。あたかも彼が、清蓮に向けてそれを使おうとしているところだった。

「恵、この女が死んだら、すぐに逃げろ」

「駄目だよ俊君!」

 そうだ。駄目だよ俊ちゃん。

 コイツ何考えてるんだ? 死ぬんだぞ? 死んだらそれで終わりだぞ。それを引けば、お前も死ぬ。分かっているのか!?

 せっかく書き上げたプロットが敷き詰められた原稿用紙に、一点の黒いインクが垂らされた。インク染みは徐々に大きく、広がりを見せる。

 ありえない。そんな人間がいてたまるか。死を恐れない人間など、小説の中でしかありえないだろうが。

「ば、馬鹿か! アタシと心中する気かてめぇーーーっ!」

「俺は、やる。恵が助かるなら、俺はここで死のうと、お前を倒して恵のための活路を作る」

 それが、惚れた女のためにできる俺の精一杯だ。

 俊は紐を掴んだ。そして力をこめる。

「く……うっ!」

 ま、マズイ。

 アタシの持つクラッカーを俊に発動。いやだめだ。今は右手にクラッカー、蹴りを喰らった左手が思うように動かず、そんな手で紐を掴む時間がない。そんな時間もないのなら、当然恵を自分の前に盾として持ってくる時間もない。

 まて、ヤバイぞ。これは……!

 この男の目には、覚悟がある。本気で、死んでも彼女を守るという覚悟が。

「ま、マジかよオマエ……!」

 ああ、うう……ち、ちっくしょ。そんな、アタシが……書けないだと? このBadをかいくぐる起死回生の展開が! 全く思いつかないだと!?

 考えろ。

 考えろ、考えるんだ! 清蓮! アタシならこの状況、主人公を生かすにはどうすればいい!

「に……ぎぃいいいいいい!」

 時間が足りない。

 ああああああああああああああああああああああ! 思いつかないいい! 筆が、筆が筆が筆が、折れる! ボッキリと真っ二つに!

 ああああああああ!


 俊はふっと目を閉じ、紐を引いた。

 清蓮にははっきりとその瞬間が見え、背筋が凍る。何とか、生きながらえようとする意思の表れか、彼女は腕を自分の前に持って行ってガードした。



 彼女が冷たい水しぶきをもろに浴びたのは、クラッカーが破裂するコンマ1秒前だった。

 音は鳴らない。

 清蓮はひびの入った筆を落とさないように気をつけながら、恐る恐る目を開けた。

「甘い……?」

 顔についた水滴を舐める。ついさっき感じた味だ。

 俊は水でしけって鳴らないクラッカーを驚きの表情で凝視し、突如背後から降りかかってきた水飛沫を放った者を睨みつける。

「て、てめぇ!」

 瀬山は空っぽになったペットボトルを、彼の顔面に叩きこむ。俊はひるんだ。すかさず反撃を試みるが、清蓮が後頭部を思い切り殴った。それが決定打となり、ついに俊は沈む。実に無念そうな目を上に向き、うつ伏せに倒れる。

「せ、瀬山……」

「プロット通りにはいかなかったみたいだな」

 せっかくのコーラを、こんなところで無駄にさせやがって。瀬山はイヤミったらしく空のペットボトルを振って見せた。それは地面に放り、かわりにクラッカーを取り出す。

 清蓮はやさぐれた様に笑って、手近にあった椅子に体を投げ出すように座って両手をあげた。

「へへへ……終わりってわけか。そうだよねぇ~?」

 さっきのコーラで、清蓮のクラッカーもしけって使えなくなっている。身体能力的にも男の瀬山には敵わない。瀬山の数値は徐々に回復していく以上、もはやこちらに打つ手はなかった。

 ちらりと後ろにいる恵を見やるが、やはりあの女は何もできない。ただ守られるだけの女。彼女は俊が倒れたことに絶望し、すでに床に座り込んでいる。清蓮は溜息を吐いた。

 流石の瀬山も、もうアタシを許しはしないだろう。再び拘束され、ここに放っておかれるか。悪ければそのクラッカーでアタシを殺す。

「なぁ、虫がいいのは分かってるけど。命は助けて欲しいな?」

 瀬山は、そのクラッカーを下ろすことなくただ清蓮を黙視している。

 清蓮はもはや、懇願するように訴えた。

「裏切ったのは悪かったさ。謝るよ。ねぇ、また手錠をかけてもいいからさ。お願いだから……見逃して……」

「清蓮、あんたはとっくに気づいてるんだろ? このゲームがゼロサムだと。だからこそ、あんたは協力の道を選ぼうとしなかった」

 すると瀬山は、クラッカーを下ろした。

 そして、自分たちが隠れていた椅子の下に落ちていた手錠を拾いに行く。「今なら逃げられるか!?」と、腰を浮かしかけた清蓮だったが、次にとった瀬山の行動にそんな考えは消え失せてしまう。

 彼は、迷わず俊の手首に手錠をかける。そして、もう片方の輪を椅子の支柱にかけた。支柱は椅子を地面に完全に固定しており、手錠はもう外れなくなった。

「もちろん、それは僕も承知しているつもりだ」

 瀬山は手を差し出した。クラッカーを持たず、ただの掌を清蓮に差し出す。

 訳の分からぬ行動に、彼女は混乱する。

「だが、利用するよりも協力した方が、生存できる可能性は高いかもしれない。あんたはそう考えないのか?」

「……今更アタシに何言ってんだ」

 馬鹿じゃないのか。

 アタシはまたお前を裏切るぞ。

「確かに、清蓮。あんたは危険人物かもな。だが……相当に賢い。そんなあんたなら気づいてるはずだと思ったんだがな。結束力こそが、この空間を生き延びる鍵だということに」

「何が言いたい……」

「今さっき、死にかけていたあんたを救ったのは誰だ? いくらあんたでも、1人じゃ生き残れない。それは証明されたんじゃないか?」

 清蓮は目を見開き、頭を抱える。

 悔しそうにうめき声をあげた。

「だから……僕と組もう。そのためにあんたを助けたんだ」

 1人では生きられない。その言葉は清蓮の胸に重くのしかかった。

 瀬山と協力。

 今度こそ裏切りなしの、信頼関係を結ぼうと言ってる。

 武器もない清蓮に、選択の余地はないように思えた。現にさきほど、瀬山がいなければ死んでいたという事実が、その選択に拍車をかけた。

 しかし、一つだけ気になることがある。

「なんでそこまでアタシと組みたがる。キミにはあの後輩二人がいるだろうが」

 すると瀬山は、自虐するように息を吐き捨てた。卑屈さをたっぷりと含んだ、乾いた笑い声をあげる。

「後輩二人? さっき会ったばかりのあの二人と? ははは、清蓮さん、何か勘違いしてないか? 僕とあいつらは別に、強い絆で結ばれてるわけじゃない。ただ、その場に先輩として居合わせたから、保護の役目を、責任を果たそうとしていただけさ」

 もともと、僕は誰かの上に立つ性分じゃないんだ。今、あの二人と離れられて解放感に満ち溢れているこの内心は、きっと第三者から見れば卑劣極まりないんだろうが。

 そんなの知るかよ。

 僕だって生き延びるのに必死なんだ。

 俊は、明らかに自分達を殺そうとしていた。ここは、そういう世界なんだ。命を狙う敵が大勢いる。力がなければ、生き延びる工夫をしなければやられる。今の瀬山には、『協力』以上の頑強な防衛手段が思いつかなかった。

「はっきり言って、あの二人よりあんたの方がよほど戦力になると思ってね」

 東太とちえり。あの二人はエレベーターホールで袂を分かったも同然だ。

 人がせっかく、リーダーシップを発揮して先導してやっていたというのに。あの時、自分はとうに、彼らのことを見限る決意を抱いていたのかもしれない。見方を変えれば、自分の方が彼らに見限られたと言えなくもないのだから。

 彼らが信用できないのならば……この女を取り込んでしまおうと。

「それに、パートナーは話が合う人間の方が良い」

「ふっ…ヒヒヒヒヒヒヒヒ! あっははははははは! やべぇ! あんまり笑わせないでよ瀬山ちゃん! 死んじまうじゃないのさ!」

 この男、正真正銘の屑だ。そう思った。

 結局、コイツは自分のことしか考えていない。協力だとか助けるだとか、命は奪わないだとか、美しい言葉を並べ立てているが、やっていることは卑劣極まりない。

 ただの選別。

 自分にとって有益になる存在を拾い、要らぬものを切り捨てているだけ。それが物でなく人間なのが、なおさら性質が悪い。

「キミはそーやって生きてきたんだな? 少なくともちえりちゃんは、キミのことを特別視しているみたいだったぜ? それでもアタシに鞍替えするってのか?」

「は、特別視だと? 僕はあの子と面識なんてない。あったとしても、僕にその記憶はないんだ。彼女は赤の他人。ただ……」

「ただ?」

「彼女がまた僕の仲間になるっていうのなら、引き入れてあげるつもりだ。僕は、誰も死なせたくないからな」

 ハハハ、サイコーだねぇ? 気に入った。

 ホント良いキャラしてるぜ瀬山ちゃん。

「……さて、清蓮さん。そろそろ僕の数値も落ち着いた。僕の手を払いのけるなら、クラッカーであんたを殺す」

「できるわけないだろ」

 瀬山は苦笑する。

「ああ、できないだろうな。だから頼む。僕の仲間になってくれ」

 めちゃくちゃな奴だ。それを言えば、「あんたに言われたくない」と返されそうだから何も言わないが。

 清蓮にも瀬山にも、そうするしか道は残されていなかった。手を繋ぐ。束の間ではなく、ここを生きて脱出するまで。それを自覚した時、清蓮は心のどこかで安らぎを覚えた気がした。この自分にとってはかなり不可解な感情であり、彼女は戸惑った。

「どうした?」

「……いや。なんでも」

 気のせいだ。

 今一瞬。あのエレベーターの中で彼と交わしたキスの感触が唇に蘇ってきたのだ。

 それと同時に、奇妙な懐かしさを覚えたのは。ただの空想に違いない。

「絆されたのは、アタシの方か……?」

「何だって?」

「ええい、うるさい」

 清蓮はきょとんとしている瀬山を無視し、差し出してくる手も払い退けて自分で立ちあがった。

「一つ確認しておくが瀬山ちゃん」

「なんだよ」

「もし……このゲームの最終地点で、生き残るのが一人きりだと分かった時、キミはどうするんだ?」

 瀬山は宙に視線を走らせ、肩を竦めるだけだった。


 つづく


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