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クワイエットルーム   作者: 冬司
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room5 キミは、主人公キャラじゃない

 room5 キミは、主人公キャラじゃない


 瀬山は白い部屋にいた。

 目の前には、二つの機械的な扉がある。ドアノブのような、開けるために必要な取っ手はなく、その代わりに壁にボタンがついていた。

 頭を抱えたくなった。本当に、何なんだこの部屋は。清蓮の言っていた、『空間』という表現がよりまともに思えてくる。扉の形状から、エレベーターのドアを思い出させた。するとこの部屋は、エレベーターホールと言ったところか。白い部屋……市内で一番大きい総合病院、風間市立総合病院にこんな部屋あった気がした。部屋というよりは待合室と一体になっていたけども。

 気のせいか? ここにある部屋は全て、現実世界のどこかにある施設を模しているのだろうか?

「ここで分かれ道っすか」

 唐突に聞こえた声に、思考にふける瀬山の頭は現実に戻された。

 後ろで東太が、つま先を床に叩いて音をたてた。カン、カンとコンクリートの音が響く。さっきまで歴史を感じさせる木造の板張り床を歩いていただけに、ギャップを感じてしまう。壁も天井も白いコンクリートで固められており、窓などはない。照明は天井に大きな四角い電灯が埋め込まれているだけだ。前の部屋よりも閉塞感があった。

「見た所この扉、エレベーターに似てますね。これで別の階に行けるんすかね?」

 東太も、自分と同じことを考えていたらしい。

「分かれ道……ってことは、どちらも違う部屋に繋がってるってことですか?」

 ちえりは二枚の扉を指さして言った。

「……かもな」

「ふーん、じゃあ……どっちかは外れってことかな? ふっふっふ~瀬山ちゃんはどっちに行きたい?」

「うるさい」

 清蓮は頬を膨らませて押し黙った。

 ちえりもそれ以上何も言うことなく、瀬山と清蓮の様子を心配そうに見守っている。


「……あれ?」


 ――なんだ?

 今、少し違和感を覚えたが、気のせいか?

 誰かが、今変なことを言った気がする。

「なぁ皆……」

「あの、提案なんですが」

 ちえりが、瀬山の言葉を遮って先手を取ってしまう。ちえりは遠慮しかけたが、瀬山は発言権を譲った。

「えーと、せっかく4人いるんですし、二手に分かれませんか? ここで待ち合わせをして、情報を持ち寄った方が、効率良いと思いますし」

 これは、驚いた。

 よもやちえりの口からそんな提案が出るとは。確かに、分担作業は効率がいいが……

「危険じゃないか?」

 瀬山は警戒するように例の女に視線を送る。

 清蓮は、相変わらずニヤニヤ笑っていたが、その口角に一瞬だけ曇りが見えた気がした。瀬山は眉を顰めて清蓮の顔をうかがうが、彼女はサッと目を逸らした。

「森本さん、確かに一理あるけど。それじゃあどうしてもコイツと組む人が……」

「俺は森本さんの意見に賛成っすよ! 俺たちの他にも人がいたら、きっと亡骸を狙ってくるでしょうし。早く見つけちゃった方が良いっすよね!」

「東太!?」

 おいおい……マジかお前。

 東太が食い気味でちえりの意見に賛同を示す。ここに来て、二人の後輩が暴走を始めたように感じ、瀬山は訳が分からなくなった。

 いや……どう考えても正しい判断とは言えない。

「待て君達……この女のこと忘れるな。誰が面倒見るんだ? まさか監視もつけずにほったらかす気じゃないよな」

「しっつれいだねぇ瀬山ちゃ~ん? 人を厄介者みたいにさぁ」

「厄介者以外の何者でもないだろお前!」

 大声出しかけた瀬山を、清蓮は「しぃ~!」と息を吐き出して制する。

「でも瀬山さん。俺たち、かなり足止め喰らいましたよ? あまりのんびりしてたらさ、それこそ他の人間と争う確率が増えると思いません?」

「なんだよ東太……そんなに二手に分かれたいのか?! 僕は反対だ。全員で行動するべきだ!」

 しかし、東太は反抗を続けた。

「俺はそうは思いません! ここは二手に分かれるべきです!」

 今まで従順だったくせに、何なんだコイツは。

 瀬山は期待を込めてちえりの方を見るが、彼女は押し黙ったまま俯いている。揉め事の発端を作ってしまったことに罪悪感を感じているようにも見えた。

「ハーイ瀬山ちゃーん」

 ここで、清蓮が怖々とした様子で発言した。

「アタシはキミに賛成よーん。みんなで一緒に行動しようぜ~?」

 東太が、清蓮を忌々しそうに睨んだ。同時に、激しい混乱を生む。なぜ彼女はここで自分に賛同するんだ? 二手に分かれて得するのは清蓮の方だろうに。

「これで決まりっすよ瀬山さん。その女が集団行動を望んだってことは、パーティを分けることで何か不都合があるってことです! あえて二手に分かれましょう」

「……いや、しかし」

「大丈夫ですって。俺が清蓮と組みますから。彼女の手綱はしっかり握ってます。絶対に逃がしませんよ」

 まずい、話が東太の思い通りに勝手に進められている。

 だが、これ以上反論しても彼は引きそうにない。おまけに、ちえりは言い出しっぺだ。今更こちらにつくとも思えないし、清蓮の発言は逆効果である。いや、清蓮にとってはむしろ都合が良さそうだが、なぜか彼女は露骨に不安げな素振りを見せている。

 瀬山の思惑に反し、一行は二手に分かれる方向に傾倒しつつあった。

「清蓮、俺と一緒に行くっすよ」

「え~……東太クンとかぁ~。せっかく瀬山ちゃんと小説の話できると思ったのに」

 うだうだと駄々をこねる清蓮。手錠は彼女の不自由を極めているようだ。あれなら東太が不覚を取られることもないか、と半ば承認しかけたその時だった。

 瀬山はあることに気づいてしまった。

 清蓮の手……なぜかずっと、拳が握られている。

「おい! 清蓮」

「ひゅい?」

「ひゅいじゃない。手を、パーにしろ」

 彼女は舌を出すと、手を開いた。

 中から、一個のクラッカーが落ちてきた。

「あ、お、俺のクラッカーじゃないっすか。なんで……!」

「東太、このままコイツと二人きりになってたら殺されてたぞ?」

 一体いつ抜き取ったのか。本当に油断ならない女だ。東太では簡単に出し抜かれる。これで分かっただろう。お前じゃこの女の手綱は握れない。

「これで分かっただろう東太。皆で一緒に行動……」

「俺一人で行きますよ!」

 彼は死ぬんじゃないかと思うほど大きな声を出して左の扉に歩いて行った。そして、壁のボタンを押す。

 チーン、と音が鳴って、扉は横にスライドして開いた。

「おい! 一人で行くな東太!」

 ちくしょう。

 本当に、分からない奴だ。どうして急に僕に逆らったりするのだろう。あいつの行動の一貫性のなさに辟易せざるを得ない。

 なんだか腹が立ってきた。

「瀬山さん。私が行ってきます」

「え、でも森本さん……」

 ちえりは小さな声で、瀬山を慰めるように言った。

「ここで待っていてください。彼を説得して、なるべく早く戻ってきますから」

 東太は、すでにエレベーターの中に乗り込み、スイッチを連打していた。完全に1人で行く気だ。しかし、機械がなかなか反応しないのか、扉はまだ閉まらない。

「同じゼミの知り合いですし。話せば分かってくれますよ」

 そう言い残すと、ちえりは彼を追ってエレベーターに入ってしまった。ちえりが近づくと東太は顔をしかめたが、何かしら言葉をかわし東太はしぶしぶ彼女を受け入れたようだ。

 扉が閉まる。微かに、壁の奥から機械が動く音が聞こえてきた。だが、これでは結局、東太の狙い通り二手に分かれてしまったじゃないか。おまけに、自分にはこの厄介者を背負わせやがって。

 ったく、勝手な奴らだ。

「まぁ~ねぇ。必然的、って言わないか? どうだい瀬山ちゃん」

「意見が合った者同士、ってことか?」

「そゆこと~。で、どーすんの? このままここで待機かい?」

「……まさか」

 進むさ。そうしないとリスクを背負って不本意なチーム分けをした意味がないではないか。

 瀬山は右のエレベーターを作動させ、扉を開けた。顎で、先に入るように促す。

「レディーファーストだ。お先どうぞ?」

「キミのやり方は完全に中世のそれだねぇ」

「紳士、だからな」

「他の女にやるなよ? 嫌われちゃうよー?」

 清蓮は黙って、先陣を切った。

 異常がないのを確認し、瀬山も後に続く。


 扉が閉まった。

 中は完全にエレベーターで、扉から見て右の壁に2つボタンがついている。どちらもアラビア文字が丸まったような、奇妙な記号が書かれているだけで何階なのか全く分からないが、光っているボタンが今いるフロアだろうと推測できる。瀬山は迷わずもう片方のボタンを押した。

 チーン、と音が鳴り、箱が動き出す。瀬山は扉の前に清蓮を立たせ、自分は後ろの壁に寄りかかった。彼女は文句ひとつ言わない。しばらく、気まずい沈黙が流れた。

「……瀬山ちゃん、助かったよ」

「あ?」

 先に口を開いたのは彼女だった。

「おかげで死なずにすんだ」

 そう言うと、彼女は長い息を吐き出した。意味が分からず、瀬山は警戒するのも忘れて彼女の肩を掴んでしまった。

「何言ってるんだ?」

「あの後輩二人さ……あいつら、信用しない方が良いぜ~?」

「僕らを仲たがいさせようとしているのか」

「あれぇ? キミなら気づいていると思ったけどねぇ。あの時、アイツが発した違和感のある言葉に」


 ……違和感。


 そうだ。確かにあの時、感じたのだ。何か、頭の隅に引っかかるような。


 ――ここで分かれ道。


「分かれ道……確かに言った」

 そうだ。東太はエレベーターホールに入った瞬間、第一声としてその単語を口走った。分かれ道。扉が二つ。確かに、行く手に扉が二つあればそう解釈するのも頷ける。だが、奴はその後、こう言ったじゃないか。


 ――この扉エレベーターに似てますね。


「おかしいよなぁ。アタシもあれっ?って思ったんだ……志乃山東太、あの野郎二つのエレベーターが『違う部屋に繋がっていることを確信していた』ってことだ」

 普通、エレベーターホールに二機のエレベーターがあれば、上階には同じような作りになっているホールのフロアがあり、そこに二機とも繋がっていると考えるのが普通だ。つまり、隣り合った二機のエレベーターがそれぞれ別の部屋に繋がっていると考えるのがそもそもおかしいのだ。

 にもかかわらず、咄嗟に分かれ道という台詞が出たということは。

「あいつ、この空間の構造を知っていたのか! 二手に分かれるっていう提案を森本さんにミスリードさせるためにわざと、別の部屋に繋がっていることを印象付けたんだな」

「ハッ……なぁに企んでんだかねぇ? あ、そうそう、アイツ真っ先に左のエレベーターに向かったよな」

「……」

「ってことは、左が正解ってことじゃね?」


 瀬山は急ぎボタンにかじりついて連打したが、無駄だった。一度上昇した鉄の箱は、目的地に客人を送り届けるまで絶対に止まる気はないらしい。

 なんて仕事熱心なことだ。ちくしょうが……!

「くそ! 東太の奴!」

 アイツは完全にクロだ! このままではちえりに危険が及ぶかもしれない。まさか、最初から東太は僕たちを欺いて、あのエレベーターホールの部屋で単独行動をしようと考えていたのか? ならば、ちえりの存在は彼の行動を阻む邪魔者でしかない。

「清蓮! 分かっていたなら止めろよ!」

「えへへ、いいじゃんかぁ、せ~やまちゃーん? もういっそ、アタシ達でコンビ組もうよ?小説家コンビ!」

「黙れ!!」

 いきり立ち、彼女を睨みつける。

 だが、清蓮が突然一歩こちらに歩み寄り、顔を近づけてきたので面食らってしまった。瀬山は一歩下がろうとしたが、ここは狭い。逃げ場はなかった。

「な、なんだよ」

「正直、キミと一緒になれてほっとしている」

 清蓮はいつになく真剣な顔だった。

「あの二人のどちらかと二人きりになっていたらアタシ、殺されていたかもねぇ?」

「はぁ? 何言ってるんだ。殺される? あの二人がそんなことするわけないだろう」

 お前とは違うんだよ。

「ふっふっふー。どうかな? あの二人はキミほど甘くないと思うな」

 清蓮はさらに前に進み出て、瀬山と体を密着させるほど近づいた。耳元に、生暖かい気がかかる。瀬山は彼女の手の位置が気になった。後ろ手に縛られているはずだから、何もできないとは思うが……懐に入られるのは非常に不安だった。

「離れろ、清蓮」

「こうしていると、アタシの心臓の鼓動を感じないか? キミの胸で」

 脈動を感じた。それを肌で感知したとたんに、瀬山は体に電流が這い上るような感触を得た。鳥肌が立つ。

 これは自分の心臓か、それとも彼女のものなのかは分からないが。とても激しく脈打っている。騒々しいと、感じられるほどに。

「怖かった」

 彼女はぼそりとそう紡ぎ、頭を瀬山の肩に預けた。

「あんたが、あの二人に恐怖を感じただって?」

「その通り、と言ったら意外かな?」

 清蓮は蠱惑的に瀬山を嘲笑った。金色に光る瞳に見つめられる。瀬山は思わず目を天井へと逸らしたが、その刺すような視線はチクチクと突き刺さってくる。

 自然と、彼女の背中に手を回したくなる自分がいた。

「……あんたが、何を考えてるのかさっぱりわからない」

「そうかい? じゃあ……分からせてやろうか。なぁ、抱きしめて、キスしてやるから手錠外せよ」

「馬鹿言うな」

「じゃぁ、キミがして?」

 悪戯っぽく耳元で囁やかれた。

 驚くほどあっさりと、自分の手が彼女の体に巻き付いていくのを自覚する。危険だ、やめろと頭の中はうるさかったが、止まらなかった。

 瀬山は逃げられないように彼女の体を抑えると、かぶりつくように清蓮の唇を襲った。貪るように、彼女の唇を舐め、舌をそのまま彼女の口内へ滑り込ませる。

 息が詰まるほど、彼女との接吻を求める。清蓮も彼の欲望に応じる様に、舌を絡ませてきた。そして、彼女の……歯が、自分の歯と重なった。

 かちりと、音をたてる。


 その瞬間。

 瀬山の舌根に強烈な痛みが走った。

 脳内麻薬でも打たれたかのように、朦朧としていた彼の脳はその一瞬で回転を取り戻した。瀬山は思い切り清蓮を突き飛ばす。

 彼女は無様に、床に転んだ。

「はぁ……はぁ」

 瀬山は指で自分の舌を確認する。痛みは愚か、血も出ていない。

 今よぎったイメージは、ただの空想だったのか。


 清蓮に僕の舌を噛み千切られる、最悪なイメージが……


「えへへ……おいおい、瀬山ちゃん。最後までやらないの?」

「黙れ……黙ってろ……!」

「ふーん、まぁ……いいけど」

 チッチッ! と、名残惜しそうに舌打ちする清蓮。彼女は親指を舐めながら呟いた。


「懐かしい味がする」




 ***




 エレベーターはやがて、可愛らしいべルの音を鳴らして止まった。

 瀬山は乱暴な足取りで先にエレベーターを降りてしまう。さっきのことが、堪えているのかな? クスクス笑いながら清蓮も彼の後に続いた。

 部屋は、施設の待合室だ。明かりが少ないのか、窓がないからか、全体的に薄暗い部屋だった。病院か、銀行か、ホテルか……さっきの流れだと病院が正解なのかもしれない。長椅子が何脚も等間隔で並べられている。

「瀬山ちゃん、見なよ。やっぱりあいつらが乗っていったエレベーターは、この部屋にはないようだね」

 瀬山はちらりと清蓮の方を見やってから、辺りを確認した。部屋の入り口と思われる扉は自分たちが乗ってきたエレベーターと、ガラス盤で仕切られている無人受付の奥に見える扉しかなかった。

「敵はいないみたいだな」

「どうするんだい? 瀬山ちゃん。下に戻ってあの二人を追うのかい?」

「……東太は、人殺しができる性格じゃない」

 それどころか、人に暴力を振るうことすらためらうような男のはず。東太と付き合いが長いわけではないし、彼のことをよく知っていると豪語する気もないが、何故かそれだけは確信を持って言えた。

「まして、女の子に手を上げられる奴じゃないよ。だから、森本さんは放っておいても大丈夫だ。死ぬことはない」

「瀬山ちゃん……その根拠のない自信は何なのさ」

 若干呆れられたようだ。だが、お前と東太は180度違うということははっきりわかるだろう。殺しにタブーを持っている者とそうじゃない人間の区別は、目を見ればなんとなく分かるものだ。人はそれを勘というのかもしれないが。

「二人を助けに行くよりも、こっちの散策を終わらせよう。もしこっちでも亡骸が見つかれば、それを使っていくらでも東太を揺さぶれるだろう?」

「へぇ、結構冷静にものを考えているんだね。瀬山ちゃん」

「何を馬鹿にしたように……」

「いや、てっきりお人好しの甘ちゃんかと思っていたからね……すぐにでも下に降りてちえりちゃんを助けに行くのかと思っていたから意外でねー」

「……」

「でも、そうだな。瀬山ちゃんは時々、凄く冷静になる瞬間があるよな……いや、正しくは、冷徹か」

 僕は、あくまで今優先すべきことを行っているだけだ。

 森本さんはしばらく放っておいても大丈夫、そう確信できるからこそ、自分が今できることをやるんだろう。

 この女の言い方、何か癇に障るな……まるで僕が人の心を持たない鬼みたいな言い方だ。

「言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ?」

「別にィ~? ただ、やっぱりキミと一緒にいるとホッとするってだけさ。ふっふっふ……なんていうか、正義の味方ぶらない所が好きだぜ? 瀬山ちゃん」

「あぁ?」

「いいじゃないか。それでいいんだよ。ここでピンチの女を助けに行く男なんてな、小説の中だけさ。それも、薄ら寒くなるようなシロート小説にありがちのシチュだよ。キミはよほど、人間らしくてアタシは安心できる」

「馬鹿言うな。女性が目の前で危機にさらされているなら、できる限り助けようとするさ。僕だってな」

 清蓮にはその台詞が滑稽なギャグに聞こえたのか、体をくの字に折って笑いをこらえていた。




「お! 瀬山ちゃん。あそこに自動販売機あるぜ~!」

「まさか」

 そう思ったのだが、清蓮が顎で指す先には、煌々と光る機械があった。あの一点だけ光が漏れているので分かりやすい。

 二人は無人の受付を通り過ぎ、突き当りに置いてある自動販売機の前に立った。

 だが、そこに陳列されている『アイテム』を見て、瀬山も清蓮も顔を曇らせた。


 一番上の段には、水やジュースが売っている。他にも、乾パンや煙草も売っていた。その時点でよく見る自動販売機とは違ったが、何より不快だったのは二段目からだった。

「えーと? クラッカー1本200円! お買い得っ」

 二段目から下は殺人パーティグッツに埋め尽くされている。一番安価なのはクラッカー1本。5本セットで400円。10本セット900円、というものもある。

 その下にはさらに凶悪なアイテムが並んでいた。

 爆竹3000円。メガホン2000円。シンバル、太鼓、笛、トランペットなどの楽器。一律10000円で購入できるようだ。シンバルのボタンを押しても、この自動販売機の小さな取り出し口からどうやって排出されるのかは疑問だったが。

 そして、意外にも新聞紙が4000円と高額だった。ごく普通の、風間新聞の朝刊である。

「あぁ、コイツは所謂、ナイフ戦法が使えるんだ」

「え?」

「瀬山ちゃんバイオ〇ザードやったことないの?」

 ナイフは銃と違い、弾切れになることがない武器。何度でも使える。

「アタシならこの新聞紙、『紙鉄砲』にするけどね」

「なるほど……」

 実際にどれくらいの威力かは分からないが、この価値を見るに、クラッカーよりもはるかに強力な法具なのだろう。彼女のアイディアを応用すれば、他の道具も使い方次第で法具になりえるかもしれない。

 一方瀬山は新聞紙の日付に注目していた。

「20**年7月7日……」

「七夕かい」

「今日は何日か分かるか?」

 清蓮は首を傾げた。

「……妙なことに、日にちの感覚が全くないんだなぁ」

「僕もだ」

 前にも、こんな奇妙な感覚を抱いたな。そうだ、清蓮が記憶の話を持ち出した時だ。この部屋に来る前のことを覚えているかと、彼女は皆に尋ねた。答えはNo……だれも、はっきりとした記憶を持っていなかった。

 失われた記憶。それがこの空間の謎に重大なヒントをもたらしてくれるような、そんな気がする。瀬山はまた少し、答えの出ない思考に耽るのだった。

 清蓮はと言えば、しきりに自動販売機の下を覗きこんでいた。

「何してるんだ?」

「いやぁ、100円くらい落ちてないかな~って」

「またベタなことを……」

「あった!」

 清蓮の嬉しそうな声が轟いた。

 顔を上げて、イヤミったらしく後ろ手の鎖を鳴らす。瀬山はため息交じりに、自動販売機の下に手を入れた。すると、驚いたことに手でつかめたのは硬貨ではなく、長財布だった。

「なんでこんなものが……」

「ふっふっふ。お手柄アタシ!」

 財布を開けて見ると、中に数枚のポイントカードと免許証が入っていた。気になったので免許証を取り出してみてみる。

 そこに貼り出されている顔写真には、流石の清蓮も驚きを隠せないようだった。彼女も瀬山も。よく知っている人物だったのだ。そして、彼はもうこの世にいない。

「わーお、圭太のじゃん」

 あの学生の財布だ。

 新田圭太と名前が明記されているし、恐らく本物だろう。だが、驚きこそすれ、自ら死に追いやった可哀想な青年の遺物を見たところで、清蓮には何の感慨も湧き上がっていないようだった。

 ――そこが、お前の恐ろしいところなんだよ清蓮……

 同時に僕がお前を信用できない理由だ。


「これ、香典って奴かな?」

「香典?」

「録音機が言ってただろう? すでに皆様から香典を預かっている。それは何らかの形で還元させてもらうって。この財布と自販機が、還元って奴なんじゃないか?」

 この空間にいる連中は残さず貴重品を取られている。きっと、部屋のいたる場所に隠されているんだ。

 と、清蓮は熱っぽく説明する。

「なるほどな。財布を見つけて、金を手に入れれば、この自販機でアイテムを補充できるってわけか」

「はははは! 悪趣味なゲームだねー! ともかく、よかったじゃないか。これで少しは、心に余裕ができるってもんさ。弾切れは即ち死を意味するからね」

「お前に持たせる弾なんて一発もないぞ」

 瀬山は財布の中身を確認する。

 なんだか、自分が今最低にモラルにかける行動をしている気がしてきた。人の財布を拾って金を漁るなど。まして亡くなった人間の遺留品だ……交番があったら駆け込みたい気分だった。

 一通り、中身を拝見した。

「チッ……」

「はぁ」

 二人は同時に舌打ちと溜息が出た。自分でもとんだ身勝手野郎だと思うが、心の中には文句しか出てこない。

 圭太め……なんで札を一枚も入れてないんだよ……

「使えねー貧乏学生だなあいつ~」

「ろくにバイトもしてない親のすねかじりなんだろ」

 辛辣な言葉が飛び出す。

「あ、でも見てよ瀬山ちゃん! レシートと一緒に大量のクーポン券が入ってるよ。しめて1200円分の商品券になるじゃん!」

「そのクーポンは殺人法具販売機に適用するのか?」

「うーん、無理!」

 ふざける清蓮を張っ倒したくなった。

 真面目に考えると、現金が入っていない理由はすぐに分かった。圭太の財布には交通系ICカードが入っている。今はどこのコンビニでもスーパーでも、乗り物も、このカードがあれば楽に清算ができるからな。彼はICカードに札を全部チャージしておく性格だったのかもしれない。

 残念ながら、この自販機はICカード不対応である。なんて不親切なんだ。

 では、小銭はどうだろうと、瀬山はチャック付きの小銭入れを暴いた。中には微々たる金額ではあるが、小銭が発見できた。

「213円か……これじゃあクラッカー一本しか買えないな」

 しかし、ないよりはましだろう。瀬山は小銭を200円分投入する。買えるアイテムのボタンが赤く光った。彼は迷わずクラッカー一本のボタンを押しかける、が。

「ちょっと瀬山ちゃん」

 清蓮が強い口調でそれを制した。

「なんだよ」

「キミ、本気かい?そんなもの買う気なの?」

「はぁ?当たり前だろう。弾が切れたら死も同然って、あんたが言ったことだろうが」

「ここに喉が渇いた女の子がいるのにかい?」

 清蓮はチラチラと一段目に視線を送る。コーラが、一本200円だ。

「ねぇ、ジュース奢ってよ瀬山ちゃん」

「……あんたホントに、何考えてるのかさっぱり分からないな」

「人間でいたいなら、その200円で買うのはコーラ一択だって」

 それは、僕に人間性を説いているのか?

「人間でいたいなら、か」

 瀬山は彼女の期待の眼差しに、思わず吹き出してしまった。そんなに、コーラが飲みたいのかこの女。命がかかわるこの状況で……武器よりコーラを欲しがる人間なんてお前くらいだろう、と思った。

 でも初めて、彼女の言うことに心から納得できた気がした。

 瀬山はボタンを押す。

「にしても、一本200円は高いな」

 いつか母親に連れて行ってもらった、テーマパークの自動販売機もこれくらいの値段だった気がする。ガコンという音と共に落ちてきた、見慣れた茶色い液体の入ったペットボトルを拾い上げた。キンキンに冷えていて、美味しそうだ。見るだけで自然に唾液が出てくる。

「えへへ。ありがとー! ついでに手錠も外してほしいな~?」

 そのお願いは無視だ。

 瀬山はペットボトルの蓋を開けてやり、飲ませてやった。彼女は夢中で喉を潤していた。喉仏が蠢くたびに、コーラが彼女の体へ染みわたっているのが見えるようだ。

 瀬山はハッと目を逸らした。

 自分の視線が彼女の唇に注がれていることに気づいたからだ。幸い、清蓮には気づかれなかった。さっきのは、一瞬の気の迷いに過ぎず、全てコイツが悪いのだと、頭の中で何度も言い訳を重ねている。僕の隙を突いて、手錠の鍵を奪おうとしただけ。僕はそれを看破し、奴の手玉に乗らなかったということ。それだけ。互いに他意などないのだ……

 やがて彼女が飲み終わり、瀬山は蓋を閉じた。

「あれ、キミ飲まないの?」

「水分は大事だろ? こういう飲み物は、本当に喉が渇いた時までとっておくもんなんだよ。無人島に漂流する話でも書いたらどうだ、先生」

「漂流かぁ……アタシ、サバイバルもの書いたことないんだよね」

 特に意図のない会話を振ったつもりだったが、思いのほか彼女は真面目に受け取ったらしい。

 瀬山は「なぜだ?」と、問うた。

「得意そうだけどな。そういう、サバイバルな話」

「飢えや猛獣……自然との戦い。仲間と協力して様々な苦難を乗り越えて、生き残る。って話を書くのが得意じゃないのさ。そうだな……仮にアタシがサバイバルをテーマに小説書くなら、登場人物の中に黒い羊を紛れ込ませる」

 清蓮は濡れた口元を肩で拭った。

「なんだよ、その黒い羊って……」

「羊の顔した、全く別のものさ。そいつを羊の群れに放ってごらーん? 知らぬ間に、家畜の数が減っていくぜ?」

 無人島の話をしていたのに、彼女は羊飼いの話に方向を変えようとしているのだろうか。

「……まぁ、無人島でも、他のシーンでも構わない。ようは、そういう存在が一人でもいるだけで、綺麗なハッピーエンドは難しくなるもんだ。なぜなら、そいつは主人公の意志に関係なく、自分を押し通す。筆者の思惑さえも何もかもぶち壊して自分だけのハッピーエンドを求めようとするのさ」

「まるで、自分の書くキャラクターが生きているかのような物言いだな?」

「キャラクターを愛せば愛するほど、書き手の手を離れていくものだろう? あいつらは時に、アタシ達が予想もつかない行動をとることもある」

「まぁ……」

 清蓮の言うことに、瀬山は聞きいっていた。

 ただ、その感覚を表だって誰かと共有した記憶がない。だから、赤裸々に小説のことを語る彼女に新鮮味を感じていたのかもしれない。

 どうせ、変な目で見られるだけだから。小説を書いていると言っただけで、失笑を得たことさえあるのだから。口を、つぐんでいた。

「じゃあ……あんたにとって使いにくいそのキャラクター、黒い羊をあえて登場させるのはなぜなんだ?」

「ふっふっふ~。決まってるだろ?」

 彼女は、心底楽しそうに目を輝かせながら、言う。


「面白い小説を書けるからさ」


 その時、二人の耳に聞き覚えのある機械音が響いてきた。エレベーターの発着音。チーン、というあの可愛いベルの音。

「誰か来る!」

 二人は手前にあった長椅子の後ろに隠れた。

 エレベーターの中から現れたのは、二人組の人間。瀬山は息を殺し、相手の動きを読むことに努める。

 椅子の背から、少しだけ顔を出してエレベーターの方をうかがった。相手は若い男女のようだ。あどけない顔つきが、自分より年下だろうということを推測させる。

 ――なんだか、ここにいる人間は比較的学生が多い気がする。

 漠然と、そんな疑問を抱いた。

「瀬山ちゃん。おい!」

 脇腹に軽い頭突きをかましてくる清蓮。瀬山は頭をひっこめた。

「向こうはどんな連中さ?」

「学生二人、男女だ」

「ひゅ~、ここから出て行って、ダブルデートと洒落こむか?」

「無駄口叩くな!」

「じゃあ、殺す?」

 いつもの、わざとらしい含み笑いをうかべ、清蓮はそうのたまった。

「そ、そんな簡単に……人を殺すとか言うな」

「じゃあどうするー? ここでやりすごそっか?」

 敵は相当用心深いようだ。なかなか歩みを進めて来ず、周りに敵がいないかどうか確認している。だが、手にクラッカーのようなものが握られているのが見えた。

 話し合いに持って行くのは難しそうだ。すでに、戦闘態勢を整えている。

「ほんとは分かってんだろ? 瀬山ちゃん、やるか、やられるかだ。この空間のルールだよ。あいつらをやり過ごすことができたとしても、亡骸を奪い合う上でいずれ戦うことになる」

「……それでも、僕はあんたのように簡単に人を殺すことは」

「ふっふっふ……そうかいそうかい。なーらー? 取引しようぜ?」

 彼女は後ろ手を揺らし、微かな金属音を立てる。

「瀬山鶫……いいかい? はっきり言って、キミは、主人公キャラじゃない。途中で死ぬ脇役キャラだ」

 ――僕の小説は、主人公が生き残ったためしがない。

 いつもどこかで、死を遂げる。

「だが……アタシならそんなキャラクターでも、生き残るプロットを書ける」

「信用できるか。お前は異常な奴なんだ!」

「アタシのことは信用しなくていいさ。だけど、キミはアタシの書く小説なら信じられるはずだ。必ず面白いと、確信をもって……ね。ふっふっふ。ユノの箱庭、読んでくれたって言ったよな」

 彼女の言葉は、確たる自信に満ち溢れていた。

 清蓮の黄金に光り輝く眼に、圧倒される。

「あれはまだ、ハードカバーしか出てない新作だ。もちろん古本屋にも売ってない」


 足音が聞こえてくる。

 敵はとうとう移動を開始した。途中で何度も立ち止まり、長椅子の裏を確認しているようだ。ここまでの距離は、あと20メートルもない。


「手錠を外せば、キミのために一本書いてやるよ」

 瀬山鶫のハッピーエンドを。

 この手で書いてやるって言ってるんだ。

 清蓮は瀬山に背を向けた。そして、後ろ手の手錠を彼に見せつける。彼女の右手の指が、何かを探るように動いた。

 何か。それはきっと、筆だろうと、瀬山は思った。


 足音はどんどん近づいてくる。

 瀬山はポケットに隠してあった、彼女の筆を握りしめた。


 

 つづく


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