room4 カエルを殺すのと変わらない
~あらすじ~
清蓮達の攻撃をかいくぐり、なんとか彼女を拘束することに成功した瀬山。しかし、清蓮の持っていた録音機の情報は、彼女の手によって消されてしまい、彼女はそれをカードに瀬山たちに同行することを迫る。
しぶしぶ了承した瀬山は清蓮と行動を共にし、式場F風間高等学校美術室へと向かうのだった。
一方、拳銃を奪って瀬山達と離れた安西真澄は、次の部屋にて未知の敵と遭遇する。
room4 カエルを殺すのと変わらない
安西真澄は血まみれになった和室の中に隠れ、拳銃を片手に息を殺していた。
左手首に嵌った腕輪は、キラキラと赤く輝いていた。数値は、0 6 0。あまり芳しくないのは分かっている。部屋の外にはまだ、敵の気配がする。自分はこの馬鹿でかい棺桶の陰に居り、部屋の入り口からは見えない死角になっている。
部屋の扉が開けられた。
自分が中に入って来た時にはすでに、この部屋はひどいありさまだった。壁にも天井にも血が飛び散り、地面など目も当てられないほど、グロテスクな肉片が横たわっている。幸い自分が腰を下ろしているこの場所は、血だまりは少なかった。
入ってきた奴は、どうもまじまじと部屋を観察しているらしい。
「……いかれてるぜ」
普通の人間なら、部屋の中を見ただけで吐いちまう。かくいう俺は、吐きこそしなかったけれども、胃液が逆流して気持ち悪くなったものだ。たぶん、堪えられたのは最初の部屋で瑠実が目の前で爆発四散したのを見て耐性がついていたからだろう。
真後ろで足音がした。どうやら、棺桶を挟んで向こう側にいるらしい。真澄は拳銃の引き金に指をかける。そして、左手で拳銃の安全装置があるはずの位置についている『ゴム紐』を引いた。すると、銃口の側面からカシンとプラスチック盤が出現し、円錐形に広がった。
拳銃の様相が変わる。まるで小さなスピーカーホンのようだった。
その変形の音を勘付かれたのか、敵の足音がふいに止まる。そして、一気にこちらに駆け寄ってきた。
真澄はほくそ笑んだ。
――馬鹿め。
堕落したモラトリアム人間の分際で、この俺を倒そうなどと。
真澄は仰向けになり、棺桶を思い切り蹴って背中を地面にこすらせて床を滑る。予想通り、相手は棺桶をのぞき込んでクラッカーの照準を合わせようとしていたところだった。残念だったな、こちらの方が一手早い。奴のクラッカーの矛先は真澄の脛のあたりを狙っていた。
真澄は仰向けになったまま、前方の青年に向けて、拳銃を構えている。
驚いた顔を見せる青年。そばかすだらけで度の高いメガネをかけた幼い顔つきは、どうも、近所に住んでいた不登校息子を思いださせて不快な気分になる。彼は耳に詰まったヘッドホンのコードを腕に絡ませながら、必死に真澄の顔にクラッカーの照準を合わせようとするが、もはや何もかも遅かった。
容赦なく、引き金を引く。
その瞬間、真澄の頭に三つの顔がよぎった。
――俺がこの世で嫌いな人種は三つある。
その1、ニート。
労働力を生み出さない、社会の潤滑を悪くする錆だ。働きアリの法則ともまた違う。奴らは正真正銘、存在価値のないクズなのだ。巣の中には8割の働く蟻と、2割の働かない蟻がいる。一見、2割の蟻は仕事をさぼっている無価値な存在に見えるが、実はそうじゃない。働く蟻達の中で問題が発生した時、すぐさま2割の働きアリは臨時の働き手として働きアリに生まれ変わる。……人間も彼らを見習えばいい。ニート共はシリアにでも連れて行って、銃を持たせて戦わせればいい。そして死ね。少しは社会がましになる。
その2、学生。
とくに、大学生が一番気に喰わない。大した努力もせずに、単位を取得し、学問を修めた?馬鹿馬鹿しい。暇さえあればセックスのことばかり考えやがって。親の金で遊びほうけ、何も学ばぬ、無意味な4年間を過ごす、最も汚い人種と言える。それでいて、大した会社に就職もできずに、いずれその会社も辞めてしまうんだろう? どうせ向かう先は、『その1』だ。日本の大学は、有能なニート製造機と化している。
その3、女。
「しつこい女だった……」
瑠実はいい遊び相手として重宝していたのだが、真澄の妻である享子に不倫を勘付かれてからというもの、距離を置くようにしていた。しかし瑠実は逆上し、享子と別れろとしつこく迫ってきたのである。
女は面倒。これにつきる。
つくづく、遊ぶために『買った』方が、精神的にも穏やかに付き合えるというものだ。真澄にとって、女とは自分の快楽を満たすための玩具でしかなかった。
この訳の分からない部屋にやってくる前も、瑠実の店で酒を頼りに打開策を探っていたところだった。
そんな矢先の話だ。『その1』に殴られ、『その2』に上手を取られ、挙句『その3』が木端微塵に消し飛んだ。
真澄は、棺桶の上に散らばる、元青年と思しき物体を苦虫を噛み潰したような顔で見下ろした。
「ほんと、クソみたいな世界だ……」
こんなところ、早く出てやる。
真澄は青年の死骸の傍らに落ちていたクラッカーを拾い、警戒しながら扉を開き、外に出た。そこは横に長い板張りの部屋になっている。天井は低く、広めの物置を思わせた。和室に続く扉から見て、正面と左右に扉がある。右は先程、真澄がやってきた方の扉だった。
耳を澄ませて周囲の音を探るが、気配一つ感じられない。
どうやら、自分を追っていた連中はこの青年を最後に撒けたようだ。しかし、油断はできない。さっきの銃声を聞かれれば、また残りの奴らが戻って来る可能性もある。
そう……奴ら、だ。
敵は複数いた。それも、一筋縄ではいかない不気味な雰囲気を醸し出した連中だった。
真澄は拳銃の『安全装置』を再びいじり、スピーカーホンを解除する。そして、再び息を殺しながら廊下を歩いて行った。
面倒なことになってしまった、その原因をもう一度思い返す。今度は、次の部屋に移動する際も慎重さを忘れてはいけない。どこにトラップが仕掛けられているか分からないのだ。一度犯した失敗は二度としない。真澄のモットーだった。
すでに、この場所がとてつもない非現実世界であり、自分の社会常識が通じないサバイバルゲームの渦中にあることは承知していた。だからこそ、真澄は顔色一つ変えずに引き金を引けたのだ。もちろん、頭の片隅には常に『正当防衛』という言い訳が成立するか、吟味されていたけれども。
思い浮かんだ三つの顔。
奴らはさっきの小僧のように、醜く膨れて爆発してしまえばいい。爆竹を咥えたカエルみたいにな。
だが、その中でも一人だけ生き残った奴がいるのを思い出す。
「瀬山鶫……」
その2の分際で、この俺の上手に出ようと謀った。後輩どもをうまく操り、出し抜こうとしやがった。あの実に生意気な留年生……
今思えば、あの部屋で彼らを始末しなかったのは悪手だったかもしれないと、真澄は考えた。
瀬山鶫。
一見頼りなさそうに見えるが、妙に勘が鋭く、運も持っていた。ああいう人間は油断ならない。特に、生死を分けた状況ではなおさらだ。
武器のない状態で、どこまで生き延びられるかは知らんが。
彼は拳銃を慎重に背広の内ポケットにしまいながら、左の扉へ進む。
約束の場所まで急がなければならない。『あの男』と合流できれば、自分の生存確率を高めることができるはずだった。
「この部屋の、隣の部屋だったはずだ……理科室、だったか」
つくづく、奇妙な構造の建物だ。様々な部屋がちぐはぐに繋ぎ合わさったような。
「あいつは、この場所を『空間』と呼んでいたな」
彼が得意げな調子で高説を垂れていたのを思い出す。真澄は呼称などどうでもいいと思っていたが、言われてみれば確かに、その方がしっくりくる。
しかし、真澄に言わせればここはただの、静かな部屋、だった。
***
瀬山達を裏切った後、真澄はすぐに縁側を走り抜けて次の部屋に向かった。なるべく彼らが追ってこられない遠くへ避難し、今後の作戦を練る必要がある。
真澄は自分が何者かに監禁されたと思っていた。
録音機が言っていた言葉を聞いた時、真澄は、これは映画や小説の影響を受けすぎた馬鹿が、愚かにもこの現実社会で稚拙なサバイバルゲームを仕組んだものだと考えた。愉快犯の暇つぶしに付き合わされたと、そう思った。
それでも、ここまで本格的にやるということは、だ。それなりの力のある何者かが背景にいる証拠。現に2人死んでいるのを見た後では、主催者の思惑通りに動く方が賢明と思われる。だからこそ、真澄は真っ先にこのゲームのキーアイテムであろう『故人の亡骸』を探しに行くことにした。
誰よりも、早くだ。
――それに、主催者が俺たちにやらせたがっているのは明らかにゼロサム・ゲームだ。
ゼロサムとはゲーム理論の用語で、参加者の得点と失点の総和が0になるゲームのことを指す。椅子取りゲームなどはいい例だ。一方が椅子に座れば+1とすると、座れぬもう片方は-1となる。つまり、勝者が全ての利益を総取りするゲームのことを指すのである。椅子取りゲームがそうであるように、現代社会はどこもかしこもゼロサムだった。もちろん真澄は、自分が常に勝者であることに揺るぎない自信があった。
録音機が言っていた、『火葬場に入ることができる人数は限られている』という文句が、この理論にがっちりと当てはまる。
つまり、このゲームの主催者は、はなから参加者同士の馴れ合い・仲良し・ハッピーエンドなんてものを望んでいない。生きたきゃ喰らえ、奪え、殺せ、が自分たちに与えられた道。真澄はそれを瞬時に悟ったのだった。
……瀬山達は協力を選んだようだが、きっと長くは続かないだろう。火葬場に入れなければ、故人の亡骸を集めても無意味、ということは必然的に生きてここを脱出できる人数は限られるということだ。
最悪、たった一人だけという可能性もあり得る。あの場で拳銃を取れなかった時点で、奴らが0を掴む運命は決まったのだ。
「この拳銃は……どこまで俺を守ってくれるのかな」
ここに敵が何人いるのか分からないが、せめて弾の数だけ当てなければ。幸い、真澄には心得があった。学生時代、誰よりも勤勉だった真澄は2年間ほどアメリカへ留学していたことがある。そこで知り合った友人と共に射撃場へ何度も連れて行ってもらったことがあった。丁度これと同じようなハンドガンで実弾を発砲したことがある。もちろん的はクレー射撃で使うフリスビーだったが、きっとあれよりは狙いやすいはずだ。
真澄は後ろから瀬山達が追ってこないか注意しつつ、次の部屋の扉の前で残弾を確認しようとした。だが、奇妙なことにシリンダーが外れない。おかしいな、俺が知っている銃と仕組みが違うのか?
「見た目、完全にニューナンブM60……一般的な警察の使っている銃と同じだが」
引き金の後ろに安全装置と思われるゴム紐も付いている。これを外しておけば、すぐさま弾が発射できる状態になるはずだ。扉の奥がどんな部屋になっているかは分からないが、敵がいた時対処できないのは困る。真澄はすぐにそれを外した。
しかし、拳銃は真澄の思惑に反して、構造が変化したのだった。
銃口を取り囲むように、おもちゃのような円錐状の羽根が飛び出たのだから。困惑するのも無理はない。
「なんだ……おちょくってるのか!?」
だんだん不安になってきた。
まさか……この拳銃は何の力もないただのダミーアイテムだったのでは!? 浅はかな考えで武器を取りに走ったプレイヤーを嘲笑うための悪趣味なジョーク?
「いや、そんなはずはない。俺の直感は確かに、コイツが強力な武器になると言っている。直感を信じるんだ……」
とにかく、この拳銃が普通の銃とは全く違う構造を持っていることは明らかだ。そうだ……こうは考えられないか?
ここで、相手を倒すには『騒ぎ立てること』が必要だ。拳銃は撃つと激しい音が鳴る。もしかするとこの銃は普通の銃とは違い、ここでの戦闘において最も力を発揮できるようなカスタマイズが施されているのでは?
「そう考えると、この羽根の形……なんだかスピーカーホンに見えなくもないな」
半信半疑に、その銃口を眺める。お願いだから、ちゃんと仕事してくれよ? せめて、護身用くらいにはなってくれないと困る。
真澄はしばらく先に進むのを躊躇っていたが、背後から聞きなれない声が聞こえてきてゾッとする。瀬山達がいた部屋に、先程とは違う大勢の気配を感じたのだ。誰か、別の人間達がやってきたと思われる。
「やはり、ここには多くの敵がいるようだな」
こうしてはいられない。
真澄は腹を決めた。自分も行動に移らなければ。相手に先手を取られる前に、故人の亡骸をできるだけ多く手に入れなければならない。
真澄は扉の取っ手をつかみ、ゆっくりと回した。そして開く。
拳銃さえあれば、自分の身を脅かす者などいない。真澄は先程うまく瀬山達を嵌めることに成功し、陶酔に浸っていたのは否めなかった。冷静な思考を欠いていたといえよう。
扉の側面から細い紐が伸びており、地面すれすれにピンと張り詰めて部屋の中へと繋がっていたことに気づいたのは、真澄が部屋の中に一歩足を踏み入れた後だった。
真澄の靴に、紐がかかる。
「!! しまっ……」
パァァン!
盛大に、彼の不注意を煽るようなクラッカーが弾けた。
一気に鳥肌が立つ。膝が笑い、真澄は倒れ込むようにしながら部屋の中に入った。
「や……やばい!」
咄嗟に、左手の腕輪を見る。この数字、詳しい意味は分からないがデッドラインを示していることは分かる。瀬山の奴が、言っていた。0 0 0が通常で、高ければ高いほど危険だと。
数値を見て、真澄はますます不安になった。
0 5 3だ。
「音をたてると、数値が上がる。騒げば騒ぐほど危険だ……」
静かに、音をたてるな……悲鳴をあげるなどもってのほかだ。
落ち着け、落ち着くんだ俺!!
扉を開けるとトラップだなんて、先に何者かがこの部屋にいて、仕組んだとしか思えない。すると、その悪い予感を裏付けるかのように、遠くから声が聞こえてきた。
「おい、今向こうのドアの方で音がしたぞ」
「行って見てきます」
誰かいる!
真澄は唇を噛み、拳銃を握りしめた。そして、できるだけ姿勢を低く、中腰になりながら周りの様子を確認した。
どうやらこの部屋は学生食堂をモチーフにしているらしい。たくさんの長テーブルと椅子が並んでおり、左手奥には食事を注文できるカウンターと、厨房が見える。カウンターの横には自動販売機が……いや、あれは食券発行機だな。
真澄は近くのテーブルの下に隠れた。
同時に、厨房の方から足音が聞こえてくる。一人分の足音だ。彼は物音を立てないように気をつけながら、テーブルの脚の隙間から視線を走らせる。
人間の足が見える。
黒い、スーツを着ているようだ。
「どーこに行ったァ~?」
妙に間延びした若い男の声。その男は真澄がさっき通ってきた扉を調べている。クラッカーが発動したのに、肝心の獲物が掛かっていないことが気に喰わないのか、彼は苛立ちをあらわにしてクラッカーの残骸を踏みつけていた。
男は舌打ちした。
「菊泉、侵入者は?」
マズイ。
厨房からもう一人が出てきた。真澄には二人分の足が確認できる。もう一人の男も、菊泉と同じようなスーツを着ている。
「いません。逃げられたみたいっすね」
敵は扉を少しだけ開き、外の様子を確認している。
「油断するな。この部屋に入ってきたのは確かなんだ。悲鳴をあげなかっただけで、そこらに隠れているかもしれないぞ?」
「了解でっす、桐島さん」
「心配なら、洋二も連れていけ。どうせ使い捨ての駒さ、危なくなったら盾にするんだぞ」
どうやら、相手は話しても分かり合えない連中だと悟る。
向こうは今いるメンバー以上に仲間を作る気はなく、殺すことを前提に考えているようだ。
「侵入者を確認したら会長に報告しろ。それと……念のためだ。もしも、奴だったら、俺を呼べ。いいな?」
桐嶋と呼ばれた男の口調が、深刻じみたものに変わったのを感じ、真澄は耳をそばたかせた。
「安西真澄っすか?」
発せられた言葉は、真澄の想像の斜め上を行くものだった。
馬鹿な、なぜ。俺の名前を!?
激しく動揺する。体が、自分の意に反して無意識にその場から離れようとしてしまったのか足が動き、椅子にぶつかる。
当然、それは音をたてた。
氷のような沈黙が場を支配する。
「……これは、会長に良い土産ができそうだな」
「っすね~……じゃ、さくっとやっちまいますか」
位置がばれている。
菊泉が脅すような足音を立ててこちらに向かってくる。真澄は必死でテーブルの下を這った。現役自衛隊員ばりの匍匐前進をこなす真澄。彼は何とか、別のテーブルの下に逃れることに成功する。彼が潜ったのと同時に、さっきまで隠れていたテーブルが乱暴にひっくり返されたのが分かる。椅子やテーブルが派手にぶつかり合い、大きな音がした。
「おい菊泉! あんまり音をたてるな、危ないぞ?」
「逆ですよ逆~! 音をたててるんすよ!アイツ、クラッカー一発喰らってますからねぇ~~!!」
やまない騒音。
菊泉は次々とテーブルをひっくり返していった。
「くそっ! あの若造……!」
真澄は左腕に目を走らせた。0 6 5。まずい、さっきよりも少し上がっている。この耳でもはっきりわかるほどの騒音だ。
真澄は焦り、また慎重さを欠いた。
思い切って遠くの位置にあるテーブルの下に移動しようとした時、桐嶋の声が聞こえてきた。
「む、菊泉、一番奥から数えて3列目、右端から2番目のテーブルの下だ。足が見えたぞ」
「っしゃぁ~~おらぁ~! いっちゃいましょ~う!」
菊泉が狙いをつけてこちらに駆け寄ってきた。
逃げ回るのはここまでか……!
真澄は手元にある最後の切り札を握りしめ、最後の決断に迫られていた。
せっかくの銃を使わず、真澄が反撃しないのは、一抹の不安からだった。今の数値、0 6 8 、この決して0に近いとは言えない状態で拳銃を放って大丈夫か!?
「いったい、どれくらい上がればアウトなんだ?」
これが騒音を計測しているのはもう分かった。この場所のルールとして音をたてる、つまり騒音値が上がるとまずいのも分かる。
では、その限度はどれくらいなんだ?
……くぅっ!
「ちくしょう、何の役にも立たねぇじゃねぇか、こんな拳銃!」
地面に叩きつけてやりたくなった。
それでも、刻一刻と菊泉の進行が迫ってくる今、真澄に選択の余地は残されていなかった。彼はテーブルの下を這いながら、なるべく相手の遠くに移動すると、すぐさま下から這い出て、拳銃を構えた。
ようやく、二人の敵の顔がおがめる。
まさに自分がさっきまでいたテーブルを掴んでいるのが、菊泉だろう。若干狐顔だが、顔立ちは整った男だった。年齢は20代後半か、もっと若く見える。しかし、軽率な言動を使うわりに、立ち振る舞いに落ち着きがあり、クレバーな目つきをしていた。菊泉はテーブルを放り、腕を後ろに組んで伸びをする仕草をする。口元に終始浮かんでいる涼しい笑みが、拳銃を突きつけられていることに微塵も恐れを感じていないようだった。
「うっし! ビンゴっすねぇ、桐嶋先輩。何でしたっけ、まず……足折って?手ェ折って……それから……」
「違う。まずは口を塞いで、助けを呼べなくするんだ」
1オクターブ低い声でそう言ったのは、菊泉の後方で様子を伺っている桐嶋だった。
仕立ての良いスーツに身を包み、ガタイがいい。こちらはいかにも、筋モノといった風貌である。35歳前後だろう。菊泉が狐なら、コイツは熊を思わせる。また、菊泉とは違う、年季を感じさせる落ち着きがあった。菊泉のネクタイが派手なセルシアンブルーなのに対し、彼は落ち着いた紫だ。桐嶋は錐のような鋭い目で、油断なく真澄を凝視している。
「あ~……そうっした。でもさ先輩? ここでそのマニュアルいらなくないすかね? 叫びたくても叫べないっしょ」
「む、それもそうだな……じゃあ、好きにしていいぞ」
「殺して良いんでしたっけ」
「構わん。ただし、油断するなよ?」
「うぃ~~す」
「まて! 俺の持っている物が分からないのか!?」
真澄は脅すように拳銃を振りかざす、が。
「あっは! この紋所が目に入らぬかァ~! ってやつ? 残念だけど、助さんも格さんもここには来ないぜ?」
くそ、もう少しビビれよ!
真澄は精一杯の虚勢を張る。拳銃は、銃口を向ければそれだけで威嚇の効果があるのだ。普通の人間なら……銃を向けらたら両手をあげるはずだろうが。
「お前……俺が撃てないと思ってるのか? ふふふ、この異常事態で自分の身を守るために撃ったと言えば警察も納得してくれるだろう。俺がコイツをぶっ放さないと本気で思ってるなら大間違い――」
「うん、思ってるよ? あんたはそれを撃てない」
菊泉は確信しているようだった。
「なぜ……撃てないと思うんだ?」
「あんたは入り口でカス当たりとはいえクラッカーを喰らったし。それに、俺のたてた音で少なくとも……ロッキューはいってんじゃね?拳銃ったら絶対100いくしょ」
……なるほど、100がデッドライン……!
「おい菊泉!」
案の定、桐嶋の叱り声が飛ぶ。
「あー、大丈夫っすよ。どーせコイツ、死ぬことになるんすから」
そして、彼はスーツのボタンを外し、上着を広げて見せる。
そこには、10数本のクラッカーがびっしりと貼りついていた。真澄は思わず圧倒され、後ずさりしてしまう。
菊泉はそのうち一本を取った。
「そ、そんなにたくさん……!」
「貰い物~!」
彼は倒れていないテーブルにジャンプし、そのままテーブルの上を飛び移って真澄の方まで駆けてくる。
動きは早い。
「くぉ!」
一気に間合いを詰められ、菊泉に飛びかかられた。
仰向けに倒れた真澄は彼に押さえつけられる。馬乗りに跨った菊泉は、クラッカーの紐を歯で噛み、右手で本体を掴んだ。そして余った左手で真澄の拳銃を持つ右手を押さえる。
「っしぃ~!」
「おい! その撃ち方は危ないって言ってるだろ!」
「大しょふでふって~きりひましゃ~ん!」
イチかバチかだ。
コイツは俺が自滅を恐れて拳銃を撃てないとタカをくくっている。
だが……俺は撃つ
「なぁ、菊泉君。言っただろ?俺が本気で撃てないと思うのなら、大間違いだってな」
真澄は突如首を上げ、顔をグンと掲げられたクラッカーの前に持って行く。そして、大きな口を開けてクラッカーにかじりついた。
ぴったりと隙間が出ないように、唇でクラッカーの発射口を抑え込む。瑠実とキスを交わした夜を思い出した。
一瞬遅れて、菊泉は歯で噛んだ紐を引いた。
艶めかしい、キスの味は一瞬にして激烈な炎に変わる。口内で爆発したそれは、十分に死を感じさせるほど、凶悪なものだった。地獄の閻魔に、舌を丸ごと持って行かれた気分だ。しかし、音は全て、真澄の体内に封じ込めることに成功した。くぐもった破裂音は、衝撃波となって喉の奥へ突き進み、内臓を揺らすが、命と引き換えなら安いもの。
真澄はクラッカーの残骸を吐き出すついでに、もうもうとした煙を菊泉の顔面に向かって吐き出す。奴は悪態をついて顔を背けた。同時に、押さえていた右手の拘束が外れる。
今だ!
奴が2本目のクラッカーを構えるより先に、真澄は拳銃を構えた。
どうせ死ぬなら、お前も同じ場所に送ってやるぜ。追い詰められた真澄にあったのは、自棄のような復讐心と、わずかな希望だけだ。
菊泉はようやくまずいと思ったのか、喉元を押さえてバックステップで距離をとる。それと同時に、後ろから走って来た桐嶋が彼をかばうように前に出た。
ほう、部下を身を挺してかばうとは。桐嶋さん、あんた上司の鑑だねぇ?
どっちでもいいから。風穴開けてくたばりやがれ。
引き金を引いた。
固く閉じた目。
死ぬ覚悟で、今、自分は引き金を引いた。1と3の最後が思いうかぶ。俺も、すぐにあいつらみたいに醜く膨らんで、爆発して死ぬんだな。
カエルの爆竹。
子供の頃だったっけ。俺はよく祖母の住む田舎に遊びに行った。祖母の家にある田んぼには、たくさんカエルがいた。向こうに行っても同い年の知り合いなどいなかったし、俺はその田んぼで遊んでいたんだ。
カエルの口に爆竹詰めて、放り投げて爆発させた。
弾け飛ぶカエルの内臓は、子供心に小気味の良い刺激を与えられたものだ。爆竹に飽きたら今度は花火を買って、口の中に突っ込んで破裂させたっけ。ロケット花火に括りつけて昇天させたり、ねずみ花火に襲わせたりもした。
俺はカエルを殺しまくった。
口の中が熱い。
真澄は不快感に耐えきれなくなり、固く閉じられた目を開けた。
遠い昔のように感じられる過去に思考をうずめていたのは、ほんの2.3秒だったらしい。自分はまだ、体に異常はなかった。
慌てて左腕の腕輪を見る。そこに躍る数値は0 9 8。
まだだ。
まだ俺は生きている。
真澄は咳き込みながら、その場を脱する。
桐嶋が菊泉に覆いかぶさるようにして蹲っていた。二人をしり目に真澄はまんまと危機を逃れる。これ以上は、戦えない。あと少しでも音をたてれば死んでしまうからだ。
「桐嶋さん……桐嶋さん!」
「くっ……大丈夫か菊泉……」
菊泉は数値を見る。
「0 9 9っす。あっぶねぇ~~マジ助かりました。あの野郎……死ぬ気で撃ちやがった」
「声のトーンを落として話せ……ったく、いつも言ってるだろう。追い詰められた鼠ほど、猫を噛むんだ」
「すみません。ってか、桐島先輩の方が大丈夫っすか?」
「……何とか、0 7 1でとどまったよ。俺の法具のおかげだ」
桐嶋はネクタイをいじり、汗ばんだ額を拭った。
「へっ、さっすがっすねぇ~! ぬかりないっ!」
「声落とせって……死ぬぞ?」
真澄の放った轟音は、二人を死の淵まで追い込んだが、あと一歩足りなかったようだ。
「そろそろこの部屋を移動しよう。洋二に奴を追わせるぞ」
「ハハ、あいつ死んだな!」
「もう一発でも、あの銃の弾を無駄撃ちさせれば上出来さ」
桐嶋は菊泉のネクタイを外して自分のものと付け替えた。菊泉は断ったが、彼は有無を言わせない。大人しく従うしかなかった。
「数値が落ち着くまでお前がつけてろ。クラッカーくらいなら耐えられる」
「つーか、あの法具チート過ぎないっすか? 桐嶋さんの法具がないと即死っすよ? あれ……」
真澄の拳銃は、桐嶋の法具と同等に『当たり』の法具のようだ。
菊泉は憎々し気に、舌打ちした。またこの人に借りを作ってしまった。あの野郎、今度会ったら眼球にクラッカー叩き込んでやる。
「人間の屑が……」
***
学生食堂の隣の部屋に逃げ込んだ真澄は喉を掻き毟り、激しく咳き込んでいた。動画投稿サイトで、馬鹿な大学生が宴会芸とか言って、クラッカーを口の中で爆発させるくだらない動画が流行っていたのを思い出した。
そんな愚かなこと、自分は死んでもやらないだろうと思っていたが、死なないためにやってしまうとは何とも皮肉である。
「げほっ! ぐはぁあっ!!」
数値は今、0 8 1まで下がっている。まだ油断できない。いかんな……あまり声を出すな……反応したら終わりだ。
「反応……そういえばあいつ、俺が拳銃を構えた時喉を押さえていたな」
何か秘密があるのかもしれん。真っ先に守ったのが顔や胸ではなく、喉元とはな。
真澄は自然な手つきで自分の喉仏を押さえる。もしかすると、俺たちの急所は喉にあるのかもしれない。
彼にとっては、菊泉の咄嗟の防御反応は十分すぎるヒントだった。
「拳銃の音は俺に聞こえなかったが、奴らは完全にビビっていたな……つまり、この拳銃は実弾を飛ばすものではなく、前方にだけ強烈な音を出す銃なのか?」
このおもちゃのような羽根はその効果を引き出すためのものか。運動会の徒競走で、スタートを合図するときに使うピストルと同じだ。ただ、この銃はそれで人間を殺すことができるよう改造されている。
指向性スピーカーと言って、一定の範囲内にだけ音を轟かせる技術は存在する。この銃にはその技術が応用されているのかもしれない。
奴らを葬ることはできなかったが、これで少なくとも自滅することはないのが分かった。この銃は十分、武器として使えるようだ。
真澄は、部屋の中を進んだ。早く別の扉を探し、遠くの部屋に逃れなければならない。
この部屋は、ボイラー室と言えばいいのか。複数のパイプと巨大なタンクがいくつも鎮座している。しかし、地の底からにじみ出るような機械音は愚か、蒸気の噴出する音も全く聞こえない。不気味なほど静寂に包まれている。
死角はたくさんあった。ここなら身を隠すことも容易だ。彼は入ってきた扉から離れた位置にあるタンクの影に一旦身を潜める。40代の体には若干堪える運動量だった。
真澄はたくさん煙を吸い込んでしまったので、ひどく喉がイガイガしていた。どこかに水はないのか。そういえば、この部屋にはどこにも、食料と思われるものがない。
「ゲームが終わるまで、飲まず食わずでいろってことなのか……」
彼は水の代わりにつばを飲み込み、タンクに背をつけて座り込んだ。
足の間に顔を突っ込むと、幾分か安心感が蘇る。
あぁ、という心の底から狼狽しきった声が漏れた。考えてしまうのは、俺はなぜこんな目に遭っているのか、ということだ。
「あの二人組……」
なんで奴らは、あんなに戦闘慣れしているんだ。
まるでこの部屋のことを何もかも知っていて、目的も全て承知で動いているようだった。二人の口ぶりから、奴らはまだ仲間がいると見て良いだろう。そんな相手に、俺一人でどう戦うというんだ?
「違う……俺は生き残るんだ。俺は国立出の国家公務員……誰よりも優秀な男だ。社会になくてはならぬ存在!」
弱気な思考が出てきたことに、真澄は苛立った。弱気になれば負けだ。心を奮い立たせろ。逆に、2対1で俺は生き残った。奴らよりも俺は強いんだ。
「勝つのは俺だ」
ここから出たら、必ず行くぞ……キャバクラにな!
真澄は拳銃を携え、腰を上げた。
ふと、隣のタンクの下に何かが落ちているのを発見する。真澄は目を疑った。一瞬、その形状から携帯電話かと思ったのだ。小さくて、平べったい箱状の機械。真澄はタンクの近くに近づき、それを拾ってみた。
携帯電話ではなかった。
「録音機……?」
最初の部屋の棺桶に入っていたものと同じタイプのものだ。
ファイルは既に3つ入っている。
真澄はこの部屋に誰も人がいないことを確認し、それを再生してみた。
01のファイルには謎の笑い声が。02のファイルにはこの部屋のルール。それは真澄が一度聞いたことのあるものだった。
では、03のファイルには……
『もしもし、ボクの声が聞こえますか? こんにちは、真澄さん。あなたがちゃんとこのメッセージを受け取っていることを祈っています』
思わず録音機を取り落としそうになった。
どういうことだ? 一体……どいつもこいつも、なぜ俺の名前を知っているんだ!?
声は機械音声ではなく、男の肉声だった。聞いたことのない声だ。少なくとも、自分を襲った二人組とは違う人物らしい。
『……えー、真澄さん。あなたは今ボイラー室にいるでしょうが、そこは危険です。すぐに入ってきた扉とは反対方向にある扉から脱出してください』
真澄は固唾を飲んで次の言葉を待った。
『敵は確認できただけで4人いると思われます。ボクがこれを録音した時点で、4人とも学生食堂の部屋にいました。あなたが生きていれば、奴らはすぐにあなたを追ってくるはずです。幸い、学生食堂にはここに繋がる扉の他に3つの扉がある。あなたがどこに入ったか知られていなければ少しは時間が稼げるでしょう。
さて、ここでボクからあなたにお願いがあります。もし、ボクを信じて行動してくれるのでしたら、カウントダウンの後に『了解』と言ってください。カウントダウンを録音した後、10分経っても回答がなかった場合、ボクはあなたを敵とみなします。
はい、じゃぁ行きますよー。3 2 1 キューッ!』
なんだこれは……
録音機だよな!?
思わず監視カメラがないか周囲を確認してしまった。
……いや、トリックは分かる。コイツ、俺が学生食堂で奴らと戦っていたときに、すでにこのボイラー室にいたのだ。そして、何らかの手段を使ってこちらの様子を確認できていたのも確実。
この録音機の主が声を入れてどれくらいの時間が経ったか知らないが、一応、こっちの意図を伝えておくとしよう。
「了解」
真澄は堅実に、そう答えた。
どこかで、この声を聞いているのだろう。この意思伝達方法……彼は向こうに盗聴手段があると考えた。仮に従わなければ、相手はこれから言うメッセージをすべて破棄し、敵対する行動をとるのだろうな。
今は余計に敵を作れない。形だけでも敵意がないことを示しておきたかった。
『……ふむ、了解、ということで。ありがとう。凄く嬉しいですよ!』
心を読まれているようで癇に障る。
『それでは、まずは合流しましょう。あなたが入ってきた扉とは反対の扉から外に出てください。次の部屋は、子供部屋になっています。あまり大きくない部屋なので、ここで敵と戦いになるとあなたにとって不利ですよ? 拳銃の暴発には注意してくださいね。その部屋には扉は二つです。次の部屋に進んでもらうと、今度は少し広い部屋になります。
物置みたいな部屋ですし、広いと言ってもさっきの子供部屋に比べれば、という程度なので、ここもあまり戦闘には向かないでしょう。その部屋は入ってきた扉を合わせて4つの扉があります。敵を撒くなら、入って左の部屋がいいです。広い和室で、大きな棺桶もあるので身を隠すのにはうってつけです。右の部屋は、ボクもまだ入っていないので入らない方が良いです。何が潜んでいるか分かりませんよー?
部屋に入り、まっすぐ正面の部屋に進むと、理科室がありますから、そこでボクと合流しましょう。なお、あなたが『了解』の返答を言ってから15分以内に合流できなければ、ボクはあなたを死んだものとみて諦めます。だからなるべく、早く来てくださいね』
制限時間を設けるなら、せめてこの長話が終わってからカウントしろと言いたくなる。
もう2.3分経ってるだろ。
『最後に、もう一つ保険をかけておきましょう。ボクがあなたに協力を打診する理由は、あなたが戦力になると思っているから。それ以上の理由はありません。そして、もちろんあなたにとって嬉しいプレゼントを用意してますからご安心を。この『空間』を脱出するために、必要なものです。では、くれぐれも気を付けて、健闘を祈ってますよ!』
録音されていたデータはそれだけだった。再生時間を見ると、だいたい全体を通して4分経っていた。あまり時間はないようだ。
部屋をたった2つ超えるだけだが、やけに難しい気がする。
今度こそ、俺も人殺しに手を染めるかもしれない。
「クク、人殺しねぇ……」
カエルみたいに、簡単にはいかないんだろうな。
それとも、ひょっとしてカエルよりもずっと簡単なのか?
……実際にやって見れば分かることだ。
背後から、ガチャリと音がする。分かりやすい、誰かが入ってきたことがすぐに分かった。真澄はすぐにパイプの合間を縫い、反対側の扉へと移動する。
タンクの影に隠れながら、真澄は相手の様子を伺った。
人数は、一人だ。
動きは俊敏とはとても言えず、のろのろと張りめぐらされたパイプを、暖簾をくぐるような動作でかわして進む青年。見た目の幼さから、コイツも学生だろうと思った。先程の二人組から感じられた、所謂『プロの気迫』のようなものが全く感じられない。
「偵察か、それとも捨て駒か」
あるいは両方の役割を担わされているのだろうが、片方でも遂行させる気はない。
「貴様はただ、無意味に殺してやる」
この銃の、実験台にしてやるぜ。
真澄は疲弊する体に鞭打ち、密かに歩みを進めた。
途中、あえて彼をおびき寄せるために音をたてるのも忘れない、学生は実に、ゾンビのようにこちらを追ってきた。
手にはクラッカーが持たされているが、あの程度の法具では俺に勝てる算段などないだろうに。きっと彼は相手の情報を全く聞かされていないのだろうな。だが、明確な殺意はあるようだ。口元に浮かべた微笑みを見る限り、あの学生はこの非現実感を楽しんでいるようにも見える。愚かで腐った思考だ。
確か男は、和室の部屋が戦いやすいと言っていた。
真澄はそこにまであのゾンビをおびき寄せ、始末することに決めた。
***
青年を始末し、真澄は幾分か冷静を取り戻していた。今なら、どんなん罠が仕掛けられていても対処できる自信がある。彼は拳銃を仕込んだポケットに手を伸ばしつつ、慎重に扉を開ける。まずは足元をチェックしたが、白い紐はなかった。
しかし、いざ部屋に入ると不覚にも真澄はぎょっとたじろいだ。
扉を開けたらそこに、人間が立っていたのだ。咄嗟に後ずさりをして銃を構えるが……なんてことはない。これはただの、白骨標本じゃないか。
「あははははははは! びっくりしました? おっと、いけない。あんまり大声出したら死んじゃうな……気をつけよ」
ムカつく声が聞こえてきた。
標本をどかし、部屋の中を見ると、ひとりの男が机の上に胡坐をかいて座っていた。彼は自分よりも若そうだが、目尻に寝不足を思わせる皺が刻まれていてそのせいで若干老けて見える。顔は二枚目俳優を思わせるほどの甘いマスクなのにもったいないと思った。髪の毛も整えれば女にもてるだろう。灰色のカーディガンを着て、その下はくたびれたYシャツ。黒いズボンを穿いている。ズボンの裾はほつれていた。
彼は煙草を指に挟み、足に頬杖をついて真澄を待っていたようだ。
「お前がこの録音機の声の主か」
「そうです! 一人で行動していたあたり、人を信用しなさそうなので不安でしたが、杞憂だったみたいですねー」
真澄の視線に気づいたのか、彼はすぐにYシャツの胸ポケットから煙草の箱を取り出し、一本渡す。
銘柄はJPS。
真澄は火をもらい、それを咥える。久しぶりの煙を味わい、真澄は唸った。なぜコイツがこんな嗜好品を持っているのか、それはおいおい尋ねるとして……まずは優先事項を先に片付けよう。
「お前、名前は?」
「ボクは音無秋彦と申します」
「……何者だ?」
「それは、社会的地位のことですか? はははは、そうだなぁ、小さな雑誌編集社に勤めてます。あ、いいですよぉ、見下してくれても!」
真澄は眉を顰める。
コイツ、相当いろんなことを知っているようだ。
だが、その心の内を呼んだのか、秋彦は自分からその『法具』について語り始める。
「ボクの法具、端的に言えば盗聴器です」
「盗聴器……」
秋彦はそう言って、耳の中から一つの黒い装置を取り出した。
ワイヤレス無線機のブルートゥースのようだった。違和感があるとすれば、場違いなネズミのマスコットキャラクターが装置の側面についていることくらいか。
「これ、凄いんですよ!どうやら、この空間にいる全ての人間の腕についてる……あぁ、それですそれ。その腕輪にね、盗聴器が仕込まれているようで、ボクのこのブルートゥースは一定の範囲内にいる人間の声や、たてた物音、全部聞き取ることができるんですよ!」
それを聞いて真澄が抱いた感想は、「反則だろ」という溜息と同等の呆れ声である。つまり、彼には他のゲーム参加者の得た情報から、隠し事、作戦まですべて筒抜けだということだ。
「その……盗聴できる範囲は?」
「そうですねぇ……この部屋から学生食堂の部屋までは拾えますよ」
秋彦はニヤリと笑って、口元に人差し指を当てるジェスチャーをする。
「ふふふ……おっと、敵に動きがあるようです。どうやら、真澄さん。あなたの拳銃に脅威を感じて、拠点を移動するようですね! いやぁ~助かった……そのためにあなたを引き込んだようなものですから!」
「あいつらのことを知っているのか?」
「危ない連中だってことくらいは。あいつらは、どうもボク達のような普通の参加者とは違うみたいなんですよ。連中の会話を盗聴しているうちに分かったことですが」
「どういう意味だ?」
「奴らはかなり多くのことを知っています。俗な言い方をすれば、『ゲームマスター』と呼ぶにふさわしい連中ですよあいつらは」
創作物をあまり見ない真澄でも、その単語の意味はある程度分かる。要するに、この馬鹿げたサバイバルゲームを仕組んだ側の人間、ってことだ。
前に、同僚と風間市役所開催のスタンプラリーゲームに参加したことがある。その時自分は、サクラだった。ゲームの裏も表も知り尽くした状態で参加できるのだから、当然他の参加者よりも有利に動ける。サクラが勝利すれば、用意した賞金も、結局市が回収することになる。かなり汚いやり口だと思ったが、ただでさえ財政難のウチの部署に面倒な案件を命じる上が悪い。
もし奴らがそんな存在だとしたら、あの立ち回りのうまさも頷ける気はする。
「あなたを襲った桐嶋と菊泉。あの二人はボクの顔を見ていませんが、存在は勘付かれていそうですねぇ……それに、あの二人の上にもう一人いる。そいつがどうも、このゲームを仕組んだ奴に思えます」
「会長、とか言われていた奴か?」
「そうそう! あの二人の会話から、『コクリ会長』って呼ばれてました。聞くところ、奴はすでに、亡骸を一つ所持しています。話しぶりから、持っている法具も相当なもんですね」
「だが、それだけで会長をゲームマスターだと断定できるのか?」
「できますって!」
秋彦はかなり自信があるようだった。
「なぜだ?」
「その会長の声ですよ。この録音機と同じ……softalkの声と同じ機械音声で発声していました」
「……確かなのか、それは」
「この耳で聞きましたんでねぇ。恐らく、ボイスチェンジャーを通して話しているんでしょうが。そもそもそんなものを持っている時点でかなり怪しいですよ。これ、裏を返せば録音機に入ってる声は全てコクリ会長の声ってことですよ?」
彼の言うことが本当ならば、コクリ会長は黒である可能性が高い。
真澄は秋彦の言うことを一応信じることにした。
「さぁ、とりあえず学生食堂も通れることだし、早速亡骸探しに向かいましょうか!」
「何? お前、場所分かるのか!?」
「ふふふ、それがボクからのプレゼントです。ただで協力を打診するほど図太くないですよボクは」
取引材料は亡骸の情報ってわけか。真澄は今更ながら、録音機に入っている内容はそれぞれ違っていたことを理解する。どうやら、思った以上に自分は浅はかだったようだ。改めよう。俺は反省すると強いんだ。
これは秋彦と協力することで得られるメリットだ。同盟を破棄してしまえば亡骸はきっと、場所を知る者が早々に手に入れてしまう。そして同時に、俺に対するけん制にもなる。喋る口がなくなれば、俺自身も困るってわけだ。これで俺の銃がお前に向くのも防ぐことができる、かもしれないな。
だが……気づいていないのか? この男。
俺が、たった一個の亡骸よりもお前の持っているその『地獄耳』を欲するかもしれないということを。
真澄のポケットに潜んでいる黒い魔物が、急に重みを帯びた気がした。
――亡骸の場所は、最悪自分で発見することができる。敵から奪い取ることも。コイツの持つ法具はあまりに強い。
拳銃と合わせれば、俺は無敵になれるぞ!
そうだ。ここは所詮ゼロサム・ゲーム。共闘などできやしないのだ。いっそ、やれるときにやってしまった方がいい。弾がなくなる前に、コイツを始末するんだ……!
「あぁ……それとその銃、くれぐれもボクに向けないように」
真澄はぎょっとし、ポケットに伸びかけていた手をすぐに下した。慌ててつくろった笑みをうかべ、真澄は弁解するように言った。
「な、なんのことだ? 最初から俺はお前と協力する気でいるんだが……」
秋彦は煙草の灰を排水口に落とし、言葉を続ける。
「ボク、コクリ達が食堂にいるせいでこのエリアから出られなかったんです。相手の動きが分かっても、ボクもう武器が無くてねぇ。クラッカー全部撃ち切っちゃったんですよぉ」
「……え?」
「ま、その代わりボクはこの耳を手に入れたんですが……ふふふ。いやはや、なかなか骨が折れました。真澄さんならボクの苦労、分かるんじゃないですかね? 実際に部屋を見たんでしょ?」
けらけらと笑う彼の言葉の意味が分かった時、真澄は胸の奥が締め付けられるかのような恐怖心を味わった。
まさか、いや……
本当にコイツ。
「音無……お前か?」
「え?」
「あの和室の人間、全員殺したの……お前がやったのか?」
「ええ、まぁ」
秋彦は平然と答える。
何かおかしいことでもあるのか、と言いたげだった。
床の間にかかった開け軸の後ろ。
そこにはピンク色のドアが隠されていたのだが、真澄はそれに気づかなかった。秋彦の出発地点だったあの和室に集合した人間は、彼を合わせて6人だった。
秋彦はすぐに、その面子の中に『あの人』がいないことに気づいた。それは、とても困る。
「棺桶の中にあったのはこのブルートゥースと、録音機だけだったんですが。ボクはすぐに気づきました。えぇ、録音機を再生しなければならないってね。そこにはこの空間の戦い方が入っていた」
秋彦以外の人間達は、皆蹲ってこれから先に降りかかる未知の出来事に恐怖していた。しかし、自分には何故か、それがない。
あるのは焦燥感だけだった。
一刻も早く合流しないと。
彼は1人で録音機を再生し、棺桶の中に元通り戻した。空間のルールを理解した秋彦は、準備運動と練習がてら、怯え震える5人の人間を惨殺したのだった。幸い、同部屋の人間は皆、平凡な日常を謳歌していた大学生たちであったので、さして手こずりはしなかった。
そこで、彼はこの空間での戦い方を実践で学ぶことができた。
騒音のあたり判定はもちろん。クラッカーの効果的な使い方。ついでにブルートゥースの操作法も学んでおく時間ができた。
秋彦が録音機を持って行かなかったのは理由があった。この録音機は亡骸の在処など、敵にとられて困る情報は収録されていなかったためだ。それなら、後々にこの部屋を調べるかもしれない『あの人』のために情報を残しておいてあげよう。そう考えたのだった。
「……この録音機は」
「あ、真澄さんが持ってる奴は別の部屋でゲットした録音機です。そうそう、そこにもともと入っていた内容も、全部ボクの頭に入ってますからね。一緒に行動してくれたらそのうち教えてあげますよ」
だから、くれぐれも……喧嘩しないようにしましょうね。
秋彦は笑顔でそうのたまう。
「ボク、嫌いな奴には容赦しないんで」
しかし、紡がれていく言葉はナイフのような切れ味があった。
真澄は今すぐにでもこの男に銃を向けたい衝動に駆られていた。
だが、できない!
銃を向けた瞬間、奴がどう動くか全く予想がつかないからだ。逆に、奴はこちらの心の声までも『聞こえている』かのようだった。
今気づいた、この男のカーディガンの襟元から見え隠れする、Yシャツについた赤いシミは……顔色一つ変えずに5人殺した人間の罪深い象徴ではないか。
「お前の目的は、なんだ!」
音無……お前、狂ってるぞ。
流石の俺でも、こんな訳の分からない部屋に連れてこられて、いきなり5人の人間を殺すなど。絶対に無理だ。
人間が人間を殺す際には普通、幾多ものプロセスがあるものだ。理由は様々だが、たいていの場合は自分の身が極限に追い詰められた状況に限ると真澄は考えていた。
「いきなり、5人殺せるものか……そんなの殺人鬼じゃないか。同盟する前に教えろ……お前、俺を引き込んで何を考えている」
「何度も同じこと言わせないでください。戦力増強ですって。あなたの銃はすごく頼りになるから、欲しいんですよ。あの人も同じこと考えるはずです」
「お前の言うあの人ってのは、誰のことだ! 他にも仲間がいるのか?」
彼は、含み笑いをうかべて宙を仰いだ。
「ふふふ……ボクの憧れの人ですよ。きっと、あの人もこの空間に来てる。ボクには分かる」
そして、恍惚とした表情に変わる。素晴らしい芸術作品を目の前にして、感嘆の息を漏らしているようだった。
「ボクはあの人の力にならなきゃならないんだ。あの人の代わりに亡骸を全部集めて、あの人の敵を全員殺すのさ」
「何なんだお前……」
もはや、唖然として返す言葉もなくなってしまった。
真澄の煙草が朽ちるのを待っていたのか、最後の灰が地面に落ちるのを見届けると、秋彦は机の上から飛び降りた。
「さ! 行きますか、まずは亡骸を見つけますよー。行先は、式場F」
そう言うと、秋彦は真澄に背を向けて歩き始めた。
撃てるものなら撃ってみろと、暗に挑発されている気もする。しかし、真澄は結局何もできなかった。秋彦の纏う獰猛な精気に圧倒されたから、というのもあるが。打算的な考えとしてはコイツを生かしておくことで何か、自分にとって利益があるのではないかと踏んだのもある。
今は……耐えろ。
音無はどう考えても異常者だが、それでも仲間が増えたと考えれば、今の状況は決して悪くないのではないか?
「式場F……っていうのは、この録音機の中に入っていた情報か?」
真澄はボイラー室で拾った録音機を掲げて問う。秋彦はそれを聞いて吹き出した。真澄がとてつもなく間抜けなジョークをかましたとばかりに、口元を手の甲で拭う。
「ぷ! あははははは、違いますよ真澄さん。式場Fはボクの隠している情報じゃないですよ」
「あぁ?」
「あなたがとりこぼした情報、わざわざ教えてやってんでしょ~? 感謝して欲しいくらいですねぇ! あはははははは」
秋彦のこちらをからかうような笑い声だけが響いていた。彼は自分の耳をこつこつと叩き、馴れ馴れしく真澄の肩を揉んだ。
真澄は、この胸ポケットの拳銃だけは手放さないようにすることを肝に銘じた。
つづく






