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クワイエットルーム   作者: 冬司
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room3 小説の話をしよう

 room3 小説の話をしよう



 まるで葬式会場のような24畳の和室に、6人の男女がけん制し合いながら立っていた。場を包んでいた喧騒はすっかり鳴りを潜め、緊張感だけが辺りに漂う。

「うわっと!」

 先に沈黙を破ったのは、瀬山たちを襲ったあの女。清蓮が床に手をついていた。

 足をもつらせて転んだらしい。彼女が立つ床は血でべっとりと汚れている。何か考えたくもないが……人を形作っていた柔らかい何かを踏んでしまい、足が滑ったのだろう。

「うぇー最悪だよー……」

 彼女は眉をしかめながら掌を見せてきた。さっきまでちえりを押さえていた学生風の男が目を逸らし、えずいた。

 グロテスクな赤で染まっている指をくねくねと動かす清蓮。瀬山はさっきから、この女に対する不快感を募らせていた。コイツ……異様に倫理観が歪んでいる気がする。これほど無残な人肉の塊を見ても顔色一つ変わらない女など。

 くそ、緊張で吐きそうになってきた。こんな頭のねじが外れているような女と、無事に取引などできるのか? 自分にこんな大役が務まるのか。


 それぞれの立ち位置は適度に離れ、互いが直接攻撃に出られない。今の状況こそ、瀬山にとって狙い通りの状況だった。敵の男二人の足元にはクラッカーが落ちている。学生風の男が置いたクラッカーに至っては、隙を突けばちえりが拾えそうな距離だ。今のところ双方の攻撃力はイーブンと見える。

 だが、問題は清蓮が何かを隠している可能性だった。彼女だけはまだ、法具を見せていない。


 ――アタシらの方が強いんだって。


 彼女は確かにそう言った。それは、クラッカー以上に強力な法具を隠し持っていることを意味するのではないか?

 今にも、彼女のスラックスのポケットから、すらりと長い剣がマジックのように飛び出てくるのではないか、そんなありもしない空想が広がった。

 瀬山は頬を叩く。見えもしない恐怖に怯える必要はないだろう。今ある情報だけで、勝ち筋を見極めろ……

 残念ながらこっちは丸腰なのだ。何とか犠牲ゼロでこの場を切り抜けるためには、できるだけ安全に取引を進めるほかない。こちらも向こうも取り分を+にし、禍根が残らぬように去ってもらう。それが自分のやるべきことだ!

 瀬山はまず、相手のグループのリーダーであろう彼女、清蓮に向けて声をかけた。

「そっちの欲しいものはこの録音機に入ってた情報だけでいいんだよな?」

「なにさ? 他に何か差し出せるものでもあるのかい?」

 清蓮はニタニタと笑いながらそう嘯く。クイと口角を斜めに持ち上げ、相手を馬鹿にするような笑い方……いつだったか、こんな風に笑う映画女優を見た覚えがある。確かその女優、なかなかに喰えない悪党の役だった気がするな。

 お前にはお似合いだ。

「まずはそっちの情報を、二つとは言わない。一つでいい。聞かせてくれ。その後、僕が口頭で消えてしまった03ファイルの情報を喋る。お互い攻撃はしない……情報交換が済んだら、あんた達は1人ずつ順番に縁側へ出て、そっちの警察の服を着ている男と合流するんだ。その後は好きなところに行ってしまえ」

 縁側にいるのは東太と警察官の男のみ。クラッカーは東太の手が届かない位置に置かれている。だが、相手がそれを拾って攻撃を仕掛けても、走って逃げれば東太は射程距離からすぐに脱出できるはずだ。つまるところ、お互いにうかつに手は出せない状況。向こうにとっても、素直に取引を進めた方が良いに決まっている。

 相手は二つ情報を持っている。

 情報は減るものじゃない。ここで相手から一つでも何か引き出せれば、結果的に僕らは得することになる。向こうもそれは同じ。ノーリスクで情報がもう一つ手に入るのだから文句はないはずだ。

 しかし、瀬山は一つ大きな問題があることに気づいていなかった。清蓮はそれを指摘するようにチッチッ! と舌を鳴らす。

「瀬山ちゃ~ん? いけないねぇ……それはちょいと不公平じゃないかー?」

「何?」

「こっちは『現物』がある。だけどキミはもうそれを持ってなーい」

 彼女は手に持つ二つの録音機を掲げて見せた。そして、すぐにそれをポケットにしまう。

「キミがアタシ達に本当の情報を教える保証があるのかな?」

 瀬山は軽く舌打ちした。彼女の言う通り、こちらには言葉しかない。取引を提案しているわりに、説得力に欠けるのは否めなかった。咄嗟に03のファイルを消したことがここで裏目に出るとは……

 仕方ないだろうが。いきなり情報を奪いに来たお前らが悪いんだ。

「……だけど、消えてしまった情報を手に入れるにはそれしかないぞ! 僕たちを信じてもらうしかないな」

 嘘を教える、という手は考えなくもなかったが、瀬山は本当のことを言ってやるつもりだった。もし後で嘘がばれた時、復讐されるのは厄介だ。なるべく敵は作りたくない。

「僕達が渡せるのは03の情報だけだ。嫌なら引き下がれよ。こっちは最初から、あんた達と戦う気はないんだ。だけどいいか? ここで戦いを始めれば3対3、どっちも無事では済まないかもしれないんだぞ? ここでは大きな音をたてるだけで人を死に至らしめることができる。下手なリスクは、犯せない……だろ?」

 だから、早くここから出て行け。

 あわよくば情報を置いて、何事もなく、お互い無傷でこの場を収束させるんだ。お前達にとってもそれがいいだろ?

 なぁ、清蓮さんよ。

 とりあえず……その気味の悪いにやけ顔をやめてくれないか。

「僕は嘘を言わないと誓おう。こんな訳の分からない世界に放り込まれた、いわば僕らは同胞じゃないか?争う必要なんてないはずだ。歩み寄ることを考えるんだ。いきなり襲ってきたことは水に流してやるから……互いのために良い結果になるよう、僕らと取引してくれ!」

 しかし、清蓮は道化じみた態度のまま楽し気に指を振る。彼のその意図を全て汲んでいるかのように、彼のその浅はかな甘い考えをたしなめるようにだ。

「喋るねぇ~瀬山ちゃん」

 瀬山は自分が焦っていることに気づいた。つい、言葉が口を突いて出てきてしまう。

「あんたが決めろ! そっちが録音機を一個渡すんだ。そうしたら……」

「キミ、小説か漫画か何か、書いてたんじゃないか?」

 清蓮が投げかけた言葉に、彼は思わず口をつぐまされた。

 図星を突いたと分かり、清蓮の綻びはいっそう広がりを増す。

「……話が、一生懸命理由付けしてるように聞こえるんだよなぁ~? クックククク。頭の悪い小説にありがちな文体さ。言わなくてもいいことを登場人物にべらべらしゃべらせて文字数稼ぎをするのはよく見る低級どシロート小説の典型。つまりキミのやっていることだ。瀬山ちゃん」

 癇に障る。

 僕を煽っているのかコイツ。確かに、僕は作家希望だったが……そもそもちょっと会話しただけでそれを見抜いたというのか!?

「プロ気取りのネット小説書きさんかな?」

 馬鹿にしやがって。

「お前に何が分かる」

「ハハ! 図星かぁ? かっわいいなぁ~瀬山ちゃん」

 女を本気で殴りたいと思ったのは生れて初めてだった。男が女性を本気で殴るシーンは書いたことがないが、今ならお前をいい資料として使えそうだ。

「余計なことを言っているのはあんたの方だ。僕の言ったことに間違いはない! 選択権があるだけありがたいと思え!」

 その口調には怒りがこめられていたが、清蓮は彼の怒気を鼻であしらった。

「分かってないなー。キミはすでに間違いを犯しているのだよ……キミは録音機のデータを消すことでアタシ達のことをうまく出し抜いたつもりだろうけど、実際は逆なんだなぁ」

「何が言いたい」

 その時、清蓮の右手が動いた。

 ゆらりと下に降ろされたその手は彼女のスラックスのポケットを軽く触った。

「アタシのプロットに乗せられているのはキミの方なのだよシロートくん」

 次の瞬間、降ろされた右手の袖口から一本のクラッカーが這い出てきた。血まみれのクラッカー。

 瀬山はようやく自分の犯したミスに気づいた。しかも3つ。


 一つは清蓮を追い詰めるために追いやった部屋の隅。あそこには爆発した火永と瑠実の肉片が散らばっている。クラッカーは全員に支給された武器だ。当然、あの二人もクラッカーを持っていた。それは、血だまりの中にひっそりと転がっていたはず。

 あの時彼女が足を滑らせたのは、すべてこのためだった。

 彼女はすぐに、クラッカーを学生に向かってパスした。彼は喜々としてそれをキャッチする。

「圭太、森本ちえりを殺せ」

「了解です!」

 まずい!

 瀬山は慌ててちえりのフォローに走るが、すでに学生、圭太はすぐさま隣のちえりに向かってクラッカーを構えている。

 だが、非常に至近距離だ。腕が曲がっており、クラッカーは彼により手前の位置にある。目測で見ても、瀬山が火永を仕留めた時よりも明らかに距離が近い。大きな音をたてれば死ぬのなら、その音源に近い自分も死ぬのではないか。そう思ったのだが、圭太は顎をぐいと引き、自分の喉元を隠すように俯く体勢を取る。そして、糸を掴んだ。

「森本さん!」

 瀬山は反射的に、自分の着ているジャンバーを投げつけた。それが圭太の顔面に纏わりつき、クラッカーが逸らされる。


 パァァアン!と、陽気な殺人ファンファーレが鳴り響く。


 ちえりは尻餅をついた。爆発は……発生しない。

「はぁ……はぁ……今そいつ、喉を、隠したのか?」

 二つ目は、相手は『この世界での戦い方』を自分達よりも知っていること。

 あの至近距離でクラッカーを撃てた理由。不可解に俯いたあの姿勢が鍵になっているのだ。情報を多く持っているということはすでに、イーブンな関係ではない。明確な力の差がある。それが彼女の言った台詞の本当の意味だった。瀬山は急いでちえりのもとに走った。

「大丈夫か?!」

「瀬山さん、数値が!」

 数値、彼女の左腕にはまる腕輪が0 9 5を示し、赤く光り輝いている。時限爆弾がもうじき爆発するような、そんな恐怖心をあおる点滅のしかただった。

「ちぃーっ! おっしぃ~!」

 圭太が指を鳴らして悔しがっていた。

 奴らは恐らく、この数字の意味も知っている!

「アッハハハハハ! カッコいいねぇ~? 瀬山ちゃん。でも、まだ弾はあるんだな」

 圭太が床のクラッカーを拾った。

「清蓮さん! いいんすよね、やっちゃっても?」

「1人生きてれば十分じゃないかな? ふっふっふ、瀬山ちゃん。キミは間違ったのだよ、最初からねぇ」

 三つめは。

 命を奪う覚悟が自分たちにはないことだ。

 もちろん、叫んで自殺をすることすらできないことも、全部見抜かれていた。

「僕のカードは、情報という名の命……」

 口頭で話すしかない情報。あるのはそれを喋れるこの口のみ。即ち命そのものが取引のカードなのだ。切り札としてそれを犠牲にできる覚悟がなければ、搾取されるだけだ。

 口を割らせる方法などいくらでもあるのだから。

「そうだろ? 人質は一人いれば十分だからねぇ」

 もっとも簡単な方法を、清蓮たちは実行に移していた。

 縁側の様子は見なくても分かる。清蓮が動いたのと同時に警察官も動いていた。東太を再び拘束するためだ。あんなにガタイの良い大人に猛然と飛びかかられては、東太などなす術もない。

「くっそ!」

「動くな小僧」

 東太はうつ伏せに押さえつけられている。あっという間に形勢逆転されたのを感じ、瀬山の目は泳ぎまわっていた。

 あぁ、所詮自分の浅知恵でしかなかったのか。小説のようにはうまくいかないものだ。

「取引ねぇ……それは、キミがちゃんとアタシ達に差し出せるものをそろえてから言うもんだと思うんだけど。あ! そ~うかぁ、計算が苦手なのかな瀬山ちゃん?生憎アタシも文系だからさぁ~算数は苦手でねぇ。ちょーっと一緒に考えてみよっか」

 彼女は子供をあやすように、こちらに近づいてくる。

「さぁて、さてさて瀬山ちゃん。ここに録音機が何個かな? 2個……ふふーん、ってことは。取引をしたいのならそれに見合う何かを最低2個アタシ達がもらわなきゃ釣り合わない。だよねぇ?」

 瀬山はちえりを後ろにかばいながら、徐々に後ずさりさせられていた。圭太もクラッカーを向けながら、醜悪な笑顔で追い詰めてきた。

「さて、キミの持ち物を確認しよう……キミが持っているのは03の録音データと?」

 彼女は手をこちらに差し向けながら、返答を迫った。

「2-X=0になればいいのだよ。解はキミの損得。Xはキミが差し出す何かさ。このままじゃァ答えは1だよね?」

「1でいいだろ……1でも増えれば! あんた達は3になるだろう!」

「だめだめだめだめ。ちゃぁんと0にしなくちゃね? いやむしろ……-1にしてやってもいいんだが」

 まぁ、最終的に……-2になるんだがな。

「キミが払えるのは命だよ。圭太、やれ」

 清蓮はちえりをピストルで撃つジェスチャーをする。圭太はクラッカーを手に、彼女の襟首を掴んだ。

「やめろ!」

 自分でも、なぜこんなに速く体が動くのか分からない。こんなに、必死になって体を動かしたことなんてあっただろうか。瀬山の中にあったのは、ただちえりを死なせたくないという一心だった。それは、敵にとっては少しばかり意表を突かれたらしい。圭太はちえりの襟を握る手を剝がされた。だが、ターゲットが瀬山に変わっただけだ。

「野郎! 清蓮さんはどっちか一人残ればいいって言ってるんだぜーっ!」

 その通りだ。

 僕は死ぬだろう。

 小説の主人公にでもなった気分だ。まぁ……あながち間違いじゃない。

 クラッカーが喉元に突きつけられ、奴は糸を掴んでいる。後ろからちえりの息を飲む声が聞こえる。叫び声をあげているはずが、息を吸って何とか耐えたのだと分かる。

 僕の小説の主人公は死ぬんだ。必ず、途中で。エンディングまで生き残ったためしがない。だけど、そう悪くない気分だ。

 決して自分が書かないようなタイプの、情熱と勇気に溢れたヒーロー。そんな憧れともいえる、カッコいい主人公になれた気がする。今日会ったばかりの、会話もあまりかわしたことがない女の子をかばって死ぬんだ。結構いけてるんじゃないか? 僕は。

「森本さん、僕が死んだら……――」

 ふと背後に振り返ってみると、ちえりの顔がかすかに見えた。

 涙を流しているではないか。

 おや、変だな? 君に泣かれるほど、親密な関係になった覚えはないんだけどな。




 自分の意識は空想を旅したまま。この世を去る準備をしていたその時だった。

「瀬山さん! 下がって! 早く!」

 どこからともなく声が聞こえてきた。すると、瀬山は一気に後ろに引きずり倒される。自分の背中を抱えて倒したのはちえりだった。涙は流していない。

「瀬山さん伏せてください!」

 目まぐるしく変わる状況についていけていない自分がいた。クラッカーを構えていたはずの圭太は丸くした目を横に逸らしている。もう、二人など見えていない。

 そこにいるのは警察の服を着た大男。

「おやおや、何もここで裏切らなくてもいいんじゃないか~? 矢野巡査」

 矢野と呼ばれた警察官は、クラッカーを清蓮の顔面に向けて佇んでいる。どういうことだ、清蓮に離反したのか!? 場の急展開に混乱している瀬山をよそに、矢野巡査は隙鳴くクラッカーを構え、キッと敵意の眼光を清蓮にぶつけていた。

「裏切る? 俺は最初から貴様に付いていたつもりはなかったぞ」

 彼は容赦なく糸を引いた。

 しかし、清蓮は不敵な笑みを崩さず、瞬時に隣にいる圭太のうなじを掴み上げ、自分の前に引っ張った。

「うぇ? せ、せいれ……」

 そのまま前に押し出す形で、クラッカー主砲の盾にしてやる。

 無慈悲な砲撃が発射され、矢野巡査が放った一発の轟音は圭太の顔面に炸裂した。清蓮はすかさず圭太の体を押しだして、矢野巡査にぶつける。彼の体はちょうど、崩壊が始まっていた。

「ぬぅ!」

 ブクブクと泡立つ圭太の体。彼は助けを求める様に矢野巡査に抱きつきながら、口を大きく開けて息を吸い込んだ。

「う…ぐぉおおおおおああああ!」

 命を絞り出すかのような苦悶の叫びだ。

 このまま絶叫されればまずいと悟ったか、矢野巡査は咄嗟に自分の喉を抑え込んだ。だが、心配は杞憂に終わったようで、叫び声はすぐに止まった。肺が膨張し、呼吸がうまくできなくなったためだろう。

 バチュン! という、薄気味悪い音を最後に、圭太は弾け飛んだ。

 辺りに血と肉をまき散らし、彼は死んだ。

「こ、この人でなしめ!」

 怒りを露に清蓮を探す矢野巡査だったが、彼の残骸をもろにかぶってしまって目が見えない。その隙に清蓮は縁側へと逃げていた。

 しかし、その足は案外早くに止められた。

「もうここから先は通さないぜ!」

 東太がここぞとばかりに立ちふさがった。彼の手足は自由、矢野巡査は東太を拘束するふりをしていただけだった。東太に武器はないが、腕力では負けると悟ったのだろう。清蓮は溜息を吐いて苦笑する。

「いやぁ、困ったわー」

 万事休すか……最悪だねぇ。

 失敗したなぁ。まさかここであの男が敵になるなんてねぇ……彼の戦力をここで失うのは非常に惜しいんだが、一体いつ瀬山ちゃんの方につこうと思ったんだか。

「っていうか……矢野巡査」

 両手を高らかに上げながら、彼女は言った。

「ひょっとして、お前最初からアタシを殺す気だった?」

 血をかぶった矢野巡査に、瀬山はポケットのハンカチを貸してやり、顔を拭かせた。彼は瀬山を一瞥しただけで、礼は言わない。その目には明らかな疑念がこもっていた。犯罪者を見るような目と言えばいいのか、心当たりがない瀬山は何も言えなかった。

「俺は貴様を追っていた」

 彼は確かにそう言った。

「ここに来た記憶はなくとも、それだけは覚えている。お前が殺したあのお方の……!」


「おーっと残念。悪いけど、お前は最初からアタシのプロットに乗ってるんだ」

 いきなり彼の言葉を遮った清蓮。

 彼女は矢野巡査から大股一歩下がった。

「話はまた今度聞かせてねー。あ、もう二度と会うことはないかもだけど!」

 彼女が歩幅一歩分、矢野巡査から離れたその瞬間。



 ――ジリリリリ!! ジリリリリ! 6時50分! 6時50分!


 それはけたたましい、地獄の鐘が鳴り響いた。




 ***




 矢野巡査は胸ポケットの仕込まれたそれを取り出す。

 小さくて愛くるしい体つきのネズミのマスコットがいた。ピンポン玉と同じくらいのサイズで、頭に二つの黒くて丸い耳がついている。黒と赤のコントラストが非常に映える。だが、よく見ると目がとても小さく、愛嬌がない。世界的有名なあのネズミのパチモンだと分かった。ネズミはにこやかに笑いながら、白い手袋をはいた手で体の前にある文字盤をこさえていた。文字盤には3つの針がチクタクと時を刻んでいる。


「これ……は」


 6時50分! 6時50分!! 起キル時間ダヨ!!


 小さいわりに、音はすさまじいものだった。

 矢野巡査はそれ以上言葉を紡げず、体を膨らませた。そして、圭太と同じ道をたどる。実にあっけなく、彼は始末された。

「森本さん、僕の後ろに」

 瀬山には何となく、数値の意味が分かっていた。自分の予想が正しければ、未だ鳴り止まないあのネズミの大声のそばに寄るのは危険だ。

「そ、それはなんだ……なんなんすか!?」

 東太が怯えたように清蓮を指さした。

「アタシの法具、『超小型目覚まし時計』さ。あのミ***はアタシが指定した時間に音を鳴らす。ここに来る前に、彼の上着に仕込んでおいた」

 ネズミは5回同じ文句を繰り返し、「今日モ元気イッパイ頑張ロウ!」と締めくくって沈黙した。清蓮は悠々と矢野巡査の死骸を踏みつけ、それを回収する。いつまた鳴り出すか分からないという恐怖が、瀬山たちに行動するチャンスを失わせた。

「でもまぁ……流石にこれは厳しいかなー。この法具も使い方次第だからねぇ」

 3対1はなぁ、と彼女は肩を落とした。瀬山は何とか足に力を入れて立ち上がり、清蓮の行く手を塞いだ。東太もそれに倣う。

 もう彼女は、逃げられなかった。

「あんたの負けだ」

「あー、負けだね」

「情報と武器を全部置いて、消えれば何もしない」

「何もしない? ふっふっふ。瀬山ちゃーん? なにもできないの間違いだろ?」

 いつまでも嘗められているわけにはいかない。この女に上手を取られ続けるのは自身の持つわずかばかりのプライドを傷つけられる気持ちだった。瀬山は自ら矢野巡査の肉塊に手を突っ込んだ。弾け飛んだばかりの体は、まだ暖かみを帯びている。身の毛もよだつ思いだったが、この程度。ズボンだったらしい部分を漁ると、目当てのものはすぐに見つかった。

 手錠だ。さっき東太につけていたのを見たから、使い方も分かる。

「手を後ろに組め! ……東太、コイツから目を離すなよ」

「分かりました」

 清蓮は素直にそれに従った。手を後ろで組み、瀬山の拘束を甘んじて受ける。これで、動きは封じた。だが、全く油断はできない。この女は、目の前で二人殺したのだ。瀬山は彼女の服のポケットをすべて確認することに決めた。

 彼女の胸元についているポケットに視線を送っているのに気づいたのか、彼女はクスクスと笑う。

「ん~? そんなにアタシのボディチェックをしたいのかな?」

 ……くだらないことばっかり言いやがって。

「森本さん、お願いできるかな」

 こんな女に劣情こそ湧かないとはいえ、最低限の常識は持っていたい。彼女はシャツ一枚という薄着のため、薄っすらと服の下が透けて見えてしまう。コイツ、何故か知らんがブラを身に付けていないのだ。こんな状況で気にすることではないが、やはり男の自分がそんな恰好の彼女の体に触るのは抵抗があった。

 自分はこの女の動向に目を光らせることにとどめるとしよう。ちえりは恐る恐ると言った様子で、彼女の服を確認する。その手は妙に強張っていた。

「怖がるなよ~アタシは何もできないって、ちえりちゃん」

「だ、黙っててください」

 ここまでされてまだ余裕を崩さない清蓮には得体の知れない不安を感じたが、たぶんそれが彼女の素なんだろう。

 清蓮の持ち物は録音機が二つ。クラッカーが1つ。クラッカーは靴下の内側に隠し持っていた。そして、例の小型目覚まし時計が、3つ。

 この目覚まし時計はアナログ式の針をいじって時刻を設定し、ボタンを押すことで作動する簡単な仕掛けだった。だが、手動で音を止める必要はなく、自動でスヌーズモードに移行する仕組みらしい。平たく、小さいのでポケットに忍び込ませられればまず気付かない。まさに、対人用時限爆弾と言えるだろう。清蓮達は別の部屋からやってきたというが、ひょっとすると真澄が持って行った拳銃のように、棺桶の中に1個しかなかった所謂レアアイテムというやつなのかもしれない。

 瀬山は彼女を床に座らせると、自分もしゃがみ込んで目線を合わせた。金色の瞳は挑発的にこちらを見返してくる。こっちが気圧されそうだった。

 さっさと質問を開始する。

「聞きたいことはたくさんある。まず……あんた、何者だ」

「自己紹介タイムを設けるには随分と遅い気がするけどね?」

「あんた小説家か?」

 プロットがどうとか言っていた。その道に通じている者でないと、そんな単語をわざわざ使うはずがない。それに、自分が物書きだとすぐに見抜いたではないか。恐らくだが彼女は……プロの作家。

「ん……待てよ『清蓮』? セイレン……」

 そう言えば、聞いたことがある名前だ。

 瀬山の脳裏に、行きつけの本屋の小説コーナーの棚がよぎる。決して大きくはないスペース。期待の若手作家。新感覚ホラーサスペンス小説。本屋の店員が選ぶ小説ベスト10――

 清蓮、清蓮……

「『ハッピー・トリガー』、『パスポート』、『愛の代償』……――」

「おー、ビンゴビンゴ! なぁんだ~瀬山ちゃん! 読者様だったんだねぇ~!」

 彼女はちょっと興奮気味に歓声を上げた。


 覚えている。清蓮はペンネームだ。

 小説家清蓮。2013年にデビューしたばかりの、若手作家。何百万部を売り出すほど人気作家ではないものの、一部のコアなファンから狂信的な人気を誇り、コンスタントに作家としての地位を確立している。デビュー作は『週刊文豪発掘』という小さな文芸雑誌に、最優秀賞として掲載された『ハッピー・トリガー』だった。ネット上ではすでに、映画化を期待する声も上がっている作品だ。

「あんただったのか……なるほどな、分かる気がするよ。あの小説にしてこの作家ありだ」

 決してメディアに顔を出すことがなかった小説家清蓮の正体がコイツだったとは。

「ふふーん……結構読んでくれてるんだなぁ~。どうどう? 面白かった? アタシの小説!」

 まるで彼女は子供が母親に自分の描いた絵を見せる様に屈託なく笑い、無邪気に感想を求めてくる。今まで、冷酷で狂った女としか思っていなかったが、突然の人間味あふれる表情に瀬山は戸惑ってしまった。

「……あんたの作品は、一言で言うと醜悪だ」

「ほうほう?」

 清蓮は興味深げに頷いた。

「あんたの作品は血生臭すぎる。容赦なく登場人物が殺されていく様は、書き手の本性が現れていると言えるだろう。そう、今のあんたのようにな。『パスポート』なんて……最悪のラストだった。主人公達が楽園だと信じたあの無人島まで逃げ延びて、結局全員皆殺しだ。何が『有効期限切れですから!』だよ、狂ってる」

「ハハハハハ! あれは降ってわいたように出てくるBadを描きたかったのさ。Happy endを主人公達の奴らが手を伸ばせば届きそうな、そんな位置まで吊り下げておいて……パッ! と、取り上げてやるんだよ」

 性格が悪いとしか言いようがない。ラスト20ページで、全て裏切られた気分になったのを覚えている。

「……そうそう、『ユノの箱庭』はどうだった? アタシの新作」

 あれか……人間コレクターという異常な趣味を持つ女が、好きな女を自分のものにするために、周りの男を殺しまくる話か。瀬山はその凄惨な内容を思い出してついこめかみを押さえた。

「胸糞が悪いとしか言いようがないな。主人公の人格障害ぶりには何度も背筋が寒くなったものだ」

「うんうん」

   感心するように頷く清蓮。

「あれは正義が勝利しないシーンが多すぎるんだ。いやむしろ、主人公は絶対悪であるはずなのに、なぜか分からないが、こう……あいつを応援してしまいたくなる、奇妙な感覚を覚えるんだ。まるで僕らまで奴の悪の心に浸食されているような気分になる」

「ふふ……作家冥利に尽きるな。お姉さん嬉しいよ?」

 同じ小説のワンシーンを思い浮かべながら語り合う二人。

 東太とちえりはその小説を読んだことがないので、よく分からないらしい。全く想像できない世界観を共有しながら、会話にふける二人をただ見ていることしかできなかった。

「誰が言ったか……評論家が名作を作ったためしがない、っていう言葉が好きでねぇ。アタシが一番嬉しいのは、シロートである読者の純粋な感想を聞くことなのだよ」

「っ……いや、別に。あんたの作風は苦手だし好きじゃない」

「だが、面白くないとは一度も言わないようだね?」

「もういい! 話の論点をずらすな!!」


 まったく、この女。

 僕はそういう話がしたいわけじゃない。お前の小説の感想を語ってお前を喜ばせようなどと微塵も思っちゃいない。今は小説なんかよりもっと大切なことがあるんだ。

 状況を分からせてやる。

「与太話は終わりにしよう。清蓮さん、次の質問に答えてもらうぞ。あんたがこの部屋に来る前のことを、全部話してもらう」

「えぇ~! そんな話したくないよぉ~! もっと小説の話しようぜ瀬山ちゃん? そうだ! 君も書いてるんだろ? どんな話書いてるのさ? お姉さんに聞かせてよ、ねぇ!」

 いい加減にしろ!

 瀬山は駄々をこねる彼女の頬を平手で叩いた。軽く叩いたつもりだが、思いのほかいい音が鳴り、一瞬だけ触れた柔らかい彼女の皮膚が赤みを帯びるのが分かった。

「いいか……僕は別に、優しくないぞ。女に手をあげないと思っているのなら間違いだ。やるときは、やるぞ」

 下手くそな脅しなのは重々承知しているが、瀬山はできる限りどすをきかせて彼女に迫った。すでに余裕そうな清蓮の顔を見て、全然脅しの体をなしてないのは分かるが、それでも瀬山は何とか話の主導権を握ろうと努める。

「うぇーん、こわいよぅ」

「早く言えよ!」

 荒上げた声は不自然に上ずっていた。こうやって誰かに怒鳴り散らしたことなどあっただろうか。客商売が癖になり、頭を下げるのに慣れすぎて上から出る機会が失われていたからかもしれない。

 清蓮は諦めたのか、語り始めた。

「……アタシが目覚めた時、見たこともない部屋にいた。ピンク色のドアだけがある、殺風景な部屋だ」

 思わず全員、和室の壁に取り付けてある場違いな扉に目がいった。彼女はそれを見て頷く。

「そうそう、ちょうどあんな感じの扉がね。それを開いて外に出ると、そこは教室だった」

「教室?」

「そうよ。で、教壇がある場所にでかい棺桶が置いてあったのさ――」




 彼女のいた部屋は30人学級と思われる学校の一教室だった。机と椅子は壁に追いやられており、掃除の時間を思い出させた。窓の外はとにかく暗かった。目を凝らすと空気のうねりのようなものが見えるが、そのうねりの正体は全く分からない。彼女は「まるで胃袋の中にいるみたいだった」と語った。少なくとも、ここの縁側から見えるような空は見えなかったらしい。窓は開かなかった。鍵をはずしても、ガラスを割ろうとしてもびくともしない。

 部屋には彼女を含めて5人の人間がいたらしい。皆は戸惑った様子できょろきょろと周りを見渡すばかりで行動に出ようとした者はいなかった。

 彼女以外は。

 彼女はまず引き戸を開けて外に出た。どこかの学校に連れてこられたと思ったのだ。教室には普通出入り口が2つあるが、一方は入ってきたピンク色の扉がはめ込まれており、外に出るには反対側の引き戸を開けるしかなかった。

 そこで彼女はまず目を疑ったらしい。引き戸を開けて外に出たらそこは普通、廊下だろう。だが、違った。別の部屋になっていた。

 黒くて大きな四角いテーブルが6つ並び、それぞれのテーブルの真ん中を分けるように水道の蛇口が取り付けられている。壁際には魚や虫の標本が並べてある棚が鎮座され、標本の隣には面白い形のガラス瓶が大量に置いてあった。極め付きは、奥に見えるドアの傍に置かれた等身大のスケルトン。誰がどう見ても、そこは『理科室』だった。

 流石の清蓮もこれには動転する。引き戸をそっと閉じて、元いた部屋に戻り、たまたま近くにいた圭太に声をかけた。

「ここ、どこ?」

「おしまいだ、俺……ここで死ぬんだ。俺たちは悪の組織に捕まってしまったんだ! ああ!」

 圭太は何者かの誘拐だと考えているようだった。悪の組織、ねぇ。大方ヤクザに臓器にでもばらされると思ったんだろうか。

 だが、アタシはそう思わない。

 もし、アタシがここに人を連れてきた側の立場なら? 目的はなんだ。

 そうだねぇ……アタシがこういう話を書くなら、決まってそこには『悪意』がある。誰かの悪意によって、ここに人を集めてやろう。次は、そいつらをどうしてやるか。


 ……誘拐。身代金? くだらん。

 ……殺すことを目的に? 足りないな。


 棺桶、不可解な部屋の構造。もしもこの建物を特注で作ったんだとしたら、犯人は相当遊び心のあるやつだ。何か特別なことを自分達にさせたがっている。

 清蓮は他の4人を差し置いて真っ先に棺桶を調べた。

 すると、中に録音機と3つの目覚まし時計が入っているではないか。




「そこでアタシはピーンときたね」

「……何にピンときたんだ?」

「これ、小説のネタに使えるなって!」

 東太は彼女の脇腹を小突いた。

「アタシは録音機を1人で再生して……ある情報を得た。その後に、試しに法具とやらを使ってみたのさ。時刻を10秒後にセットして……怯えた顔したボウヤに向かって投げてみたんだ。そしたら愉快な音が鳴って、死んだよ」

 よくも平然と。

 身の毛もよだつ行為を淡々と語る清蓮。

「その後圭太以外の二人が叫んで、死んだ。なぁるほど、叫んでも死ぬのねそうなのね、って理解したら、圭太が鼻水垂らしてアタシに命乞いしてきたもんだからさ! 下僕になるなら生かしてやるって言ったら尻尾振ってついてきたよ」

 さもどうでも良さそうに、彼女は圭太の残骸を嘲笑った。

「じゃあ、矢野巡査とはどこで会ったんだ?」

「あーそうそう、彼はね、アタシと圭太だけになった時に、あのピンクの扉から出てきたんだ」

 自分が最後に入室したのと同じように、皆が同時に棺桶のある部屋に入ったわけではないと、瀬山は理解を改めた。

 そうか……と、いうことは。

 僕がいない間に森本さんと東太はすでに部屋にいたということ、後でその時の状況を聞いておかなければなるまい。

 清蓮達の部屋では、瀬山たちと同じようにはいかなかった。何せ、最後の入室者、矢野巡査がピンクの扉をくぐった時にはすでに3人死んでいたのだ。

 矢野巡査は驚き、そして清蓮と圭太の姿を確認した。「状況を説明しろ」、彼はそう言った。当然、清蓮は都合の良い嘘八百を彼に話し、仮初の信用を得ることに成功する。

 二人は録音機を彼にも聞かせて、一蓮托生のチームを組むことに決めた。清蓮は、彼のガタイの良さから繰り出せる攻撃力は利用できると判断したのだった。

「だけどね……あの野郎、どうにも目が気に喰わなかった」

「どういう意味だ?」

「針の穴に糸を通す時みたいに、じっと目を凝らしてアタシのことを見てくるんだ。アタシは直感したね。コイツ、アタシのことを疑ってるって」

「あんた、ここに来る前に何かやったのか?」

 聞き間違いでなければ、あの時彼は……

「――殺した。彼はそう言おうとしていたように聞こえたが」

「アタシはこっちに来る前に殺人を犯した記憶はないよ」

 清蓮はきっぱりと否定した。信じられるかどうかは微妙だ。

 しかし、おどけるような反応が多い彼女のわりには、はっきりとした否定の意志が感じ取れた。

 ――分からない。だが、もとより清蓮は危険人物。警戒することに変わりは……

「……小説が書けなくなるだろうが」

 彼女はひっそりとそう付け加えた。

 瀬山はさらに分からなくなってきた。


 


 3人は合流した後、理科室へと進んでいった。清蓮は、矢野巡査が自分に対して身に覚えのない疑念を抱いていることを察したので、いつ裏切られても反撃できるよう、手を打っておいた。

「おーっとと!」

 彼女はわざと白骨標本の足に躓き、彼に向かって倒れ込んだ。彼は瞬時に清蓮を抱きかかえる。彼の胸ポケットに小型目覚まし時計を仕込むにはあまりに簡単な距離。 

「気をつけろ」

 ぶっきらぼうに彼は言い、彼女を放してやった。設定時刻は今から1時間後の6時50分だ。ここでの時間の概念は分からない。午前なのか、午後なのかも。だからこの時計は時間を図るためのものではなく、『相手を殺すためのアイテム』としてしか使えないのだろう。

「あ、ありがとう……ちょっと足元がおぼつかなくて。頼りになる男の人と一緒になれてよかったわ」

 彼女は照れ隠しするかのように前髪をいじり、矢野巡査に媚びるような視線を送る。

 近所の市民公園でよく見かける、噴水の傍のベンチでいちゃつくカップル共を思い出した。さっきみたいに女が男の胸にしだれかかったり、腕を組んでやったりすれば、お前らはすぐ鼻の下を伸ばすんだもんな?

 ほら、せいぜいアタシを可愛がれよー? このむっつりさん。

「……邪魔だぜ。もっと離れて歩け」

 うーわ。

 人がせっかくしおらしい乙女を演じてやってるっつーのによー。このゴリラ野郎め、優しい言葉の一つでもかけられないものかねぇ?


 ……てめーの制限時間はあと一時間だ。一時間以内に、あんたとつるんで安全かどうかを判断させてもらおう。もし、それまでに黒かあるいはグレーのままだったら、そのまま消えてもらうとするかねぇ。偉ぶってられるのは知らないからだよ。あんたはアタシに命を握られてるってことをね。

「ねぇ、矢野巡査。つっけんどんにしないでさ、私達は仲間なのよ? この部屋に来る前にあったこととか、もっと話してくれてもいいじゃない」

 ちなみに清蓮のプロフィールは29歳の独身OLで、夜勤明けで家に帰った後、すぐさまベッドに飛び込み、目が覚めたらここにいたという一切の真実がない嘘を並べ立てていた。圭太は風間中央大学の学生で3年生らしい。平均的な学力の大学だ。風間市内の多くの学生はたいていここに行く。彼の方は恐らく本当だろう。

「あなたは、警察官よね? そんなに強そうななりをして、誰かに捕まったっていうの?」

 矢野巡査は記憶をさらっているのか、目を斜め上にやった。やがて、「俺はある人物を追っていた」という短い答えが返ってきた。

「ん? 追っていた? 何か悪いことした奴を?」

「そうだ。だが、気が付いたらここにいた。直前まで俺がどこにいたのかは思い出せない」

「へぇ」

 すると、突然ぎろりと凄みのある目で睨まれ、清蓮は思わずたじろいだ。下手に刺激しない方が良さそうだ。コイツは、アタシがさっき一人殺したことを知ったらきっと容赦なく敵意を向けてくる。それがただの正義感から来るものかどうかは分からないが、その事実だけははっきりとした確信があった。

「俺は、貴様ら全員を信用していない。貴様も、そっちの小僧もな……臭うんだよ」


 ――貴様が何かを隠しているような、嫌な臭いがな。


 清蓮は無害でか弱い乙女を演じるのをやめた。

 心底に気に喰わないと思ったのだ、この男が。ご機嫌を取ってやる気も失せる。

「……やめてよー。命の危険にさらされているのはアタシもあんたも同じだろー?」

「もちろん、貴様の言う通りだ。ここで孤立するのはまさに愚策。手を組むことだけは賛成だ。まずは生きてここから出なくちゃな。全てがはっきりするまでは、俺はお前らを裏切らんよ」

「はっきりするまでって、どういう意味さ」

「さぁな」

 なんとなく、コイツはアタシの法具でぐちゃぐちゃになるんだろうなーと、彼女はこの時点で予感していた。

 一方的に疑いをかけてきて、失礼な奴。

 生憎、警察に捕まるような真似はしていない。そんな記憶など、全くないのだから――




「瀬山ちゃん。キミはここに来る前の記憶があるかい?」

 清蓮は話を突然打ち切り、ふと思い立ったようにそう尋ねた。

 そう言えば、アタシの記憶はどうだろう? 自分でも驚くほどにあやふやだ。ここに来る前の最後の記憶と言えば。

「アタシは担当と打ち合わせをしていたのを覚えてる。でも、それだけさ。しかも、それはいつも仕事でやっていることだからね、はっきりといつの出来事だと断定することもできない」

 瀬山もそれは同じだった。

 最後の記憶は、いつも仕事で行っているコンビニから出て行った時。その帰り道、走っていたのを覚えている。でも、それだけ……

「確かに、僕も似たようなものだ。仕事終わりの、ぼんやりした記憶しかない。東太はどうだ?」

「俺は昨日、友達との飲み会が終わって家に帰って……」

「それは本当に昨日の出来事かな?見た所キミも学生だろ。飲み会なんてよくあるんじゃないか」

「だけど、俺って結構飲みますよ? 覚えてないのは酒のせいだって絶対!」

「じゃあ何、キミの家の中に誰かが忍び込んで、寝ているキミを攫ってここまで連れてきたってわけ?」

「結局、あんたは何が言いたいんだ?」

「この場所は絵空事みたいなものさ。正直、最初の教室の窓から外を見た時に、現実じゃないと思った。瀬山ちゃん、物書きなら誰もが味わったことがある。現実と虚構の境界線、そこに立った気分を思い出しな」

 薄々分かってるんだろ?

 こんなに簡単に、人間が死んでしまう世界なんてありえない。ここは現実というよりも小説の世界に近い。

「誰かが作り出した虚構の世界なんだよここは。こういう話、キミは書いたことないか? ふっふっふ~瀬山ちゃん、問題はねぇ、この小説のオチなのだよ。作者の意図は……なんだと思う。それが見えないことには、アタシらは決してここから出られない」

 彼女の言葉の節々には瀬山自身も共感せざるを得ない部分が含まれていたが、それを認めるのに抵抗がある。自分は彼女ほど素直にこの非現実的状況を受け入れられないのだ。心のどこかで、ここが現実世界のどこかだと願っている。

「言いたいことは分かった」

「だからさ、今度はアタシから提案! 今からアタシと取引しようぜー瀬山ちゃん?」

 ……何を言っているんだこの女。

 さっきまでこっちの取引を反故にしてきたくせに、今度は自分からそれを言うか。ふてぶてしさ極まりない。

「矢野は最初からアタシを見る目が変だった。今思えばあいつは最初からアタシを殺す気で、動かなかったのはアタシの法具を警戒していたからだ」

 それが、瀬山達との邂逅をチャンスと見た彼は行動に出た。清蓮を殺すために裏切りを働いたというわけだ。

「この先、矢野みたいな奴が現れないとも限らない。ここは手の内を明かし合った味方がいた方がいいと思うのだよ。てなわけで瀬山ちゃん! 協力するから君たちのパーティにアタシを入れてくれたら――」

「駄目だ。僕らはもう欲しいものを手に入れたんだ。お前はここに置いていく。運良く誰かに見つかることを祈るんだな」

 録音機はここに二つ。清蓮から法具も手に入れた。彼女がここまで来た過程を聞き、この世界に関するヒントも得た。これ以上、彼女に付き合う必要はないだろう。

 瀬山は意地悪く彼女に嘲笑をくれてやり、席を立った。

「先を急ごう、東太。森本さん」

「そっすね」

「……はい」

「おいおいおいおいまてまてまてまて! こんなところに女一人放っておく気かよー。野蛮な奴に見つかって犯されたらどうすんのさー!」

「叫べばいいだろ」

「ははは! 瀬山ちゃんのいけず~!」

 あんまり大声出さない方が良いぞ。それこそ、悪漢を呼び寄せることになるかもな。

 瀬山は気にせず部屋を出ようとしたが、それでも彼女はしつこく彼を呼び止めた。

「おーい、聞けって」

「瀬山さん、あいつなんか呼んでますけど」

「無視するんだ。あいつは口がうまい……油断したらまた出し抜かれるかもしれない」


「キミ達の情報の内容は、亡骸の在処だろ?」


 分かりやすく、3人の足が同時に止まった。

 ……落ち着け。

 言い当てられたからって、別に動揺するほどのことじゃない。

「そうだよね? アタシ達が入ってくる前に、キミ達はどこかへ行こうとしていた。ってことはすでに、目的地が分かってたってことだ。この『式』とやらを終わらせるために故人の亡骸が必要だという情報は皆に行き渡っている。向かう先はそうとしか考えられないよねぇ?」

 洞察力があればそれくらいは分かる。ばれたからといって何の問題がある。この女は武器も持っていないし、手も使えない。

「だったらなんだ」

「アタシも連れてけよ。戦力になってやる。それがアタシのカード」

「計算が合わないな?3-X=3にならなくちゃ。あんたを連れて行ったらむしろ解がマイナスになる」

「そんなことないって、むしろプラスだよ~? 例えば、血がついてない方の録音機」

 彼女は自分が目覚めた部屋に置いてあったという綺麗な方の録音機に視線を送る。

「これがどうした?」

「キミから良いアイディアもらっちゃったよ。ふっふっふ。教えてくれたものは使わないとねぇ?」

「……まさか」

 瀬山は急いで録音機の03データを再生した。



『――アタシのプロットに乗せられているのはキミの方なのだよシロートくん』




 ***




 録音機はワンタッチで操作できる簡単な機械。彼女はポケットの生地の上から録音ボタンを押していた。ご丁寧に03ファイルの上に。

「先に言っておこう。アタシの録音機に入っていた情報も、亡骸の在処さ」

「それは本当か」

 彼女はニヤニヤと意図の読めない笑みをうかべるだけ。瀬山は憎らし気に奥歯を噛んだ。

「一緒に行動するなら、アタシがそこへ案内してやろう。代わりにキミ達の目的地にもアタシを連れていけ。別にいいだろ? 4人仲良く、葬送とやらをやってここを出て行けばいいだけさ。仲間が増えたと思いなよ」

 仲間? 笑わせるな。

 お前は敵だ清蓮。僕はお前がどうにも気に入らない。別に、プロ作家に対する嫉妬とかではなく、純粋にお前が憎たらしいのだ、僕は。

「知ったことか。行こう皆」

「いやいや! 瀬山さん、それはないですって。この女は次の亡骸の情報を持ってるんですよ!?」

 慌てて東太が瀬山の腕を掴んだ。

 早くこの狂った世界から脱出したい。そのために役立つ情報が少しでも手に入るのなら逃したくはない。当然である。

「みすみすチャンスを棒に振ることはないですって! たぶん、ここには俺たち以外にもたくさん亡骸を狙っている奴がいる! 真澄だってどっかにいるんですよ!?」

「この女は信用できないだろう……」

「そういう問題じゃなくて! 情報を捨てるのかって言ってるんですよ。それに、コイツを1人で放っておかない方がいいっすよ。どこかで手錠を切って自由になるかもしれないですし」

 随分と清蓮をかばうんだな、東太。

「な……なんすか瀬山さん?」

 信用できないって言うんなら……それは君もだったな東太。

 彼は僕がピンクの扉をくぐる前からこの部屋にいたんだったよな。つまり、僕が彼と会う前に、彼が何をしていたのかは分からないってわけだ。森本ちえりもその点では立場は同じ、か。

 パズルのピースが散らばって、それを拾い集めることでこの状況の全景が見えてくる。だが、そう思わせることが罠であり、そのピースは他人の手によって用意されたものでしかない。実際自分が本当に確信をもって真実だと言えるピースはごくわずかしかなく、敵が用意したフェイクの絵を完成させて満足しているだけ。偽物の絵を掴まされても、後に残るのは損害だけだ。

 ……僕が自信をもって真実だと言える情報なんて、ほとんどない。それは東太と森本さんが喋ったこともそうだし、彼らの本心すらも。

 じぃっと、二人の顔を見つめてみる。何かを探る様に。居心地悪そうに、二人は自分から目を逸らした。

 眼鏡をはずし、血の付いていない服の袖で拭う。


 視界はクリアになった。

 改めて二人のちょっと怯えたような顔を直視し、胸が痛むのを感じた。

 ――苛々するな。東太はただ意見を述べただけ。頭ごなしに否定しても不和をまねくだけだ。

 彼は深々と息を吐き出し、東太の肩を叩いた。詫びる様に。

「ごめん。東太の言う通りだな……だが、コイツの手錠は外さない。妙なことをしでかさないか常に見張っていよう」

 もう、やめよう。

 ここで仲たがいしても本物のピースは見つからない。今は前に進むんだ。

「え、ええ。そうですよね! もちろんです!」

 まごつきながらも、東太は意見が通って嬉しそうだった。

 ちえりは何も言わなければ頷きもしない。瀬山はあえて彼女に意見を求めるようなことはしなかった。清蓮は彼女の命を真っ先に狙ったのだ。そんな相手を受け入れることに、彼女が拒否も承諾もできない心境なのは何となく分かる。

 とはいえ、瀬山も本心ではやはり清蓮と同行するのは気が進まなかった。

「立て、清蓮さん」

「清蓮先生って呼んでくれないのかい?」

 そんな煽りは無視し、瀬山は彼女を無理やり立たせた。手は後ろで拘束したまま。4人はぞろぞろと部屋を後にする。




 縁側から見える庭園。美しい牡丹が咲き乱れ、松の木が立っている。小さな池の上には鹿威しがあったが、設計ミスなのか上から流れ落ちる水がなかった。無意味な竹のオブジェは全く音をたてずに静寂を保っている。庭は高い塀に囲まれており外の様子は見えない。塀は高くてよじ登れそうになかった。

 中庭を正面に、左右に道が分かれている。左の道は真澄が向かった方であり、清蓮たちがやって来た方向だった。

「向こうはいくつか分かれ道があった。全部の部屋を見てるわけじゃないから、この空間がどれほど広いのかは見当もつかないねぇ」

 彼女は『空間』という言葉を使った。ここが異世界だと認識しているためだろう。

「廊下はなく、部屋と部屋の間は全て扉でつながっているようだね。それに、それぞれの部屋に統一感もない。アタシが入った部屋は全部で5つだ。教室に、理科室。次にここと似たような床の間のある和室。で、次がどこかの学生食堂みたいな部屋だったな。そこには扉が複数個あった。あとはこの縁側とキミ達がいた和室のある部屋だけだ」

 そこから先は未知の領域さ、と、清蓮は自分たちがやってきた方向とは逆の方向を顎でさして言った。

「この録音機を手に入れたのはどの部屋だ?」

 瀬山は血まみれの録音機を取り出す。

「和室だね。部屋全体が血まみれだったが、棺桶の中に録音機しか入っていなかった。全ての棺桶に『当たり』の法具が入っているとも限らないようだね」

 協力すると決めたからか、打って変わってつらつらと情報を喋る清蓮。もちろん彼女の言葉を100%信用することはできない。

 だが、それでも彼女の持っていたこの血まみれの録音機だけは信用できる。自分の目と耳で得られる情報こそが、本物のピースだ。この録音機にはまだ、全てのデータが残っていた。

 01のファイルには機械的な笑い声が。これは瀬山たちが見つけた録音機に入っているものと同じだった。

 02のファイルにはこの世界のルール。

 そして03のファイルには、清蓮の言った通り『この世界での戦い方』についての情報が入っていた。


『――それでは最後に、この世界での戦い方についてお伝えいたします。


 まず、皆様の左腕についている『地獄耳』をご覧ください。そちらの耳には皆さまが故人に与えた不敬の度合いを数値化して表示しています。


 0 0 0の場合、皆様は故人に対し申し分ない敬意を払っていると言えるでしょう。どうかそのまま、式にご参加していただけますよう。

 御仏様に向かって、騒がしい音をたてますと、徐々に数値は上がっていきます。

 0 5 0を超えると故人が目を覚ましてしまいます。再び眠りにつくまで、長い時間がかかります。

 0 7 0を超えると、それは忌々しき騒がしさを意味します。故人は安らかに眠ることができず、お怒りになられるでしょう。怒りが鎮まるまでに、さらに長い時間を要します。


 1 0 0を超えた時、故人の怒りは頂点に達し、その者に罰をお与えになります。


 なお、自らの口から耳障りな騒音を発する行為は通常の喧騒よりも、より早く故人の怒りを買うことでしょう。

 他の参加者様との争いになった際には、この地獄耳の存在を思い出していただくことを、強く推奨いたします』



 瀬山の予想は概ね当たっていた。

 やはりこの腕輪は騒音の度合いを示していた様だ。デッド・ラインは100。

「騒音の量……つまりデシベルを表示してるんだなこれは」

 騒音値と呼ばれるデシベルは、一般的に電車が通る時のガード下で100デシベルを超えるという。しかし、それは音源からの距離によって数値の増減が異なり、当然ながら近ければ近いほど人は「うるさい」と感じるものだ。問題は、この『地獄耳』とやらがどこに反応してデシベルを判定しているかどうか。この腕輪自体に感知機能がついているのか?

 その推測はあっという間に否定される。

 この腕輪についているのならば、左手でクラッカーを持って発射してしまえばほぼ確実に自爆するではないか。最も基本的な法具であろうクラッカーが手で持って使う道具である以上、それはありえない。

「清蓮、あんたの仲間だった圭太や矢野巡査は、咄嗟に喉元を押さえていたよな」

 彼女はしたり顔で頷いた。

「よく見てるねぇ、瀬山ちゃん。さっきの説明の中で、一つ気になる点があっただろ?『御仏様に向かって』ってところさ。妙だと思わないか? この音声は全て亡くなった人のことを『故人』と呼んでいるのに、あえて仏様なんて単語が出てきた」

「仏様、という言葉自体に意味があるってことか?」

「その通り……そこで、この法具の用途は人間を攻撃するためのものだ。センサーの当たり判定はアタシ達の体のどこかに仕込まれている可能性が高い。体の中で『仏』と呼ばれる部分があるのを思い出さないか?」

 瀬山はごくりと生唾を飲み込んだ。

 首元にある小さなでっぱりがのたうつ。

「喉仏か……」

 あるいは喉仏が位置する首の皮膚の裏側か。喉元に何かが仕掛けられている可能性は高い。

「ちえりちゃん、数値は今どれくらいだい?」

 ちえりは自分の腕輪を確認した。

「今やっと72まで落ち着きました」

「一度50を超えると、0に戻るまで時間がかかるようだね。70以上はもっとだ」

 ダメージは蓄積されるってわけか。

 すると、ちえりが圭太の攻撃を喰らった時は本当に危なかったのだ。今更ながら、瀬山は胸をなでおろす。

「一発のクラッカーを放って自分に加算されるデシベルは50以上とみていい。二回連続で使ったり、その後すぐに攻撃を受ければヤバいってことさ。防御するなら、喉元を隠せば少しはましになるんじゃないかねぇ」

「随分具体的っすね。実験でもしたんすか?」

 東太が訝しむようにそう尋ねた。清蓮は涼しい顔で「いやー? ただの推理さ」とのたまう。

「とにかく、喉元が急所っていうのは的を得ているな」

 後は叫び声だ。自分で大声を出すのはナンセンスとみていい。ひょっとすると音の周波数も感知しているのかもしれない。男女ともに人間の声のだいたいの周波数は500Hz前後だが、その音域の音は特に敏感に感知されるとか。

「にわかに信じがたい技術だな」

「だーからいってるだろ~? ここは現実とは違うんだよ」


 ともあれ、これで戦いの術が得られた。敵が現れてもいくらか対処することは可能だろう。今自分たちが持ってる法具は全部でクラッカーが6つと目覚まし時計が3つだ。

 この部屋で散っていった人間の持ち物を漁ることで、戦力増強を図ることができた。死んだ瑠実が持っていたもの。清蓮が持っていたもの。あとは圭太と矢野巡査の死骸から発見された。彼女達が訪れた部屋で、できるだけ回収してきた分4つが残っていた。清蓮には何も持たせず、瀬山と東太とちえりの三人で均等に分配する。

「ちょっとぉ~! 武器はいいからせめて手錠くらいはずしてよー。敵に襲われたら真っ先にやられるじゃんアタシ」

「あんたみたいなタイプはそうそう死なないよ。自分の小説読んでみろ」

「あ、確かに確かに!」

 納得したようにパチパチ指を鳴らす清蓮。話は一応のまとまりを見せたかに思えた。

「ちょっと待ってください」

 徐に意見が発せられた。

 ちえりが、何かに気づいたようだ。

「クラッカーの数、足りなくないですか?」

「え、どういうこと? 森本さん」

「だって、その人はもう一部屋……血まみれになっていた部屋にも行ったんですよね? そこで死んでしまっていた人たちの分を合わせたら、もっとあるんじゃないですか?」

 確かに……

 仮にその部屋で東太のように最初から何も持っていない者が1人いたとしても足りない。だが、清蓮はまるで馬鹿馬鹿しいと言った様子で言った。

「言っただろ。その部屋は血まみれで、そもそも何人いたかもわからなかったんだ。一応、中を調べたが、クラッカーはなかったよ。アタシだってこの空間のことを何もかも分かってるわけじゃあないんだよ~? 何でもかんでも疑ってかかられちゃあ、信用もクソもないだろうが」

「元から……あなたなんか信用してませんし」

「おぉ~! 言うねぇ~?」

「もういい、二人とも黙るんだ」

 その部屋で何が起きたかなど、その場にいた当事者しかあずかり知れぬことだ。清蓮は疑えばきりがない女。今できることは、前に進むこと。進めばいずれ、真実が見えてくるかもしれない。

 瀬山は早々にこの話を打ち切ることにした。

「目的地に向かうぞ。僕が先頭を歩く。僕の後ろに森本さん。その後ろに清蓮、しんがりは東太だ」

 後ろはもちろんだが、彼女の動向にも気を配れよ、と東太に忠告する。彼は自信なさげに頷いていた。

「が、頑張るっす」

「頼んだぞ」

 縁側を歩いて行くと、奥に鉄の扉が見える。次の部屋への入り口だろう。式場Fの美術室であればいいが、そううまくいくだろうか。

 その時、背中が引っ張られる感触を覚え、瀬山は振り返った。ちえりが自分のシャツの裾を掴んでいる。

「どうしたの、森本さん」

 彼女は相変わらず俯き加減で、聞き取りにくい音量で喋った。

「あの……気を付けてくださいね、瀬山さん」

「え?」

「あの人のこと、ずっと見張ってましょう。……どこかで裏切ってくるかもしれません」

 念を押すように、そう言われた。彼女にしては少し首を傾げる物言いだ。わざわざ清蓮について忠告してくるなんて。よほど彼女に命を狙われたことに怯えているのだろうか。瀬山は強く頷いて見せる。

「ああ。分かってる。気を付けるよ」



 ……瀬山先生。


「なぁ~ちえりちゃ~ん?」

 粘っこい猫なで声が耳元に聞こえてきた。ちえりは思わず耳を押さえた。この女の声を聞くだけで、頭が痛くなってくる。しかし、彼女のそんな気持ちはお構いなしに、清蓮は口元をさらに彼女に近づけた。

「あの男に先生呼びはちょ~っと贅沢過ぎるんじゃないかなぁ?」

 ……えっ。

 声に出ていたのか? 私……

「森本ちえり」

「……なんですか?」

「オマエ、何を隠している?」

 清蓮はちえりのうなじを凝視していた。後ろを向いていても、彼女が自分に視線を突き刺してくるのが感じられる。

 じっとりとした汗が、にじんでいるのが分かる。

「アタシが瀬山ちゃんと小説の話で盛り上がっていた時だ」

「……」

「オマエの目は実に気に入らなかった」

「何が言いたいのか、分かりませんが」

「さっきの小説、『ユノの箱庭』に出てくる主人公はかなり嫉妬深い性格をしている女でねぇ……好きになった子の周りにいる人々すべてに対し、緑の炎を浴びせるのさ」

 気のせいかな? あの時のオマエの背中から、グリーンアイド・モンスターの毒々しい棘つきの尾っぽが鞭をしならせたのが見えたのだが。

 ちえりは僅かに後ろを振り返りかけたが、清蓮と目を合わせることはしなかった。彼女

 言葉を無視するように、足を動かし続ける。


「まぁいいや……」

 いずれはっきりすることだ。森本ちえり、オマエが何者で何を考えていようが、アタシのプロットから逃れることはできない。オマエには特別に、一番惨いBad を書いてやるぜ。

 ふいに後ろ手の袖を引っ張られた。東太だ。ちえりに顔を近づけて何かをしていると訝しまれたのだろう。「余計な動きをするな」と言わんばかりにこっちを睨みつけてくる。

 険しい目で自分を観察している東太に向かって、清蓮は悪戯っぽくウィンクしてやった。

「うーん……アタシちえりちゃんに嫌われちゃったかも」

「はぁ? 何言ってるんすか……よくわかんないけど、あんまり変な動きするのやめてくれよ? あんた今、捕虜なんだからな」

「ふっふっふ」

 清蓮は喉の奥を鳴らして笑った。

 瀬山が突き当りに到着し、鉄の扉のドアノブに触れた。ノブはあっけなく回り、次の部屋の入り口が開かれる。


 

 つづく



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